いや、ちょっと待って、三年で三千人とマッチングって……
「そ、そうなんだ」 わたしは胸を撫で下ろした。 「よかった…… さすがに日に八人とデートは多すぎるよね……」 なんか、もうすでに、どっと疲れが来て、苦笑するしかなかった。ウィスカーも、白ウサギそのものな口元を上げて笑む。
「ただし。こちらも魔王さまからのお仕事ということで、どんどんマッチングを組まさせていただきますから、そのおつもりで」 なんか、スマホで読んでた異世界スローライフとなんか違うな…… もっとラクそうと言うか、苦が少ないと言うかご都合主義というか…… まぁ。どこにいっても、お仕事はそれなりに大変だってことだろう。 「しょうちしました……。どうか、お手柔らかに……」 こちらとしてもハルトとの強制復縁は避けたい。だからお見合いっていうか、この異世界マッチングを、数でこなしていくしかない。 だったら、どうせなら幸せに添い遂げられそうな、それこそ魔王が言ったように〝幸福感に包まれながら最期を迎えられるような〟良いパートナーがほしい。 よし、前向きに考えよう。マッチング希望者が三千人あれば、なかには一発くらい大当たりもあるだろうさと。 「よーし」わたしは顔をこすりあげて言った。 「じゃ、まず今日は面談から、ってわけですね。よろしくお願いします、ウィスカーさん」 ウィスカーはうなずいた。 「承知しました。では早速。相川さま側のマッチング相手に対するご希望は?」 わたしは腕を組んだ。王宮に置いてきたミイラのことを考えながら。 「……うーん。保護者きどりとか、束縛してこないひとかな」 「はい。自由にさせてほしい、と。あと他には……?」 「遠距離はむりかな。なるだけ徒歩圏内で」 あと将来像の押し付けとか、仕事への口出しとか、そのくせ野球の日には連絡が取れなくなるとか…… って、ぜんぶハルトの逆だな。うっかり笑っちゃった。 でもこうなったら、ほんとうに心から好きになれる人がいいもんな。本音でいこう。 そのほうがきっと、日々の中で〝正のエネルギー〟を集められそうだし。 すると、つられたようにウサギも、わたしの見ている空を見上げて言った。 「──では、」 そしてファイルをめくりながら、やはり最初ですし、魔王さまのご推薦のこの方がよろしいでしょう、と満足げに頷いた。 「早速になりますが、本日の昼前に、ちょうどよいお相手がございます」 「仕事はやっ。どんな人?」 「人では……ありませんが、相川さまの理想を兼ね備えていて、しかもレベル1のお方ですね」 れ、レベルとかあるんだ……。 「それって、恋愛経験の数ってこと?」 「いえ。向こうから見た相川さまの受け入れ難易度、ですね」 ……ふうん。ということは。 「わたしからすると、そのレベル1の先方さんとは、すぐでも結婚できちゃう、ってコト?」 「はい。そうです。今夜にでも結ばれます」 それは、いくらなんでも早すぎ、いや、先方誰でも良すぎじゃないか…… 「ま、まあいいや、相手しだいだよね。どんな人?」 「……あ、繰り返しになりますけど、人では、ないですね」 ──たしかに。そういえば魔王も人類はこの魔界で滅びた、って言ったし。 「つまり、マッチング相手って言うのは、ぜんぶ人外ってコトなのね……」 ウィスカーは、ウサギの顔で、ごく自然に頷いた。 「そうです。この魔界には、様々な魔物が住んでおりますからね。モンゴリアンデスワームからスカイフィッシュのような完全人外から……」 聞いたこともない種族名にわたしは、冷や汗の流れるのを感じた。 「せ、せめて、人間に近しいカタチでお願いします!」 するとウィスカーは、 「ええ。となるとオークやエルフのような亜人。ということになりますかねー」 とファイルをめくっていく。そしてたどり着いたページで、ふと目を上げて、 「しかし、異世界でのマッチングが初めてとなりますと、あまり難易度を高くしてもよろしくないでしょうし。この方など、いかかでしょうか」 と、わたしに提案をしてきた。 「成婚レベル、1。お優しい性格で、姿は相川様のお好みのまま」 ゆえに人間に変身してもらえれば、人間のまま結婚して生活することも可能だと彼は言った。 ──しかたない。モンゴリアンデスワームよりはましそうだ。 「わかりました……。たしかにレベル1はありがたいです。ちなみに、どんな方なんですか?」 「スライム、ですね」 自分から聞いておいて、なんだけど、わたしは固まった。 …… 「す、……」 スライム……す、スライムとデートをしろと!?
──外は夕暮れだった。 台所のシンクには、大小の皿が水に浸されている。 和室では、塗り絵の上でアオがすうすうと寝息を立てていて、お腹に、タオルをかけてやる。 わたしは縁側に出た。 ヒコさんがいた。夕焼けを見ている。 その横に腰をおろすと、少し心強い気がした。 わたしはマグカップを手にした彼に言う。「おかわりはどう」 ヒコは首を横に振った。「ありがとう、もう大丈夫」 しばしの沈黙。 風が、湖と頬をなでる。 ヒコがぽつりとつぶやいた。「そうか……。るんちゃんのこの家には、そんな悲しい思い出があったんだ」 わたしは頷いた。 だから魔界に来たとき、魔王の馬車で、この湖のほとりに着いた時、びっくりした。 ほんとうに息が止まった。 うれしいのか、嬉しくないのか、正直、混乱して分からなかった。 この家が建っているのを見て、心底びっくりしたのだ。 焼けて、焦げた柱だけになった家が。むかしの姿で、そこにあったから。 わたしはおもわず、いそいで家に駆け込んだ。 そして父を呼び、家中をさがして回った。 和室にも寝室にもいなくて、意を決して、手を触れた洋間のドアノブにも、父の姿は無かった。 アトリエの天窓から光がさしこんでいて、イーゼルの上でキャンバスが、背中を向けていた。 大雨が降り、深夜に火が出た、あの夜のまま。 父を驚かせたくて、わたしが水差しを描いたキャンバス。 つまり、魔王は、この家が出火するほんの少し前に時計を巻き戻して、そっくりそのまま、この湖のほとりに再現したのだ。 わたしは唇を噛んだ。 この家を復活させるのと、父を復
わたしも頭にタオルを巻いて、天袋の隙間に入っていく。 ヒコさんが手を引いてくれた。 屋根裏は、ランタンモードに切り替えた彼の懐中電灯が、ぽうっと全体的に照らしている。 埃っぽいかと思っていたが、それほどでもない。 むしろ空気が冷たい。 時間が止まっていた空間の匂いだ。 アトリエとも違う、人がそもそも入らない空間の、眠っていたようなにおいだ。 アオを肩に乗せ、懐中電灯を手に、わたしはヒコの指さす先に光を向けた。 梁の上を、電気の配線が走っている。「……危険な箇所って、あの配線のこと?」「うん。黒い配線の真ん中あたりを見てみて」 私は目を凝らした。「カバーが破れてるだろ」 ヒコの声が、いつになく低く、真剣だ。 言われてよく見ると、太めの配線の黒いビニール外装《カバー》が、ほつれたようにあちこちで剥がれている。 中から赤色っぽい金属の反射が覗いている。「あそこで銅線が剥き出しになっているんだ」「──どうして…… 勝手に、電気コードが破れることなんてある?」 なんか怖い。それこそ誰かが屋根裏に忍びこんで、配線のカバーを剥いていったなんて思ったら、寒気がしてきた。「……まさか、コウモリが?」 つぶやくと、ヒコさんが言った。「いや。ネズミが齧《かじ》ったんだと思う」 わたしは思わず反芻する。「ネズミ!?」「そう。ネズミが前歯でかじったんだよ。あいつら歯が伸びるだろ。だから伸びすぎると、柱だって壁だって、なんでも齧るんだ。ムズムズしてさ」「だからって……配線までかじるものなの?」 普通にビリッてしないのかな……「するかもねぇ。でもアイツらには木も枝も電線も関係ないからなぁ……。──あとほら、こんどは上を
点呼をとる声が、和室に響く。「番号、イチ!」「にっ!」 ヒコさんとアオだ。(ふたりしか居ないのに、点呼、いる?)「持ち物確認! 懐中電灯、ヨシッ!「お菓子、ヨシ!」 おやつ持ってくんかい…… ついつい平たい目で突っ込んでいるけれど、男の子って楽しそうよね……。 と言うのも、このふたり、これから天井裏に大冒険なのだが、いい大人と子供が目を輝かせながら押入れの天袋へとよじ登っていくその背中を、わたしはお尻のポケットに気になる手紙を入れたまま見送った。(……やっと読める) そう内心で思っているものの、彼らは別に遊びにだけ行くわけじゃない。 屋根に穴が開いているかもしれず、チェックに行ってくれるのだ。「いってらっしゃい、ご安全に〜!」 いちおう、それっぽく、笑顔で手を振る。 ずらした板の中へと、ふたりは屋根裏に消えていった。 ──さて。 ……わたしは息を吐き、いそいそと、さっきお尻のポケットにねじ込んだ封筒を取り出す。子供が寝た後に、って感じだ。(ああ、もう、ドキドキする!) 縁側テラスに小走りする。 湖の上では、空が晴れ渡り、わたしは封筒を鼻先をあてる。 ヒコさんじゃないけれど、森の匂いに、マヌルの背中が思い浮かぶ。 ほのかな心音のぬくもりに、浸っていたかった。 だが、そこに、あのヒコの顔が重なる。「──!」 うっかりまた心臓が跳ね上がった。 淡い封筒からの波長を、犬の濡れた鼻先が上書きしてしまったようだ。 廊下の壁に手をついて、うなだれる。 動悸が止まらない。 ──くそう、あの無自覚イケメン犬め……! 距離感バグってるヒコの、目を閉じたあの顔が
玄関側に回ると、オークの姉さんが笑顔で手を振っていた。 「こんちは、調子はどう?」 わたしも自然と笑顔になれた。 「おかげさまで、なんかスッキリです」 オーク姉さんは、おなじみの荷車から小包をひとつ取り出しながら、「まずはいつものね」と言った。 「伯爵も懲りない人よねえ」 まとめて送り返したのに、また吸血鬼からのプレゼントだ。 「すみません、今日から受け取り拒否で……」と、わたしはサインしながら、申し訳なくて口をへの字にした。 「でも持ってきてもらってこれだと、お姉さんもストレスになるでしょ……」 オーク姉さんは笑ってくれる 「そんなことないよ、ちゃんと料金は向こうから発生しているからね。そこはご心配なく」 そして彼女は、「で、今日はもう一つあるのね」と、一通の封筒を取り出した。 受け取った封筒の裏面に、わたしの目は思わず輝いた。 差出人に、〝フクロウの森のマヌル〟とある。 やっぱり、マヌルの返事だ!…… 姉さんは、「よかったわね!」と、満面の笑みを残して荷車を引き、去っていった。 * * * 裏庭の湖が、きらきらと揺れている。 縁側のテラスで、わたしは左右を見回し、背後まで確認し、念のため見上げて軒先をチェックする。コウモリもいない。 ──よし。 そして、封筒を手に、ハサミを握る。 マヌルさんが書いたのであろう文字で、〝睡蓮の湖の相川〟と宛先がしてある。字を見つめているだけで、なんだが胸が波立つ。
──翌日、昼過ぎ。 ぽかぽかとした春の光の中で、ヒコさんが訪ねてきた。 彼は、わたしがテラスでチラシの裏に落書きをしていることに驚いた。 「……絵、描けるようになったの?!」 わたしは、はにかんだ。絵というほどのものではないけれど…… 「えへへ、そうなんですよ」 描いていたのは、昨夜のアオがコウモリに食いつこうとした顛末の四コマ漫画だ。 線もヨレヨレだし、下書きも無しの一発描きで、楽しいから描いただけのものだ。 「──ははは! たしかにあいつ、コウモリとか食べそうだ」 でも、ヒコさんには、このとおり好評で良かった。 チャリン……、と、懐のポケットでアプリの通知音がした。 そう。わたしは発見したのだ。こんなラクガキでも正のエネルギーが貯まるのだと言うことを……! 「面白かったよ、また描いたら見せてね」 すると、チャリン……と、またスマホが鳴った。 「なんの音?」と、ヒコさんは興味深そうだった。 「ええと…… なんていうか、仕事、みたいなものかな?」 わたしは誤魔化した。 それにしても、四コマでも人に絵を見せたからポイントが加算になったのだろうか。わたしは少し考え込んだ。……いや、反応が返ってきたことに、わたしの心が嬉しかったからだろうか。 わたしの横で、ちょっと離れてヒコさんがあくびをしながら、「おれも座っていい?」と、縁側に腰掛けた。 「朝から王都に仕事行ってきた帰りなんだ」 「大工さんのお仕事?」 「んにゃ。きょうは魔王さまの王宮で、庭師さ」 ……とっさにピンと来なくて、私
今夜は、サラダと煮っ転がし。 ヒコさんにも食べていけばと誘ったが、なんだか明日は早いらしい。 ものすごく残念そうに、肩と尻尾を落として帰って行った。 だから今夜は簡単に、タコをサトイモと煮た。 魔界にも醤油があるのが微妙に嬉しい。 わたしはエプロンをかけ、トマトを切っている。 こうして、夕暮れどきに夕飯を作る生活にも、だいぶ慣れてきた。 時計を見るとまだ十八時。 社畜だった頃は、この時間だと、追加の残業が降ってくることにイライラしていたはずだ。 背後では、アオが塗り絵をしている。 クレパスがテーブルの上でカツカツと踊る音がしている。 「それで、絵葉書にはなんて書いたのさ?」 「んー、なんてことは書いてないよ。今度はうちに遊びにきてください。一緒に湖を見ましょう、って」 それでダメなら、何を言ってももうダメってことだろう。 レタスを洗いながら、わたしは答える。 アオが手を止めて、ちょっとためるように言った。 「……一緒に、って、ぼくもいっしょにってことだよね?」 かわいいけど、めんどくさいスライムだな…… わたしはレタスの葉をちぎりながら言った。 「まぁ、そういうことになるね。でもお利口さんにするんだよ」 アオは勝ち誇ったような顔をしてるんだろうな。 言わなくても分かる。クレパスの音が楽しそうに変化している。