LOGIN家の鍵を開けて中に入ると、いつもと違う静けさが家全体を包んでいるように感じた。父が帰宅しているはずの時間なのに、玄関に靴がない。リビングに入っても誰もおらず、キッチンも使った形跡がなくて、妙な違和感が胸の奥に引っかかった。
「父さん?」
声をかけても返事はなく、静寂だけが僕の声を飲み込んでいく。父の部屋を確認するも、やはり誰もいない。
リビングに戻ると、テーブルの上に小さなメモが置いてあるのが目に入った。父の字で書かれた走り書きのメモを手に取って読むと、たった一行だけ書かれていた。
『あとよろしく』
意味がわからなくて、何度も読み返す。あとよろしくって、何を? 誰に? メモを握りしめたまま、僕は立ち尽くした。
(どういうこと)
胸騒ぎがして、慌ててスマホを取り出した。父の番号を選んで発信ボタンを押すと、コール音が鳴り続ける。五回、六回、七回と鳴り続けて、留守番電話のアナウンスが流れた。
切って、もう一度かけ直す。今度は三回コールが鳴って切れた。拒否されたのだと気づいて、手が震えた。
三回目の発信をすると、すぐに留守番電話に繋がった。電源を切られたのだと理解して、僕はその場に座り込んだ。
「なんで……」
声が震えて、目の前が揺れる。父がいない。メモだけ残して、どこかに行ってしまった。電話にも出てくれない。何が起きているのかわからなくて、頭の中が混乱していく。
父はいつも家族優先だ。仕事中でも、電源をいきなり切るようなことはしない。電話に出られない場合は、折り返しかけ直してくれるし、気づいたら電話に出て「あとでかけ直す」と言ってくれる。
まるで拒絶するように呼び出し音のときに切るようなことはしないのに。
スマホを握りしめたまま呆然としていると、突然激しい呼び鈴の音が鳴り響いた。ピンポンピンポンと連続して鳴り続け、その後ドアを叩く音が響く。ドンドンドンと力強く叩かれて、全身が硬直した。
「開けろ! 柚木朔夜!」
男の低い声が聞こえて、僕はリビングから玄関を見つめたまま身体が固まってしまう。知らない声が父を呼んでいる。ドアを叩く音がさらに激しくなって、恐怖で息ができなくなる。
「なんだ、開いてるじゃないか」
そう聞こえた直後、玄関が開く音がした。
(鍵……閉めてない)
足音がして、リビングに向かって近づいてきた。
僕はどうしたらいいのかわらず、近づく足音が怖くて後ずさったが、足がもつれて床に尻もちをついた。黒いスーツを着た大柄な男がリビングに入ってきて、目が合う。
(――誰?)
男は僕を見下ろして、鋭い黒い瞳が僕を射抜いた。視線が合った瞬間、身体の奥が急に熱くなって、息を呑んだ。
(なに、これ)
下腹部が熱を持ち始めて、まるでヒートの前兆のような感覚が全身を駆け巡る。オメガである僕の身体が、目の前のアルファに反応している。
男が一歩近づいてきて、僕は立ち上がると後ずさった。背中が壁にぶつかって、逃げ場がなくなる。男はさらに近づいてきて、僕の顎を掴んだ。
「お前が息子か」
低い声が耳に届いて、身体が震えた。男の手が僕の顔を持ち上げて、無理やり視線を合わせられる。黒い瞳が僕を見つめて、何かを確認するように顔を観察していた。
次の瞬間、男の唇が僕の唇に重ねられた。
「んっ……!」
驚いて目を見開くと、男の舌が僕の口の中に侵入してきた。抵抗しようとして手を男の胸に押し当てるも、びくともしない。男の舌が僕の口内を蹂躙して、唾液が混ざり合っていく。
身体の奥がさらに熱くなって、下腹部に甘い痺れが走った。男のフェロモンが鼻腔を満たして、頭がぼんやりとしていく。
抵抗する力が抜けて、身体が男の腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
男が僕の腰を抱いて、壁に押し付けてきた。身体全体が男の体温に包まれて、熱さが増していく。男の唇が僕の唇を貪るように吸って、何度も角度を変えてキスを繰り返した。
身体の奥から湧き上がってくる快感に、思考が霧散していった。下腹部の熱が臨界点に達して、僕は男の腕の中で震えた。
「あっ……ああっ……!」
制服のズボンの中が熱くなって、僕はキスをされたまま絶頂に達してしまった。初めて誰かに触れられただけでイってしまった事実に、羞恥と混乱で涙が溢れそうになる。
(篤志とのキスと全然違う……なに、これ)
男が唇を離して、僕の顔を見つめた。僕は荒い息を吐きながら、男の胸にもたれかかった。力が入らなくて、立っていられない。
「柚木朔夜は?」
男が問いかけてきて、僕は必死に頭を働かせた。
「い、いない……」
震える声で答えると、男は僕の手からメモを奪い取った。『あとよろしく』と書かれたメモを見て、男は低く笑った。
「ああ、逃げたか」
男が呟いて、ポケットからスマホを取り出した。どこかに電話をかけて、短く指示を出している。
「柚木朔夜が逃げた。すぐに探せ」
電話を切ると、男は再び僕を見下ろした。
「情報によれば、ここはオメガのガキが二人だったな」
その言葉に、僕は目を見開いた。オメガが二人。僕と、歩。弟のことを言っている。
「弟には手を出さないでください」
条件反射で言葉が口から飛び出して、男の表情が変わった。口角が上がって、冷たい笑みを浮かべる。
「じゃあ、この始末をつけるのはお前しかいないな」
男が僕の肩を掴んで、床に押し倒した。背中が床に打ち付けられて、痛みが走る。男が僕の上に覆い被さってきて、重さで息が苦しくなった。
「待っ……何を……!」
抗議しようとすると、男は僕の両手首を片手で掴んで頭の上に固定した。もう片方の手が僕の制服のボタンを外していって、シャツが開かれる。冷たい空気が肌に触れて、鳥肌が立った。
「お前の父親が作った借金は一千万だ」
男が淡々とした声で告げて、僕は息を呑んだ。
「いっ……せん、まん……?」
「父親が逃げた。お前が代わりに払え」
「そんな……僕には……」
言葉が続かなくて、男は僕の顔を覗き込んだ。
「払えないなら、身体で払ってもらう」
男の手が僕のズボンに伸びて、ベルトを外し始めた。理解が追いつかなくて、僕は首を横に振った。
「やめて……お願い……」
懇願しても、男の手は止まらない。ズボンが脱がされて、下着も一緒に引き下ろされた。下半身が露わになって、恥ずかしさで顔が熱くなる。
「やめてっ……!」
叫んで抵抗しようとすると、男は僕の両手首をさらに強く握った。痛みが走って、動けなくなる。男は自分のベルトを外して、ズボンのジッパーを下ろした。
男のものが目に入って、僕は恐怖で震えた。大きくて、硬くて、明らかに通常サイズじゃない。
「入らない……無理……」
泣きそうになって訴えると、男は冷たく笑った。
「入れる」
男の指が僕の秘部に触れて、身体が跳ねた。
(嫌だ――)
「痛い……やめて……」
懇願しても、男の指が中に入ってきた。一本、二本と増やされて、無理やり広げられていく。痛みと異物感に、僕は身体を捻った。
「暴れるな」
男が低く命じて、僕の足を大きく開かせた。男のものが僕の秘部に押し当てられて、ゆっくりと侵入してくる。
「いやっ……! やめてっ……!」
叫んだ瞬間、男が一気に腰を突き入れた。身体が引き裂かれるような痛みが全身を駆け巡って、僕は悲鳴を上げた。
「あああああっ……!」
涙が溢れて止まらなくなり、視界が滲む。奥まで貫かれて、お腹が圧迫されて息ができない。痛みで身体が硬直して、震えが止まらなかった。
「この世は支配する側とされる側しかいない」
男が僕の耳元で囁いて、腰を動かし始めた。
「俺は支配する側、お前は支配される側」
出し入れされるたびに痛みが走って、僕は泣き続けた。
「お前の父も支配される側だったが……逃げた」
男の動きが激しくなって、奥を突かれる。痛みに悶えながら、僕は男の腕を掴んだ。
「父親の借りは息子であるお前が責任をもって返せ」
男の唇が僕の首筋に触れて、強く吸われた。痛みが走って、さらに涙が溢れる。首筋だけでなく、鎖骨、胸、腹と、男の唇が移動していって、至る所に痕をつけられていった。
「やめ……もう……」
声が掠れて、懇願する言葉すら出てこなくなる。男は容赦なく腰を動かし続けて、僕の身体を貪った。
痛みと屈辱の中、男の唇が僕の身体を這い続けた。首筋だけでなく、鎖骨、胸、腹と、男の唇が移動していって、至る所に痕をつけられていく。強く吸われるたびに痛みが走って、さらに涙が溢れた。
時間の感覚がなくなって、どれだけ抱かれているのかわからなくなる。身体中に残されていくキスマークが、屈辱の証として刻まれていった。
朝の光がカーテンの隙間から細く差し込み、瞼の裏をぼんやりと明るく照らしていた。 意識が浮上するにつれて、背中にぴったりと張りつく体温と、腰に回された腕の重みが感覚として戻ってきた。寝息を立てている鷹臣さんの呼吸が首筋にかかるたびに産毛が揺れ、くすぐったさで目が覚めてしまう。 鷹臣さんの腕を掴んで引き剥がそうとしたものの、眠っているとは思えないほどの力で抱き込まれていて、仕方なく肘で胸板を押しながら身体をずらしてベッドの端まで這い出た。 足元に転がっていた下着を手探りで拾い上げて穿き、枕元に脱ぎ捨てたままのシャツを頭から被った。袖から手を出しながら眠気をこするように目を擦り、重い身体を引きずるようにして寝室の扉に手をかけた。 扉を押し開けた瞬間、ゴンッ、と鈍い衝撃が手のひらに伝わった。 何事かと思わず身を引いて大きく目を見開くと、廊下の床に二つの丸い影があった。正座の姿勢のまま深く額を床につけている二人の頭が、薄暗い廊下にぼんやりと浮かび上がっている。「え? なに?」「大変申し訳ありませんでした! お兄さんにご挨拶が遅れ、さらにはご不快な思いをさせてしまい……」 聞き慣れない男の声が廊下に響いた。「え? ええ?」 声を上げると、がばっと身体を起こした青年が目に入った。短く整えられた髪に端正な顔立ち、怯えと緊張でこわばった表情をしながらも、背筋だけはまっすぐに伸びている。正座のまま再び深々と頭を下げると、震える声で言葉を続けた。「俺は神宮寺蒼介と申します。歩くんとは中学二年生のときからお付き合いを始めました。一年生の文化祭で一目惚れをして、二年生の運動会で告白して、付き合い始めてからずっと一緒にいます。高校生になってすぐに歩くんに初めてのヒートが来て、身体の関係を持ちました。まだ学生の身分ですが、お互いに社会人になったら結婚もしたいと思っています」 矢継ぎ早に繰り出される言葉の一つ一つが丁寧に練り上げられた文言で、何度も暗唱して備えてきたのだろうと察しがついた。圧倒されて口を開いたまま固まっている僕に、隣の歩がおずおずと顔を上げた。「――あ、はい」 間の抜けた返事しか出てこなかった。「兄さん、黙っててごめんなさい」 歩の声は震えていた。火照った頬と潤んだ瞳がヒート中であることを物語っていて、辛い身体を押して廊下の冷たい床に正座している
苛立ちを抑えきれないまま寝室に入り、照明もつけずにベッドへ倒れ込んだ。枕に顔を埋めると、鷹臣さんの匂いが鼻腔を満たして、余計に苛々が募った。歩の恋人の話を聞かされた衝撃と、僕だけが蚊帳の外に置かれていた悔しさが胸の奥で渦を巻いて、どちらの感情が上なのかすら判別がつかなかった。 口うるさい母親と変わらない――。 鷹臣さんに突きつけられた一言が、何度も頭の中で反芻された。 寝室の扉が開く気配がした。足音は聞こえないのに、背後から近づいてくる鷹臣さんの体温がはっきりと伝わってきて、ベッドが僅かに沈んだ。 後ろから腕が回された。広い胸板が背中にぴたりと密着して、鷹臣さんの体温が薄いシャツ越しに染み込んでくる。「まだ怒ってるのか」 低い声が耳のすぐ後ろで響いた。「怒ってない!」「いや、怒ってるだろ」「どうせ僕は口うるさい母親みたいなもんだからね」 自分でも声が尖っているのはわかっていた。八つ当たりだと自覚しながらも、言葉を丸める気にはなれなかった。「拗ねるなよ」「拗ねてない!」「機嫌なおして」 鷹臣さんの声は穏やかで、怒っている気配は微塵もなかった。腰に回された腕に力が込められ、背中が硬い胸板に押しつけられる。首筋に温かな吐息がかかり、皮膚がぞわりと粟立った。 鷹臣さんの手が、腰骨の上からゆっくりと下へ滑り落ちていった。指先が部屋着の薄い生地越しに太腿の内側を撫で、そのまま股間に触れた。「ちょっと!」 身体を捩って振り払おうとしたのに、背中から密着したままの鷹臣さんの片腕に腰を固定されて逃げられなかった。手のひらが布地の上から性器の輪郭をなぞるように揉みしだいてくる。「溜まりすぎてるから、イライラしてるんだろ?」「違う!」「少し黙ってろ」 有無を言わさない声音だった。抵抗しようとした手首をあっさりとシーツに押さえつけられ、仰向けにひっくり返されたかと思うと、鷹臣さんの指が部屋着のズボンのゴムに掛かった。下着ごと一気に膝まで引き下ろされ、夜気に晒された肌が震えた。 鷹臣さんが僕の脚の間に身体を滑り込ませた。顔が下腹部へと近づいてくる。鷹臣さんの吐息が陰茎に触れた瞬間、意志とは無関係に身体がびくりと跳ねた。 熱い舌が根元から先端に向かってゆっくりと這い上がってくる。舌先が裏筋を丁寧になぞり、窪みに達すると円を描くように舐め回された
仕事を終えてマンションの玄関を開けると、味噌と醤油の混じった温かな匂いが廊下の奥から漂ってきた。靴を脱ぎながら深く息を吸い込むと、疲労で強張っていた肩の力がほんの少しだけ緩んでいくのがわかった。 リビングに足を踏み入れると、鷹臣さんがキッチンに立っていた。フライパンを傾けて皿に盛りつける手つきは手慣れたもので、油はねを気にして腕まくりをしたシャツの袖口から覗く逞しい前腕が、妙に家庭的な光景と釣り合わない。付き合い始めた頃は卵焼きすらまともに作れなかった人間と同一人物だとは信じ難い上達ぶりだった。帰宅が遅い日が続くうちに、疲れている僕の代わりにと少しずつ包丁の使い方を覚え、歩の好き嫌いまで把握して献立を組んでくれるようになった姿を見ると、感謝と申し訳なさが同時に胸を満たした。「おかえり」「ただいま。ありがとう、いい匂い」 鷹臣さんが振り返らずに短く頷いた。換気扇の低い音と、味噌汁が静かに煮立つ音だけがキッチンに響いている。 スーツのジャケットを脱いでハンガーに掛け、部屋着に着替えてリビングに戻ると、室内の静けさが妙に引っかかった。普段ならテレビの音量を控えめにして観ている歩の気配や、試験勉強の鉛筆を走らせるかすかな音が聞こえてくるはずなのに、どちらもなかった。廊下に出て歩の部屋を覗くと、照明は消えたままで、ベッドの上も綺麗に整えられている。携帯を開いてメッセージの着信を確認したが、歩からの連絡は一件も届いていなかった。「歩は? 家にいないみたいだけど、連絡あった?」 配膳を終えた鷹臣さんの背中に声をかけた。「同じマンションに同級生がいるから。試験前でそいつの家で勉強してくる、お泊まりで――って昼過ぎに言ってた」「え? 誰?」 思わず声が裏返った。同じマンションに同級生がいるなんて、全く知らない情報だった。歩が出かける前に一言くらい兄に相談があってもいいはずなのに。 胸の奥がチクリと痛んだ。仕事が忙しくて帰宅時間が遅い日ばかり続けば、必然的に歩と鷹臣さんの間で交わされる会話は増えていくのだろう。頭では当然だと理解していても、兄である自分を飛び越えて鷹臣さんのほうに先に伝えられた悔しさは、どうにも抑えが利かなかった。「気になるか?」 鷹臣さんがこちらを振り向いた。口元にニヤリと浮かぶ意地の悪い笑みが、嫌でも目に入る。「気になるに決まってる」
朝の光がキッチンに差し込んでいた。 スーツの上にエプロンをつけて、僕は歩の弁当を仕上げていた。卵焼きを綺麗に詰めて、ブロッコリーとミニトマトを隙間に入れる。蓋を閉めて弁当袋に入れると、歩がリビングに入ってきた。 十六歳になった歩は、すっかり背が伸びていた。 僕の肩を越すくらいの身長になって、制服姿が凛々しい。中高一貫の私立に通っていて、毎朝早く家を出る。父さんとは一緒に暮らさず、今も鷹臣さんのマンションで僕と生活していた。「お弁当」 僕が手渡すと、歩が笑顔で受け取った。「ありがとう、兄さん」 嬉しそうに弁当袋を鞄に入れて、玄関へと向かう。僕も後を追って、玄関で歩を見送った。「いってらっしゃい」「いってきます」 歩が手を振って、マンションを出ていく。ドアが閉まる音が響いて、静寂が戻ってきた。 時計を見ると、もうすぐ父さんが迎えにくる時間だった。 僕は鷹臣さんの寝室へと向かった。ドアを開けると、カーテンが閉まった薄暗い部屋が広がっている。鷹臣さんが裸でベッドに寝ていて、規則正しい寝息が聞こえてきた。「鷹臣さん、起きて」 優しく声をかけると、鷹臣さんがうめき声をあげた。「んー……」 寝ぼけた声だった。僕はベッドに近づいて、鷹臣さんの肩を揺する。「もうすぐ父さんが迎えにくる時間だよ。着替えて」 父さんはホストで働いていたが、ゆりの保育園の時間内で仕事ができるように、鷹臣さんが自分の秘書として雇用してくれた。今は運転手兼秘書として、鷹臣さんの仕事をバックアップしている。「ああ」 鷹臣さんが短く返事をして、ベッドから起き上がった。裸の上半身が朝日に照らされて、筋肉の陰影が浮かび上がる。僕は顔を逸らして、カーテンを開けた。「朝ごはんはテーブルに。お弁当はキッチンにありますから」 伝えると、鷹臣さんが僕を見た。まだ眠そうな目で、僕を見つめている。「……もう行く時間か?」 寂しそうな声だった。僕は時計を確認して、頷く。「そう。行ってきます」 鷹臣さんに近づいて、軽くキスをした。甘い口づけに、鷹臣さんが僕の腰を抱き寄せる。「いってらっしゃい」 優しく囁かれて、僕の胸が温かくなった。もう一度キスをして、寝室を出る。 ◇◇◇ 社会人になって三ヶ月が経った。 鷹臣さんの職場に就職しろと言われたが、僕は別の会社に就職した
父さんは妹の父親でもある恋人と別れた。 いくら好きでも、拉致監禁する人とはこの先一緒にいたくないと父さんは話していた。病院のベッドで、涙を流しながら決意を語る父さんの横顔が忘れられない。妹のゆりを抱いて、これからは一人で育てると宣言した父さんの声は震えていたが、強かった。 そういうことなら、と鷹臣さんは、父さんの恋人を容赦なく遠い所へと送ったらしい。 確実に稼げる厳しい場所らしいが、僕たちには教えてくれなかった。どこに送られたのか聞いても、鷹臣さんは「知らないほうがいい」と言うだけだった。北の方だという噂を鉄平さんから聞いたが、本当かどうかはわからない。 父さんは生活費を稼ぐために、ホストに復帰した。 産後の体調が戻ってきたタイミングで、以前働いていた店に相談したらしい。店長が快く迎えてくれて、すぐに復帰が決まった。夜の仕事だから、ゆりをどうするのかと聞いたら、二十四時間営業の保育園を探してどうにかすると話していた。僕が預かると言うと、夜泣きもまだあるからと一度は断られた。 まだ生まれたばかりのゆりを保育園に預けるのが、僕にはどうしても我慢できなくて、もう一度父にお願いをした。 そしたらやっと父が頷いてくれて、父が仕事の日は僕が預かることになった。 夜になると、父さんがゆりを連れてくる。 鷹臣さんのマンションに父さんが現れて、ゆりを僕に預ける。哺乳瓶やおむつ、着替えは鷹臣さんが一式揃えてくれていて、僕の部屋にベビーベッドも用意されていた。父さんは「ごめんね、柊。よろしくね」と頭を下げて、仕事に向かっていく。 四ヶ月になったゆりは、夜中に一回から二回ほど夜泣きをする。大抵は、ミルクで飲み終わるとすぐに寝てくれた。 ベビーベッドでは寝てくれずに、僕のベッドで一緒に横になるとすやすやと気持ちよく寝てくれるいい子だ。 ゆりを預かるようになってお預けの日々が続く鷹臣さんだが、意外と機嫌がそこまで悪くはない。 ある夜、ゆりと一緒にベッドで眠っていると、ドアが静かに開く音がした。 薄目を開けると、鷹臣さんが部屋に入ってくるのが見えた。月明かりが窓から差し込んでいて、鷹臣さんのシルエットが浮かび上がっている。ベッドに近づいてきて、僕の隣に座った。「起きてるか?」 低く囁かれて、僕は目を開けた。鷹臣さんが僕を見つめていて、欲望に染まった瞳が月明かり
目が覚めると、社長室のソファで横になっていた。 身体を起こして周囲を見回す。向かい側のソファに鷹臣さんが座っていて、腕を組んで、じっと僕を見つめている。窓の外は暗くなっていて、オフィスの照明だけが部屋を照らしていた。「父さんは?」 僕が聞くと、鷹臣さんが答えた。「救急車で近くの病院にいった」 鷹臣さんの表情は穏やかで、怒っている様子はなかった。「ついていかなかったんですか?」「部下がついていった」 短い返事だった。僕は唇を噛んで、視線を落とす。「泣いてる父さんを抱きしめるような仲なら、そっちについていけばいいのに」 嫌味が口から出てしまう。自分でも嫉妬だとわかっている。醜い感情を抱えきれずに、鷹臣さんに八つ当たりしているだけだと頭では理解できるのに、気持ちが落ち着かなかった。鷹臣さんが父さんを抱きしめていた姿が、目に焼きついて離れない。 鷹臣さんが小さくため息をついた。 立ち上がって僕の隣に移動すると、座り直す。距離が近くなって、鷹臣さんの体温が伝わってきた。鷹臣さんから香る父さんの匂いに、僕は耐えきれずに顔を背ける。 以前、僕の身体から篤志の匂いがしてイラつくと言っていた鷹臣さんの気持ちが初めてわかった。 他の誰かの匂いがするのが、こんなに嫌なものだとは思わなかった。鷹臣さんの身体に父さんの匂いが染み付いていて、胸が苦しくなる。「監禁されてたそうだ」 鷹臣さんが静かに告げた。「――は?」 驚いて顔を上げると、鷹臣さんが真剣な眼差しで僕を見つめていた。「柊の父親の話だ」 鷹臣さんが説明を始める。僕は黙って、鷹臣さんの話に耳を傾けた。「姿を消した日は、本当は俺の事務所に来て、返済の相談をして新しい職を見つけるつもりだった」 父さんが姿を消した日の朝を思い出す。いつもと変わらない朝だった。父さんは優しく微笑んで、「いってきます」と言って家を出た。「お前に残した『あとよろしく』は、働く場所によってはもう会えなくなるかもしれないという気持ちだったらしい」 鷹臣さんの言葉に、僕の胸が締めつけられた。父さんは僕たちを捨てるつもりじゃなかった。会えなくなるかもしれないと思って、あの置き手紙を残したのだ。「学費と借金と同時に賄えるような仕事があれば、そういう仕事を斡旋してもらうつもりだったと話していた」 鷹臣さんが続ける。「
鬼頭さんからの呼び出しは、三日と開かずに来た。スマホが振動するたびに、胃の奥がきゅっと縮むような感覚がある。 メッセージを開くと、いつものようにホテルの名前と部屋番号、位置情報が表示されていて、『すぐ来い』という短い命令が添えられていた。 歩に「バイトが入った」と嘘をついて家を出て、指定されたホテルに向かう。高級ホテルのロビーを抜けて、エレベーターに乗る。部屋に入ると、いつものように女性の香水の匂いが鼻をついた。 甘ったるい香りが部屋に充満していて、ベッドが乱れている。枕元に長い髪の毛が落ちていて、前回とは違う色だった。香水の匂いも違う。今日はフローラル系の強い香りで、前回のムスク系
夜九時を過ぎた頃、スマホが振動した。画面を見ると、知らない番号からメッセージが届いている。開くと、ホテルの名前と部屋番号、位置情報の地図が表示されていて、その下に短い文章が添えられていた。『すぐ来い』 鬼頭さんからだとすぐにわかった。リビングで宿題をしている歩を見て、笑顔を作る。「ごめん、急にバイトが入った」 立ち上がって上着を羽織ると、歩が顔を上げた。「こんな時間に?」「うん。すぐ戻るから」 そう声をかけると家を飛び出して行った。 冷たい夜風が頬を撫でて、息が白く染まる。駅に向かって歩きながら、スマホで地図を確認した。 電車に乗って、ホテルのある駅で降りる。駅前には高級
鬼頭さんに無理やり、抱かれてから二日が過ぎた。 昨日の夜、篤志から連絡が来て急遽、出かける用事が入った。(初めてのデート) 鬼頭さんと出会っていなければ、僕はきっと今日の日を飛び跳ねるほど喜んだと思う。今の僕は、嬉しい気持ちと同じくらい罪悪感に胸を苦しめられている。 父の残した借金のために無理やり犯された身体が、穢らわしく感じられた。お金のためだった――そう言い訳すれば、心は軽くなるのだろうか。 将来の番となる人のために、綺麗な身体のままでいたいとまでは思っていないが、鬼頭さんとした行為は、好きな人と愛を分かち合うための行為でありたい。 支配される側の僕にそんな意見を言える権利
男の動きが激しさを増していって、奥を何度も突き上げられる。痛みで視界が滲んで、涙が頬を伝って流れ落ちた。床に手をついて耐えようとするも、男の腰の動きは容赦なく続いて、身体が前後に揺さぶられる。「痛い……やめて……」 掠れた声で懇願しても、男は答えなかった。ただ黙々と腰を打ち付けてきて、奥を執拗に突いてくる。お腹の中が圧迫されて、息を吸うのも苦しくなった。 男の手が僕の腰を掴んで、さらに深く引き寄せられる。今までより深い場所を貫かれて、悲鳴が喉から漏れた。「あ……ああっ……!」 声が大きくなって、自分でも驚く。 身体の奥が熱くなって、痛みとは違う感覚が混ざり始めた。オメガの身体が







