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第10話

Author: カンカンドド
一方その頃、ヘリコプターの機内。

澄人は静かに座席脇に身を預け、冷ややかでありながらどこか優しさを帯びた横顔を見せている。

「澄人、大丈夫?」

ソフィアが振り返ると、彼女の目に飛び込んできたのは、血の気の失せた澄人の顔色に思わず胸を突かれた。

「ゴホッ、ゴホッ……」

澄人は内臓をえぐられるような痛みを押し殺し、無理に笑みを浮かべる。

「僕は大丈夫だ」

ソフィアは眉をひそめ、澄人の動きをじっと観察する。

澄人は腹をかばうように身を縮め、両手はかすかに震えている。

ヘリコプターが気流に煽られて揺れた拍子に、澄人の下腹の傷口が引きつれた。

歯を食いしばり、彼の額に細かな冷や汗が浮かぶ。

ソフィアはすぐさま異変を見抜き、問いかける。

「澄人、怪我してるの?」

澄人は首を振ろうとしたが、視界がふっと暗転した。

次の瞬間、彼の体は壊れた操り人形のように、力なく座席からずるりと滑り落ちていく。

彼女は目を見開き、ほとんど駆け込むようにして澄人の体に飛びつき、その身をしっかり抱きしめた。

「澄人?しっかりして!」

手のひらに広がる生ぬるい感触に、ソフィアは思わず目を落とした。掌には鮮血がべったりついている。

一瞬で表情が険しくなり、彼女はすぐに操縦席の通信ボタンを押す。

「最寄りの病院を照会して、今すぐ降下して!」

国連の平和維持部隊が駐留する基地、その付属の軍病院にて――

ソフィアは窓辺に立ち、次々と救急室へ運び込まれる負傷者たちを見つめている。

銃弾に目を撃ち抜かれた者、手足をもがれた者、爆弾で焼かれた者――

担架からは血がぽたぽたと滴り落ち、医師や看護師の顔には重苦しくも、どこか麻痺した表情が張り付いている。

背後の救急室の「手術中」の表示灯が消え、医師がマスクを外して出てくる。

「先生、彼はどうなんですか?」

白い髭の医師はため息をつき、首を横に振る。

「……あまり良くない」

「厳しい状態だ。急性の肺損傷に肺水腫、肋骨骨折、内臓破裂……それに腎臓移植後の後遺症まである」

一語一句が、重い槌となってソフィアの神経を打ち据える。

彼女は拳を固く握りしめ、目の奥に嵐を孕ませながら、背後に向かって声を放った。

「アイラ」

「はい、ご命令を」

その声とともに、ひとりの女がソフィアの背後に姿を現した。目立たない顔立ちで、
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