LOGIN「……さぁ、邪魔者は居なくなったし、ベッドに戻ろ?」桜が廊下の奥に消えていく。その姿を見て無邪気に笑い、腕を絡ませてくる……百合にそっくりな女。双子の妹と聞いて、納得するしかないほど、似ている。それは桜の比ではないほどに。「……ねぇ龍之介?……私、可愛がってほしいのよ」屋敷に控えている組員たちは、あからさまな目は向けてこないものの、後ろに目がついているのがわかる。なんといってもこの雰囲気だ。飲み込まれそうな妖しい雰囲気に、俺の口角も上がる。「……可愛がるってのがどういう意味か、わかって言ってんのか?」腕に絡みつく細い手……もう片方の手が、素肌の上に直接着たワイシャツの胸元を、意味深にくすぐる。「わかってるわよ……私だって大人の女だもの」女の手は次第に下がっていき、俺の手を誘う。そして自分の腰のあたりに這わせた。「……キスして、龍之介」「……皆が見てるぞ?」背後に感じるのは、組長夫妻の目。麗香か、それともこの……百合の妹か、俺の行動で、その価値を確かめようとしているのがわかる。……じれったい、と言いたげに背伸びしてくる真理。その動きで、腰に沿わせた俺の手が、彼女の丸い尻に滑った。「……ふざけんな、このアマ」近づいてくる唇を避け、女の前髪をつかんで引っ張りあげる。「……いたっ!何すんのよっ!」「うるせぇ。お前ごときが俺に触るんじゃねぇよ。……一晩かけて落ちなかった俺が、朝になったら気が変わるとでも思ったか?」髪を引っ張り上げた反動で廊下に放り出してやれば、真理は尻もちをついた格好で睨みつけてきた。「なにカッコつけてんのよっ!婚約者がいるくせにあの桜って子まで囲って。結婚前から愛人確保?……本当に、極道ってのは節操がなくて大嫌いよ!」「嫌いで結構だ。……それで?お前はどこから来た?目的はなんだ?」「だから何回も言ったでしょ?夢に百合が出てきて、龍之介が2人も女を不幸にしようとしてるから、邪魔をしてこいって言われたって」しれっと言いのけるこの女を昨夜訪ねたのは、ここへ来た目的と、どこから来たのか不明だったからだ。食事をしながら尋ねても、一事が万事、この調子。顔を見れば百合の妹に間違いはないから手荒な真似は避けたが、離れに泊め置いたのも、俺が部屋を訪ねたのも、すべてはこの女を監視するためだった。「昨夜も散々話したが、俺
翌朝、いつも通りキッチンに向かい、朝食の準備に取り掛かった。昨夜、蔵之介は帰らなかったようだ。きっと驚くだろうに……真理を見て、百合が帰ってきたと錯覚して。桜は泣き腫らした重いまぶたを伏せ、4人分のだし巻き玉子を焼く。組長夫妻と龍之介、そして真理の朝食だ。きっと龍之介はこちらで朝食をとるだろう。……あの正面玄関から、間もなく真理と一緒に入ってくる姿を簡単に想像できた。そして……「おはようございますっ」組員たちのドスの効いた声をまといながら、龍之介がキッチンを通り過ぎて行ったのがわかった。……すぐ後ろに真理を従えて。フライパンに玉子を流し込み、ジュッと焼ける音を聞きながら、桜は思う。配膳は誰かがやってくれたらいいのに。今朝ほど、龍之介の姿を見たくないと思うことはなかった。それは、昨夜見た光景を思い出し、悲しみで胸が押しつぶされそうになるから。見てしまった。龍之介が真理の泊まる離れの部屋に入っていくのを……昨夜、離れの部屋を整えて戻り、代わって和哉が真理を部屋に案内する後ろ姿を見送った後の話だ。後片付けを終え、自分の部屋に引き上げた後、カーテンを閉めようと窓辺に寄ってみると……離れの部屋をノックする龍之介、招き入れる真理が見えた。どうして……桜を愛している自分の気持ちに変わりはないと言ったばかりなのに、百合に瓜二つの真理が現れた途端、まるでその言葉にひと言付け加えられたように感じる。変わらないのは、百合への愛も同じだと。でも彼女は違う。百合ではないのに。真理の泊まる離れの部屋に入った龍之介は、夜のうちに出てくることはなかった。気になって眠れなくなり、椅子を持ってきて窓にへばりつくなんて、まるで監視しているようだ。それでも、わずかな後ろめたさを抱えながら、目を離せなかった。結局、龍之介が離れから出てくることはなかった。真理だと知っているのか……それとも、彼女が来ることを知っていたのか……百合さんが亡くなって2年だと、以前聞いたことがある。そんなに時間がたってから……そもそも真理さんは、何のために屋敷に来たのだろう。龍之介と麗香の結婚は……影響を受けないのだろうか。「……お待たせいたしました」出来上がった朝食をワゴンに乗せ、昨夜と同じ紅の間に持っていった。襖を開けると、同じ位置に座る人たち。……案の定龍之介は、真理の
「あの……」百合と名乗る女性は、案の定キッチンにいた。まな板と包丁を出して、冷蔵庫を遠慮なく覗いている。「鯛の骨でだしを取って、おみそ汁にするわ。……それからお刺身は薬味を添えて盛り直すの」菊の花、大葉などを取り出し、リズミカルに包丁を入れ、彩りよく盛り付けた刺身。それは見違えるほど新鮮に、美味しそうに見えた。「お上手、ですね。……それに、」「……なに?」「この屋敷のことも、よくご存じのようで」本当は誰なの?自分が気にする問題ではないかもしれないが、知りたい気持ちが勝った。「……私はね、百合じゃないわよ?」意外にも素直に……そしていたずらっぽく笑って、彼女はあっさり答えた。程よく目尻の上がった大きな瞳は大人の女性の色気を放っていて……桜はそんな瞳をじっと見つめ返し、次の言葉を待った。「私は百合の妹の、真理。一卵性の双子なの。……大人になってもこんなに似てるなんて、自分でも気味が悪い」「それは、龍之介さんはご存知なんですか?」真っ先に聞いてしまった。……だって、騙されていたら可哀想だ。亡くなったのは何かの間違いで、どこかに隠れていた百合さんが帰ってきたと信じているかもしれない……「まだ顔を合わせたはかりだもの。何も話していないわよ。……でも」みそ汁が出来上がったようで、3つお椀を出して注ぎ始めた真理という女性。ここでも、どこにお椀があるのか知っているかのように、スムーズに動く。「龍之介はもう信じちゃってるんじゃない?私が百合だって……」真理は赤い唇の口角をキュッと上げ、首を傾げて微笑みながら……少しずつ目を見開いて、桜に近づいてきた。何を言われるのか、すぐにわかった。「それにしても、よく似てるわね……私たち。あ、でも……」額にかかった髪をパッと上にあげられ、見開いた目がさらに近づき、桜は思わずあごを引いた。「百合の方が似てる。顔型が、私はちょっと丸いけど、あなたはあごがシュッとしてるもの」「……何をしてる?」ふいに、龍之介の低い声が響いた。真理はサッと桜から離れ、弾むような足取りで龍之介に近づく。「お刺身を盛り直してたのよ!……見て!薬味を添えたら美味しそうになったでしょ?」「……組長が待っている。部屋に戻るぞ」「はぁい!」ちゃっかり刺身の皿を龍之介に持たせ、真理はみそ汁を取りに戻ってきた。「あなたがここ
「まさか、百合姐さん……」「お前……本当に百合、なのか」和哉と龍之介、2人の問いかけに笑顔を見せるこの女性が、自分に似ている人だとするなら、それは大きな間違いだ。目の前の人は、手入れされた美しい髪をなびかせ、シンプルなワンピースを着て決して華美ではないのに、どうしょうもなく目を引かれる姿で立っている。まさに……百合の花のような人。亡くなったはずの百合さん……それは何かの間違いで、この人が本当に龍之介の胸に描かれた百合さんだとしたら……私は、いらない存在だ。「……お荷物、お持ちします!」「ありがとう和哉。でも荷物って、この小さいバッグひとつだけど?」「それでもお持ちします!龍之介さんはいつも『百合の小さな手には何も持たせるな』って言ってましたから!」「そんなこと言ってたの?……いやだ!」1人近づけない桜を残し、3人は和やかな様子で正面玄関に近づいていく。そして、ここからでも見える。……龍之介さんの表情が、柔らかくなっていることに。「……桜」視線を落とし、立ちすくむ自分に気づいてくれたらしい。2〜3歩戻ってきた龍之介が言った。「お前は、裏口から部屋に戻ってろ」その顔は、笑顔ではなかった。「……おかえりなさい……って、えぇっ?!おいっ!みんなっ!……」玄関が開いて、閉まるまで動けなかった。龍之介が戻って玄関に集まった組員たちの驚きの歓声。その賑やかさに、百合さんという人が、どれほど愛されていたかがわかる。正面玄関を閉めた組員の1人が、少し先で立ちすくむ桜に気づいた。困ったような顔でペコリと頭を下げられ、桜は我に返って挨拶を返し、踵を返す。これからどうなるのか……重たい不安を抱えながら、桜は部屋まで小走りに走った。「……桜さん、失礼します」部屋に戻って何も考えられず、床に座ってぼんやりしていたらしい。ドアの外から声をかけられ「…、はいっ」と返事をして慌てて出ていった。「えっと……あの、夕食の支度をするようにと、姐さんからの伝言です」「あ……わかりました。今行きます」「よろしく……お願いします」伝えに来てくれたのは和哉だった。とっさに、あの女性は本当に百合さんなのか聞いてみようとして……聞いてどうするんだと思いがよぎる。どちらにしても私は、龍之介さんと結ばれない。……一旦離れても、ずっと愛していると言われたば
「桜ちゃん、今のうちに私たちの部屋を掃除してくれる?」「かしこまりました」組長からの話のあと、龍之介と蔵之介は組長と別の部屋に入っていった。桜は奥さまと麗香に続き、部屋を出る。その足で来るよう言われ、ついていくと、麗香は部屋に入るなりソファにドサっと腰を下ろす。「うふふ……あの様子じゃ、龍之介は戸惑ってるわね。まさか私も1ヶ月も早まるなんて思ってなかったけど!」つぶやく声が、弾んで聞こえる。……何か言った方がいいのだろうか。まるで、言葉が浮かんでこないのだけれど。「組長、意味深なこと言ったと思わない?」ソファの背に顎を乗せ、掃除機を滑らせる桜に話しかける麗香。「そう……ですね」「あれ、子供のことを言ってるのよ!うちもそうだけど、西龍会も跡継ぎを望んでるのね」龍之介と麗香の子供……彼に大人の女にしてもらった桜に、2人のしどけない姿を想像するのは容易い。麗香に悪気はないかもしれないが、聞きたい話ではなかった。「私、極道の子供なんて増やしたくないって思ってたけど、結婚するとなったらやっぱり産みたい」ごめんね桜ちゃん……と謝罪の言葉を言われ、私は「いいえ」と言うべきなのか。麗香は親が子供を望んでいる事実と、自分の気持ちを正直に伝えているだけ。ならば私は、それに対して言葉がないのが本音。だったらそれでいい。必要なことだけ伝えればいいんだ。桜はうつむきがちの顔を上げ、麗香をまっすぐ見て言った。「お掃除終わりましたので、これで失礼いたします」「あ、ちょっと待って」呼び止める麗香の表情は、桜の目に、初めて見るような感覚を呼び起こす。「これからも掃除は、私が櫻川に行く前に済ませてくれる?」「……はい。かしこまりました」麗香の意図は、きっとこうだ。龍之介が1人でいる部屋に、桜に入って欲しくない、ということ。最終的に龍之介は自分に任せてくれ、と言ったのは、麗香が彼の子供を産み、人生のパートナーになる未来なのだ。とっくに、私は龍之介との未来を手放していた……再び頭を下げ、部屋を出ようとドアを開けると、目の前に龍之介がいた。「……桜」「ただいまお掃除が終わりました。失礼いたします」龍之介の顔を見れば、涙が浮かんできてしまう。桜は急いで2階へと上がった。一旦自分の部屋に引き上げ、気持ちを落ち着ける。夕飯の支度まで、まだ時間がある。
「ちょっと待てって……俺にも桜ちゃんには見られたくないものがあるわけよ。……先に確認させてくれない?」「そんなこと気にしなくていいですよ。私は今日からこの屋敷の家政婦なので、掃除をするのが仕事……」ベッドやソファに散らかった服を片っ端からカゴに入れていくと、積み重なった中に派手な色の女性ものの下着……「……わっ!だいぶ前に来た女が忘れてったものだっ」慌てて桜の視界から消した蔵之介だったが、その後もあちこちから色取りどりの下着が出てくる。「……あの、蔵之介さん?」「今は誰も呼んでないから!これは過去の遊びの痕跡……全部処分する!」慌てた姿がなんだか可愛らしくて、ついクスクス笑ってしまった。「……なんで笑うの」「ごめんなさい……!それにしても、下着を置いて帰るなんて、女性もよっぽど慌ててたんですかね?」人さし指を唇の中央に立て、内緒……のポーズを取ったのは、きっと口外されたくないだろうと思ったから。「なんだよそれ……」「はい?」気分を害してしまったかと、桜は少し焦って、蔵之介を見上げる。「ナイショのポーズが可愛い……」伸びてきた手に捕まり、引き寄せられた。「あの、仕事中なので……」「終わったらいいの?」「そういうことじゃないです」「だったら今は特別な?……可愛い仕草を見せる桜ちゃんが悪い」龍之介より少し細身の体に閉じ込められながら、それでもきっと、力は同じくらいあるのだろうと思う。龍之介より甘い香り。体温は……少し低い。「……はい、もう終わりです」胸を押せば、簡単に離れてくれる蔵之介。「桜ちゃん、屋敷にいる間に、もっと俺を知ってくれない?」「知る……とは?」「わかんないけど、とにかく仲良くなりたいんだよ。それにさ」見られたくないものを見られてしまい、蔵之介は開き直ったようだ。積み重なった服がなくなって、久しぶりに顔を出したであろうソファの座面に軽やかに座り、長い足を組む。「ここじゃ龍之介は使えないから。若頭って立場もあるし、麗香との結婚式も控えてるし」「別に……頼るつもりはないです」「だとしてもさ、ここで見たり聞いたりすることは、桜ちゃんにはつらいことが多いと思う。そんな時、俺を利用しなよ」飄々としてつかみどころのない蔵之介だが、今日はどこか雰囲気が違う。「もう、百合を重ねて見てないよ。滝川桜って女の子
「…え…ッ?!」美紀の言葉がショック過ぎて、思わずスプーンを取り落とした桜。麗香が拾ってくれて、スタッフに替えをお願いしてくれた。「…驚かせてごめんね。でもあの…まだ決まったわけじゃなくて」「それでも辞めることになるかもなんて…普通じゃないよ。昭仁さんと何かあったの?」麗香には話が通じにくいだろうと、昭仁さんの正体と、これまでの経緯をざっくり話して聞かせた。「私はちょっと前から、昭仁さんって美紀ちゃんのこと好きなのかなぁって思ってた」「…そ、そうなの??」心底驚いたように言う美紀の顔が、みるみる赤くなっていく。…これはどういう感情だろう。美紀の言葉を待った。「私…ついこの間
「…あの、桜ちゃん…近いうち夕飯でも食べに行かない?」龍之介との逢瀬の後、桜は自分でも驚くほど素早く、元の生活に戻っていた。…それは、いつまでも龍之介を思ってウジウジと泣かない、と決めた事が大きい。「もちろん!…それじゃ、明日の帰りにでもどう?」「うんうん!楽しみ…ありがとう!」手を取り合う私たちを、どこからか見られている気がした。…お客さん!?とっさにそう思って店内に目をやると……昭仁さん?「ねぇ美紀ちゃん…最近よく見られててると思わない?…」向き直ったそこに、すでに美紀はいない…あれ?もしかして…昭仁さんと何かあって、それを話したいのかな。そんな事があった日の夜、
黒いワイシャツのボタンをひとつ、ふたつ…震える手で外していく。頬にキスをしながら「…まだ?」と問いかける龍之介。答えられずにいると、お仕置きのように熱い唇は首筋に移っていく…「震えてるな…寒いか?」「き、緊張しちゃって」やっとボタンをすべて外して…筋肉で形作られた胸をあらわにして…「…やっぱり、ダメ…龍之介さん」しっかり巻かれた包帯は、胸全体をきつく守っているように見える。「痛々しくて、萎えた?」「そんなんじゃ、ない。今はまだ…ダメ。怪我を、早く直してください」再び…やっと外したボタンをひとつずつかけながら…もうひとつの、見てはいけなかったものにそっと視線をやる。左の胸、
何の疑いもなく、黒い車に近づく桜。ボンネットの前に立ち、正面からフロントガラスを見た。…途端に笑顔になる。後部座席を示され、乗り込んだ途端走り出した。「…お久しぶりです。あの、前に屋敷に来られた時…動揺しててろくに挨拶もできなくて、すいませんでした」「いえ…そんなことはまったく、気にしないでください」車は信号に引っかかることなくスムーズに進む。和哉はさらに申し訳なさそうに言った。「遠くないホテルなんですけど…万が一を考えて、少し遠回りします」高速道路に乗り、速度を上げていく車。「2つ目のインターを降りて、引き返しますね」チラチラバックミラーを見るのは、桜の様子を伺うためで







