先輩の部屋にはゼログラの遊べるゲーム機があって、練習にはそれを使うことにした。初日。部屋に着いてコンビニで軽く夕飯を済ませた俺たちは、さっそく夜の練習を開始した。
(……変なの)
先輩の様子が、少し変だった。
具体的には、学校の廊下で俺が先輩にキスしてから。
ゲームをしていても、いつもはギャンギャンとうるさく噛みついてくる感じがあるのに、今日は妙に大人しい。
「こういう場面では、後方で俺のフォローに回って」
「地雷置くとき、声かけマストな」
指摘の仕方にも、いつもよりトゲがない……。
(これはこれで、調子狂うかも?)
怒っていない先輩は、先輩らしくないような気がした。それでも……元気がないとか、具合が悪いというわけではなさそうだ。
(本当に、キスしてからなんだよな……)
妙に静かで、たまにじっとこちらを見ているときがある。
(さすがに、やり過ぎたか?)
考えつつも、手を動かす。無事にすべての拠点が制圧され、このゲームは俺らの勝利となった。
気づけば練習を始めてから4時間近くが経っていて……。明日も学校だし、そろそろ寝ようということになった。
「神谷、シャワーは?」
「朝に借りるんでいいです。……あ、スウェット忘れた。まぁ、いっか。寝るだけだし」
「……パジャマ?」
「あ、はい。でも、下着はあるんで大丈夫です」
もう春だし、そこまでたくさん着なくても大丈夫だろう。そう思っていると、シャワーを浴びようとしていた先輩がクローゼットに戻って、中をごそごそと探り始めた。
「……パンツだけで寝るとか、ないから。これ着て。フリーサイズ」
先輩はそう言うなり、薄手のスウェットの上下をこっちに放り投げてくれる。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、「べつに」と風呂場の方に消えていってしまった。
(なんか……優しい!!?)
今回は俺が勝手に家に押しかけて来たわけで……チームのためとはいえ、先輩に強く当たられても仕方ないかな、と思っていた。
でも、なんか……不思議と優しい。
(ちょっと意外な一面を見られた気がするな……)
ベッドに入ろうかどうか迷ったけれど、先に寝るのも悪い気がして、スマホをながめて待つ。しばらくすると、首にタオルをかけた先輩がシャワーを終えて戻ってきた。
「……あれ、まだ寝てない」
「あ、いちおう待ってたっていうか」
「はよ寝ろ」
冷たく言われ、電気を消された。こういうところは相変わらずだけど、その口調は前よりもどこか優しい気がして。
「ベッド、いいんですか?」
「押しかけといて、いまさらかよ……。俺、壁側で寝たいから、そっちだけ開けといて」
「はーい」
「……おやすみ」
先輩は髪を乾かしてから寝るらしい。
(今日は色々あって、疲れたな……)
先輩との共同生活。俺から言い出したこととはいえ、気も遣うし、生活スタイルだって違う。
(でも、これでチームとして強くなれれば……)
夏の大会。多くの人の前で、あのokaPの神業的なプレーが見られれば、俺も嬉しい。
先輩のベッドに潜り込み、遠くにドライヤーの音を聞きながら……俺はいつの間にか深い眠りに落ちていた。
俺の予想は、残念ながら当たっていて――先輩はあれから急に忙しくなり、顔を見ることもなくなった。仕事だから当然だが、練習の時間が格段に増えたみたいで、先輩の情報は個別の連絡よりも公式SNSで見ることの方が多くなった。たまにある配信では珍しい先輩の敬語が聞けて(そもそも、使えたんだって思った)、毒舌も台パンもない先輩は借りてきた猫みたいに大人しかった。それでも、勝ったときに控えめに喜ぶ先輩の姿は変わらなかったし、俺はその様子を急に増えた女の子のファンと一緒に楽しんでいた。先輩のokaPというアカウントは元はといえば彼の父親が使っていたものらしく、プロゲーマーとして活動するための名前は本名からyumaにしたらしい。久しぶりに連絡が来たときに「もっとカッコいい名前をつけなくていいんですか」と聞いたら、「どの名前でも、オカピよりはマシ」とのことだった。先輩の加入によって超攻撃型になったチームアリゲーターは先輩とsigmaとの連携が注目されていて、若い選手の加入によってチームの周りは盛り上がっているように見えた。「おっ! 気合い入ってんなー、神谷。やっぱ、夏の大会優勝したから?」いつものように部活に向かう途中。スマホで試合を見ていた俺に、野田がそう声をかけてきた。「まぁ、そんなとこ。……そっちこそ、次は優勝目指すんだろ?」「当然よっ! 部長も次が最後の大会だし、最後はでっかいトロフィー持たせてやりたいからなっ!」一方で、俺のやるべきことは変わらない。教室で授業を受け、部活の練習に出て、家に帰ってからさらに練習をする。(絶対に、追いついてやる……)俺も先輩との練習やあの大会で、自分の持つ新たな可能性に気がついていた。元から視野が広く、相手の動きを先読みして上手く立ち回れるのが長所だったけれど、時には実力でごり押しするようなプレーも有効なことを知った。この半年、先輩とプレーすることで身に着けた技だ。ゼログラ一色の日々はあっという間に過ぎていって……秋の大会を終え、冬が来て、また春になる。
明け方くらいまで何度も行為を繰り返した後……お互いに疲れ果てて、眠りについた。今日は平日だから学校か……と思っていると、先輩が「今日は創立記念日」と言ったので、昼になるまでだらだらとベッドの上で過ごす。先輩の色んなところにキスして跡を残したり、それに飽きるとお互いの身体にあるほくろを探して数えたり。シャワーを浴びている先輩を邪魔しに行って、ふたりで一緒にお風呂に入ったりもした。何となく離れがたくて……昼ご飯を作って食べた後も、だらだらと先輩の家に居座っていた。俺が荷物をまとめて帰ることになったのは、その日の夜だ。部屋の前で別れると思っていたけれど、先輩は外へ出て途中まで見送りに来てくれた。前にふたりで来た公園の近くで、先輩は足を止める。「……じゃあな」「お世話になりました。……また、学校で」「うん。たまには、部室にも顔出すから」会えば身体も求めるし、気持ちだってお互いの方を向いている。それでも、俺たちは恋人じゃないし、つき合う約束すらしていなかった。これからも、たまに連絡を取ることはあるだろうけど、今みたいにいつも一緒にいられる日々はもう来ないと思う。先輩がそういうタイプじゃないのはよくわかってるし、プロのチームに入れば忙しくなって、俺のこともきっと少しずつ忘れていくはずだった。俺たちの出会いは、その確率から考えると奇跡みたいなものだ。別れるからといって……湿っぽくなんてなりたくない。「……もう泣かねぇの? 昨日みたいに」先輩がからかうように言って笑う。「泣きませんよ」「……つまんねーの」先輩は指で髪をくるくると巻くようにして遊んでいたかと思ったら――ポケットの中に入れた手をこっちに差し出してきた。手のひらを上に向けて、それを受け取る。「これって……」「合鍵」状況が上手く呑みこめなくて……。俺は手のひらの上で光る真鍮の鍵をまじまじと見た。「……だからっ……俺が暇なときくらいは、遊んでやってもいいかなって……思って」照れ隠しみたいに、あさっての方を向きながら言う先輩。だが、俺は――「いりません」と即答するなり、手元にある鍵を突き返した。「いらないって……はぁ!? お前、何言って……」「必要ないですよ。俺はすぐプロの世界に行きますし、チームに所属したら大会で優勝して、先輩より多くの賞金稼いで……先輩を俺の家に住まわせるの
会場の熱気。試合に勝った高揚感。お祝いムードからのみんなでの打ち上げ――。ふわふわした気分のままカラオケのパーティールームに移動して、顧問の谷内先生も入れてみんなではしゃいでいると、何人かのスマホが同時にピロンと鳴った。その音に、俺もスマホを触ってSNSをチェックする。「……あっ……小神野先輩のニュースが出てる」俺のつぶやきに、みんながいっせいに自分のスマホに目を落とした。『話題のオンラインゲーム、ゼロ・グラウンド。現役高校生がeスポーツチームとプロ契約』。そんな見出しのニュースの記事を追っていくと、小神野先輩が史上最年少でプロチームと契約したと書いてある。俺はてっきり、元パートナー・大山智玄がいるカシラゲームズに入るんだと思っていたのだけれど……。「小神野! お前っ、チームアリゲーターに入んのっ!!?」「sigmaのいるとこじゃん!!」「世界大会の試合、すごかったよなー」「すげー! サインもらってきて」「あっ、俺も欲しい」仲間や先輩方がテンションも高く騒いでいる。(チームアリゲーターのsigma……好きな選手って聞いたときに、最初に名前が挙がっていた人だ)記事を読んでいくと、スカウトではなくトライアウト――プロチームが定期的に行う試験に合格したと書いてあった。先輩のインタビュー動画もあり、コメント欄はすでに女性だろうファンからのメッセージであふれている。いいニュースだとは思うけれど、内心は複雑だ。先輩が遠くへ行ってしまうような気がして焦るし、嫉妬もする。恥ずかしいんだろう、仲間に囲まれながら頬を掻いている先輩と目が合った。『あとで話す』。スマホのアプリにそんなメッセージが送られてくる。俺はみぞおちのあたりがそわそわするのを感じながら、しばらくのあいだ、その短いメッセージを眺めていた。◇◆◇◆◇◆◇夏の夜空に、ようやく月が輝き始めた頃。俺たちは解散して、それぞれの帰路についた。先輩の部屋に向かいながらも、俺たちは静かだった。濃密で、楽しかった大会までの期間は終わってしまった。俺も、明日になったら先輩の部屋を出る……。先輩は部活に顔を出さなくなり、こんな風に一緒にいられる時間も少なくなるはずだった。「さっき、『あとで話す』って言っただろ」「えっ? ああ……はい」駅から家までの道のりを歩きながら、先輩がつぶやくように言
8月31日、渋谷。2,000人が入る大きなホールは観客で賑わっていて、会場には司会進行役のタレントやゲストの配信者など、有名な人もたくさん集まっているようだった。午前中からバトルソウルの試合が行われ、野田と笹原部長が現在進行形で頑張っている。俺たちは応援もそこそこに、5人で集まって最後のミーティングを開いていた。「さ、さすがに緊張するよね~……。会場も雰囲気あるし、人もいっぱいいるし」珍しく、律先輩が真っ青な顔をしていた。玲先輩が、お兄ちゃんらしく隣で背中をさすってあげている。「落ち着いてくださいよ、律先輩。……いつも通りにやればいいんですから」「えっ、いおりんは逆になんで落ち着いてんの??」「えっ??」「神谷はメンタル強そうだもんなぁ~。俺も正直、手が震えてるよ」萩原先輩も珍しく弱音を吐きながら、苦笑していた。玲先輩が背中をさすりながら補足してくれる。「……この中で全国の決勝まで進んだことがあるのは、小神野だけだからな。俺たちは前回、違うチームだったから」「そうだったんですね。……じゃあ、小神野先輩も」「あー……俺もこういうのは平気。注目される状況は、むしろアガる」「うわぁ……メンタルお化けだぁ……」そう言いながら、「うっ」と吐き気に口元を押さえる律先輩。俺にも何かできることはないかと探していると、ふと、萩原先輩と目が合った。「……そうだ! じゃあ、神頼みでもするか」にっと笑って言った萩原先輩が俺と小神野先輩を並んで立たせ、手を合わせる。「あー、そういうこと……」玲先輩が納得したように言って、同じように頭を下げ、手を合わせた。(どういうこと?)律先輩も「そういうことね」って顔で笑うなり、俺たちを拝んでいる。
暑さも本格的になってきた7月。新葉高校は予選を無事に勝ち抜け、2位で関東ブロックの代表に選ばれた。全国大会になると、レベルがいちだんと高くなる。初戦の中部ブロックとの試合に何とか勝利した俺たちは、ついにグランドファイナルと呼ばれる決勝戦へとコマを進めた。ゼロ・グラウンドは4つの国が争うゲームということもあり、今年から決勝は4チームで行われるらしい。参加する高校は去年とほぼ同じ。京都の犬桜高校、仙台の白雲高校、東京の新葉高校、そして前回大会で優勝した強豪・横浜の龍鳳高校。関東ブロックの代表を決める決勝戦でも、俺たちは龍鳳高校に負けた。だが、まったく届かない実力差でもなかった。全員で力を合わせれば何とかなりそうな――そんな手応えを感じていた。「あとは、作戦だよなぁ~……」部室のミーティングスペース。萩原先輩が宙を仰ぎながら言った。「初動が大事になってくるよな。他の3チームはどう動いてくると思う?」玲先輩が全員を見回して聞いたので、俺は控えめに手を挙げる。「龍鳳高校は間違いなく、新葉を最初に狙ってきます」「ほう。いおりん、その心は?」「小神野先輩がいるからです」龍鳳高校は5人が全員、俺みたいなタイプのプレーヤーだ。戦略ストラテジーには強いが、逆に小神野先輩ほどFPSの上手いプレーヤーはいない。おそらく、撃ち合いになったときに不利になるプレーヤーを早めに潰しに来るはずだった。「犬桜高校と白雲高校はどう出るかな?」「わかりませんが……仮に龍鳳と一緒になって俺たちを潰したところで、あの2校だけで龍鳳と互角にやり合えるかどうかは、微妙なところだと思います。それなら、俺たちと協力して先に龍鳳高校を落とした方がまだ勝ち目がある……」「俺たちとしても、まず龍鳳高校を倒さないと、後がキツイもんな……」「ですね」「色んなパターンを想定して、どう対応するか考えておく必要がありそうだな」「俺、覚えられるかなぁ……」律先輩が不安げな声をあげる。萩原先輩が肩を叩いて、励ましていた。「みんなで少
週明けの部活。俺たちは部室にそろって顔を出し、前回の試合の反省を活かしながら、練習を繰り返していた。奥の席に小神野先輩。その手前に俺。週末は色々あって恋人モードだった先輩も、部活が始まればいつものokaPに戻るわけで……。イヤホンからは俺を呼ぶ「神谷っ!」という怒声が聞こえていた。「お前っ、今なんで先に壁出さなかったんだよっ! ルーク使ってんだろっ!?」「いや、そもそも出すつもりなかったですよっ! 敵のモブ兵士が来たから、分断するために使っただけです。……先輩こそ、なんで俺が壁出す前提で動いてんですかっ!!」「こういうとき、いっつも出すだろうがっ!!」「出しませんよっ! もうちょっと、俺の動きよく見て覚えてくださいっ!!」いつにも増して言い争っている俺たちの隣で、玲先輩がヘッドセットを外しているのが見えた。「あ〝ぁ~~~、耳が痛すぎて、もう無理! ミュートにするか」「ねーねー、何かあったの? あのふたり。何か聞いてる~? 玲」「知らねぇ!」「先週、玲に言われたのもあって、色々話し合ったらしいぞー」萩原先輩があいだに入って、小神野先輩から聞いたことを説明していた。「へぇ~、そうなんだ。まぁ、プレー自体はあのふたりらしくなってきたからいいと思うんだけど……。それにしても、うるさいよね」「ああ。前の3割増しでうるさい」「本音で話し合った結果、意思疎通は図れるようになったけど……その分、言い合うことも増えたんだって」「まじか」「嘘でしょー……」「耳いてー」マイクが音を拾っていて、彼らの会話は俺たちにもばっちり聞こえていた。「聞こえてんぞ、お前らー」小神野先輩が小言をこぼすと、防衛隊3人は「さぁー仕事だ、仕事」とわざとらしく言って、それぞれの持ち場に戻る。この試合は俺たちの言い合いこそ多