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私の子が拉致犯の子?なら堕ろすのでさようなら

私の子が拉致犯の子?なら堕ろすのでさようなら

By:  リンCompleted
Language: Japanese
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鈴木真理子(すずき まりこ)と、夫・鈴木裕司(すずき ゆうじ)の幼なじみである岡田柚(おかだ ゆず)が同時に拉致された。あの夜、倉庫からは一晩中、うめき声が響いていた。 2ヶ月後、二人は同時に妊娠していることが判明した。 幼なじみである柚の名誉を守るため、裕司はためらうことなく、その子は自分の子だと名乗り出た。 一方で、真理子のお腹の子は、拉致犯に辱められてできた「忌まわしい子」として扱われた。 真理子は手当たり次第に物を叩き壊し、泣き叫びながら問い詰めた。「どうして?その子は拉致される前から授かっていたのよ。犯人は私に触れていないって、あなたも分かっているはずでしょ!」

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Chapter 1

第1話

鈴木真理子(すずき まりこ)と、夫・鈴木裕司(すずき ゆうじ)の幼なじみである岡田柚(おかだ ゆず)が同時に拉致された。あの夜、倉庫からは一晩中、うめき声が響いていた。

2ヶ月後、二人は同時に妊娠していることが判明した。

幼なじみである柚の名誉を守るため、裕司はためらうことなく、その子は自分の子だと名乗り出た。

一方で、真理子のお腹の子は、拉致犯に辱められてできた「忌まわしい子」として扱われた。

真理子は手当たり次第に物を叩き壊し、泣き叫びながら問い詰めた。「どうして?その子は拉致される前から授かっていたのよ。犯人は私に触れていないって、あなたも分かっているはずでしょ!」

裕司は苦しげな、申し訳なさそうな目を向けた。「真理子、我慢してくれ。柚はずっと大事に育てられてきたんだ……世間の噂には耐えられない」

真理子は呆然と裕司を見つめ、ふいに笑い出すと、涙がこぼれ落ちた。

「じゃあ……私なら耐えられるっていうの?」

その瞬間、真理子はふっと力が抜けるのを感じた。

もう、彼を愛し続ける気力なんて残っていなかった。

……

弁護士事務所で書類にすべて目を通し終えた真理子は、鞄から古びた一枚の紙を取り出した。それは、裕司の署名と捺印が既になされた白紙の離婚届だった。

「先生。ここに本人の署名と印鑑は揃っています。あとは私が出すだけで、受理されますよね?」

弁護士は眼鏡を押し上げ、慎重に頷いた。「ええ、書類に不備がなければ受理されます。ですが、念のためご主人様の最終的な意思を確認されることをお勧めしますが……」

しばらく沈黙したあと、彼女は裕司に電話をかけた。しかし、受話器の向こうから聞こえてきたのは、柚の甘えた声だった。「裕司さん、西区のあのケーキが食べたいな……」

胸に突き刺さるような痛みを感じつつ、真理子は必死に声を抑えた。「ちょっと相談したいことがあるの」

すぐさま裕司の低い声が返ってきた。「どうした?真理子、今ちょっと立て込んでるんだ。何でもいいから、お前の判断で決めてくれ」

彼女は念を押すように言った。「本当に、どんなことでも私が決めていいのね?」

裕司は軽く笑い、穏やかな声で答えた。「もちろんだよ。結婚してからずっと、家のことはお前に任せてきただろ?」

「分かったわ。じゃあ、そうさせてもらう」

電話を切ると、真理子は目の前の離婚届に、自分の名前を静かに書き記した。

事務所を出る際、彼女は完成した離婚届を鞄に大切にしまった。

弁護士が心配そうに声をかける。

「鈴木さん、本当にこれでよろしいのですね?役所へ提出するまでは、まだ引き返せますからね」

彼女はふっと微笑んだ。「あとは私自身のタイミングで、役所へ提出しに行きます。夫も『私の判断でいい』と言ってくれましたから」

この離婚、必ず成し遂げてみせる。

事務所を出た彼女はすぐにタクシーを拾い、急いで病院へ向かった。

「すみません、中絶手術をお願いします」

医師はカルテに目を落とした。「本当に中絶されるのですか?お腹の子はとても健康ですよ」

「はい、お願いします」

手術台の冷たさと器具の音に、全身が凍りつくようだった。

そっと目を閉じると、裕司に猛アタックされていた記憶が蘇る。

大学の入学式、学生代表として挨拶に立った彼は、壇上で真理子を見つけるなり、頭が真っ白になって言葉を詰まらせた。

当時、金融学科一のモテ男が一目惚れで陥落した、と誰もが噂した。

女性に見向きもしなかった氷のような裕司が、ひとりの女の子を丸1年猛アタックし続けた。

初雪の日、女子寮の前で999本のバラを捧げ、雪の中で一晩中待ち続けた。

大雨の日、「西区のケーキが食べたい」という真理子の一言のために、車を走らせ街を横断した。

真理子が中でも忘れられないのは、学園祭の夜だった。

ピアノの演奏中に鍵盤が故障し、頭が真っ白になって立ち尽くす彼女のもとへ、裕司は迷わず駆け寄り、隣に腰を下ろした。

「一緒に弾こう」

彼が細い指でピアノを奏で、二人で「夢の中のウェディング」を弾き切った。

客席は興奮に包まれたが、彼は真理子だけを見つめ、静かにこう言った。「真理子、俺が生涯を添い遂げるのは、後にも先にもお前一人だけだ」

その言葉で、真理子は恋に落ちた。

裕司も誓いを守り、付き合い始めた頃から結婚後も、宝物のように大切にしてくれた。

唯一の気がかりは、彼にまとわりつく幼なじみの柚という存在だった。

「柚は妹みたいな存在だよ」彼はいつもそう言った。「彼女の祖父が俺の祖父の命を救ってくれた恩があるし、今は岡田家も苦しいから、放っておけないよ」

真理子はそれを信じた。

しかし次第に、柚は彼ら夫婦の間を引き裂くような存在となった。

何度も何度も、彼女は柚のために身を引かされた。

去年の誕生日はオーロラを見に行く約束だったのに、柚の風邪を理由に急遽キャンセルになった。

結婚記念日に準備していたサプライズも、「雷が怖い」という柚の電話一本で全て台無しにされた。

真理子が高熱にうなされている間でさえ、裕司は柚と一緒に観覧車に乗って、その様子を撮ってインスタに載せていた。

何度も耐えてきたが、今回ばかりは違う。柚のために、裕司は我が子すら認めなかったのだから。

それなら、この子もいらないし、裕司という男も、もう必要ない。

手術室の明かりが消えた時、真理子は自分の中の何かが一緒に失われたように感じた。

壁に手をつきながら外へ出ると、足は震え、下腹部に鈍い痛みが走った。

曲がり角に差しかかったとき、ふと目に入った光景に、全身が凍りついた。

ベンチの前で、裕司が片膝をつき、柚のわずかに膨らんだ腹に耳を当てている。

「赤ちゃんが蹴ったわ!」柚は嬉しそうに笑った。「裕司さん、よく蹴る子は賢くなるんですって」

裕司は柚のお腹を撫でながら、穏やかな声で言った。「無事に生まれてくれれば、それでいい」

真理子はカルテを強く握りしめた。

掌の中でカルテがぐしゃっと潰れる音は、今にも壊れそうな彼女の心の悲鳴のようだった。

そして、駆け寄って問いただしたい衝動が胸を突き上げる。

他人の子の誕生を喜んでいる時、自分たちの子が冷たい器具によって、この世から消されたことを知っているのかと。

自分が妊娠を告げたとき、あんなにも嬉しそうに自分を抱き上げたことを覚えていないのかと。

それでも真理子は、何もしなかった。

ただ静かにその場に立ち、寄り添う二人の姿を見つめていた。

怒りも不満も悔しさも、すべてがただ、深く突き刺さるような疲労へと変わっていった。

彼女が立ち去ろうとしたその時、裕司の声が背後から聞こえた。

「真理子?」驚いたような声だった。「どうして、こんなところにいるんだ?」
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第1話
鈴木真理子(すずき まりこ)と、夫・鈴木裕司(すずき ゆうじ)の幼なじみである岡田柚(おかだ ゆず)が同時に拉致された。あの夜、倉庫からは一晩中、うめき声が響いていた。2ヶ月後、二人は同時に妊娠していることが判明した。幼なじみである柚の名誉を守るため、裕司はためらうことなく、その子は自分の子だと名乗り出た。一方で、真理子のお腹の子は、拉致犯に辱められてできた「忌まわしい子」として扱われた。真理子は手当たり次第に物を叩き壊し、泣き叫びながら問い詰めた。「どうして?その子は拉致される前から授かっていたのよ。犯人は私に触れていないって、あなたも分かっているはずでしょ!」裕司は苦しげな、申し訳なさそうな目を向けた。「真理子、我慢してくれ。柚はずっと大事に育てられてきたんだ……世間の噂には耐えられない」真理子は呆然と裕司を見つめ、ふいに笑い出すと、涙がこぼれ落ちた。「じゃあ……私なら耐えられるっていうの?」その瞬間、真理子はふっと力が抜けるのを感じた。もう、彼を愛し続ける気力なんて残っていなかった。……弁護士事務所で書類にすべて目を通し終えた真理子は、鞄から古びた一枚の紙を取り出した。それは、裕司の署名と捺印が既になされた白紙の離婚届だった。「先生。ここに本人の署名と印鑑は揃っています。あとは私が出すだけで、受理されますよね?」弁護士は眼鏡を押し上げ、慎重に頷いた。「ええ、書類に不備がなければ受理されます。ですが、念のためご主人様の最終的な意思を確認されることをお勧めしますが……」しばらく沈黙したあと、彼女は裕司に電話をかけた。しかし、受話器の向こうから聞こえてきたのは、柚の甘えた声だった。「裕司さん、西区のあのケーキが食べたいな……」胸に突き刺さるような痛みを感じつつ、真理子は必死に声を抑えた。「ちょっと相談したいことがあるの」すぐさま裕司の低い声が返ってきた。「どうした?真理子、今ちょっと立て込んでるんだ。何でもいいから、お前の判断で決めてくれ」彼女は念を押すように言った。「本当に、どんなことでも私が決めていいのね?」裕司は軽く笑い、穏やかな声で答えた。「もちろんだよ。結婚してからずっと、家のことはお前に任せてきただろ?」「分かったわ。じゃあ、そうさせてもらう」電話を切ると、真理子は目の前の離
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第2話
「私……」真理子は皮肉っぽく笑うと、今から病院で中絶するのだと言い放とうとしたが、その瞬間、柚が駆け寄ってきて、馴れ馴れしく彼女の腕にしがみついてきた。「真理子さんも妊娠してるんですよね?もちろん健診に来たんですよね!」柚は甘く笑いながら、申し訳なさそうな顔を作って言葉を続けた。「ごめんなさい、真理子さん。このところずっと裕司さんを独り占めしていて……でも、あんなことがあって精神的に限界なんです。お腹の子が拉致犯の子だって知られたら、もう壊れてしまいそうで……」柚は目に涙を浮かべながら言った。「裕司さんに父親役を頼むしか道がなくて。どうしても恨むなら、私を殴ってください!」真理子が言い返す間もなく、裕司が痛ましそうに彼女の言葉を遮った。「馬鹿なこと言うな。真理子にはもう話してある。噂なんて一時的なものだし、彼女は心が広いから気にしないさ」真理子はそっと目を閉じた。ええ、そうね。私は心が広い。離婚して彼を柚に譲り、あの「家族3人」を水入らずにさせてあげるくらいに心が広いのだ。「ええ、気にしてないわ」真理子は裕司の言葉に合わせて、穏やかに返した。柚はようやく涙を拭い、笑顔を見せた。「よかったです。そうでなければ、私、申し訳なくて死んでしまいそう」そう言うと、また真理子の腕に絡みついた。「せっかくだし、一緒にご飯でも食べません?」断ろうとしたが、手術直後の体は思うように動かない。真理子はそのまま半ば引きずられるように連れて行かれた。レストランに入ってからも、柚の振る舞いは変わらなかった。「裕司さん、この匂いがなんだか気持ち悪いわ……酸っぱいものが食べたいな。でもこれ辛そう……」そのたびに裕司は優しく水を差し出し、背中をさすってやる。真理子は黙ってその光景を見つめていたが、体の奥からじわじわと痛みが広がり、息が詰まりそうになった。それが手術のせいなのか、それとも目の前の光景のせいなのか、真理子自身でも分からなかった。食事も半ばに差しかかった頃、頭上のシャンデリアから「パキッ」と嫌な音がした。次の瞬間、それが落ちかけている方向は――ちょうど裕司の真上だった。「裕司さん、危ない!」柚が叫び声をあげ、勢いよく裕司に覆いかぶさった。シャンデリアは柚の背中に直撃し、ガラスの破片が四方八方に飛び
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第3話
傷の手当てを終えて処置室から出ると、そこには裕司の姿があった。看護師が慌てて飛び出してきた。「患者様が大出血しています。Rhマイナスの希少な血液型です。至急、献血可能なご家族の方はいらっしゃいませんか!」裕司の顔が真っ青になり、辺りを見回した彼の視線が、真理子に止まった。その瞬間、彼の目が輝き、足早に近づいて彼女の手首を掴んだ。「真理子、お前はRhマイナスだったよな。柚は俺をかばって怪我をしたんだ。頼む、助けてやってくれ!」真理子は全身が冷え切るのを感じた。裕司は、真理子が貧血気味であることを知っているはずだった。去年、貧血で倒れたとき、彼は取り乱して病院中を大騒ぎしていた。それなのに今、彼が、貧血の私に別の女を救えと言っている。「少しだけでいい」裕司は焦った口調で、さらに強く腕を握った。「もう時間がないんだ!」真理子の返事も待たず、裕司は強引に彼女を採血室へ押し込んだ。針が血管に刺さった瞬間、真理子は目を閉じた。600ccもの血液が一気に抜き取られ、彼女の顔色はみるみる青ざめていく。裕司はそばに立ちながら、手術室の方ばかりを見つめ、真理子には一度も視線を向けなかった。採血が終わると、真理子は足元がふらつき、その場に倒れそうになった。そのときになってようやく裕司は我に返り、慌てて真理子を支えた。「ごめん、真理子……子どものことが心配なんだろう。でも大丈夫だ、看護師も加減している。心配なら、今すぐ検査を受けよう」裕司は有無を言わせず真理子を検査室へ連れていき、ほどなくして医師が結果を持って現れた。裕司はすぐに詰め寄った。「お腹の子はどうなんですか?」医師は戸惑ったように答えた。「お腹の子は……」「鈴木様!」そこへ看護師が再び駆け込んできた。「岡田様が手術中ずっとお名前を呼んでいます。付き添っていただけませんか?その方が意識も保てると思います!」裕司は一切ためらわず背を向け、足早に手術室へと入っていった。取り残された医師が言いにくそうに真理子を見る。「鈴木様、ご主人は中絶のことをご存じないのですか?」真理子は力なく微笑み、首を横に振った。「いいえ。これからも、知らなくていいことです」病院を出ると、ちょうど夕焼けが広がっていた。青白い顔で空を見上げながら、大学時代、裕司が「世界で一
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第4話
真理子は顔から血の気が引き、爪が掌に食い込むほど強く握りしめた。自分に関する噂がここまで酷いことになっているとは、思いもしなかった。しかもその話の中で、自分はあまりにもひどい役回りにされている。その場を去ろうと背を向けたが、名家の令嬢たちに行く手を塞がれた。「あら、鈴木さん。どこに行くの?パーティーはこれからじゃない」「私たちと一緒に遊びましょうよ」遊ぶどころか、誰かが真理子のドレスに赤ワインを浴びせ、また誰かが「わざとじゃないわ」と言いながら押してきた。挙げ句の果てには、そのままプールへ突き落とされた。ドボンッ――氷のように冷たい水が一瞬で全身を包み込み、鼻に水が流れ込む刺すような痛みで本能的にもがいた。真理子は必死になってプールサイドにしがみつこうとした。ようやくプールサイドに手が届きそうになったその瞬間、赤いマニキュアを塗った手が彼女の頭を水中へと押し戻した。「助けて……たす……けて……」「助けてなんて誰も来ないわよ!鈴木社長がどれだけのお嬢様たちの憧れか分かってる?あなたのことを死ぬほど愛して、命よりも大事にしていたのに、よくも裏切ったわね。このふしだらな女、ここで溺れて当然よ」水が鼻と喉に流れ込み、窒息で視界が暗くなる。しかし、それ以上に彼女を締め付けたのは、令嬢たちの言葉だった。私がふしだらな女?裕司が私を死ぬほど愛している?冗談じゃない。笑わせないで。「何をしているんだ!」怒号が響いた瞬間、真理子を押さえつけていた手が離れた。かすむ視界の中で、裕司が狂ったようにこちらへ駆けてくるのが見えた。真理子は思わず笑いそうになる。何をそんなに慌てているの?これは全部、あなたが招いたことじゃない。裕司は彼女を水から引き上げると、周囲に向かって激しく怒鳴った。「正気かお前たち!俺の妻に手を出すなんてどういうつもりだ!」「でも鈴木社長、奥さんがあなたを裏切ったって噂が……」「もう黙れ!」裕司は真実を話すことなく、冷たく言い放った。「真理子のお腹の子がたとえ拉致犯の子供だったとしても、俺は真理子だけを愛している。一生変わることはない!」「さすが鈴木社長、なんて一途なの」と周りが囁く中、裕司はびしょ濡れの真理子を抱き上げ、その場を後にした。控え室で、裕司は乾いたタオルで真理子の
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第5話
スーツケースに荷物を詰める姿を見られても、真理子は少しも慌てなかった。彼女は手元の服を整えながら、落ち着いた口調で言った。「妊娠してから着られなくなったものが多くて。寄付しようと思っているの」裕司は張り詰めていた表情を、ようやく緩めた。自分の取り越し苦労に、内心で苦笑する。真理子があれほど自分を愛しているのに、離れていくはずがない。それに、たとえ彼女が去ろうとしても、自分が許すはずがないし、離婚届に署名する気などさらさらなかった。「全部買い替えればいい」彼はブラックカードを差し出し、甘やかすように言った。「欲しいだけ買えばいい」真理子は短く「ありがとう」と受け取ったが、指先が触れた瞬間、汚れたものにでも触れたかのようにすぐに手を引いた。裕司はその違和感に気づかず、少し躊躇ってから口を開いた。「柚がここ数日、つわりがひどくて……そばに人がいないと無理だから、しばらく向こうに泊まるつもりだ」彼はふと思い出したように言葉を足した。「お前はつわりが軽そうだから、少しは彼女を気遣ってやってくれないか?」真理子の指先が、かすかに震えた。つわりがないのは、もう子どもがいないからだ。彼女は口元を歪めただけで、何も言わなかった。それからの日々、真理子はニュースで連日のように、裕司が柚を溺愛している様子を目にすることになった。#鈴木グループ社長、愛する女性のために大金を投じる#鈴木裕司、深夜に岡田柚のためにスナックを買いに走る#これぞ愛ある理想のカップルコメント欄では、真理子の名前が何度も引き合いに出され、叩かれていた。【真理子っていうクズ女、まだ厚かましく生きてるのか?】【拉致された時に散々遊ばれたんでしょ?汚らわしい】【社長が可哀想すぎる。裏切られても大人ぶってるなんて】その一つひとつのコメントが、真理子の心に突き刺さった。真理子はスマホを閉じ、もうすぐ終わる、と自分に言い聞かせた。荷物を整理し終えると、彼女は親しい友人を数人呼び、最後の別れを告げることにした。事情を知っている友人たちは、顔を合わせるなり目を赤くし、怒りに震えた。「あんなに必死であんたを追いかけてたのに、今じゃこの仕打ちなの?」「そうよ。根も葉もない噂なんて一時的なものだって?言葉で人は簡単に壊れるのに!」真
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第6話
野次馬がさらに群がり、あちこちからスマホのカメラと罵声を向けられる中、真理子はこれ以上その場に耐えきれず、やむなく運転手を手伝って柚の両親を車に押し込み、病院へと急いだ。二人を救急外来に運び込んだ直後、柚が駆け寄り、真理子の頬を思いきり平手打ちした。「恨んでないって言っていたくせに、裏ではうちの親を殺そうとするなんて!」柚は涙を流しながら叫んだ。「真理子さん、どうしてそんなにひどいことをするの!」真理子は言い返そうと口を開いたが、視界の端に見慣れた姿が映った。裕司が足早に近づき、今にも倒れそうな柚を抱き支えた。「柚、落ち着いて。お腹の子に良くないから」彼は柚を抱えたまま、真理子を見た。眉をひそめて見下ろすその眼差しには、隠しきれない失望が滲んでいた。その瞬間、真理子は全身の血の気が引いていくのを感じた。裕司には自分がどれほど惨めな姿か、見えていないのだろうか。それとも――彼までもが、もう自分を信じていないのか。「真理子、お前は俺を……」「失望させた」と言い切る前に、真理子はふっと笑った。肩を震わせるほどに笑い、切れた唇の端に涙がにじんだ。彼は弁解の一言すら聞かず、彼女を悪者と決めつけたのだ。「そうよ!私はひどい女よ!ふしだらで、冷酷で、どうしようもない悪い人なのよ!死ねばいいんでしょう!」真理子は声を張り上げると、その声は廊下に響き渡った。「これで満足でしょ?!」裕司は明らかにたじろぎ、目に戸惑いを浮かべた。「真理子、俺は……」「裕司さん!」そのとき柚がふらりと裕司の胸に倒れ込む。「私、頭がクラクラするわ……」裕司は反射的に彼女を抱き止める。顔を上げたときには、すでに真理子は背を向けていた。彼女は足早に去っていった。白いコートの裾が弧を描き、羽の折れた蝶のように揺れた。裕司の胸に焦りが走り、追いかけようとした瞬間、腕の中で柚が苦しげにうめいた。「行かないで……」柚は弱々しく彼の襟を掴む。「赤ちゃん……私たちの赤ちゃんが……」背後の騒ぎを耳にしながらも、真理子は一度も振り返らなかった。エレベーターの扉が閉まった瞬間、彼女はその場に崩れ落ち、顔を両手で覆った。心が死ぬと、涙すら音を立てない。家に戻ると、真理子はそのまま布団に潜り込んだ。その夜、彼女は長い夢を見た。夢の
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第7話
それから、真理子は家の中にいながら、まるで透明人間のように暮らしていた。裕司が毎日あの手この手で柚の機嫌を取る様子や、彼女の体を気遣って、自らキッチンに立ちコトコトとスープを煮込む姿、さらには笑わせるためだけに会社の会議までキャンセルする様子を、ただ黙って見つめていた。ある日、裕司の留守を見計らって、柚が勝ち誇ったような態度で真理子の前に立ちはだかり、得意げに言い放った。「真理子さんが裕司さんと結婚していようが関係ないわ。彼は約束してくれたの。この子は彼の苗字を名乗り、鈴木グループ唯一の後継者になるって。あなたのお腹の子なんて、ただの出来損ないよ」1階へ水を飲みに降りようとしていた真理子は、その言葉にも一切視線を向けず、ただ体を横に向けて通り過ぎようとした。その態度に、柚は激昂した。「真理子!そんなに落ちぶれてるくせに、何を気取ってるの!」彼女は突然駆け寄ると、真理子を突き飛ばした。不意をつかれた真理子は、そのまま後方に倒れ込んだ。ぐらりと視界が揺れ、階段の手すりに後頭部が当たる鈍い音が聞こえた後、世界が真っ暗になった。目を覚ますと、またしても病院だった。ベッドの傍らに立つ裕司が、開口一番、厳しい口調で問い詰めた。「柚の両親に怪我をさせただけじゃ飽き足らず、今回は柚まで階段から突き落とした!?彼女が妊娠していることを知らないのか?」その一言一言が、まるで鋭いナイフのように真理子の心に突き刺さる。真理子はふいに笑い出し、肩を震わせた。彼女はかすれた声で尋ねた。「裕司、私、そんな馬鹿に見える?」「なんだと?」彼女はゆっくりと体を起こしながら言った。「もし私が柚を突き落としたのなら、どうして今、病院にいるのが私なの?」「突き落としたあと怖くなって、自分で階段から落ちて同情を引こうとしたんだろ!」裕司の目には失望が浮かんでいた。「真理子、お前のことがますます分からなくなった。柚を家に住まわせるのを認めておきながら、どうしてこんな卑劣な真似をするんだ?」彼は背を向け、ドアへ向かった。「もう二度とここには来ない。自分のしたことを反省しろ」そう言い捨てて立ち去り、病室のドアが激しく閉まった。真理子はゆっくりと目を開き、天井を見つめた。音もなく涙がこぼれ落ちる。深く息を吸い、自分自身に言い聞かせ続け
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第8話
誰もが裕司の柚に対する溺愛ぶりを知っていたが、まさかここまで甘やかすとは思ってもみなかった。たかが誕生日パーティーひとつに、裕司は柚の好きな海外の歌手を呼んで歌わせただけでなく、各界の名士たちまでこぞって集めさせたのだ。会場は、目を疑うほど豪奢に飾り立てられていた。あらゆる場所にクリスタルやダイヤがちりばめられ、海外から空輸されたバラにさえ宝石があしらわれていた。パーティーが最高潮を迎えたとき、オーダーメイドの青いドレスに身を包んだ柚が、ゆっくりと階段を下りてきた。巧みに仕立てられたドレスは彼女の大きくなったお腹を隠しつつ、体のラインを美しく引き立て、姿を現した瞬間、会場中の視線をさらった。柚は満足げに唇を吊り上げ、裕司が差し出した手にそっと手を重ねた。最後の一段に足をかけようとしたそのとき、黄色い服を着た人物が突然、会場に飛び込んできた。「あ、あの……鈴木裕司様でいらっしゃいますか?お荷物のお届けです」走ってきたせいか、宅配員は息を切らし、言葉もどこか慌ただしい。裕司は眉をひそめて彼を見やり、淡々と言った。「悪いが、今は手が離せない。用があるなら、後で来てくれ」そう言うと、裕司は執事を合図してその宅配員を外へ出すよう指示した。「ですが裕司様、これは真理子様からのご依頼でして、必ずご本人に直接お渡しし、その場で開封していただくようにと伺っております」真理子の名を聞いた瞬間、裕司の手が止まった。今朝かかってきたあの電話のことが脳裏をよぎった。あのときの真理子の声音からして、来ないだろうと思っていた。5年も連れ添ったのだ、彼女のことはよく分かっている。ああやって淡々と話すときは、たいてい何にも興味がないことだ。以前なら機嫌を取ってやることもあっただろう。だが今は違う。真理子は柚に対して、あまりにも多くの酷いことをしてきた。もし真理子が言う通りここへ来て、柚にプレゼントをして謝罪するのなら、柚の顔を立ててこれ以上は追及しないつもりだった。しかし、ただの言い逃れで自分を誤魔化すつもりなら、真理子が自ら頭を下げるまで冷たく突き放すだけだ。プレゼントは時間通りに届いたが、真理子本人の姿がない。「真理子はどこへ行った?」最終的に裕司は箱を受け取ったが、その視線は宅配員の向こう、会場の入口へと向けら
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第9話
柚は胸の高鳴りを抑えきれなかったが、表向きはあくまで裕司を気遣うような顔をしていた。ところが今回は、裕司は柚の言葉に従わず、逆にその手を軽く叩いて安心させた。「構わないさ。ちょっとしたプレゼントを開けるだけだよ。それに覚えているか?この前、真理子にプレゼントを持たせてお前に謝らせるって言っただろう。もしお前が気に入らなければ、満足するまであいつを冷たくあしらってやるつもりだ。さあ、このプレゼントでお前が満足できるか見てみようじゃないか」その言葉に、招待客たちも一斉に興味を引かれ、ステージへと視線を向けた。仲間内という狭い世界ではあるが、中には悪評の絶えない妻をもらった者もいる。だが、どんな妻であっても、夫は外では妻の体面を保とうとするものだ。家の恥を外にさらすべきではないというのが常識だった。そのため、裕司が妻である真理子から別の女への謝罪のプレゼントを、こんな公の場で開けるなど、誰も見たことがなかった。カメラマンもすぐに察し、裕司の手にある箱へとレンズを向けた。箱がゆっくりと開けられていくにつれ、会場の空気が張り詰めていく……ついに箱が完全に開けられ、役所の公印が押された離婚届受理証明書が、カメラを通じて全員の前に映し出された。会場は一瞬にして騒然となった。裕司の手は宙に浮いたまま固まり、笑顔も凍りついた――離婚届受理証明書。しかも、役所の公印が押された。つまり、彼は真理子に離婚されたのだ。ステージ下にいた仲間たちは、その書類を見るなり興奮して壇上に駆け上がり、裕司を取り囲んだ。「いいことじゃないか!裕司、やっと解放されたな!」「そうだよ!あの女と縁が切れてせいせいしただろ!」「今度柚と結婚する時は、友人代表は絶対に俺にやらせろよ!」彼らは騒ぎながら、箱の中に残っていたものを勝手に取り出した。「お、なんだこれ……中絶同意書か!」「あの女にも少しは分別があったってことだな。子供を堕ろしたなら、裕司も余計な負担を背負わずに済んだな!」「ははは!」周囲の歓声は、裕司にはまるで届いていなかった。耳鳴りだけが響き、世界から音が消えたように感じる。「中絶」という二文字が、見えない手のように裕司の心臓を強く握りしめ、息さえ苦しくなる。「なに……中絶だと?」裕司はかすれた声で呟き、
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第10話
裕司の異変に気づく者はおらず、周囲の人々は、彼が興奮しすぎただけだと思っていた。やがて、誰かが箱の底に入っていたボイスレコーダーを手に取り、再生ボタンを押した。その一押しは、まるでパンドラの箱を開けたかのように、すべてを制御不能な事態へと導いた。このボイスレコーダーは、実際のところ小型プロジェクターと呼ぶ方がふさわしかった。ちょうどそれを手にしていた人が、投影口を大スクリーンに向けてしまった。一瞬のノイズのあと、映像がゆっくりと浮かび上がる。盗撮のせいか、画面はわずかに揺れていた。やがてカメラは、部屋の奥へと寄っていく。近づくにつれ、絡み合う二人の姿が徐々に映し出された。そして最後に、見覚えのある顔が画面いっぱいに現れる――それは、このパーティーの主役である柚だった。しかし、柚を抱き寄せてキスしている男は、見知らぬ卑しい顔つきの男だった。まるで青天の霹靂のように、会場は騒然となった。招かれていた記者たちはスクープの匂いを嗅ぎつけ、こぞってカメラをスクリーンへ向け、激しくシャッターを切り始めた。「ただの誕生日パーティーだと思っていたのに、こんな特ダネが出るとは!」「これは絶対に大炎上するぞ!」「余計なことを言うな!とにかく撮れ!すぐに消されるかもしれないぞ!」先ほどまでステージ上で大はしゃぎしていた友人たちも動きを止め、気まずそうに「主役の二人」を見つめた。裕司と柚もまた、その場に凍りついていた。一人は予想外の事態に、もう一人は恐怖に身体を強張らせた。スクリーンでは、なおも映像が流れ続けている。部屋の中で、息も絶え絶えになるまでキスを受けた柚を、男が離しながら下卑た笑みを浮かべた。「なんで来ちゃいけねえんだよ。腹の中の子の父親はこの俺だぞ。それにしてもお前は大したもんだ。適当な嘘であの夫婦を引き裂いたうえに、あの男に俺たちの子を喜んで育てさせるなんてな。そのうち跡取りにでもなれば、あの男なんて簡単に始末できるさ、へへ……」そのとき、陶器が割れるような音が響き、二人のやり取りを遮った。怒号とともに、画面は突然真っ暗になる。レコーダーを持っていた男は、自分が大変なことをしたと気づき、慌ててそれを放り投げた。しかし、落とした衝撃でリピート再生が作動し、映像は再び流れ始める
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