Teilen

私は、誰の身代わりだったのか
私は、誰の身代わりだったのか
福餅あん

第1話

福餅あん
晴音が個室に足を踏み入れた瞬間、全員の視線が彼女に集まった。

大きく巻いた髪に、鮮やかな赤のワンピース。仕事に疲れきった社員たちの中で、彼女だけが別世界の住人のように華やいで見える。

まっすぐ晃人のもとへ向かう晴音を見て、隣に座る田中さんが目を輝かせた。

「来た、来たわよ……!まさかこんなドラマみたいな再会を目の前で見られるなんてね」

ピコン、とスマホが鳴った。見ると、「はるあき推し会」というLINEグループに追加されていた。

晃人を除く支社の全員が入っているらしい。

田中さんがスマホを手にすると、グループには続きを催促するメッセージが次々と流れた。この支社で最も社歴が長い彼女なら、昔のことも知っていると思われているのだ。

私はできるだけ存在感を消しながら、画面から目を離せずにいた。

田中さんは二人のほうをそっと窺うと、ものすごい勢いでメッセージを打ち始めた。

【茅島さん、3年前に本社からうちの支社へ研修に来てたの。そのとき柏木支社長といい雰囲気だったんだって】

【若くして支社長になったエリートと、華やかで勝ち気な社長令嬢。当時はみんな、二人をこっそり推してたのよ】

【でも、すぐに茅島さんが海外留学したから終わったと思ってた。まさか今も連絡を取り合ってたなんてね】

私が入社した頃には、晴音はすでに留学していた。晃人からそんな話を聞いたこともない。

私はグループにそっと書き込んだ。

【茅島さんほどの人なら、ずっと独身だったとは限らないんじゃないですか】

【柏木支社長だって、もういい年ですし。3年もたっているなら、どちらかが結婚していてもおかしくないですよね】

田中さんは笑いながら首を振り、私にだけ聞こえる声で囁いた。

「それだけじゃないの。二人、高校の同級生だったらしいわよ。紗世ちゃんはまだ若いから分からないでしょうけど、初恋の相手って男には特別なのよ。手に入らなかった相手ほど、忘れられないものだから」

彼女は軽く顎を上げ、みんなに後ろを見るよう合図した。

その視線を追うと、晃人が晴音の腰を支えていた。

寄り添う二人は、どこから見てもお似合いだった。

昨夜まで晃人の指にあった結婚指輪は、今はない。

胸の奥が詰まり、痛んだ。

田中さんに気づかれる前に、私は薬指からダイヤの指輪を抜き、慌ててバッグへ押し込んだ。

昨日受け取ったばかりの婚姻届受理証明書が、その中で静かに私を嘲笑っているようだった。

Lies dieses Buch weiterhin kostenlos
Code scannen, um die App herunterzuladen

Aktuellstes Kapitel

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第13話

    「あの二人、もっと仲のいい親子だと思ってた」私がそう言うと、晃人は鼻で笑った。「あの人の娘は、晴音一人じゃない。何より損得を優先する人だから、娘一人を犠牲にするくらい何とも思わないさ。晴音に手を貸して俺を榎代市から遠ざけたのも、俺を娘の婿にしたかったからだ」私は首を傾げた。「それなら、どうして晴音と結婚しなかったの?茅島社長の婿になったほうが、一人で会社を立ち上げるより、ずっと楽だったでしょう」晃人は笑った。「3年前、晴音が俺を罠にはめようとしたとき、茅島社長は止めるどころか、俺に晴音との結婚を迫ってきた。だから俺は、結婚する代わりに会社の業績で応えさせてほしいと、本社の役員たちの前で直談判したんだ。年間の業績目標を必ず達成する。それを条件に、ようやく結婚を諦めてもらって、晴音も海外へ行くことになった。茅島社長だって、好きでわざわざ東央市から榎代市まで来たわけじゃない。来ざるを得ない事情があっただけだ」晃人は私をまっすぐ見つめた。「ただより高いものはない。あの人の好意を、額面どおりに受け取らないほうがいい」私は笑った。「ただより高いものはない、か。でも、晃人と出会えたのは、思いがけない幸運だったと思う」晃人と知り合った頃の私は、どこにでもいる平凡な会社員だった。交際を申し込まれたときでさえ、信じられなかったほどだ。どこを好きになったのか尋ねると、晃人は笑って答えた。「一目惚れかな。人を好きになるのに、理由なんていらないだろう?」それからしばらくして、おばあさんの容体が急変した。最期が近づいたせいだろうか。何年も認知症を患っていたおばあさんが、そのときだけはっきりと私たちを見つめた。私と晃人の手をぎゅっと握り、静かに口を開いた。「紗世ちゃん……ごめんね。ずっと名前を間違えてたね。悪いのはおばあちゃんよ。だから、晃人のことは責めないであげてね」結局、私たちは離婚しなかった。その理由を晃人に尋ねられたとき、私は鼻で笑った。「おばあちゃんに免じて許してあげただけ。調子に乗らないでよ」それから何十年もの月日が流れた。これまでの人生を振り返り、私はあの日と同じことをもう一度尋ねた。「晃人は、私のどこが好きだったの?」晃人は笑った。「紗世が、世界で一番優しい人だから。誰よりも大

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第12話

    晃人は、準備していた株式譲渡契約書をすぐに取り出した。「大学を出てから、自分でも小さな会社を立ち上げてたんだ」差し出された契約書に私が署名するより先に、榎代市から連絡が入った。おばあさんの病状が悪化したのだ。晃人はその日のうちに私を連れて榎代市へ戻った。病院へ駆けつけると、そこには晴音までいた。ベッドのそばにかがみ込み、言い聞かせるように声をかけていた。「おばあちゃん、私よ、晴音よ。覚えてないの?」おばあさんは晴音をじっと見つめると、きっぱり首を振った。「違うわよ。あんたは晴音ちゃんじゃないよ」晃人は眉を寄せた。「晴音!俺の話、聞いてなかったのか?」晴音は小さく舌打ちした。「はあ?人がせっかく来てあげたのに、何よその態度!おばあさんが『晴音ちゃん』を捜してるって聞いたから、仕方なく来てあげたんじゃない!誰が好き好んでこんな婆さんに会いに来るもんですか!」おばあさんは声を頼りにこちらを向き、興奮した様子で私を手招きした。「晴音ちゃん、やっと来たのね。晴音ちゃんのふりをしている人がいるのよ」私の名前は分からなくても、顔だけは覚えていたらしい。晴音は眉を吊り上げ、憎々しげに私を睨んだ。「お金だけ受け取って、約束は知らん顔?よくそんな図々しいことができるわね!」私は肩をすくめた。「離婚協議書にはちゃんとサインしたよ。晃人が離婚したくないって言うんだから、仕方ないでしょ?いいわね、茅島さんは。旦那がいないから、そんな心配しなくて済むものね」晴音は怒りに任せて手を振り上げた。その瞬間、よく通る声が彼女を制した。「晴音!いつまでふざけているつもりだ!政略結婚させるために呼び戻したんだ!妻のいる男にいつまでも執着するな!」噂に聞いていた茅島社長と会うのは、これが初めてだった。娘を溺愛し、何でも言いなりになる父親だと思っていた。だが、目の前の茅島社長は、その想像とはまるで違った。晃人の表情も冷たく、恩人を前にしているとは思えないほどよそよそしかった。「茅島社長、晴音のことは、そちらできちんと対処していただきたい。いつも相手が大人しく引き下がってくれるとは限りませんから」

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第11話

    私は枕元のナースコールを押し、看護師に点滴を入れ直してもらうよう頼んだ。晃人は怖がって目を閉じると、ちゃっかり私の手まで握りしめ、静かに話し始めた。「晴音の父親がいなかったら、大学にも行けなかったし、今の俺もなかった。ずっと世話になってきた人なんだ。だから、晴音を送ってくれと言われたら、断れなかった」私は手を引き抜いた。「断れなかったのは茅島社長の頼みだから?それとも、晴音を送りたかったから?二人の恋愛話、今でも社内で噂になってるそうね。ずいぶんロマンチックな話みたいじゃない」晃人は慌てた。「そんなの全部嘘だ!誰がそんなこと言ったんだよ!3年前、晴音は俺の酒に薬を盛ろうとしたんだ。結局、未遂に終わったけど、それがきっかけで茅島社長に海外へ追いやられた。ところが、向こうでも遊び歩いてたらしくてな。見かねた父親に呼び戻されて、今度は政略結婚させられそうになった。それが嫌で、また俺に近づいてきたんだ。紗世、これだけは信じてくれ。お前は誰の代わりでもない。晴音が言ってることは、全部でたらめなんだ。おばあちゃんのことだってそうだ。俺がいない間に、晴音が勝手に家に来て、自分が俺の恋人だなんて嘘を吹き込んだんだ。そのうち認知症が進んで、顔も名前も分からなくなってしまった。それなのに、俺の恋人の名前だけは晴音だと思い込んでて……何度違うって言っても、分かってもらえなかった。俺と晴音の間には、何もない。あいつはこの3年間、ずっと海外にいたし、もう関わることもないと思ってた。だから、わざわざ話さなくてもいいって……でも、隠してたことに変わりはないよな。夫婦なのに、ちゃんと話そうともしなかった。そこは俺が悪かった。本当にごめん。もう二度と、こんな思いはさせない。だから……もう一度だけ、俺を信じてくれないか」私はスープジャーの蓋を開け、スプーンを晃人へ差し出した。「考えておく。茅島さんから結構な額をもらってるしね」晃人が怪訝そうに眉を寄せる。私は軽く眉を上げた。「離婚協議書にサインした日に、茅島さんから手切れ金が全額振り込まれたの。私がただで引き下がるような女じゃないって、知ってるでしょ?お金か晃人か、どっちかはもらわないとね」晃人は絶望したような顔をした。「いくらもらった?俺が倍出す。これからの給料だって、全部紗世に

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第10話

    私が呆然としていると、晃人は話を続けた。「2年も付き合っているのに、紗世が結婚の話を一度もしてくれなかったから、おばあちゃんの病気を口実にした。それは悪かったと思ってる。でも、晴音とのことは誤解なんだ。もう一度だけ、俺を信じてくれないか」その手を振りほどき、私は首を横に振って笑った。「おばあさんが私を晴音と呼んだときも、晴音とのことは何も話してくれなかったよね。どう信じろっていうの?それに、私がどうして怒ってるのか、全然分かってない」晃人は私のことを誰より理解していると思っていた。けれど、そうではなかったらしい。「離婚の手続きなら、いつでも協力するよ。それ以外の話なら、聞く気はない」晃人はその場に立ち尽くし、いつまでも動かなかった。ちょうど呼んでおいたタクシーの運転手から電話がかかってきた。私は迷わず背を向けた。帰宅すると、母がすぐに駆け寄り、相手とどうだったか尋ねてきた。上の空で適当に答え、そのままベッドへ入った。翌朝早く、数日間の出張を終えた父が帰ってきた。玄関を開けに行くと、ドアの外から驚いた声が聞こえる。「晃人君、どうしてここに?ずぶ濡れじゃないか。早く中に入って、風呂で温まらないと風邪を引くぞ」ドアが開き、玄関先の晃人と目が合った。あんなに頭の切れる晃人が、濡れたまま一晩中うちの前にいたなんて。父はここ数日ずっと出張中で、心配させたくなかった私は離婚の話をしていない。父に中へ入るよう勧められたが、晃人は首を横に振った。「私が悪いんです。とてもお邪魔できる立場じゃありません」何も知らない父は戸惑い、母は晃人を睨みつけた。だが、責める間もなく、晃人は目を閉じ、その場に崩れ落ちた。晃人はそのまま病院へ運ばれた。病室に戻ると、目を覚ました晃人が点滴の針を抜き、ベッドから下りようとしていた。私は呆れて声をかけた。「39度6も熱があるのに、勝手に点滴抜いてどこ行く気?」晃人は叱られた子どものように、おとなしくベッドへ戻った。「また紗世がいなくなったのかと思った。昨日、一晩中考えたんだ。今までのこと、ちゃんと反省してる」「そう。それで?」

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第9話

    「見上紗世さん?本当に紗世さんですか?同姓同名の別人かと思いましたよ」訝しげに顔を上げると、見合い相手が勢いよく向かいの席へ座った。「覚えてませんか?中学で同じクラスだった藤原直人(ふじわら なおと)です」私は気まずさを隠しながら頷いた。昔の知り合いに会うと分かっていたら、母への義理だけで来たりはしなかった。中学の3年間で、クラスの顔ぶれは何十人も入れ替わった。おまけに、高3のときに高熱を出してから、昔のこともよく覚えていない。「ずっと県外で働いてたんですよね?紗世さんまでお見合いに来てるなんて、意外でした」私は笑った。「今は恋愛も結婚もする気がないんです。母に言われて、とりあえず来ただけで。用事があるなら、先に帰っても大丈夫ですよ。母にはご縁がなかったって言っておきますから」直人は軽く手を振った。「いやあ、僕も似たようなもんですよ」共通点が分かると、かえって会話は弾んだ。食事が終わると、直人は映画にも誘ってくれたが、私は笑顔で断った。田舎は噂が広まるのが早い。食事だけなら、昔の同級生と会ってただけで済む。でも、一緒に映画まで観に行ったら、明日にはもう婚約したことになってそうだ。直人と外へ出ると、ちょうど雨が降り始めていた。「よかったら送りますよ。雨も降ってきましたし」直人の申し出を断ろうとした瞬間、刺々しい声が割って入った。「俺がいるのに、なんでお前が俺の妻を送るんだ?」晃人が私の腕を掴み、ぐいっと引き寄せた。全身が濡れている。雨宿りに入った店で、偶然私たちを見つけたのだろう。直人は数秒固まり、目を見開いた。「えっ、結婚してるんですか?なのにお見合いに?」晃人の険しい表情を見ると、直人は適当な理由をつけて立ち去った。私は晃人の手を振りほどく。「今頃、茅島さんと結婚式の準備をしているんじゃなかったの?」少し考えて、ふと思い当たった。「ああ、そうだった。離婚届、まだサインしてもらってなかったね」晃人は歯を食いしばった。「するわけないだろ。離婚協議書だって、とっくに破り捨てた。誰が離婚するなんて言った?俺の妻は紗世だけだ。これからもずっと」私は平然と答えた。「必要なら、離婚協議書はまた作るよ。私と結婚したのは、おばあさんを安心させるためだったんでしょう

  • 私は、誰の身代わりだったのか   第8話

    榎代市を離れたあと、私はそこで知り合った人たちの連絡先をすべて削除した。会社で起きていたことなど、何ひとつ知らなかった。実家に着くと、母がちょうどスーパーへ出かけるところだった。私を見るなり、母は何度も目をこすった。見間違いではないと分かると、駆け寄ってきて強く抱きしめる。「あら、紗世! 帰ってきたのね! 晃人君は一緒じゃないの?まあ、あの人も忙しいものね。仕方ないわよね。もう、わざわざ迎えに来なくてもよかったのに。お父さんも私も、榎代市までちゃんと行けるんだから」婚姻届を出したとき、私は真っ先に母へ知らせた。晃人のおばあさんは外出が難しいため、母は父と一緒に榎代市へ行き、まずは両家で食事をしようと提案していた。結婚式はあとで挙げればいい、と。その食事会さえ開かないうちに、私たちは離婚することになった。私はしばらく黙ったあと、口を開いた。「晃人は来ないよ。これからも、もう来ない」「どういうこと?」母は周囲を見回し、慌てて私の腕を引いて家へ入った。何度も事情を尋ねられ、私はゆっくりと言った。「いい知らせが二つあるんだけど、どっちから聞きたい?一つ目は、晃人に離婚を切り出されたこと。もう一つは、十分すぎる解決金を受け取ったこと。これで一生、生活には困らないし、お父さんとお母さんのそばにいられるよ」母は苛立たしげに私を睨んだ。「どこがいい知らせなのよ!婚姻届を出して、まだ何日もたっていないでしょう。いったい何があったの?」「私と結婚したのは、おばあさんのためだったの。本当に好きな人が帰ってきたんだから、離婚するのも当然でしょ。これ以上こじれる前に別れられたんだから、むしろよかったんじゃない?」母はたちまち怒り出した。「晃人君、うちの娘を何だと思ってるのよ!そんな男とは別れて正解よ!」母が味方になってくれたことで、私は安心して実家に落ち着いた。翌日、母はお見合い写真を何枚も持って、私の部屋をノックした。「佐藤さんに頼んだのよ。いい人ばっかりなんだから! 普通じゃなかなか紹介してもらえないのよ。晃人君にも思い知らせてやらなきゃ! あんな男と別れたって、もっといい人はいくらでもいるんだから!」私は笑うしかなかった。「お母さん、そんなにムキにならなくても。男がいなきゃダメってわけじゃないん

Weitere Kapitel
Entdecke und lies gute Romane kostenlos
Kostenloser Zugriff auf zahlreiche Romane in der GoodNovel-App. Lade deine Lieblingsbücher herunter und lies jederzeit und überall.
Bücher in der App kostenlos lesen
CODE SCANNEN, UM IN DER APP ZU LESEN
DMCA.com Protection Status