Semua Bab 紅の番契 〜Ω皇子は封印竜に寵愛される〜: Bab 1 - Bab 10

25 Bab

【プロローグ】その声は、夢の中で

――燃えるように熱い世界の中。地面は溶けたように揺らぎ、空は赤く染まり、風は焦げていた。その世界には色も形もなく、ただ焼き尽くす気配だけが存在していた。目を開けても、何も見えない。見えているはずなのに、視界は光に呑まれ、境界がない。なのに、そこには確かに“誰か”がいた。 「……ああ……やっと見つけた……」 低く、深く、獣のような声が、熱の中から響いてくる。それは言葉というよりも、魂に直接刻み込まれるような響きだった。懐かしい。会ったことがあるはずがないのに、知っている気がした。けれど同時に、喉の奥が震えるほどの恐怖も、胸の奥に芽生える。それは、恋に似た痛みだった。 「名を聞かせろ。おまえの、名を」 誰だ、おまえは――。どうして俺の名を問う?そもそも、ここはどこなんだ?意識はある。だが身体は動かない。ただ、燃えさかる世界の中で、名前を奪われることを恐れている自分がいる。 「……おまえが俺の番か……」 その一言で、すべてが焼き崩れる。肺の奥が、灼けるように熱くなる。心臓が跳ねる音が、骨の内側で鳴り響く。まるで、自分という器が中から満たされていくような感覚。重なる呼吸、共鳴する鼓動。知らない誰かの体温が、確かにこの身体の中に流れ込んでくる。夢だ。これは夢に違いない。だが、現実よりも強く、この感覚は刻み込まれていく。 この声を、拒絶してはいけない。そんな直感が脳裏を貫いた。だが、従ったら戻れない気がした。このまま身を任せれば、きっと、二度と元には戻れない。 「もう離さない。……おまえは、俺のものだ」 声が落ちると同時に、世界が音もなく崩れ始めた。紅蓮の空が割れ、足元の地面が消えていく。重力も音もない空間に、ただ熱だけが残り―― 焔 琉苑《えん・りゅうえん》は、跳ねるように目を覚ました。 寝台の上、薄絹の寝衣は汗で貼りつき、胸は荒く上下している。冷や汗が頬を伝い、背中がじっとりと濡れていた。ただ一つ、確かなことがある。今の夢は、ただの夢ではなかった。それは“記憶”だったのか、“予兆”だったのか――。わからない。けれど、あの声だけは確かだった。 そして、琉苑は知ることになる。あの声が、これから自分の世界を焼き尽くしていくということを。 ――それが、すべての
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-06
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【第1話】神に捧げられる日

 璃晏国の空は、どこまでも晴れていた。 けれど、その青さはどこか冷たく、今日の行き先を思うたび、胸の奥がざらついた。 馬車の中、揺れる車輪の音に重なるように、抑制剤の瓶が小さく鳴った。 細い指で握られた瓶の中の薬液は、琥珀色に濁っている。 それは、この日のために調合された特製の抑制剤だった。 どんな刺激にも反応しないよう、五重の薬層で発情を封じる。 「……そんなに効果が必要か、俺に」 琉苑は誰にともなくつぶやいた。 銀の髪が肩に落ちる。紅の瞳が、窓の外を見つめていた。 王族に生まれたΩは、生まれた瞬間から決まっている。 ――いつか神殿に捧げられ、神の番を選ぶ器として扱われる運命だと。 「殿下、本日はよろしくお願いいたします」 馬車が止まり、扉の外で神官が頭を垂れる。 白と金で統一された神殿服、その袖の下から見えるのは無数の薬袋と符文。 薬と祈りによって、神とΩを繋ぐ。それが、この国の伝統だった。 琉苑は立ち上がる。 脚が少し震えていた。 だが、皇子である以上、誰にもそれを見せるわけにはいかない。 神殿の石段を登るたび、空気が変わっていく。 まるで、熱が地の底から立ちのぼってくるような、不自然な重さ。 (おかしいな……抑制剤、ちゃんと効いてるはずなのに) 鼓動が早まる。 首の後ろがじんわりと熱を帯びる。 発情期ではない。けれど、これは―― 「……呼ばれてる?」 琉苑は思わず立ち止まった。 後ろから神官が促す声がするが、耳には届かない。 そのときだった。 神殿の最奥――封印の間の扉が、ひとりでに音を立てて開いた。 風が吹いた。 風などないはずの、密閉された神域に。 焼けるような空気。 鼻を突く、熱と血の匂い。 そして―― 聞こえた。あの声が。 >「……ようやく、来たな」 琉苑は、背筋が凍るのを感じた。 夢の中で何度も聞いたその声。 誰よりも懐かしく、けれど、恐ろしい。 足が、勝手に前に出た。 封印の間に、一歩ずつ、吸い寄せられるように。 大理石の祭壇の上、金属の枷に覆われた巨大な扉が見える。 その中心に、ひとつだけ浮かぶ紅の紋。 ――焔の紋。王族の証。 琉苑が手を伸ばすと、紅の紋が淡く光った。 その瞬間、世界が裏返った。 扉が震え、床が揺れる。 頭の奥に焼きつくような痛みとと
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-06
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【第2話】封印の間、紅き目覚め

 音が、消えた。 封印の間の扉が開いた瞬間、まるで別の世界が顔を覗かせたかのように、空気が変わる。 風が吹き込む。鼻の奥を突く焦げた匂い。鉄と火薬を混ぜたような、獣の匂い。 琉苑は本能的に後ずさろうとしたが、脚が動かない。 何かがこの場に“引き寄せられている”。そんな感覚だった。  ――熱い。 額に浮いた汗が一滴、こめかみを伝って落ちる。 抑制剤は確かに打った。高濃度の特製だ。 それなのに、心臓が早鐘のように脈打つ。 呼吸が荒くなり、手が震える。 (これは、発情……? いや、まだそんなはずは――)  扉の奥。 重く、静かに、何かが歩いてくる音。 ゆっくりと姿を現したのは、人だった。 いや、“人のかたちをした何か”。 深い闇を思わせる漆黒の髪。 瞳は金――燃えるような金色。 裸の上半身には、かすかに鱗のような痕跡が浮かんでいる。 その目が、まっすぐに琉苑を見ていた。  「リウ……」  また、あの声だ。夢の中で何度も聞いた、あの低い声。  「……やっと会えたな」  男が一歩踏み出すたびに、足元の大理石が軋む。 圧力がすごい。魔力というより、“存在感”そのものが重い。 琉苑は喉を詰まらせたまま、後ずさった。 が、それよりも早く、相手が近づいてくる。  「待っ……近寄るな」  必死に声を出す。 だが相手は止まらない。 目の前まで迫ると、琉苑の耳元に顔を近づけ―― 首筋のあたりに、そっと息を吹きかけた。  「この匂い……間違いない。番の匂いだ」  瞬間、琉苑の背筋がゾクりと震えた。 全身の神経が逆立つ。 そこに、触れられていないはずなのに――熱が走る。 肌の内側から火が這い上がってくる。 脚の力が抜け、膝がふらついた。  「抑制剤、使ってるのか……。だが、効かない」  男――シュア=ラグナが、低く笑う。 その声は優しげでいて、どこか危うい熱を孕んでいた。  「体は嘘をつけない。おまえは……俺を欲しがってる」 「っ、違っ……そんな、わけ……」  琉苑は言葉を詰まらせた。 認めたくなかった。 だが、身体の反応はどうしようもなかった。  シュアの手が、琉苑の頬に伸びる。 熱い掌が触れた瞬間、電流のような痺れが走った。  「本当に、よく似ている……あの時と」
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-07
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【第3話】番契の痕、覚めぬ熱

世界がゆっくりと輪郭を取り戻す。夢の底から浮上するような、重く、ぬるい感覚。重く沈んだまぶたが、ようやく上がった。視界に広がるのは、見慣れた天蓋付きの寝台。絹織物の天井が、ゆるやかに揺れているように見えた。甘く焚かれた香のかすかな香りが鼻を掠め、ようやく“ここが現実”だと理解する。――神殿。それも、王族のために用意された最奥の特別室。琉苑はゆっくりと身じろぎした。けれど、動いた瞬間、身体中の節々が悲鳴を上げた。だるい。熱い。関節の奥が重く、肺の奥にまだ燃えさしのような熱がこもっている。息を吸うたびに、咳が出そうになる。あれは……夢だったのか。それとも――「ご無事で何よりです、殿下」襖の向こうから、静かな声がした。重い音を立てずに障子が開き、一人の神官が入ってくる。入室の許可も待たずに姿を現したその所作に、焦りや動揺の気配はない。白の長衣に金糸の縁取り。額をきつく結い上げた白髪。表情は穏やかで、整った所作と声の調子は訓練された者のそれだった。琉苑の主担当――シェン。琉苑が幼少の頃から神事に関わってきた、信頼も年季もある年長者だ。「軽い気絶のようでしたが、神殿の加護もあって大事には至らず」「……封印の間で、俺は……」言いかけた言葉が、喉で詰まった。何を、どう聞けばいいのか。この現実の空気に、夢の中の出来事はあまりに馴染まない。否定してほしいのか、肯定してほしいのか。自分でもわからなかった。シュア=ラグナ。紅黒の竜。燃えるような瞳と、低い声。首筋に触れられた熱と、あの言葉――『おまえは、俺の番だ』あれが夢であってほしいと願いながらも、心のどこかでまだ、その余韻に体が引きずられている。「……封印の間では、とくに変化はありませんでしたよ」シェンのその一言が、胸の中心に冷たく突き刺さった。平静な声、動じていない瞳。つまり、“何も起きなかった”という事実を伝えている。「あなたが倒れられた直後、神殿の霊圧に若干の乱れがありましたが……想定の範囲内です。番契の儀は、代々続く“通過儀礼”ですから」通過儀礼――祭事。形式。伝統。すでに何百年と繰り返されてきた、意味を持たない神事。その中に“本物”などない。ただの象徴。だからこそ、誰にでも起こり、誰にとっても通り過ぎていくもの。だが――琉苑の中
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-08
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【第4話】迎え火の兆し

琉苑が再び意識を取り戻したのは、朝焼けが神殿を染める頃だった。目覚めの直前、またあの声を聞いた気がした。けれど、はっきりとは思い出せない。夢と現の境目が曖昧で、頭が霞んでいる。空は薄紅。風が香を運び、天蓋が静かに揺れていた。起き上がると、枕元に一枚の羽織が置かれていた。王族の正式衣装ではない、柔らかい織物。肌に直接触れたくないという、自分の無意識を察したのか――それとも、誰かの配慮か。軽く羽織って身を整えた頃、襖が控えめに鳴った。「失礼いたします。皇女様がお見えです」琉苑の心臓が、一つ大きく跳ねた。このタイミングで彼女が来るとは、あまりに早い。いや、むしろ当然か。“番契の儀”で倒れた王族がいたとなれば、真っ先に嗅ぎつけるのは彼女だ。「通して」入ってきたのは、第一皇女・琉花(りゅうか)。この璃晏国における事実上の次期当主。政治も軍も神殿も、すべてを裏で掌握する王家の中枢。琉苑にとっては、最も逆らえない相手だった。「……おはよう。ずいぶん顔色が悪いわね、琉苑」「姉上にご挨拶を申し上げます」琉苑が頭を下げる。琉花は柔らかい微笑を浮かべながらも、目は笑っていなかった。首元に目をやったのは、一瞬だったが――確実に、何かを探っていた。「神殿の記録には“霊圧の乱れ”とあったわ。倒れたのは、その影響?」「……ああ。多分。ちょっと……気が遠くなっただけだ」「そう」琉花はしばらく黙り、視線だけで部屋の隅々を見回した。その眼差しは、まるで――“ここに何者かの気配が残っていないか”を探っているようだった。「番契の儀は、あくまで通過儀礼。……本当に何もないのね?」「……もちろん」「なら、何も問題ないわ」微笑んでそう言ったが、最後まで“首筋”を注視していた。彼女はそういう人間だ。疑っていても、決して真正面からは問わない。代わりに、沈黙と“目”で支配する。「……体調が戻ったら、わたしの宮へ顔を出してね。みんな心配してるわ」「……わかった」琉花はそれ以上何も言わず、静かに部屋を後にした。残ったのは、濃密な空気と、剥き出しの視線の残り香だった。その日の午後、琉苑は書庫にこもった。“番契の儀”に関する古文書、神殿の祭礼記録、Ωにまつわる伝承――目に入る限りの記述を片っ端から読みあさった。だが、どれも似たような内容ばかり
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-05
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【第5話】眷属の影、近づく足音

宮の空気は、少し違っていた。 神殿の奥で過ごした数日が、まるで長い夢だったかのように、馴染んだはずの寝台も、襖の向こうに聞こえる女官たちの声も、どこか遠く薄く感じられた。 「……おはようございます、殿下」 久しぶりに顔を見せた侍女たちが、一歩距離を置いて頭を下げる。それは以前と同じような所作に見えて、わずかに――ほんのわずかに――違和感があった。 視線が合わない。目を逸らすのでもなく、ただ、どこか直視しないように配慮されたような、その態度がむしろ奇妙だった。 琉苑は黙って頷き、部屋へと足を運ぶ。背後で扉が閉まる音と、衣擦れの気配。聞こえないふりをしても、耳は勝手に拾ってしまう。 「……番の……」「神の痕が出たって……」「では、殿下が現人神(あらひとがみ)となられたと?」「琉花様がどうなさるのか……」 囁き。風よりも静かな、だけど確かに存在する言葉の刃。名指しではないのに、全身に突き刺さってくる。 (……もう、知られている) 噂は早い。それが“何なのか”はわからなくても、“何かあった”という事実は、どれだけ隠しても滲み出てしまう。 神事の場で倒れ、数日戻らず、戻ってきた王子の肌には“痕”が刻まれていた――その程度の情報があれば、物語などいくらでも生まれる。 (現人神なんざなったつもりはないが&hell
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-06
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【第6話】破れゆく夢と、竜の影

深い夜の帳が、王都の塔を包み込んでいく頃、琉苑は再び神殿の最奥部へと足を向けていた。扉の前に立ったまま、彼は自分の手のひらを見下ろし、赤く淡く浮かび上がる紋に触れそうで、しかし恐れを抱いてそのまま静かに引いた。選ばれた者としての印とは、こうして自分の皮膚に刻まれている。だが、それを認めたくないという気持ちが、胸の奥で重たく沈んでいた。神殿の奥廊を進むたび、空気が変わった。燃えるような熱気ではなく、冷えた金属を噛むような冷たさ。床の石は静まり返り、輝きを削がれた灯が壁にぶつかってきて、彼の影を伸ばした。その影の中に、自分ではない何者かの輪郭が映り込んだような気さえして――琉苑は息を止め、つぶやいた。「誰か…いるのか」しかし返ってきたのは、ただ闇の深さだけだった。だが、扉のひとつが音もなく開いた瞬間、背後で侍女たちの揃った気配が揺れ、二度とは戻らぬ静けさを告げていた。扉の向こう、薄暗い間。壁面には古びた碑文が刻まれていて、それらは琉苑の呼吸に反応するかのように淡く光を宿す。指を走らせると、文字のひとつが淡紅に染まり──「…番を悔いず、契を留める者、神と共に在らん」読み上げる声はなくとも、言葉が身体の奥に飛び込んでくる。琉苑は立ちすくみ、足元の石が微かに震えるのを感じた。そのとき、彼の肩を冷たい風が撫で、視界の隅に“動く影”が映った。振り返ると、そこには人型の竜が立っていた。褐色の肌を銀の髪が覆い、金色の瞳が琉苑を捕らえている。その姿に、彼は一瞬、足が止まり、鼓動が荒くなった。「シュア…?」声にならない呼び名を、彼の唇が漏らした。竜は言葉を選ぶように、静かに口を開く。「おまえは、俺に選ばれた。魂の番だ」その声に、世界が揺れた気がした。琉苑は首筋に手をあて、痕が熱を帯びているのを知った。「なぜ…俺なのか」問いは空へ放たれ、竜は微笑んだ。「理由など、俺にも不要だ。お前の全てが俺を呼んでいる。そして、おまえはここに居る。だから、運命だ」その言葉を聞いた時、琉苑の吐息は凍り、その身体が反応してしまったことを認めざるを得なかった。竜の手が、彼の頬に触れる。温かさというよりは、沈んだ焔のように燃えていた。「触れるぞ」その一言のあと、竜は琉苑の首筋に口づけを落とした。「……っ、あ」それは儀礼ではなく、侵食だった。深く
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-07
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【第7話】痕を隠す者

夜明け前の薄灰色の空が、王都の外れまで続く石柵に影を落とし、琉苑はそっと羽織を固く握り締めながら内側を歩いていた。彼の首筋には、いまや“痕”と呼ばれる赤い紋が淡く浮かび上がっており、それを隠すための襟の高さは日に日に増していく。とはいえ、襟をあげただけでは視線を塞ぎきれず、後宮の廊下で彼が感じるのは――自分が既に異物と化しているという、静かな告知だった。部屋の鏡台に立った琉苑は、手鏡を持って顔を覗き込む。顔色は正常の範疇に見えた。だがその裏で、身体の奥には、重く確かな違和感がゆっくりと根を張っていく。熱は首筋から肩甲骨へとじりじり広がり、まるで自分の中に別の生命が目を覚まし始めているかのようだった。琉苑は唇を噛み、自嘲気味に呟く。「調子が悪いだけだ。そう……それだけの話なんだ」そう言い聞かせなければならなかった。もしそれが真実であれば、誰にも説明する必要はない。だが、真実ではない以上、何らかの形で説明しなければならないのだ。その午後、第一皇女・琉花の腹心であり、王都の防衛を司る軍師・桐生(きりゅう)将軍が訪れた。将軍の鎧が放つ鋼の鈍光が、淡い灯の下で沈み込み、彼の視線は言葉以上に鋭く琉苑を射抜く。桐生は静かに座を勧め、琉苑に向けてこう告げる。「殿下、ご体調がご回復されたと伺っております。しかし、この屋敷にご滞在なさる時間が以前よりも増しているように見受けられる。何か、気がかりなことでも――」琉苑は咳ばらいをひとつ挟み、軽く肩を竦めて見せた。「いや、ただ……完全ではないようだ。回復したと思っていたのだがな」その言葉に、将軍は黙して応じたまま、琉苑の襟元に一瞬だけ視線を滑らせる。襟の上端がわずかに浮いている様子を。その視線を琉苑が見逃すはずもなかった。口元に走ったわずかな引き締まりのあと、将軍はそっと琉苑の肩に手を置いて立ち上がる。「ご無理なさらぬように」その一言には、単なる配慮以上の、監視と保護が巧妙に織り込まれていた。桐生が退出した後、琉苑は静かに窓の外へ目をやる。強風が木の葉をはたき、夜の帳が少しずつ引かれていく。彼は羽織の裾を掴み、低く息を吐いた。「――見せてはいけない」その言葉にこめたものは、怯えではなく、明確な意志だった。痕を見せた瞬間、王家も神殿も、今とは異なる螺旋を描き出す。自分はまだ、その軌道に
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-08
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【第8話】通過儀礼の虚構

神殿の外苑は、朝靄に沈んでいた。敷石に落ちる光が淡く揺れ、木々の間を縫う風が、白い布を纏った神官たちの衣の裾をふわりと撫でていく。琉苑は一人、その空気の中を歩いていた。どこかへ急ぐふうでもなく、かといって何かを待っているふうでもなく――ただ、誘われるようにして、神殿の裏手に続く石段へと足を運んでいた。誰かに呼ばれた気がしたわけではない。けれど、あの夜以来、自分の中にずっと何かが燻っている。それは、痕の疼きとは別種の感覚――もっと静かで、もっと確かで、まるで、古い記憶が身体の底から這い上がってくるような、そんな感覚だった。石段を上りきった先の回廊。壁に刻まれた碑文と古い吊灯が、まだ誰も足を踏み入れていないことを物語っていた。そこに、ぽつりと佇んでいた一人の老人――神殿でも最古参に数えられる老神官・亜遠(あおん)が、琉苑に気づいてゆるやかに振り返った。「……来たか」そう言ったきり、亜遠は琉苑を手招きした。その声音に、驚きも畏れもなかった。ただ、ずっと前から今日という日を待っていたような、どこか宿命じみた平静さがあった。回廊を抜けた先、灯も届かぬ書庫の一角。厚く閉ざされた書架の裏から、亜遠は布に包まれた一冊の文書を取り出すと、無言のままそれを琉苑に手渡した。その重さが、妙に生々しかった。「これを、殿下にお見せしてよいか、私は長らく悩んでいた。だが……それも、もう時機を過ぎたらしい」琉苑は言葉を返せぬまま、布をほどいた。中から現れたのは、皮装の古文書。表紙には刻まれた題もなく、ただ、焼け焦げたように煤けた跡だけが残っていた。ページを開いた瞬間、乾いた紙の匂いが鼻をつき、そこには見慣れぬ筆跡で記された祭礼の記録が並んでいた。――番契の儀。――Ωと呼ばれる者の覚醒。――“痕”の出現。「……これは……」震える指先で読み進めるうちに、琉苑の目が次第に見開かれていく。そこに記されていたのは、過去に“番契の痕”が出現したわずか数例の記録。そして、すべての記録に共通して記されていたのは――『災厄の兆し』『王家粛清』『神意の暴走』「……嘘だろ……?」呟いた声が、自分のものとは思えなかった。「どうして……“番”と認められた者が、災いとされる? それじゃあまるで……」「……まるで、神に選ばれることが、呪いであるかのようだろう?」
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-09
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【第9話】監視の宮

朝の光が障子の縁をすべり落ち、まだ温もりきらない空気の中で、琉苑は簡素な支度を終え、何度目かの深呼吸を繰り返していた。呼吸を整えたところで、この胸のざわつきが収まるわけでもなかったが、それでも、意識して整えなければ声すらきちんと出せない気がしてならなかった。鏡に映る自分の顔は、前日と同じで、少し青白く、やや焦点が合っていないような目をしていた。けれど、たった一つだけ違っていたのは、首筋に浮かぶ痕の色が、ほんのわずかだが濃く、深く――まるで何かが発芽しはじめたように、紅を増していたことだった。昨日、老神官から手渡された古文書。番契の痕が意味する“災厄”と“王家の粛清”。王家の誰かが、それを嗅ぎ取った。いや、最初から、気づかないふりをしていただけだったのかもしれない。部屋の扉が静かに開かれ、侍女が低い声で告げる。「殿下。お支度を」その声音に、いつもの柔らかさはなかった。幼い頃から仕えていた、あの女官ではない。声の調子も、足音も、身のこなしも、まったく違う。誰かがすべてを入れ替えたのだ。誰か──いや、琉花だろうとはわかっている。琉苑は黙って頷いた。否応なく与えられる「保護」の名のもとに、正殿を離れ、離宮へと送られる。それは建前に過ぎず、実態は、事実上の幽閉だった。廊下を歩くあいだも、目に映る者たちはすべて見知らぬ顔だった。誰一人として言葉をかけてこない。会釈すら、どこか制度化されていて、生身の人間を介した温度がない。離宮は王宮の東端にあり、かつては重臣や高僧が客人として滞在した場でもある。しかしいま、その建物には、宮中の華やかさとはかけ離れた、張りつめた冷気が漂っていた。その冷気を、琉苑は皮膚ではなく、肺で吸い込む。何もかもが、じっとりと乾いていて、空気だけが異様に澄んでいた。「この感じ……結界か」立ち止まって、廊下の端に目を向ける。扉の周囲、床と壁との境に沿って、ごく淡い光の帯がうっすらと走っていた。たぶん、普通の人間では視認できないほどの、ごくわずかな術式の痕。内と外を、確実に切り離すためのもの。琉苑が神殿の力に接触することを、王家が――いや、琉花が、拒絶している。離宮の部屋に通されたとき、彼ははじめて、そこに音がないことに気づいた。鳥のさえずりも、木々の葉擦れも、遠くの水音さえもない。張られた結界は、視線
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-10
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