LOGINNEW ISLAND 自社が入ったビルに着いた誠司は、大きなスーツケースを転がしながらビル内に進む。 エレベーターで社長室がある階に進み、エレベーターから降りると誠司の姿を見つけた社員が驚いた顔で声をかけてきた。 「社長、お戻りになったんですか!?お疲れ様です」 「ああ、お疲れ。一時帰国しただけだがな」 「そうだったんですね、それではまた向こうに?」 「そうだ。すぐにまた向こうに戻る」 社長室に向かう道すがら、社員と話していると、だからか、と社員が納得したように頷いた。 「一時帰国だから今回は奥様がいらっしゃらないんですね」 誠司の頭の中では、一瞬奥様=胡桃の事だとは結びつかず、もみじは国内にいる、と答えてしまいそうになった。 だが、すぐにはっとして慌てて頷く。 「移動が大変だからな、胡桃はあっちに残したままだ」 「なるほど……!社長は奥様を大事にされてらっしゃいますね!」 にこにこと笑顔を向けられて、誠司は曖昧に答える。 そして、社長室に到着した誠司はそこで社員と別れ、室内に入った。 「──田島、今すぐ蘭デザインの社長にアポを取ってくれ──」 誠司は乱雑にスーツケースを部屋の隅に投げつつ、そう告げる。 が、今までならばすぐに田島の声が返ってきたが、今の社長室には誠司の声だけが虚しく響き、答える声はない。 さきほど、田島は首にしてしまったのだ、と考えたばかりだ。 それなのに、誠司の口からは自然と田島の名が出てきてしまった。 「──くそっ!」 誠司は苛立ちつつ、ネクタイを乱暴に緩めるとデスクに向かいパソコンを開いた。 ◇ 「もしもし、久しぶりね蘭」 〈久しぶり、もみじー!元気にしてた?〉 もみじは、自室で大学時代の旧友・一ノ瀬 蘭(いちのせ らん)と電話をしていた。 もみじが大学を中退して誠司と結婚してから、たまに連絡を取り合うくらいしかしていなかった。 もみじは中退してしまったが、蘭は大学在学中にデザイン会社を設立し、忙しい日々を過ごしていたのだ。 最近、ようやく会社が軌道に乗り、こうして久々にもみじと連絡を取ったのだ。 「うん、元気にしてたよ。蘭の会社の業績凄いね!」 〈えへへ、ありがとう!もみじが色々相談に乗ってくれたからこその結果だよ!ねえもみじ、ご飯とか行けないかな?家の事が忙しいのは分かってる
「──は?明日一時帰国……?」 どうして、急に──。 もみじは一方的に切れたスマホを見下ろしながら、寝起きでぼうっとした頭で考える。 だが、考えてももみじには誠司が突然帰ってくる理由は分からない。 「出張は、2ヶ月の予定……まだ帰国予定にはならない……一時帰国?それなら、また出て行ってくれるのよね?」 誠司の予定を思い出すように呟く。 だが、考えても分からない。 「──もう、どうでもいいわ……」 もみじは誠司の一時帰国よりも眠気の方が勝り、再び眠りについた。 翌朝、10時頃。 もみじは朝食を食べ終え、部屋で仕事をしていた。 その時、もみじのスマホがまたけたたましい着信音を鳴らす。 「──……」 だが、今のもみじはデザインに集中している。 ちらり、とスマホに表示された名前を確認してから「これは優先すべき相手ではない」と判断した。 鳴り続ける音を無視し、もみじは再びパソコンに向き直る。 今は、誠司の相手より仕事の方が大事なのだ。 ◇ 「──〜くそ!」 誠司は空港に着き、もみじが出迎えに来ていない事を確認するなりすぐに電話をした。 だが、誠司がいくら電話をしようとももみじは一切電話に出ない。 「どうして電話に出ない!?俺が電話をしたら、今までだったらすぐに出ただろう……!?」 大荷物を持って一時帰国した誠司は、仕方なく周囲を見回してタクシー乗り場に向かった。 荷物をタクシーに積み込むと、誠司は迷わず自分の会社の住所を運転手に伝える。 今は会社に向かう事を優先しなければ。 誠司は自分のスマホを取り出し、もみじにメール連絡を入れておく。 【会社に荷物を取りに来い】 それだけを打つと、もみじに送信した。 そして、次に誠司は秘書の田島に連絡を入れようとして──。 「──あ」 小さく声を漏らす。 「そうか……田島はもういないんだったな……」 企業してからずっと誠司の隣で、こちらが指示をするより前に誠司の思いを汲み取り、先回りして仕事をしてくれる田島は、首にしてしまったのだ。 「──くそっ」 誠司は自分でやった事とは言え、やるせなさに前髪をぐしゃり、と掻き乱す。 「あれだけ俺の意を汲んで仕事をしてくれる奴はそうそういない……信頼も、してたのにどうして情報漏洩など……」 はあ、と深く溜息を吐いた誠司はある考えが
胡桃の言葉に、明らかに電話の向こうにいる桔梗の声が明るくなる。 〈まあ、本当!?一時帰国なんかじゃなくて、もう帰ってきちゃいなさいよ。この仕事をするなら、海外にいるとリスキーだわ。すぐに先方との打ち合わせも出来ないじゃない〉 「やだ、お母さん。今はウェブで顔を見て会議だって出来るわよ」 〈それはそうだけど、やっぱり実際顔を合わせて親交を深めるのが大切よ。お酒を交えて交流するっていうのは大事なんだから〉 「──……」 桔梗の言葉に、胡桃は自分の下腹部を見下ろした。 そして、そっと自分のお腹に手を当てるとにんまり、と口を歪めて笑う。 「でも私、今はお酒が飲めないから」 〈──えっ〉 誠司が買って、この国に持ち込んだ避妊具はとっくに使い果たしている。 今は2箱目だが、胡桃は1箱目のように全てに針を通した。 だが、その必要はもうなくなったのだ。 この国に来てから、誠司とは数え切れないほど肌を重ねた。 ようやく、胡桃の狙いが実を結んだのだ。 胡桃が桔梗に伝えようとした時──、誠司が帰宅した。 「ただいま。胡桃?胡桃?」 「お帰りなさい、誠司!」 胡桃は桔梗に素早く「じゃあまたね」と言い終えるとさっさと電話を切った。 上機嫌で誠司を迎えに行く胡桃。 胡桃の頭には、どうやって誠司に自分が妊娠しているかを「知られようか」を考えていた。 「最近帰りが遅いわね?お仕事忙しいの?大丈夫?」 胡桃が心配そうに誠司を見上げると、誠司は優しく微笑みながら胡桃に口付ける。 「ああ、新規取引先の開拓に奔走していてな……。大変ではあるがやり甲斐はあるよ」 楽しそうに話す誠司に、胡桃は困ったような顔になり「じゃあ、難しいかな……」と呟く。 困った様子の胡桃に、誠司は優しく問いかけた。 「ん?どうした?何かあったのか?」 「あのね、誠司……。お母さんから聞いた情報なんだけど……」 そうして胡桃は、駅舎の立て替えの件と、駅舎デザインに関してを話した──。 ◇ 深夜。 もみじが眠っていると、もみじのスマホがけたたましい音を立てて着信を知らせた。 「ひゃあっ、なんなの!?」 びくっと体を跳ねさせてその場に起き上がったもみじは、スマホの画面を確認した。 寝起きでぼんやりとしていたが、そこに表示されていた名前を見て、もみじは眉を顰めた。 「ま
髙野辺が考えれば考えるほど、もみじはそのつもりじゃないか、と思いが強まる。 「1年半後のパーティーに、新島さんがSeaとして公の場に姿を現すつもりなら……」 謎に包まれたSeaの正体が、全世界に知れ渡ると言う事だ。 男なのか、女なのか。 そして、年齢はどれくらいなのか──。 全てがヴェールに包まれていた謎の天才デザイナーSeaが、あんな美しい女性だった、と世間に知られれば。 もみじの周囲は一瞬にして騒がしくなるだろう。 そして、その事が知られれば絶対に新島 誠司はもみじを手放さないつもりだろう。 「──早く離婚が成立するように突っつくか……」 髙野辺はぼそ、と呟くといそいそと弁護士、久保田 時陽に連絡をした。 ◇ 「──やったわ!二次も通った!」 それから、1週間以上の時が流れた。 ある日の夜。 もみじは、桔梗の家から戻って夕食を食べ終わると、仕事用のメールをチェックしていた。 すると、そこで午前中に来ていたデザインコンテストの二次審査通過決定の通知が来ていたのだ。 リビングのテーブルでメールを確認していたもみじだったが、思わずその場に立ち上がってしまった。 もみじが勢い良く立ち上がったからだろう。 椅子が派手な音を立てて倒れてしまったが、そんな事には構っていられず、もみじは急いでメールの内容をチェックする。 最終審査に関しては、コンテスト主催と協賛会社の役員・重役との面談がある。 そして、その際に追加情報を登録しなければならない。 デザイナーとして活動しているのなら、その活動名を追加登録するのだ。 その時点で、もみじが「Sea」だという事は、少なくとも主催、協賛会社の面談に参加している重役達にはバレてしまう。 「……でも、いい機会だから」 もみじはそろそろ国内の仕事に重点を起き、集中しようと思っていた。 海外に渡る必要がある仕事は、今後断って行こう、と考えていたのだ。 「離婚についても、色々と忙しくなるだろうし……」 もみじは頭の中で今後の重要案件を並べ、優先順位をつけていく。 離婚に、駅舎の仕事に、デザインコンテスト。 それ以外にも、細々とした仕事を受けている。 まずは、大きな仕事ではない納品して完了の仕事から片付けてしまおう、ともみじは自分のパソコンに向き直った。 ◇ 場所は変わり、E国。
それから、数日が経った。 ◇ その日、髙野辺は緊張した面持ちの蒔田に一枚の封筒を渡された。 「社長、こちらに駅舎のデザイナー情報が」 「ありがとう、蒔田。……今どき、アナログなんてな。……それだけ、外部に漏らしたくない情報なのか」 「ええ、そのようです。しっかりと封をされている状態です。会長も、内容は未確認です。この対応は社長に一任する、と仰られておりました」 「──そうか。分かった」 髙野辺がこくり、と頷くと蒔田も頭を下げてその場から退出した。 デザイナーを確認した髙野辺の反応すら見てはいけない──。 デザイナーの確認は、必ず1人で行うように、と先方から強く言われているのが分かるような蒔田の態度だった。 髙野辺は、蒔田から渡された茶封筒をペーパーナイフで慎重に開封する。 割印もなされており、デザイナーの情報は相当厳重に隠されているのが髙野辺にも窺えた。 「……さて、デザイナーはいったい誰だ?海外のデザイナーか?それとも、国内の……?」 何枚もある書類を取り出した髙野辺は、1枚1枚目を通していく。 そして、デザイナーが描いたデザイン画を目にした瞬間、髙野辺は目を見開いた。 「──はっ、はは……っ」 髙野辺の口から、驚愕とも、興奮とも取れる声が漏れる。 デザイン画を見ただけで、もう髙野辺はこの件に関わっているデザイナーが誰かなど、分かった。 だが、答え合わせはしないといけない。 髙野辺はデザイナー名が記載されている書類に目を落とした。 そこには── 駅舎デザイナー Sea と、書かれていた。 「──Sea。……いや、新島さん、あなたはこんな事まで」 そこまで口にした髙野辺は、そこではっとする。 先日、もみじと髙野辺は立て替え予定の駅で会っているのだ。 そこで、迷子の女の子を見つけて、2人で女の子のお母さんが来るまで過ごした。 「ああ、だからか……!あの時、新島さんは自分がデザインする駅舎を見に来ていたんだな」 偶然か、必然か──。 いや、最早運命だろう、と髙野辺は心の中で呟く。 書類には、1年半後に開催される駅舎の立て替え記念発表パーティーまで、デザインにSeaが関わっている事は他言無用。 その情報が外部に漏れた場合は、いくら支援をしてくれているとは言え、相応の賠償を請求すると記載されていた。 こん
蒔田が社長室を出て行き、田島も外に出るだろうと思っていた。 だが、田島は何か話したそうにしていて、髙野辺は眉を上げて口を開く。 「どうした?まだ何か話したい事でもあるのか?」 「その……。奥様──新島 もみじさんは、大丈夫、でしょうか?」 「新島さん?」 田島の言葉に、髙野辺ははっとする。 「そうか……。嶋久志は新島さんの実家でもあるもんな……」 髙野辺は呟き、自分の顎に手を当て考える。 そんな髙野辺に田島はこくり、と頷いた。 「はい。嶋久志家は、奥様のご実家ですから……もし、万が一ですよ……?本当に嶋久志の家が今回の件に一枚噛んでいたら……」 「それは大丈夫だ。新島さんは結婚して既に実家を出ている。それに……新島さんのご実家……ご両親は、新島さんと良好な関係じゃなさそうだろう。……良好な関係だったら、彼女はデザインコンテストで嶋久志姓を名乗ったはずだ」 「──あっ!」 「彼女が関係ないって事は、俺が何に変えても証明する」 強い力の宿った髙野辺の瞳。 それを向けられた田島は、ぐっと息を呑み、頷いた──。 ◇ 一方、もみじ。 駅舎のデザインの仕事に関する連絡が、もみじに届いた。 「──えっ?デザイナーが誰か聞かれているんですか?」 もみじに電話をかけてきた今回の仕事の仲介役が、困った様子で申し訳なさそうにもみじに説明をしている。 「……支援して下さっている会社の方が、デザイナーの情報を開示するように言っているのですね?ええ、ええ……」 デザイナーの情報は限られた人物だけが知っている。 それは、先方にも伝えており、今後の記念パーティーで、Seaのデザインだとサプライズ発表する予定だったらしい。 そういった企画も水面下で動いている状況で、Seaがデザインしている事を知っている人が増えるのは、と駅舎の方も難色を示しているらしい。 だが、情報を求めているのは支援してくれている大企業の会長。 かなり大きな金額を支援してくれている以上、駅舎としてもつっぱねる事が出来ないようで、困り果てているらしい。 もみじはその話を聞いて、悩んだのは一瞬だった。 「私の名前を出して下さって、構いません。ええ……ですが、デザインをしたのがSeaだと言う事は、その方にだけ開示してください、それが条件だと、先方にもお伝えいただけますか?」 も
「わざわざ会社まで押しかけて、何のつもりだ?」 社長室に向かい、入室したもみじを迎えたのは、誠司のそんな心無い冷たい言葉だった。 呆れたように額を手のひらで抑え、溜息を吐き出す誠司。 そして、誠司の後ろにあるソファには胡桃が当然のように座っていて。 もみじは、まさか開口一番、誠司にそんな言葉を言われるとは思っていなかった。 「何のつもりって……。どうして私が誠司の会社に来ただけで、そんな事を言われなくちゃ……」 「俺は仕事で忙しいのに、どうして俺を煩わせる?話があるなら、帰ってからでもいいだろう?急ぎの用事なんてもみじには無いだろうに……」 はあー、と深い溜息
◇ 誠司の会社。 「──ぐぅっ」 「しゃ、社長……大丈夫ですか?」 「……胃薬を。今すぐ手配してくれ」 「か、かしこまりました!」 誠司は、社長室でキリキリと痛む胃を押さえ、脂汗を浮かべていた。 誠司の秘書──田島は、真っ青な顔で辛そうに唸る誠司を見て慌てて薬局に走った。 「──くそっ、昨夜の飯が……」 少々、脂っこい感じがしたのだ。 その事に気付いた誠司は、全て食べる事はせずに捨てたのだが、それでも胃がキリキリと痛み辛い。 「こんな風になる事は、ここ最近無かったのに……」 もみじと結婚してから。 この数年、胃が痛むと言う経験は殆ど無かった。 それなのに、昨夜は
週明け。 朝、誠司は会社に出社し、パソコンを立ち上げてメールを確認した。 だが、時間が経ってもそこには──。 「何故、Seaから連絡が返ってきていない!!」 誠司は苛立ちを顕にして、デスクに強く拳を叩きつけた。 今回、誠司の会社では新しくアクセサリーの販売を手掛ける。 アクセサリーにはジュエリーが付き物。 質の良いジュエリーには、最高のデザイナーがデザインしてくれた物が相応しい。 だからこそ、誠司は国内──いや、海外でも最高のデザイナーであるSeaに仕事を依頼したのだ。 誠司がデザイン会社を立ち上げ、まだ会社が軌道に乗っていない頃。 毎日残業続きで、体を壊す寸前まで悩み
◇ その日の、夜──。 もみじを病室まで送り届けた髙野辺は、もみじにまた明日と挨拶をして部屋を出た。 そして、髙野辺はそのまま病院を出る事なくある場所に向かって歩いていた。 髙野辺が向かったのは、病院の「院長室」 院長室のドアをノックすると、院長自ら扉を開けた。 「髙野辺様!」 「院長、急にすまない」 「いいえ、いいえ!髙野辺様でしたらいつでも!いつもご支援いただき、本当に感謝しております!」 室内に案内された髙野辺は、促されるままソファに腰を下ろした。 院長が髙野辺の目の前にコーヒーの入ったカップを置くと、不安そうに視線を向けてくるのを感じる。 髙野辺は淹れてもらっ