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第四十七話:救えない

作者: 渡瀬藍兵
last update 最終更新日: 2025-11-14 22:13:42

「え?」

時が、止まったように感じられた。

美琴さんの言葉が、意味を伴わない、ただの音の羅列として、俺の頭の中を反響する。

『私はね、一度、死んでるの』

これは……言葉通りに、受け取っていいんだよな……?何かの比喩、というわけでは、ないだろう。だって、彼女はさっき、言ったのだ。『寿命が尽きかけていた』と。

目の前に座る美琴さんは、確かに生きている。温かな笑顔を浮かべ、夫である悠斗さんと穏やかな時間を過ごしている。だが、その言葉は間違いなく『一度、死んでいる』だった。

「そ、それは、一体……」

俺が、かろうじて絞り出した声に、答えたのは悠斗さんだった。彼は、どこか遠い目をして、静かに語り始めた。

「彼女はね、白蛇山にいた白蛇様を……その呪いの根源を、祓ったんだ。その際に、命を落とした」

──え?

白蛇様を、祓った?

俺の頭の中で、博物館で見た資料の内容が蘇る。『蛇琴村最後の巫女』。『白蛇様の呪いを解いた少女』。まさか、その伝説の人物が、目の前に座っているのと言うのか。

「それは……どういうことですか……?つまり……美琴さんが、あの博物館にあった伝説に幕を下ろした……その『少女』本人、ということですか?」

脳が、そのとんでもない事実を理解するのに、時間がかかった。

美琴さんが、伝説に幕を下ろした人物。一度、死んでいる。常識で考えれば、到底信じられる話ではない。

だけど、不思議なことに、俺の心の中に「疑う」という気持ちは、一切湧いてこなかった。目の前の二人が語る言葉には、嘘偽りのない、絶対的な真実の重みがあったからだ。

「……そうだね」

悠斗さんが、静かに肯定する。その表情には、当時を振り返る複雑な感情が宿っていた。

「でも、それは、あなたもでしょ?」

不意に、美琴さんが、少し悪戯っぽく、夫に向けて言った。まるで長年連れ添った夫婦の、気安い会話のようだった。

「私は、あの時、まだ無力でね。君のそばにいることしか、できなかったから」

悠斗さんは、どこか照れくさそうに、そう言って目を伏せる。だが、その言葉には深い愛情と、当時の無力感への悔恨が込められていた。

(悠斗さんも、その場にいた……?)

その発言が、新たな衝撃となって、俺の脳内に何度も響いた。つまり、二人は共に、あの伝説的な出来事の当事者だったということなのか。

「この人ったらね、私が全て解決したってことにして、自分
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