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第903話

Author: 佐藤 月汐夜
「私はそこまでしなくてもいいと思うわ。ちょっとしたミスで彼女をがっかりさせてしまったら、あなたたちの長年の絆まで壊れてしまうかもしれないし、かえって損だもの」桃は考えた末、そう答えた。

雅彦はにこりと笑った。「ずいぶん寛大になったね。前は莉子のことで、ぼくに何度も注意してきたじゃないか」

桃は少し顔を赤らめた。確かに以前は、莉子の態度に不安を感じていたのだ。でも今は、彼女にも新しい恋人ができたという話も聞いたし、いつまでも気にしていたら、自分が小さく見えてしまう。

「昔は昔、今は今。それに、元同級生と付き合い始めたばかりでしょ?この時期に異動させたらかわいそうよ」

桃のそんな思いやりに、雅彦も素直に頷いた。

「わかった。奥さん夫人の言うとおりにしよう」

冗談めかして言う雅彦に、桃は呆れたように白い目を向けた。どうしてこの人は、暇さえあれば茶化してくるのか。そんな彼に構うのも面倒で、桃は立ち上がってお茶を淹れに行った。

だが雅彦は、その後も考え込んでいた。今のままでは、莉子がまた余計な敵を作ってしまいかねない。表立った敵ならまだしも、陰で何をされるかわからない相手は危険だ。

自分と桃の関係をは隠していない以上、莉子の不用意な行動が二人に災いをもたらす可能性もある。

そこで雅彦はすぐさま海に電話をかけた。「これからは、莉子はお前がついて見てろ。単独で動くのは禁止だ。まだまだ経験が浅いから、じっくり鍛えないとな」

「承知了解しました、雅彦様」海も同じように、最近の莉子の行動が軽率すぎると感じていたので、異論はなかった。

「今後、彼女が何か行動を起こすときは、必ずお前が確認してからだ」

雅彦は海なら安心できると確信判断していた。彼は長年傍に仕えてきた部下で、冷静で慎重、無駄なトラブルを招くような真似は絶対にしない。

……

一方、ジュリーの事件については、世間の注目を集めたこともあり、警察も迅速に動いた。調査が完了し、すでに訴訟手続きに入っている。

雅彦の予想通り、家族からも見捨てられたジュリーには、もう助け舟を出す者はいなかった。

このまま進めば、彼女はきっちりと法の裁きを受けることになるだろう。

その結果に、雅彦はひとまず満足していた。

……

一方その頃、海は莉子に「これからしばらく自分の指導に入る」旨を伝えていた。

話を聞いた莉子
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