Se connecter――聖帝国暦六四五年六月中旬。 銀河聖帝国ノヴァの首都星ベルゼブブ。 中核都市ルシフェルにそびえる帝国最高議事堂の閣議室では、ローゼンタール総統兼宰相を中心に、帝国の今後を左右する討議が行われていた。「現在、真っ先に討つべきは、アストレアの偽帝であると考えます」 そう主張したのは、ロサリオ副総統であった。 ブラウンの髪を持つ、若く聡明な美青年である。行政能力のみならず弁舌にも優れ、ローゼンタールが特に目をかけている人物だった。 二人の間には、政治上の信頼だけでは説明できない特別な関係があるという噂も、宮廷内ではまことしやかに囁かれていた。「いや、そうとも参りますまい」 異論を唱えたのは、外務尚書アリアスであった。 白髪で細身の老人であり、ローゼンタール家の家宰を長く務めてきた。 幼少期のマリアーヌに政治や歴史を教えた、師とも呼ぶべき人物である。「現在の国力を、我が帝国が幾ばくか衰退しているとして十とするならば、アストレアの偽帝国は二、ルドミラ教国は一といったところでしょう」 アリアスは卓上へ星域図を投影した。「アストレアの小僧は、領地経営と人心掌握に長けております。時間を与えれば、二が三となり、やがて五にもなりかねませぬ」「だからこそ、今のうちに叩くべきでは?」 ロサリオが問い返す。「逆でございます」 アリアスは細い指で、ルドミラ教国領を示した。「アストレアと戦う最中に、教国が背後から動けば厄介です。定石に従うならば、邪魔が入らぬうちに最も弱い一を滅ぼすべきでしょう」「なるほど」 軍務尚書ハイアットが頷いた。「では、首都防衛に近衛師団を残し、再びルドミラ教国領へ侵攻いたしますかな。今回はアストレアの偽帝も、惑星アクア攻略に手を取られ、援軍には来られますまい」「ただし、問題がございます」 ハイアットは言葉を続けた。「度重なる敗戦の責任を取り、帝国総軍作戦部長クライツ上級元帥は、軍事最高顧問へと退きました。また、帝国艦隊司令長官レオンハルト元帥も、予備役への編入が決まっております」 閣議室が静まり返る。「帝国軍の最重要職が二つとも空席となります。遠征軍の総指揮を、誰に任せるべきでしょうか?」「ロサリオでよいのではないか?」 ローゼンタールは、さも当然のように答えた。「副総統として占領地を統治する権限も持たせら
アーヴィング大公国が、ルドミラ教国へ外交的な働きかけを行っていた頃。 いわゆる旧帝国では、第六総管区や第五総管区における反乱を鎮圧するため、各星系の住民に過酷な臨時課税を課していた。 艦艇の建造費。 増員した兵士への給与。 失われた軍需物資の補充。 そして、治安維持隊を各地へ派遣するための莫大な経費。 それらの負担は、すべて帝国臣民へ押しつけられた。 日々の食料品や生活必需品にまで特別税が加算され、工場や商店には軍事協力金が割り当てられる。 納税が遅れた者は財産を差し押さえられ、辺境星系では、税を払うために土地や宇宙船を手放す者まで現れていた。 そのため、帝国各地ではさまざまな反政府団体が結成された。 自由選挙を求める政治結社。 課税の撤廃を訴える商工業者の連合。 星系自治を掲げる地方運動。 思想や立場は異なっていたが、彼らは共通して中央政府への不満を抱き、各地で大規模な抗議活動を繰り広げていた。「我々は必ず、再び一つの帝国となる!」 ノクターン総統は、旧帝国領の主要星系を巡り、精力的に遊説を続けていた。「今は苦しい時期である。だが、辺境区の反乱を鎮圧し、帝国の秩序を回復した暁には、必ずや豊かな暮らしを取り戻してみせる!」 演説会場の周囲には、多数の抗議者も集まっていた。 総統を支持する者もいれば、臨時課税の撤廃を叫ぶ者もいる。 警備部隊が両者の間に立ち、辛うじて衝突を防いでいた。 演説を終えたノクターン公爵は、沿道に手を振りながら、黒塗りの専用車へ乗り込んだ。 その車両は、帝国最高水準の防護設備を備えた特注品である。 強力な電磁防壁。 物理弾を逸らす防御重力場。 厚い複合装甲と、防弾透明材。 通常の銃撃であれば、何百発撃ち込まれようとも、車内の要人を傷つけることはできないはずであった。 ……だが、その時。 車両の防御装置は、なぜか作動しなかった。 四方から、ほとんど同時に銃声が響いた。 六発の実体弾が車窓を突き破り、ノクターン公爵の胸部へ集中して突き刺さる。「ぐっ……!」 総統は大量の血を吐き、座席へ倒れ込んだ。 砕けた透明材の破片が、血に染まった軍服の上へ降り注いだ。 運転手が慌てて車両を急発進させる。 同時に、どこに潜んでいたのかと思えるほど多くの警備兵が沿道へ姿を現した。「全員、地
ユリウス率いる新帝国軍が惑星アクアを攻めあぐねていた頃。 カスパル大公派の派遣した使節団は、ルドミラ教国領の中枢へ到達していた。 使者を乗せた外交船は、教国の首都星ヒンデンブルクへ入域すると、管制局から送られてくる誘導信号に従い、大気圏へ降下した。 眼下に広がるのは、緑豊かな大地と、幾つもの尖塔を持つ白亜の都市であった。 その中核都市ニデルの中央には、巨大な大聖堂がそびえている。 宗教施設であると同時に、教国政府の中枢でもある建物だ。 外交船が宇宙港へ着陸すると、白を基調とした礼装姿の官吏たちが使節団を出迎えた。「ご使者様、こちらへお進みください」 使者は教国側の案内役に従い、宇宙港から専用車両へ乗り込んだ。 車両は、巡礼者や商人でにぎわう大通りを抜け、大聖堂へ向かう。 建物の正面には聖人たちの巨大な彫像が並び、その足元では武装した衛兵が厳重な警備に当たっていた。 使者は幾つもの検問を通過し、やがて奥深くにある謁見室へ案内された。「ご使者殿。遠路はるばる、ご苦労である」 使者を迎えたのは、エロー枢機卿であった。 彼は古代帝国の知識や遺物にも通じた宗教家であると同時に、教国有数の政治家でもある。 穏やかな微笑を浮かべているが、その眼差しには、相手の腹の底まで見透かそうとする鋭さがあった。「早速ではございますが、我が主君カスパル大公殿下からの親書をお渡しいたします」 使者は恭しく封書を差し出した。 枢機卿は侍従からそれを受け取り、封印を確認した後、ゆっくりと文面へ目を通す。「……なるほど」 読み終えたエロー枢機卿は、わずかに眉を上げた。「新帝国軍と名乗る賊徒から、アーヴィング大公国を守ってほしいと仰るか?」「はい。左様にございます」 使者は深く頭を下げた。「偽帝ユリウス=アストレアは、荒鷲の金印を利用し、正統なるアーヴィング大公家を滅ぼそうとしております」「金印が偽物であると?」「たとえ金印そのものが本物であったとしても、それを持つ者が正統であるとは限りませぬ」 使者は淀みなく答えた。「ユリウスが旧第六総管区を統一したならば、次に狙われるのはルドミラ教国でありましょう。今こそ我らが手を携え、偽帝アストレアを討ち果たすべきかと存じます」 その主張は、必ずしも的外れではなかった。 ユリウスが旧帝国の正統
――聖帝国暦六四五年六月上旬。 旧大公国軍との地下戦闘を終えたユリウスは、その後始末を進めながら、次なる目標である惑星アクアへの攻撃を準備していた。 惑星グラウゼンの衛星軌道上に設けられた宇宙桟橋では、大小の戦闘艦艇が最終整備を受けている。 損傷した装甲板が交換され、燃料エーテルや食料、弾薬が次々に積み込まれていた。 各地から集まった輸送船も忙しく往来し、宇宙桟橋は昼夜を問わず稼働を続けている。 一方、地上の宮殿に残ったユリウスは、旧大公国領の再編に追われていた。 最後まで抵抗した者からは領地を召し上げ、早期に帰順した者には所領の安堵や加増を認める。 軍人にも戦功に応じて昇進や褒賞を与え、略奪や捕虜虐待を行った者には、味方であっても厳しい処罰を下した。 信賞必罰。 言葉にすれば簡単である。 だが、一つの判断を誤れば、新たな反乱の種をまくことになる。没収した領地を誰に与えるか。旧臣をどこまで登用するか。敵対した商会の財産を、どの程度まで保護するか。 いずれも細心の注意を要する案件であった。 しかし、惑星アクア攻略までに残された時間は少ない。 そこでユリウスは、財務官、法務官、領地管理官など、多数の文官を旗艦ハンニバルへ同乗させることにした。 装甲戦艦ハンニバルは、巨大な艦体を持つ。 兵員居住区のほかにも会議室、執務室、資料庫などが多数あり、臨時の行政府として利用するには申し分なかった。 ユリウスは文官たちと共に、惑星クラウゼンの宇宙港からハンニバルへ乗り込んだ。 乗艦後、彼は艦内用の電磁モノレールに乗り、中央制御電算室を訪れた。 巨大な部屋には、幾重にも制御装置が並んでいる。 壁面を埋め尽くす表示板には、今なお理解不能な文字列や数式が流れ続けていた。「トロスト技師。まだハンニバルの攻撃システムは動きませんか?」 ユリウスが尋ねると、複数の端末に囲まれていたトロストは、油に汚れた手で頭をかいた。「そうなんですよ。まったく、技術者泣かせの艦ですよ」「原因も分からないのですか?」「一部の制御信号は読み取れるようになりました。ですが、主砲や副砲を起動させようとすると、火器管制中枢が勝手に接続を遮断するんです」 トロストは、表示板に映る複雑な構造図を指さした。「例えるなら、鍵穴の場所は分かったのに、鍵を差し込むたび、扉
惑星グラウゼンの地上では、予想されていたほど激しい戦闘は起こらなかった。 地下司令部と各地の防衛拠点を結ぶ通信網が寸断されていたため、守備隊の多くは全体の戦況を把握できずにいた。 頼るべき総司令部から命令は届かない。 上空は新帝国軍に制圧され、援軍が来る見込みもない。 各地の防衛基地は孤立し、抵抗する意味を失って、次々に白旗を掲げた。 この結果、ユリウス率いる新帝国軍は、少ない損害で多数の捕虜と大量の兵器、物資を手に入れることとなった。 一方、地下要塞へ通じる通路では、今なお激しい戦闘が続いていた。「殿下。地下における敵の抵抗は、予想以上に激しゅうございます。いかがいたしましょうか?」 申し訳なさそうに報告するパウルス元帥に対し、ユリウスは柔らかな表情を見せた。「地上部分を確保できたのであれば、それで十分です」「しかし、地下には敵の中枢が残っております」「だからこそ、無理に攻める必要はありません。出口を封鎖し、地下戦域へ閉じ込めておけばよいのではありませんか?」 狭い地下通路での戦闘は、防御側に圧倒的に有利である。 敵の最後の拠点を奪うために、多くの兵士を死なせる必要はなかったのだ。 パウルスは小さく頷いた。「小官も賛成にございます。では、攻撃を停止し、各通路の封鎖を徹底いたします」「お願いします」「はっ」 パウルスはすぐさま身を翻し、野戦司令部の通信施設へ小走りに向かっていった。 その背を見届けたユリウスは、老臣グレゴールと護衛の一隊を連れ、すでに味方が制圧した公都の市街地へ入った。 大通りには、破壊された車両や放棄された武器が残されている。 だが、建物の多くは無傷であり、市民たちも恐る恐るではあるが、窓の隙間から新たな支配者の姿をうかがっていた。「懐かしいね」「はい。左様にございます」 ユリウスが足を踏み入れたのは、亡きアーヴィング大公の宮殿であった。 内部に戦闘の痕跡はない。 使用人やメイドたちは逃げ出すこともなく、いつもと変わらぬ様子で床を磨き、調度品を整えていた。 主が変わっても、宮殿の日常は続くらしい。 ユリウスは大広間へ入り、空席となった大公の玉座を見上げた。 少しためらった後、そこへ腰を下ろす。「良い座り心地だね」「ご、ごほん」 グレゴールが、わざとらしく咳払いをした。「……冗談だ
――聖帝国暦六四五年五月上旬。 カスパル=アーヴィングを乗せた宇宙船は、追撃を受けることなく、無事に惑星アクアへ到着した。 惑星アクアは、ルントシュテット伯爵領に属する軍事拠点である。 地表の九六パーセントが海洋に覆われ、残る四パーセントの陸地も、そのほとんどが飛行場、宇宙港、防空施設などの人工構造物によって占められていた。 宇宙船は大気圏へ降下すると、広大な海面へ着水した。 そのまま船体を沈め、海中航行へ移行する。 客室の窓の外には、色鮮やかなサンゴ礁が広がっていた。海藻が潮流に揺れ、岩礁の間を無数の魚たちが泳ぎ回っている。 戦乱とは無縁に見える、美しい海であった。 だが、巨大なサンゴ礁の裏側へ回り込むと、その景色は一変した。 海底の岩盤に、巨大な隔壁が埋め込まれている。 接近する宇宙船から暗号信号が送られると、岩肌に偽装された扉が左右に開き、奥から青白い誘導灯が浮かび上がった。 惑星アクアの海中宇宙港である。「若様」 ルントシュテット伯爵は、誇らしげに眼下の施設を示した。「この惑星は、我が先祖が幾代にもわたり築き上げた拠点にございます。その防御力は、要塞惑星にも勝るとも劣りませぬ」「ほう」「さらに、この星の民の多くは、表向きには漁業を生業としております。されど、それは仮の姿。漁船は監視艇を兼ね、港の倉庫には兵器が収められ、住民の多くが予備役として訓練を受けております」 伯爵は静かに笑った。「この惑星に住む者は、すべて我が伯爵家の息がかかった者たちにございます」「なるほど」 カスパルは満足そうに頷いたものの、すぐに眉をひそめた。「だが、我が方の宇宙艦艇戦力はどうなのじゃ。地上の備えが強固でも、宇宙を制圧されれば、いずれ包囲され干上がるのではないか?」「無論、その点にも手は打っております」 ルントシュテット伯爵は、わずかに声を落とした。「少々、金はかかりましたがな」◇◇◇◇◇ ――その五日後。 惑星アクアの水中宇宙港へ、次々に宇宙艦艇が入港してきた。 カスパルが観覧室から外を眺めると、その多くは艦首に異様なほど長い砲身を備えていた。 高速性や近接戦能力を犠牲にし、長距離砲撃に特化したビーム重砲艦である。 一隻ごとの船体は決して大きくない。 だが、同型艦が整然と並ぶ光景には、見る者を威圧する迫力があった
停戦成立後、アーヴィング大公家の艦隊は、グラストヘイム要塞へ必要最小限の守備兵力を残し、主力をいったん後方へ下げた。 そのすぐ後方にある補給拠点として選ばれたのが、惑星ヴァルカンである。 衛星軌道上には、巨大なエーテル・タンカーが数珠つなぎに並んでいた。 鈍く光る船腹のあちこちへ補給アームが食らいつき、青白い流体が脈打つように移送されてゆく。 宇宙桟橋の一角では、VLS用の長大なミサイルコンテナが何列にも寝かされ、整備員たちが汗まみれで搬入指示を飛ばしていた。 また別の区画では、砲弾、予備反応炉部材、艦載機部品、食糧コンテナ、医療資材までが山となって積まれている。 桟橋と地上を
数か月前――。 旧第六総管区の片隅に、惑星リチャードはあった。 豊かな鉱脈、繁忙な港、絶えず上下する株価。 この星を治めるドリス伯爵は、善政家か悪政家かで評価の割れる男であったが、ただ一つだけ確かなことがあった。 彼は何よりも経済を優先する統治者である、という事実である。 税制は企業寄り。 港湾使用料は安く、投資家には甘い。 その一方で、労働者への配慮は薄く、景気が悪化すれば真っ先に切られるのは現場の人間たちだった。 たしかに数字の上では繁栄している。 だが、その繁栄が誰の懐を温めているのかは、街路の空気を吸えばすぐに知れた。 そんな折――。 第六総管区を実質的に統治
停戦成立の報せが銀河を駆けめぐった翌日――。 ヴァルカン軌道上、アルテミス商会の私室では、場違いなほど気の抜けた空気が流れていた。 長椅子にだらしなく寝ころび、ツーシームは片脚を投げ出したまま新聞を広げている。 唇の端には、いつもの安煙草。紫がかった煙が、照明の下でゆらゆらとたなびいた。 紙面の一面には大きな活字が躍っていた。 ――帝国中央政府軍、アーヴィング家率いる反乱軍、停戦成立。 ――グラストヘイム要塞戦線、当面の戦闘停止へ。 ツーシームは鼻で笑った。「ようやくかい。随分と高くついた花火だったねぇ」 その声には、呆れ半分、満足半分の色があった。 今回の戦は、同じ帝
巨艦「ハンニバル」の現在位置から、およそ六光秒。 その虚空に、音もなく一本の潜望鏡が浮かび上がっていた。 否。 正確には、浮かび上がったように「見えた」だけである。 新型海賊船「モリガン」は依然として位相空間の膜を半ば残したまま、現実宇宙の縁に爪をかけている。 巡洋艦級の船体で異次元潜航を維持するなど、本来なら狂気の沙汰であった。 だが、その狂気を形にしたのが、いまこの艦である。 潜望鏡越しに戦場を覗いていたツーシームは、細く息を漏らした。「……へぇ、やるじゃないか。あの巨艦」 視界の彼方では、「ハンニバル」が帝国軍の集中砲火を正面から受け止めていた。 幾百もの火線。無