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第151話

last update publish date: 2026-05-22 19:00:00

夜。客室に戻ると、蓮さんは手のひらを開いて眺めた。

「見せてください」

私が手を差し出すと、蓮さんは少し迷ってから、その手のひらをこちらへ向けた。

二日間の慣れない作業で、皮膚が赤くなっていた。薬指と中指の付け根に、小さな水ぶくれができていた。

「痛くないですか?」

「これくらい、なんでもない」

「でも……」

私は洗面台から救急箱を持ってきた。ガーゼと絆創膏を取り出し、蓮さんの手のひらに向き合う。

「借ります」

蓮さんが何か言う前に、水ぶくれの上にそっとガーゼを当てた。

「……」

「じっとしていてください」

「分かった」

テープを丁寧に貼りながら、蓮さんの手をまじまじと見る。

普段は高価なスーツに包まれた、ペンとスマートフォンを握るための手。それが今、古びた雑巾と皿の重さで赤く変わっている。

「なぜ、ここまでするんですか」

「何が」

「皿洗いも、

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  • 月給80万円の偽装花嫁   第151話

    夜。客室に戻ると、蓮さんは手のひらを開いて眺めた。「見せてください」私が手を差し出すと、蓮さんは少し迷ってから、その手のひらをこちらへ向けた。二日間の慣れない作業で、皮膚が赤くなっていた。薬指と中指の付け根に、小さな水ぶくれができていた。「痛くないですか?」「これくらい、なんでもない」「でも……」私は洗面台から救急箱を持ってきた。ガーゼと絆創膏を取り出し、蓮さんの手のひらに向き合う。「借ります」蓮さんが何か言う前に、水ぶくれの上にそっとガーゼを当てた。「……」「じっとしていてください」「分かった」テープを丁寧に貼りながら、蓮さんの手をまじまじと見る。普段は高価なスーツに包まれた、ペンとスマートフォンを握るための手。それが今、古びた雑巾と皿の重さで赤く変わっている。「なぜ、ここまでするんですか」「何が」「皿洗いも、掃除も。こんなに手が荒れるまで」蓮さんが、少し考えてから言った。「君が守ってきた場所を知るためだ」「……知るだけなら、話を聞くだけでも」「それでは足りない」蓮さんが、私の目を見た。「頭で理解するのと、体で知るのは違う。源さんが三十年かけて守ってきたものを、俺は数日触れただけだ。それでも、少しは分かった気がする」「……何が分かりましたか」「ここの重さだ」短い言葉だったが、それで十分だった。私は絆創膏を貼り終え、ゆっくりと蓮さんの手を両手で包んだ。「この程度で、音を上げるつもりはない」「分かっています」私の目が潤んだのに気づいたのか、蓮さんが小さく笑った。「泣くな」「泣いていません」「目が潤んでいる」「……蓮さんのせいです」蓮さんが今度は声を出して笑った。珍しい笑い声に、私も釣られてしまった。

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    翌朝。4月14日。台所で母の朝食準備を手伝っていると、廊下に足音がした。振り返ると、作務衣姿の蓮さんが立っていた。髪は整えられているが、いつもより早起きしたのか、目元がわずかに眠そうだった。「おはようございます」「おはよう」「今日は、何から始めればいいですか」母が驚いた顔をした。「え、蓮さん自ら?」「昨日の客室掃除が、不十分でした。源さんに指摘を受けました」「まあ……」母が申し訳なさそうにしたが、蓮さんは穏やかだった。「正しい指摘です。今日はやり直します」それだけ言って、蓮さんは掃除道具を取りに向かった。私は、その背中が廊下の角を曲がるまで見送った。◇午後。蓮さんは源さんに頼み込み、皿洗いをさせてもらっていた。「邪魔になるだけだ」と源さんは渋ったが、蓮さんは黙って流し台に立った。配膳の合間に、厨房の扉が少し開いていた。私はそこから、そっと中を覗いた。蓮さんが、無言で皿を洗っている。慣れない手つきだった。でも、急がない。雑にしない。一枚一枚を確かめるように、丁寧に。源さんが横目でそれを見ていた。何も言わなかった。それが、かえって試されているようだった。◇夕方、配膳を終えて厨房に戻ると、源さんの声が聞こえた。「皿は、縁から洗え」蓮さんの手が止まる。「客が口をつける場所だ。そこに汚れが残っていたら、板前の恥になる」「……承知しました」蓮さんはすぐに、スポンジを縁に当て直した。正確な動作で、皿を回す。たった

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  • 月給80万円の偽装花嫁   第148話

    中には、便箋が一枚だけ。文字は少なかった。けれど、一文字一文字に、重さがあった。『蓮へ。お前がこれを読む時、隣に愛する人がいるはずだ。俺はお前に、孤独な背中を見せたまま逝ってしまった。すまなかった。でも、今のお前を見ていると、俺の分まで幸せになってくれていると分かる。その人を、一生大切にしてやれ。それだけで、俺は十分だ。          隆一郎』私は、手紙を胸に押し当てた。「蓮さんのお父様は……蓮さんのことを、ずっと見ていたんですね」蓮さんは答えなかった。ただ、窓の外を見ていた。朝日が、部屋を金色に染めていく。「蓮さん」「……ああ」「泣いていいんですよ」「泣いていない」「目が、赤いです」蓮さんが、ゆっくり私の方を向いた。「……うるさい」その声が、かすかに震えていた。私は何も言わず、蓮さんの手を両手で包んだ。しばらく、二人で黙っていた。窓の外では、山梨に続く空が、どこまでも青く澄んでいた。「さあ、準備しよう。荷物は、昨夜のうちに車に積んである」「そんなところまで」「サプライズだからな。抜かりなく」蓮さんが立ち上がり、私の手を引いた。私は呆れながら、でも笑った。そして、亡きお父様の手紙を、そっと胸のポケットにしまった。この手紙はきっと、私たちがこれから何度も立ち止まりそうになった時に、また開くことになる。そんな気がした。◇身支度を整えてホテルを出ると、春の朝の空気が頬に触れた。雲一つない青空が、どこまでも広がっている。駐車場へ向かう途中、蓮さんが先に車のドアを開けてくれた。当たり前のように、自然に。車に乗り込むと、蓮さんが運転席に座った。

  • 月給80万円の偽装花嫁   第147話

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  • 月給80万円の偽装花嫁   第146話

    最初は、確かめるような優しい口づけ。けれど一度離れそうになった瞬間、蓮さんの腕が私の腰を強く引き寄せ、逃がさないと言わんばかりに深く、激しく舌が絡み合った。「……んっ」息ができなくなる。蓮さんの香りと体温に包まれ、膝の力が抜けそうになった時、彼は私を軽々と抱き上げた。「きゃっ」驚いて、首に腕を回す。「ベッドに行こう」シーツに散らされたバラの香りが、ふわりと舞う。蓮さんは私をベッドに横たえ、覆いかぶさってくる。「……痛かったら、すぐに言ってくれ」蓮さんの声は、もう隠しようがないほど荒くなっていた。私が頷くと、蓮さんの唇が耳たぶから首筋、そして鎖骨へと熱い痕を残していく。触れられるたびに肌が粟立ち、体の芯から得体の知れない熱が広がっていく感覚。「蓮、さん……あ……っ」自分の口から漏れた声が、あまりに甘く艶っぽくて、自分でも驚いてしまう。蓮さんがゆっくりと私の中に入ってきた瞬間、思わず彼の背中にしがみついた。最初は、鋭い痛みに身を固くした。けれど蓮さんが、額に、瞼に、鼻筋に、慈しむような細かなキスを何度も落としてくれるたびに、痛みは次第に甘い痺れへと変わっていった。繋がっている。かつては「契約」で結ばれただけの私たちが、今、魂ごと一つに溶け合っている。「咲希……愛してる、愛してる。もう、誰にも渡さない」蓮さんの掠れた声が、耳の奥に深く響く。あの日、冷徹だった彼が今、こんなにも愛おしそうに私を呼んでいる。「私も……愛してます」二人の息が重なり、時間の感覚がなくなっていく。私はただ、彼という名の大波に飲み込まれていった。◇しばらく、そのまま抱き合っていた。荒い息が、少しずつ落ち着いていく。蓮さんは私の体を抱き寄せたまま、額の汗を優しく指で拭ってくれた。私も、心地よい倦怠感の中で、彼の胸の鼓動に耳を澄ませる。

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  • 月給80万円の偽装花嫁   第18話

    ある日の午後。神崎さんが書類を届けにやって来た。「森川さん、これから買い物ですか?」「はい」「実は、氷室様のことでお話したいことがありまして。少し、お付き合いいただけませんか」その真剣な表情を見て、私は直感した。もしかして、前に家を訪ねてきたときに、話そうとしていた、あの続きではないだろうか。◇近所の、少しざわめいたカフェで、私たちは向かい合ってコーヒーを飲んだ。神崎さんはカップを両手で包み込み、温めるようにしながら、静かに話し始める。「氷室様…&

    last updateLast Updated : 2026-03-19
  • 月給80万円の偽装花嫁   第12話

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  • 月給80万円の偽装花嫁   第7話

    私の手が止まる。『違法なことはさせない。だが、俺の言うことは絶対だ。それが嫌なら、今すぐ帰れ』と、氷室様は言った。……これでいいのか?私は今、ここにサインをして、本当にいいの?この理不尽な条項は、間違いなく私の人生を大きく変えることになる。私は、目を閉じた。母の弱々しい声。旅館の屋根。父の薬代。通帳の残高32万円。選択肢は……ない。私は、ペン先を契約書に当てる。そして、『森川咲希』とサインをした。「契約成立だな」ふっと口角を上げた

    last updateLast Updated : 2026-03-17
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