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last update Huling Na-update: 2025-09-19 18:50:50

 突然二人きりになり、玲遠と桜の間に気まずい沈黙が流れる。それを破ったのは玲遠だった。

「……さて。市場調査の続きをするか」

 彼の言葉に桜は思わず噴き出した。

「ふふっ。玲遠さん、まだそれを言うんですね」

「仕事だからな」

 そう言って表情を崩さない彼に、桜は「はいはい」と頷いて、歩き出した。

 向かったのは、石畳の坂道に露店がひしめくモンマルトルの丘だった。絵描きがイーゼルを立て、観光客相手に似顔絵を描いている。桜は店先に並んだ色とりどりの小物やアクセサリーを、桜は一つ一つ手に取って眺めた。

 坂の中腹に差し掛かると、甘い香りが漂ってきた。一台のキッチンカーがクレープを焼いている。

「わあ、美味しそう。少しお腹が減ってきました。玲遠さん、食べませんか?」

 桜が指さすと、彼は「……ああ」と頷いた。

「わあ、メニューがいっぱいある。どれにしようかな……。よし! フランボワーズのジャムにします!」

 桜が先に注文を済ませ、玲遠が自分の分を頼む番になった。彼はごく自然な仕草で懐から財布を取り出し、一枚のカードを店主へ差し出した。艶消しの黒いカードは、それ自体が周囲の陽気な雰囲気から浮き立つような、絶対の存在感を放っている。

 桜は横目で黒のカードを見て、たじろいだ。

(おおお、ブラックカードだ。本物、初めて見た)

「支払いは、これで」

 しかし、恰幅のいい店主は眉一つ動かさなかった。

「にいちゃん、悪いな。うちは現金だけなんで」

「何……?」

 その言葉に、玲遠が完璧な仮面をつけたまま、わずかに固まった。

 氷の皇帝が下町の小さなキッチンカーの前で、完全に動きを止めている。その光景が何ともおかしくて、桜は笑いを堪えるのに必死だった。

(現金、持っていないんだ。そうよね、普段使わないよね)

 桜は自分の小さな財布から、数枚のコインを

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  • 捨てられた蒔絵職人は、氷のCEOと世界一のブランドを作ります   30

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     健斗と『Higashiyama Holdings』の崩壊は、間近に迫っている。  社長室のデスクに置かれたノートパソコンのモニタが、小さな電子音を上げた。常に表示されている会社の株価が、断崖絶壁のような急落を示していた。  情報に敏感な投資家たちが、会社の未来をないものとして、次々と株を投げ売りしているのだ。「社長……こんなニュースが」 秘書が怯えた様子で、再度タブレットを差し出す。今度は日本のニュースサイトだった。『金沢の伝統文化連盟、不当な圧力をかけたとして『Higashiyama Holdings』を告発。提訴の準備も』 桜の工房に材料を売らないよう、指示した件だった。  健斗が圧力をかけたのは有力な数店だが、いつの間にかこんな話になっている。「まさか、また『VALENTIS』か」 金沢の大規模開発を手掛ける健斗は、地元に強い影響力を持つ。彼の圧力を振り切って告発するなど、協力者がいなければ不可能だ。  彼はしばし呆然と天井を見て、それから我に返った。「いい加減にしろよ、カビ臭いだけが取り柄の老舗のくせに! 俺にはまだ再開発事業がある。あれさえ成功させれば、VALENTISの影響など吹き飛ばせる! そうに決まっているッ」 恐怖に震える心を、無理矢理に強がってみせる。  けれどその強がりを、一本の電話が完全に崩壊させた。 ◇  電話の主は、健斗の再開発事業に融資していたメインバンクの支店長だった。「今後の融資計画について、一度ご相談したく思います。なるべく早くお時間を取ってください」 支店長の声は冷たい。健斗は猛烈に嫌な予感がして、取りすがった。「ニュースになっている件ですか? あの話でしたら問題ありません。すぐに収まります。ですので……」「とにかく、一度ご来店を。今から来てくださって構いませんよ」 電話が切れる。  健斗は重い体を引きずりながら、銀行へ向かわざるを得なかった。 ◇

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