ログイン母が待つという駅舎までは、馬車で二日かかった。イザベラは後続の馬車に乗り、カスパーが護衛についた。先頭の馬車には、リーゼロッテとエルフリーデの二人だけが残された。二日目の昼過ぎから雨になった。幌を叩く雨音が単調に続き、車輪が泥を跳ねる音がそれに混じった。「寒くないか」「少しだけ」エルフリーデは膝掛けを広げ、リーゼロッテの膝にかけた。端を整えるとき、指が一度だけ彼女の手首に触れて、すぐに離れた。それきり、会話は途切れた。リーゼロッテは窓の外を流れる灰色の景色を眺めていたが、いつの間にか瞼が重くなり、揺れに合わせて頭が傾いた。気がついたときには、エルフリーデの肩に額を預けていた。慌てて身を起こそうとして、動けなかった。「そのままでいい」エルフリーデは前を向いたまま言った。「揺れが強くなってきた」嘘だとリーゼロッテは思った。道は先ほどまでと変わらず、ただ緩やかに揺れているだけだった。それでも何も言わず、もう一度、肩に頭を戻した。どれくらい経ったのか、目を覚ましたとき、雨はまだ降っていた。エルフリーデは同じ姿勢のまま座っていて、右腕がわずかに強張っているのが、袖の皺から分かった。「腕、痺れていませんか」「いや」「痺れていますよね」「……少しな」リーゼロッテは小さく笑って身を離し、彼女の右腕をそっと揉んだ。袖越しにも、筋肉が固くなっているのが分かった。エルフリーデは何か言いかけて口を閉じ、窓の外へ視線を逸らした。耳の縁が、うっすら赤くなっていた。「何も言わなくていいです」リーゼロッテは手を動かしたまま言った。「勝手にやっているだけなので」馬車の中には、それからしばらく、雨音と、袖の布が擦れる音だけがあった。その夜は、街道沿いの駐屯軍の宿舎に泊まった。部屋は二つ取れた。リーゼロッテが奥、エルフリーデが手前で、あいだを隔てるのは板一枚の薄い壁だった。寝台に入って灯りを消しても、リーゼロッテは眠れなかった。母のこと、楡の木のこと、記憶のこと。考えるほどに、輪郭がぼやけていく。壁の向こうで、寝返りを打つ気配がした。しばらくして、小さく壁を叩く音がした。二度。リーゼロッテは起き上がり、壁に近づいて、同じように二度、指の背で叩き返した。「起きていたのか」壁越しの声は、思ったよりずっと近かった。「そちらこそ」「眠れない」「私もです」
国王が護衛を増員して三日目、流刑の一団が通る北の街道から、一通の手紙が辺境伯邸に届いた。封筒はひどく古く、端が毛羽立っていた。封蝋にはアーレンス家の紋章が押されていたが、慌てて押したのか、図柄がはっきりしない。使者によれば、侯爵夫人が通りがかりの商隊に託したもので、辿り着くまでに半月近くかかったという。リーゼロッテは手紙を持ったまま、回廊に立ち尽くし、しばらく封を切れずにいた。「先に私が見ようか」エルフリーデが傍らで尋ねた。「いいえ」リーゼロッテは封蝋を剥がした。「母からの手紙です。せめてこれくらいは、自分で開けたい」便箋は一枚きりで、文字は小さく詰まっていた。紙が足りなくなるのを恐れているかのようだった。流刑の道中で病に伏したが、今は少し良くなった、と書かれていた。侯爵はこのところ口数が減り、夜は一人で朝まで座っていることが多い、とも。娘に一目会いたい。十九年間胸に溜めてきた話があり、今言わなければ、もう機会がないかもしれない。手紙の最後の数行には、ささやかな出来事が綴られていた。「あなたが三つの時、裏庭の楡の木の下に、木彫りの小鳥を埋めたことがありました。大きくなるまで待つのだと言って。私はずっとそれを覚えていて、あなたに聞きたいと思っていました。あのあと、掘り返しに行ったかどうか」そこまで読んだところで、リーゼロッテの指が止まった。「どうした」「覚えていません」彼女は便箋を裏返し、また表に戻した。裏に答えが書いてあるとでも思っているかのように。「裏庭に楡の木があったかどうかも、定かではないんです。離れのあたりには、井戸が一つあったことしか」エルフリーデは手紙を受け取ると、最初から最後まで目を通し、紙の端に鼻を寄せて匂いを確かめた。「インクは新しい。紙は古い」彼女は言った。「侯爵家で使っていた種類の紙だが、書かれたのは、ここ数日のことだ」「偽物だと思いますか」「本物かもしれないし、本物が誰かに使われているのかもしれない」エルフリーデは手紙を彼女の手に戻した。「首領は、今回は心を打つと言っていた。母親が娘に会いたがるというのは、これ以上ない題材だ」リーゼロッテは反論しなかった。回廊の柱にもたれて腰を下ろし、便箋を膝の上に押さえたまま、木の小鳥の一行を、指の腹で何度もなぞった。「母の顔も、よく覚えていないんです」長い沈黙の後、彼女は
王都に戻った翌日、宰相がイザベラの持ち帰った手がかりを整理するため、御書房に全員を召集した。地下の石室から書き写してきたあの刻文の巻物が、丁寧に広げられ、机の中央に置かれた。幾人かの学者がそれを囲み、表情を険しくしていた。「『記憶』と『意志』、この二つの条件について、いくつか手がかりが見えてきました」年配の学者が口を開いた。「古い文献の断片によれば――いわゆる『記憶』の条件とは、ある人物が、かつて完全な形で『血盟の共鳴』を経験し、その経験を、自らの血脈の本源に刻み込んでいることを指すそうです」リーゼロッテの胸が締めつけられた。「血盟の共鳴……私とエルフリーデが、あの坑道でしたことですね」「その通りです」学者は頷いた。「そして『意志』の条件は、さらに抽象的なものです――誰かが、大きな代償を払う可能性を承知の上で、それでもなお、犠牲に頼らず、共鳴と守護を成し遂げることを、自ら選び続けること。アリの時、南境の老漁師の時、そして雷脈のあの青年の時――あなたが下してきた一つ一つの選択が、知らぬ間に、この条件を積み重ねていたのかもしれません」広間がしばし静まり返った。「つまり」エルフリーデが低く口を開いた。「お前自身が、すでにその二つの条件の双方を、満たしつつあるということか」学者は重々しく頷いた。「辺境伯の仰る通りです。正確には、まだ『完全に満たした』とまでは言えませんが……両方の条件に、最も近い位置にいらっしゃるのは、間違いなく、リーゼロッテ様です」リーゼロッテは、その言葉を、すぐには呑み込めなかった。「それでは、私自身が、七脈の最後の鍵になるということですか」「その可能性は、否定できません」宰相が静かに言った。「もしそうなら、荊眸が本当に欲しているのは、あなたの血脈だけではなく――あなたという人間が、これまで積み重ねてきた『経験』と『選択』そのもの、ということになります」殿内の空気が、ますます重くなった。「つまり、お前は」エルフリーデの声に、抑えきれない緊張が滲んだ。「もう一つの意味でも、荊眸の標的になっているということか」「おそらく」学者が答えた。「ですが、幸いなことがあります。『記憶』と『意志』は、血脈のように、力ずくで奪い取れるものではありません。これらは、本人の経験そのものに根差しており、外から引き剥がすことは、極めて困難とされています」
廃墟から王都へ戻る道中、荒れた古い駅舎で一夜を過ごすことになった。部屋は相変わらず足りず、カスパーとイザベラが一室、リーゼロッテとエルフリーデは、またしても一室だけが残された。室内には狭い寝台が一つと、隅に錆の浮いた銅の盥が置かれているだけだった。身を清め終えたリーゼロッテが寝台の縁に座っていると、エルフリーデが外套の一番上のボタンを外し、鎖骨のあたりに残る古い戦傷の浅い痕が覗いた。「何を見ている」エルフリーデがその視線に気づいた。「あなたの傷を」リーゼロッテは目を逸らさなかった。「これは、いつの傷ですか」「ずいぶん前だ」エルフリーデは近づき、彼女の傍らに腰を下ろした。「よく見たいのか」その言葉には、隠す気もない揶揄が滲んでいた。リーゼロッテは引かず、むしろ手を伸ばし、指先でそっとその傷に触れた。「痛みますか」「今はもう痛まない」エルフリーデの声がいくらか低くなった。「お前がそうやって触れると、少し痛む気がする――傷のせいじゃなく」リーゼロッテの指が止まった。顔を上げると、逸らそうとしないその瞳と目が合った。「どういう意味ですか」「自分で考えろ」エルフリーデはそれ以上語らず、ただ手を伸ばして、鎖骨のあたりに触れたままの彼女の手を握り、ゆっくりと下へと導き、自分の胸の上に重ねた。「聞こえるか」心臓は速く、重く打っていた。薄い衣越しに、その鼓動が、はっきりと掌に伝わってきた。「今日、廃墟の中で、あなたは私に、一人で何かを抱え込むなと言いました」リーゼロッテの声も低くなった。「では、あなたも、今夜は、私をもう少し近くまで寄せてくれますか」エルフリーデは答えず、ただ俯いて、その唇の端に口づけた。今回は、これまでのどの時よりも深く、長かった――浅い探り合いではなく、一日中積み重なってきた不安の後、互いがまだ、ここに完全な形で在ることを確かめたいという、ほとんど貪るような確認だった。リーゼロッテの手は、その胸元から首筋へと滑り、彼女をより近くへと引き寄せた。二人の間に、これまで慎重に保たれていたあの距離は、完全に消え去っていた。エルフリーデの手が、彼女の腰のあたりを滑るように撫でた。動きはごく軽かったが、隠しようのない愛おしさが込められていた。まるで、この身体の一つ一つの輪郭を、改めて覚え直そうとするかのように。「エルフリーデ」リーゼロッテは
首領は言い終えると、その姿を地下通路のさらに奥の闇へと消し、それ以上留まることはなかった。石室には三人と、沈黙したままの壁の刻文だけが残された。松明の灯りが揺れ、イザベラの影を長く伸ばしていた。彼女の手にある、まだ書き写し終えていない紙は、端が皺になるほど強く握りしめられていた。「私は、何に気づいていないんでしょうか」リーゼロッテは首領の言葉を小さく繰り返した。その一言から、何か別の意味を噛み砕こうとしたが、どうしても呑み込めなかった。エルフリーデはすぐには答えなかった。まず身を屈め、イザベラの手から松明を受け取り、石壁の窪みに差し込むと、両手を自由にした。「先に出よう」彼女は言った。「ここに長くいるのは、体に良くない」三人は来た道を通り、地上へと戻り始めた。階段は長く、狭かった。先頭をイザベラが、その後ろをリーゼロッテが、最後尾をエルフリーデが歩いた。石の段差に足を取られそうになったリーゼロッテの肘を、エルフリーデがさりげなく支えた。「大丈夫か」「大丈夫です」リーゼロッテは答えたが、声にはまだ、先ほどの首領の言葉の余韻が残っていた。階段を上りきり、崩れた礼拝堂に出ると、外の光が目に沁みた。すでに日は沈みかけ、廃墟の石壁を、茜色に染めていた。イザベラが先に外へ出て、馬のところへと向かった。二人きりになった礼拝堂の跡で、エルフリーデはようやく足を止め、リーゼロッテの方を向いた。「さっきの言葉を、気にしているのか」「気にするなと言われても、無理です」リーゼロッテは俯いた。「あの人は、私が何かに気づいていないと言いました。それが何なのか、見当もつかなくて」エルフリーデは手を伸ばし、彼女の頬にかかった髪を、そっと払った。指先が、頬に軽く触れた。「分からないことを、一人で抱え込むな」彼女は言った。「考えるなら、私と一緒に考えろ」リーゼロッテは顔を上げた。夕陽の光が、エルフリーデの横顔を照らしていた。「あなたは、怖くないんですか」彼女は尋ねた。「あの二つが、私自身に関わっているかもしれないのに」エルフリーデはしばらく黙り、それから、手を伸ばして彼女の手を取った。指を絡め、しっかりと握った。「怖い」彼女は認めた。「だが、お前が一人で何かを背負い込もうとする時のほうが、もっと怖い」その手の温かさが、冷え込んでいた胸にゆっくりと染み込んでいった
修道院の跡地に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。崩れかけた石壁が、蔦に覆われたまま静かに佇んでいた。かつて礼拝堂だったとおぼしき建物の屋根は半ば崩落し、割れたステンドグラスの破片が、地面に散らばったまま苔むしていた。「イザベラ!」リーゼロッテは声を上げたが、返ってきたのは、風が廃墟を抜ける音だけだった。「手がかりを探そう」エルフリーデが言った。「彼女がここに来たなら、何か残しているはずだ」二人は手分けして、崩れた建物の中を調べ始めた。祭壇の跡、崩れた書架、埃をかぶった石碑――どれも長い年月、人の手が入っていない様子だった。礼拝堂の奥、半ば崩れた祭壇の裏で、リーゼロッテは小さな足跡を見つけた。新しいもののようだった。「こっちです」足跡をたどると、地下へと続く階段が現れた。かつては隠されていたのだろう、入り口を塞いでいた石が、最近動かされた形跡があった。「イザベラが開けたのか」エルフリーデが呟いた。「彼女一人で、ここまで……」リーゼロッテの声に、心配と、同時にわずかな誇らしさが混じった。地下への階段は長く、冷たい空気が、下へ進むほど濃くなっていった。やがて、開けた空間に出ると、そこには、古い石の祭壇と、壁一面に刻まれた文字が広がっていた。「イザベラ!」奥の壁際に、彼女の姿があった。無事だった。彼女は壁に刻まれた文字を、ランプの明かりで照らしながら、夢中で書き写していた。「お姉様!」イザベラは振り返り、安堵の表情を浮かべた。「来てくれたんですね」「心配したのよ」リーゼロッテは駆け寄り、彼女の無事を確かめた。「一人で、こんな場所に」「ごめんなさい」イザベラは言った。「でも、確かめずにはいられなかったんです。あの密書に書かれていたこと――ここに来て、ようやく分かりました」「何が分かったの」イザベラは壁を指し示した。そこには、七つの紋様が刻まれていたが、そのうち二つは、他の五つとは明らかに違う形をしていた。血脈を示す紋様ではなく、もっと抽象的な――概念そのものを表すような図形だった。「この二つは、血脈じゃないんです」イザベラは言った。「一つは『記憶』、もう一つは『意志』――人そのものが持つ、力とは呼べないはずのものが、七脈の中に組み込まれている」リーゼロッテは、その紋様を見つめた。「どういうこと……」「つまり」エルフリーデが低く言った