LOGIN映画が終わったあと、私・橘綾菜(たちばな あやな)は駐車券の精算をしに自動精算機へ向かった。 ほんの3分もかからなかったはずなのに、車のあったところへ戻ると、彼氏・周防朔(すおう さく)の車はすでに駐車場を出たところだった。 助手席には親友の水野寧々(みずの ねね)が座っていて、私の折りたたみ傘は後部座席に置きっぱなし。 駐車場の外では、激しい雨が白い壁のように降りしきっていた。 そのとき、スマホが震えた。 【寧々、胃がひどく痛いらしいから、先に病院へ送ってくる。俺のことは待たなくていいから、自分でタクシーを拾って帰ってて】 私は駐車場に立ったまま、朔の車のテールランプが見えなくなるまで見送った。 今回ばかりは、どうしてまた私を置いていったのかと問い詰める気にもならず、私はそっとスマホの画面を消した。
View More私はすぐに答えた。彼女の目から再び涙がこぼれ落ちる。「十何年だよ。私たち、もう十何年も一緒にいたんだよ?」「わかってる。だから、こんな形で終わるのは残念だと思う」私は彼女を見つめた。「でも、残念だからって関係を続ける理由にはならない」私がバッグを手に取り、立ち去ろうとすると、背後から彼女が問いかけてくる。「私のこと、恨んでる?」私は少しだけ足を止めた。「前は恨んでた。でも、今はもう恨んでない」彼女はほっと息をついたようだった。私はさらに言葉を続ける。「ただ、あなたを許すことは絶対にないから」寧々の顔から完全に血の気が引いた。私は振り返らずにそのまま、店を出ていく。その夜、知らない番号から朔のメッセージが届いた。【今日になって初めて知った。あの日、寧々は電話の内容を全部聞いてたんだな】しばらくして、もう一通届く。【ごめん】私は読み終えると、そのまま削除した。着信拒否にもせず、返事もしない。なぜなら、もうどちらも必要なかったから。その後、昔の共通の知人から、朔と寧々が仕事上のパートナーを解消したと聞いた。寧々は自分から別の支所への異動を希望し、朔も二人で担当していた受賞プロジェクトから外れたらしい。けれど、そうした話も私は聞き流すだけだった。衡が私に聞いてくる。「気にならないの?」私はちょうどケーキに粉砂糖を振っているところだった。「知ったところで、何かになる?」彼は少し考えた。「それもそうだな」そう言って、イチゴをつまみ食いしようと伸ばしてきた手を、私はパシッと叩く。「手、洗って」「洗ったよ」「さっきドアノブを触ったでしょ?」「橘シェフは厳しいなあ」私が呆れたように睨むと、彼は笑いながら手を洗い直しに行った。窓の外には、明るい日差しが降り注いでいる。私はまたケーキ作りに戻った。朔と寧々の何気ない一言に、いちいち胸を締めつけられていた頃の私は、もうずいぶん遠くへ行ってしまったらしい。祖母の1周忌の日、私は父と一緒に墓参りのため街へ戻り、衡もそれに付き添ってくれた。墓地は山の上にあり、午後になると急に雨が降り出した。高齢の父は先に車へ戻り、私は一人でお墓の前にしばらく座りながら、いつも財布に入れてある祖母の写真を眺めていた。
朔はとうとう、何も言えなくなった。翌日、寧々から連絡があった。ホテルに押しかけてくるのではなく、カフェで会えないかという誘いだった。最初は断るつもりだったけれど、結局、会いに行くことにした。終わってしまった関係にも、きちんと区切りをつける機会は必要なのかもしれない。寧々は去年よりずいぶん痩せていて、テーブルのコーヒーには一口も手をつけていなかった。私が席に着くと、寧々は真っ先に謝ってきた。「ごめんなさい」私は何も答えない。寧々は指先をぎゅっと握りしめている。「ずっとあなたに、本当のことが言えなかったの」「じゃあ、今言って」彼女が顔を上げると、その目はもう赤くなっていた。「私、朔のことが好きだった」私にとって、それは予想外のことではなかった。寧々は少し戸惑ったような顔をする。「……前から気づいてた?」「知らなかったよ。でも、今聞いても別に何とも思わない」寧々の顔が青ざめた。「最初から好きだったわけじゃないの。事務所に入ったばかりの頃は、ただ仕事ができる人だなって思ってただけ。でも、一緒に案件を担当して、徹夜して、出張にも行くようになって……朔は私のことをいろいろ理解してくれた」寧々はそこで、ふと自嘲するように笑った。「ねえ、知ってる?私、高校生の頃からずっと綾菜が羨ましかったんだよ?」私は眉をひそめる。「私の何が?」「綾菜は、何も頑張って勝ち取らなくてもよかったから」彼女の声はとても小さかった。「成績は私のほうがよかったし、進学した学校だって私のほうが上。仕事も綾菜は普通の仕事なのに、あなたはいつもみんなに好かれてた。先生にも、クラスのみんなにも……それに、おばあちゃんにもすごく大切にされてたし、あんなに人付き合いが苦手な朔だって、綾菜が先に好きになって、ちゃんと付き合えたでしょ?」そんな寧々を見つめるうちに、目の前にいる人がまるで知らない人のように思えてきた。彼女は言葉を続ける。「昔は不公平だと思ってた。私のほうが何でもうまくやってるのに、どうしてみんな綾菜のことばかり好きになるんだろうって。でも、朔が私と仕事の話をするようになって、私の提案を覚えていてくれたり、図面を直すのを手伝ってくれたりして……初めてだったの。綾菜がそばにいても、私のほうを先に見
朔はずいぶん痩せて、髪も以前より短くなっていた。着ているのは見慣れた濃い色のコートだったけれど、私を見る目はまるで別人のようで、本当に私なのか信じられない様子だった。私から先に声をかける。「久しぶり」彼は唇を震わせ、しばらくしてからようやく口を開いた。「本当に、綾菜なのか?」「うん」彼の視線が、私の胸元のネームプレートに落ちた。そこにはこう書かれている。綾の葉・スイーツアトリエ、代表・橘綾菜朔はその文字を長い間見つめていた。「店を出したのか?」「うん」「いつ?」「去年」「どこに?」私が答える前に、後ろから衡が空の箱を2つ抱えてやってきた。「車、停めてきたよ」そう言ってから、彼はようやく朔の存在に気づいた。私は衡を紹介する。「高瀬衡。私の彼氏」朔の顔から、さっと血の気が引いた。衡はごく自然に朔へ会釈をした。「はじめまして」しかし、朔は何も返さず、ただ私だけを見つめていた。「彼氏?」「うん」「いつからだ?」少しおかしな質問だなと思いつつも、私は答える。「2ヶ月ちょっと前かな」彼は一歩前に踏み出した。「綾菜、今日ここに俺がいるって知ってたから、わざと……」私は呆気に取られた。「わざと、何?」朔は最後まで言わなかったが、彼が何を考えているのか。私にはわかった。私が衡を連れてきたのは、朔に見せつけるためだと思ったのだろう。以前、私が別れを切り出したのも、彼の気を引くための駆け引きだと思っていたように。こんなに時間が経っても、朔はまだ私の行動がすべて自分に関係していると考えるらしい。私はふっと笑った。「朔、これは私の仕事だし、それに彼は本当に私の彼氏。あなたには関係ないから」朔の表情が、少しずつこわばっていく。私が背を向けてデザートのチェックに戻ろうとした時、少し離れたところから寧々の声が響いた。「朔」顔を上げると、そこには寧々の姿もあった。髪をショートにした彼女は、胸にゲストパスを下げていた。私を見た瞬間、はっと息を呑み、それから早足で近づいてくる。「綾菜!やっと会えた……」彼女はたちまち目を赤くし、私に抱きつこうと手を伸ばしてきたから、私はすっと身を引いてそれを避けた。「寧々」彼女の手が空中で固ま
私がまだ迷っていると、衡はそれ以上は勧めず、申込書をカウンターに置いた。「出るか出ないかは君の自由ですので」翌日、私は申込書に記入した。これこそが、衡と朔の一番大きな違いなんだと思う。朔は私の代わりに何でも決めたがった。部屋の内装や週末の予定、友達に会う時間、それに私が怒るべきかどうかまで。でも衡は、私の代わりに決めたりしない。ただ選択肢を目の前に置いて、私が自分で選ぶのを待ってくれる。その後、私たちが付き合うことになったのも、ごく自然な流れだった。大げさな告白があったわけではない。グルメフェスティバルが終わった日、突然雨が降り出した。傘を持っていなかった私が最後の皿を片づけて外に出ると、衡がテントの外で傘を差して待っていた。私が近づくと、傘をこちらに傾けてくれる。「帰ります?」私はうなずいた。それから数歩ほど歩いて、ふと思い出した。何ヶ月も前、同じように雨が降って傘がなかった日、他の女を車に乗せて去っていった人がいたことを……でも、今回は違う。衡は私を急かさなかった。売上金を数え、棚に鍵をかけ、電源が切れているか2回確認するまで、ずっと待っていてくれた。私は尋ねる。「遅くて嫌になりませんか?」「別に急いでませんので」「本屋は閉めなくていいんですか?」「もう閉めました」「6時までじゃなかったんですか?」衡はちらりと私を見た。「今日は5時半までです」私は思わず笑ってしまった。帰り道の途中で、彼がふとつぶやく。「橘さん。僕、君のことがかなり好きみたいです」まるで天気の話でもするような口調だった。驚いて段差につまずきかけると、衡がさっと手を伸ばして支えてくれた。けれど、私が体勢を立て直すとすぐに手を離す。「今すぐ返事はしなくていいですから。僕が、ただ伝えたかっただけなので」私はうつむいたまましばらく歩き、それから口を開いた。「私、前にすごく長く付き合ってた彼氏がいたんです」「知ってます」「すごく仲の良かった友達もいました」「それも知っています」「でもそれは、あまりいい話じゃないんです」衡はふっと笑った。「恋愛って、人に聞かせるためにするものじゃないですから」私が顔を上げると、衡は続けた。「僕が好きなのは、今の君です。昔のことは