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第3話

Autor: 無言の約束
「リサ先生?」

朋美の不機嫌さを隠す気すらない声が、突然私を現実へと引き戻した。

はっとして我に返り、瞬きを一つした。

鏡の中には、少し血の気を失った私の顔と、いまだに私に視線を注ぐ悠馬の複雑な瞳が映っていた。

「どうなさいましたか、水野様」

表に現れた感情を即座に押し殺し、声を完璧な仕事モードに切り替えた。ほんの一瞬の放心など、初めからなかったかのように。

「ここ、少しはみ出てるみたい」

朋美は口元を指さした。その眼には、厳しく詮索するような視線と、かすかにこぼれ出た嫉妬の色が宿っていた。

「申し訳ありません、私の不注意です。

すぐに直しますね」

私は綿棒を手に取り、慎重にはみ出した部分を拭き取った。

「出来上がりました、水野様。こちらでよろしいでしょうか?」

鏡の中の花嫁は、完璧で、眩しいほどに美しかった。まるでかつて悠馬に大切に守られていた頃の私のように。

けれど今は、もうあの頃とは違う。

私は自らの手で「筆」を取り、彼の花嫁に、この世が求める「完璧」を描き出している。

しかし、私の心は、長い時間の試練と現実という名の残酷さによって、一度粉々に打ち砕かれたあげく、まったく別の何かとして再構成されていた。

朋美のベールを整えているとき、指先がふと彼女のうなじの肌に触れた。

彼女はわずかに身を震わせ、鏡越しに警戒するような視線をこちらに投げる。

その目つきは、まるで棘のように、私の癒えかけた記憶を突き刺した。

かつての私も、あの柔らかな肌を持ち、触れられることにこんなにも敏感だった。

悠馬が私に「バラの花園」を贈ってくれた少し後、あるプライベートなギャンブルの席に、私を連れて行った。

場所は非公開の豪華空間。男たちは談笑し、女たちはエレガントにふるまっていた。

白鳥の群れに紛れ込んだ一羽の醜いアヒルの子──そんな風に私はおののいていた。

彼はテーブルの下でそっと私の手を握り、「緊張しなくていい、俺についてくれば大丈夫だ」と囁いた。

その掌の温もりが、不思議と私の不安を溶かしていった。

その日、彼には驚くほどのツキが回り、目の前にはチップの山が築かれていた。

その日、彼は終始緩やかな笑みを浮かべ、時折、私の耳元でささやく。温かな吐息が、周囲の好奇の目を誘った。

向かい側に座る有馬慎太(ありま しんた)が一番大きく負けていて、細めた目で私たちをじっと見比べると、ふいに口元をゆるめて笑った。

「悠馬、今日はやけにツイてるじゃないか!なるほど、こんな可愛い子を連れてるからか!」

「おい、お姉ちゃん、まるで金運の女神だな!ほら、俺にも抱かせろよ。お前のそのツキ、ちょっと分けてくれ!」

テーブルを囲む一同がどっと笑い、幼なじみ連中は便乗してからかいの声を上げた。

私は体を強張らせ、血の気が引くのを感じながら、反射的に悠馬を見た。

背もたれに身を預け、指先でサバ葉を操りながら、彼はだらりと灰を払った。

その桃の花のようなあでやかな目がくっきりと私に向けられ、気楽な口調で彼は言った。

「七海、行って。有馬社長の相手になってくれ」

少し間を置いて、いつもの気前の良さで続けた。

「この勝負で稼いだ金は、全部お前のバッグ代にしてやるよ」

その瞬間、世界から音も色も消えた。

ああ、あの優しさには最初から値札がついていたんだ。

彼にとって、私は恋人でも、人間ですらなかった。

ただの、気まぐれに差し出せる玩具――縁起を担ぐマスコットキャラクターにすぎなかった。

彼の整った顔を見つめながら、ふっと笑みがこぼれた。

その笑顔は、泣くよりもずっとみじめだっただろう。

ゆっくりと立ち上がると、椅子が耳障りな音を立てた。

悠馬が一瞬、動きを止めた。

私は彼を見なかった。虚ろな視線が、笑みを失った彼の顔をかすめ、冷めきったコーヒーのカップに落ちた。

角砂糖三個。

彼は覚えていたはずだ。

でも、覚えていたところで何になる?

私はカップを手に取り、ためらいもなく彼の顔にぶちまけた。

静寂の中、ガラスの割れる音が鋭く響いた。

背筋を伸ばし、散らかった床を踏みしめながら、この金色の牢獄を後にした。

彼が作り上げたガラスの「バラの花園」は、防音だったのだ。

「リサ先生、痛いですってば!」

朋美の苛立った声が、私を現実へと引き戻した。

私は握りしめていたベールを、そっと放した。「ごめんなさい」

私は視線を落とし、慎重にベールを整えた。

その動きはやわらかく、正確で、まるでプロ職人のように無駄がなかった。

まるで五年という歳月で鍛え上げた、壊れない心そのもののようだ。

ようやくベールが固定され、五年前の惨めな自分にようやく終止符が打たれた気がした。

朋美は鏡の前で得意げに笑い、ウェディングドレスの裾が私の足先をかすめた。

「悠馬」彼女は甘えた声で彼の腕に手を伸ばした。「そろそろ行きましょ……」

しかし、その手は空を切った。

悠馬が一歩前へ出て、再び私との距離を詰めた。

両手を私の身体の左右にあるドレッサーにつき、私を鏡と彼の間に閉じ込めた。

「七海」かすれた声で、彼は絞り出すように言った。「あの時……どうして、行ってしまったんだ?」

さっきまで和らぎかけていた化粧室の空気が、一瞬で凍りついた。

朋美の顔から血の気が、目に見えるほどの速さで引いていく。彼女は唇を噛みしめ、整った爪が掌に食い込みそうだった。

私は顔を上げ、彼の鋭く熱い眼差しを真っすぐに受けた。

なぜ、行ったのか?

彼が――そんなことを聞くの?

思わず笑みがこぼれた。果てしない哀しみと、どうしようもない滑稽さを帯びて。

「石垣社長、お忙しいのは結構ですが……

五年前のあの件、思い出させて差し上げましょうか?」

彼の身体が、びくりと固まった。

「その時あなたは言ったんです。『七海、行って。有馬社長の相手になってくれ』

『この勝負で勝った金は、全部お前のバッグ代にしてやる』って」

水を打ったような静けさが漂った。

悠馬は荒い息を吐き、手の甲の血管が浮き上がった。

苦痛が、今にもその瞳から溢れ出しそうだ。

「石垣悠馬」

私は笑みを消し、視線を氷のように冷たくした。

「あなたの賭けには、もう十分付き合った。負けるだけ負けた。だから、もう降りるわ」

そう言い終えると、周囲の誰もが息を呑む中、私はドレッサーの上のハサミを手に取った。

チョキン!

無数の真珠とダイヤモンドを散りばめた、純潔と誓いの象徴である、気の遠くなるほど高価なヴェールが、ずぶりと音を立てて引き裂かれた。

それを私は、自分の手で――朋美の頭から切り落としたのだ。

「きゃああっ!」朋美の悲鳴が響き、彼女は今にも気を失いそうだ。

私はハサミを放り投げ、手を軽く払って、まるで汚れでも落とすようにした。

「このメイクは……もう、やめるわ!」
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