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【第8話】通過儀礼の虚構

last update Terakhir Diperbarui: 2025-11-09 22:13:05

神殿の外苑は、朝靄に沈んでいた。

敷石に落ちる光が淡く揺れ、木々の間を縫う風が、白い布を纏った神官たちの衣の裾をふわりと撫でていく。

琉苑は一人、その空気の中を歩いていた。どこかへ急ぐふうでもなく、かといって何かを待っているふうでもなく――ただ、誘われるようにして、神殿の裏手に続く石段へと足を運んでいた。

誰かに呼ばれた気がしたわけではない。

けれど、あの夜以来、自分の中にずっと何かが燻っている。

それは、痕の疼きとは別種の感覚――もっと静かで、もっと確かで、まるで、古い記憶が身体の底から這い上がってくるような、そんな感覚だった。

石段を上りきった先の回廊。

壁に刻まれた碑文と古い吊灯が、まだ誰も足を踏み入れていないことを物語っていた。

そこに、ぽつりと佇んでいた一人の老人――神殿でも最古参に数えられる老神官・亜遠(あおん)が、琉苑に気づいてゆるやかに振り返った。

「……来たか」

そう言ったきり、亜遠は琉苑を手招きした。

その声音に、驚きも畏れもなかった。ただ、ずっと前から今日という日を待っていたような、どこか宿命じみた平静さがあった。

回廊を抜けた先、灯も届かぬ書庫の一角。

厚く閉ざされた書架の裏から、亜遠は布に包まれた一冊の文書を取り出すと、無言のままそれを琉苑に手渡した。

その重さが、妙に生々しかった。

「これを、殿下にお見せしてよいか、私は長らく悩んでいた。だが……それも、もう時機を過ぎたらしい」

琉苑は言葉を返せぬまま、布をほどいた。

中から現れたのは、皮装の古文書。表紙には刻まれた題もなく、ただ、焼け焦げたように煤けた跡だけが残っていた。

ページを開いた瞬間、乾いた紙の匂いが鼻をつき、そこには見慣れぬ筆跡で記された祭礼の記録が並んでいた。

――番契の儀。

――Ωと呼ばれる者の覚醒。

――“痕”の出現。

「……これは……」

震える指先で読み進めるうちに、琉苑の目が次第に見開かれていく。

そこに記されていたのは、過去に“番契の痕”が出現したわずか数例の記録。

そして、すべての記録に共通して記されていたのは――

『災厄の兆し』

『王家粛清』

『神意の暴走』

「……嘘だろ……?」

呟いた声が、自分のものとは思えなかった。

「どうして……“番”と認められた者が、災いとされる? それじゃあまるで……」

「……まるで、神に選ばれることが、呪いであるかのようだろう?」
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