Share

第39話:潜熱

last update Huling Na-update: 2025-06-15 20:17:05
王城の深夜は、凍てついた静寂に包まれていた。

幽閉部屋の片隅で、リリウスは膝をつき、壁際に隠された小さな装飾──封印の印を指先でなぞっていた。

淡い光が、彼の手から流れ出る。

微かに魔力が振動し、結界の一部が解ける。

「……第一解除、完了」

額から汗が一滴落ちた。

小さな魔術だ。

けれど、これを使えば使うほど、術式が逆流する危険もある。

それでも止まれなかったし、止まるつもりもなかった。

床の隅に指をかけると、ぎしり、と古い金属の音を立てて通気口の蓋が持ち上がった。

「……ここから、か」

通気口の前で、リリウスは一度だけ振り返る。

冷たい石壁、誰の声も届かない空間。

この塔に幽閉されてから、いくつの夜を数えただろうか。

指先が震えていた。

恐怖ではない。

まだ“躊躇”が残っている。

「……カイル」

名前を呼ぶと、胸の奥に共鳴するような感覚が返ってくる。

届いている。確かに、どこかで。

あの日、彼が言っていた。

──必ずここに帰ってこい。

クラウディアにいた日々は平穏だった。

王族として、オメガとして、大切にされていた。

けれどそれは“自分”という個人に向けられたものではなかった。

立場、属性、血統に向けられた好意だ。

本当は、それだけじゃ足りなかった。

もっと自分という存在そのものを、見てほしかった。

だからこそ、リリウスはレオンに求めてしまったのだ。

――最も近くにいた“はず”の、レオンに。

けれどそれは、最悪の形で裏切られた。

何もかも踏みにじられ、奪われた。

思えば、贅沢な暮らしに甘えていたのかもしれない。

わがままで、身勝手だったのかもしれない。

──それでも。

「……カイルは、言ってくれたんだ」

──必ず、ここに帰ってこい。

あの人だけは、望んでくれた。

“自分”として、手を伸ばしてくれた。

だから、もう。

「……怖くない、僕はもう……閉じ込められない」

リリウスはゆっくりと通気口に手をかけて、中を覗き込んだ。

──狭い。

子供でも這うのがやっとだ。

だが、迷わず身体を滑り込ませる。

鉄の縁で掌を切り、肘をぶつけ、肩を擦った。

けれど痛みは遠かった。

奥へ、ただ奥へ。

この先の闇の向こうに、微かに漂う“外”の空気がある。

──お前の居場所は、もうできている。迷ったら振り返れ。俺はここにいる。

手帳の最後に記された一文を、唇で音無くそっとなぞる。

(進め、進
めがねあざらし

読んでいただいてありがとうございます! 応援いただけると嬉しいです♪

| 1
Patuloy na basahin ang aklat na ito nang libre
I-scan ang code upang i-download ang App
Locked Chapter

Pinakabagong kabanata

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第47話:レオンの警告

    王国からの公式通達は、冷たい文面で届いた。──リリウス・クラウディア殿下の奪還行為は条約違反に相当する。──当該行為が実行された場合、王国は武力をもって応じる用意がある。その簡潔な文書は、クラウディア王宮の会議室に重く落とされた。「……笑えもしない文面だな?」神王アウレリウスが文を一読し、低く呟く。会議の列席者たちは沈黙し、目配せを交わす。「陛下、恐れながら。この件に関しては、慎重に扱うべきだと思います」最初に口を開いたのは老臣の一人だった。「リリウス殿下は王家の一員であるとはいえ、王国との直接衝突はクラウディアにとっても危機となる。まずは交渉の場を設け、可能な限り穏便に──」「それで、あの子は戻ってくるのか?」アウレリウスの声は鋭く、しかし抑制されていた。「……奴らはリリウスに何をしてきた。あれを“返す”つもりがあるなら、なぜあのような声明を送ってくる」「ですが、神王陛下。軍を動かせば、国際的な非難は避けられません」「非難を受けて、王家の者一人も救えぬ国だと笑われる方が恥だ。だからこそ、あの国に送りたくなかったものを……」強い言葉に、会議室が再び沈黙する。だがその刹那──「失礼します。魔術通信回線が。使節団、マリアン様から強制割込みです」護衛兵の報告と共に、部屋の一角に淡い魔術光が灯った。そこには、整った軍服姿のマリアンが映し出されていた。「マリアン……?」アウレリウスがわずかに目を細める。「神王陛下、会議に割り込む非礼は承知しています。ただ──時間がない。リリウス様は、危ういです」静かな語調だったが、その言葉には切実な焦りが滲んでいた。「アルヴァレス使節団の立場上、外交的な均衡は保ってきました。しかし、内部から見ていて分かるのです。王国は、次の“処分”に向けて、動き出している」「処分……だと」「名目は“保護”のはずだった。ですが今や、監禁、封印、そして隔離。あの方は、何一つ間違ったことをしていない。……ただ、そこに生まれたというだけで」その場の空気が、明らかに変わる。マリアンは一呼吸置いて、続けた。「お願いです。今ここで手を引いたら、リリウス様は壊れます。私たちが守らなければ、もうあの方には戻る場所がない。……どうか、お願いします。陛下」魔術光の中、マリアンの姿が揺れる。通信の限界だ。アウレリウスは

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第46話:回復と決意

    昼と夜のあわいを漂うような静寂の中──リリウスたちは、山間の隠れアジトへと身を寄せていた。そこは、クラウディアがかねてより用意していた一時避難の拠点。外からは廃村の納屋のようにしか見えない古い建物だが、地下には十分な医療設備と術式の補助環境が整えられている。セロは奥の治療室に運ばれ、すぐに専門術士の手で処置が始まった。リリウスは部屋の隅に腰を下ろし、ぼんやりと手のひらを見つめていた。かすかに震える指。術式の痕跡はもう薄れているが、魔力の消耗がまだ尾を引いている。「……思った以上に、使いすぎたな」呟いた声は自嘲に近かった。攻撃術は得意ではない。それでも咄嗟に動いたあの瞬間、セロを守りたいという感情だけで体が勝手に動いた。(怖かった……でも、動けた)そのことが、今のリリウスには何よりの救いだった。ただ──悔しいのは、回復術式が使えなかったことだ。あの場で癒せていれば、セロはあんなに苦しまなくて済んだかもしれない。マリアンほどでないにしろ、本来のリリウスの魔力量は高い。今は封印術が薄らいでいるとはいえ、力の半分も発揮できていない。(あと少し──あと一歩、力が戻れば……)ぐ、と拳を握った時──ふと扉がノックされた。続いて入ってきたのは、簡素な外套を羽織ったカイルだった。「術士の診断では、セロの容体は安定している。数日は安静にしておく必要があるが、命に別状はない」「……よかった」リリウスの肩がわずかに落ちる。張り詰めていた糸が、そこでようやく緩んだ。カイルは黙って隣に腰を下ろした。肩が触れるほどの距離ではない。ただ、そこにいるということが、リリウスには心地よかった。「魔力は、どうだ?」「少しずつ、戻ってきてます。……でも……すぐに切れてしまうんです」「封印のせい、か。君の術式は、いつも丁寧で整っていた。全力を一度見てみたい」思いがけない言葉に、リリウスはわずかに目を見開いた。クラウディアでは、魔力に特化した国だ。術が下手だと笑われたことはあっても、こんなふうに言われたのは、初めてだった。「……そう、ですか」俯いて、小さく笑う。その頬の赤みに、カイルは目を伏せた。「あなたが……最初から、来てくれるって信じてたわけじゃないんです」「……」「けど、来てくれた。僕を、見捨てなかった」そこまで言って、リリウスは

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第45話:再会、その温かさ

    森の空気はひんやりとしていたが、どこかやわらかかった。朝の気配が淡く広がり始め、木々の隙間から射し込む光が霧を淡く照らしている。リリウスは、目の前の男の姿をただ見つめていた。「迎えにきた」それだけの言葉だった。簡潔で、余計なものが何一つない。それでも、その声を聞いた瞬間、胸の奥のどこかがきゅう、と音を立てて締まる気がした。「……ありがとう、ございます」リリウスは自然と頭を下げていた。声は震えていない。しかし、その指先にはかすかに力が入りすぎていた。カイルは歩み寄り、リリウスの肩にそっと手を置いた。その手のひらは温かく、決して力づくではない。ただ、そこに在るだけの重み。リリウスは、ふとその手に頬を寄せていた。ごく自然な動きだった。自分でも気づかないうちに、求めていた温度に触れたかったのだろう。頬が触れた瞬間、カイルの指先がわずかに揺れた。それでも何も言わず、そのままにしていた。「セロが……少し、傷を……僕は回復術式はまだ、使えなくて」リリウスが身体を離し、小さく告げた。言葉は敬語だったが、その調子にはどこか私的な響きが混じっている。「わかっている。部下が手当ての準備をしている。大丈夫だ」「よかった……」リリウスはようやく息をついた。ずっと張りつめていたものが、少しだけ緩んだ気がする。「君が……無事でよかった」小さくカイルが漏らした。あまりに小さな声だったため、リリウスは聞き返せなかった。沈黙が、しばらく二人の間を満たす。カイルは、抱きしめたい衝動を抑えていた。リリウスもまた、胸の奥に芽生えかけたものを、ぐっと押し留めていた。──これは、まだ言ってはいけない。それに。依存でも、恋でも、きっとない。でも、逃げ続けていた自分を迎えに来た人が、確かに今ここにいる。それだけは、胸に刻まれた。「……これから、どうなさるおつもりですか」「一緒に逃げる」迷いのない声。「君の望む場所へ」リリウスは、ほんの少しだけ目を見開いた。そして、何も言わずに静かに頷いた。その仕草が、カイルの心に深く染み込んでいった。言葉を選びすぎて、思いはすれ違ったかもしれない。けれど、この一歩は確かに、同じ方向を向いていた。やがて木立の奥から、クラウディアとヴァルド連邦の部隊が姿を現す。セロを担架に乗せ、応急処置を施す者たちの中に、ひときわ目立つ

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第44話:共鳴点

    山を抜けた先の森は、夜明けの冷気を孕んでいた。木々の間を縫うようにして、リリウスとセロは進む。鳥の声もなく、ただ濡れた土の匂いと葉擦れの音だけが、静かに周囲を満たしていた。セロの肩の傷はまだ癒えていない。それでも彼は痛みを口にすることなく、黙々と歩を進めていた。足取りは重く、額にはうっすらと汗が滲んでいる。「もう少しです。この先に、合流地点があります」乾いた声でそう言った背中を、リリウスは歯を食いしばって見つめる。癒しの術ひとつ使えない自分の無力さが、今ほど悔しかったことはない。あの納屋での選択──演技ではなく本気で倒れていたら、と思うと震えが走る。自分の非力さを思い知らされた後悔と、誰かを守りたいという初めての意志。その狭間で揺れるようにして、ただ前へ進んでいた。森には、微細な術式の痕跡がいくつも張られていた。クラウディア王国とヴァルド連邦──二国間で秘密裏に設置された、救出作戦のための“導線”。(……来てくれる)確信のような感覚が胸を満たしたとき、リリウスの鼓動が一瞬ずれた。いや、重なったのだ。微かに──呼吸の奥で、誰かの鼓動が共鳴する。(カイル……)名前を呼んだわけでもない。ただ、懐かしい熱が胸に宿った。※同時刻、王国南端・森の縁──。黒い外套を纏い、部隊の先頭に立つ男の姿があった。カイル=ヴァルド。ヴァルド連邦の軍総帥。その肩にあるのは、いくつもの戦火をくぐってきた証。今はリリウス奪還のため、クラウディアと“秘密裏に”手を結び、王国領へと潜入していた。「感応術式、反応あります。対象は間違いなくリリウス殿下です」副官が差し出した術式水晶には、淡い光の中に人影が揺れていた。「距離は?」「南東300メートル。森の内側です」カイルは短く頷き、手の中の水晶をじっと見つめた。(ここまで来たのか。お前が、自分の足で)あの日、雪原で倒れていた青年──それが彼との初対面だった。名前も、立場も、事前に知識はあった。だが実際に目の前で彼を抱き上げたあの瞬間、リリウスはただの“王族”ではなく、ひとりの人間として刻まれた。凍えたリリウスの中に、確かに“意志”があった。生きようとする強さではなく、誰にも寄りかからずに在ろうとする気高さ。(自由でいろ。お前はもう、誰にも縛られるな)その言葉を口にすることはなかった。だが、今でも胸の

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第43話:罠の演技

    夜明け前の山道は、まだ深い闇の底にあった。人の気配も消えた廃村。その片隅にある納屋の中で、リリウスは息を殺しながらセロの肩を支えていた。「……血が、止まらない」応急処置は施したものの、右肩から染み出す血は乾く様子がない。セロの顔色は蒼白で、額には脂汗が滲んでいる。「すみません、殿下……」「しゃべらないで。力、温存して」そう言いながら、リリウスの指先は震えていた。──自分のせいだ。あの地下水路でセロを庇えたのは偶然だ。少しでも判断を誤っていたら、今こうして話していることすら叶わなかった。その思考を断ち切るように、セロが口を開く。「間もなく……“白銀の狼”が来ます」「しろがね……?」「ベータ兵の追跡部隊。中でも、先鋭の一人が“ハーグ”と呼ばれる男です。獣化能力……特に嗅覚が異常なまでに鋭い。あの人が動けば、隠れ通すのは不可能です」その声は淡々としていたが、内に潜む緊張は隠しきれなかった。「……けど、僕には“予感”があります。彼は、すぐには殺さない。きっと、殿下を見るために来る」リリウスが顔を上げた。「セロ……彼を……知ってる?」問いかけに、セロはかすかに笑って、首を振った。「今は……話せません。ただ──」その目が、まっすぐにリリウスを見つめる。「どうか、やられた“ふり”をしてください。僕も倒れます。……それだけで、彼は去る」「信じて、いいの?」「信じてください。これは……僕の賭けです」※森の中を、影が駆けていた。冷たい空気を割るように、ベータ兵たちが走る。その先頭を行くのは、長身の男──ハーグ。獣のような銀髪と、鋭利な双眸。鼻腔をかすかに震わせ、土の匂い、水の気配、血の微粒子までもが網膜の奥に浮かび上がる。(この先──廃村。そこに、あの匂いがある)誰よりも先に“番”の残り香に気づいた。それが、確信に変わるまで時間はかからなかった。(間違いない。生きている)ただの任務ではなかった。この胸の奥にざわめくものは、かつて失った片割れへの感応だ。納屋の中。リリウスとセロは、床に倒れ込むように身を寄せ合っていた。セロは肩を押さえ、血糊を自らの頬に塗りつける。「準備は、いいですか……」リリウスは頷き、目を閉じる。呼吸を限界まで浅くし、まるで意識を失ったかのように身を投げ出した。その直後──扉が静かに開

  • 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される   第42話:追尾者の瞳

    王城南側の展望回廊で、獣のような男が地を這うように身を伏せていた。「……残ってる。微かだが、確かに“匂い”がある」その男──ギルハルトは、王城直属の追跡兵部隊の筆頭。獣種のベータ。特異な嗅覚と脚力で知られ、戦場では“王の牙”と呼ばれる。床に手を這わせ、苔の間に染みついた湿気を一息吸い込む。「これは……セロと、もう一人。リリウス殿下で間違いない」静かに立ち上がる。背後で控えていた副官が一礼した。「追尾部隊、配置済みです。出口の候補は三箇所。内二箇所は既に封鎖が完了しています」「それで十分だ。だが、こちらが最短だと睨んでいる」ギルハルトは無言で西の方角を指差した。夜の風が、湿った石壁を舐めるように吹き抜けていく。「“追わせろ”。殿下の命令だ。だが“捕らえろ”ではない。“潰せ”でもない。“連れ戻せ”だ」「了解しました」ギルハルトの口元に、獣じみた笑みが浮かぶ。「つまり、“匂いを断たせるな”ってことだ」彼の足元に、四肢で立つ白銀の影が現れる。狼型に姿を変えたもう一体のベータ。人語は失っているが、意志は伝わる。「行け、“ハーグ”。鼻を使え。俺が追う」その一言で、銀狼は一閃の風となって闇に溶けた。※「……誰か来てる」耳を澄ませるまでもなく、セロの声には緊迫が滲んでいた。リリウスもすぐに感じ取る。森の葉が揺れる音、湿った土を踏む重い足音、そして。──空気の圧。まるで“獣”に睨まれたような圧が背後にある。「ここを抜ければ、小さな村があります。知人の納屋に身を潜めましょう」セロは傷を抱えたまま先を急ぐ。リリウスももう何も問わない。ここで足を止めれば、今度こそ捕まる──それだけは、本能が告げていた。その村は、かつて狩猟民が暮らしていた場所だった。今はほとんどが無人だが、わずかに残る住人が細々と暮らしている。「久しぶりだね、セロ。……隣の若いのは?」納屋の奥に案内してくれた老婆が、燭台の灯りを向ける。「大切なお方です。……少しだけ、匿ってもらえませんか」「ふん、王家の犬め。命がけで守るなら、そっちも覚悟するこったよ」それだけ言って、老婆は干し草を敷いた簡易寝台を指差す。セロが深く頭を下げると、リリウスも続けて礼をした。「……ありがとう、ございます」夜の闇の中で、リリウスは初めて人間らしい寝床に横たわった。

Higit pang Kabanata
Galugarin at basahin ang magagandang nobela
Libreng basahin ang magagandang nobela sa GoodNovel app. I-download ang mga librong gusto mo at basahin kahit saan at anumang oras.
Libreng basahin ang mga aklat sa app
I-scan ang code para mabasa sa App
DMCA.com Protection Status