Share

八十五話:千年の糸

Author: 渡瀬藍兵
last update publish date: 2025-06-20 06:26:08

 悠斗と美琴は、街外れの廃寺を訪れていた。人の気配を失って久しい境内は静まり返り、風が抜けるたびに傷んだ木戸や軒先がかすかに鳴る。荒れ果ててはいても、妙な騒がしさのない場所だった。修行をするには都合がいいのだろうと、悠斗は薄く息を吐く。

「先輩。それでは約束通りに、霊気の扱い方を指導させていただきます」

「うん。よろしくね」

 美琴がきちんと背筋を伸ばしたまま、小さく頷く。制服姿は普段と変わらないのに、声の据わり方がどこか違っていた。教える側の顔になっている。

「では、まず基礎である、霊眼術を発動させてください」

 言われて、悠斗は美琴から受け取っていた紅色の勾玉を握った。掌に収まる石は、触れた瞬間からじわりと温い。体温とは違う——血管の内側をたどるように、静かな流れが指の付け根から手首へ、手首から胸へ沁みていく。

 その流れを、目に導く。

 視界が滲んだ。輪郭が揺らぎ、空気の層が一枚めくれるような感覚のあと、目の奥がすうっと冴える。もう感覚で分かる。霊眼術が発動していた。

「はい、確認しました。しっかり発動できてますね」

「まぁね。美琴がくれた勾玉のおかげで、何となくコツも掴んできてる気がするよ」

「いいことです。霊眼術は古の巫女の基礎ですから。それに、古の巫女は霊気を扱えば扱うほど強くなります」

「そうなんだ? でも、それって僕にも当てはまるの? だって僕、男だし」

 悠斗が率直に返すと、美琴はすぐには答えなかった。言葉を選ぶように、わずかな間を置く。

「そうですね……。先輩はちょっと特殊な事例なので、なんとも言い難いところはあるんですけど、概ね先輩も当てはまってると思って良いと思います」

「そっか。でも、やれるだけやってみるよ」

「その意気です」

 そう言った美琴の口元がふっとゆるむ。教師の顔の隙間から、年相応の柔らかさが一瞬だけ覗いて、すぐに引っ込んだ。

「さて、今日先輩にお教えするのは、二つの術です」

「うん」

「ひとつ。結界術である、『幽護ノ帳』です」

 その名を口にしたとき、美琴の声からわずかに温度が引いたのを悠斗は聞き逃さなかった。基礎の延長にはない技なのだと、声音だけで伝わってくる。

「この術は、難易度が高いので……大変でしょうけど、頑張ってくださいね」

「難易度高いのは……、美琴は教えるの上手そうだし、大丈夫でしょ」

 半分冗談めかして言うと、美琴はふっと息を漏らすように笑った。

「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいです。さて、二つ目は……」

 一拍、間を置く。

「星燦ノ礫という攻撃術。この術は霊気を放出して、対象を弾き飛ばす効果がある術なんですよ」

「そうなんだ。それにしても……。随分それっぽい名前の術だね」

 悠斗は口の中でその響きを転がすように、小さく繰り返した。

「星がきらめく礫……か」

「そうですね。他にも何種類かあるんですけど、全部このような古風な名前なんですよ?」

 美琴はそう言って、どこか懐かしむようにその術名をもう一度唇に乗せる。廃寺の静けさの中で聞くせいだろうか、ただの技の名前というより、ずっと古い時代からそのまま運ばれてきた音のように思えた。

「そうなんだ。でも、確かに巫女ならさっきのみたいに和風で、なんだかかっこいいし」

「まぁ、そうですね」

 美琴は少しだけ頬をゆるめたが、すぐに表情を整える。

「でも、術名がこのように古風なのは理由があるんですよ」

「理由?」

「……これらの術は、千年前に存在した『琴音様』が使っていたとされている術ですから」

 空気が変わった。

 悠斗の呼吸がわずかに止まる。千年前。その響きが、術名の古さとぴたりと重なって、急に実体を持ち始めていた。

「っ……。なるほど、つまりこの術たちは……」

 千年の歴史を持っている。声にはしなかった。けれど頭の中で、言葉がはっきりと形を結ぶ。

「はい。千年の歴史を持つなんて、凄いですよね」

「そうだね。でも……なんだか不思議だ」

 悠斗がそう漏らすと、美琴が首をかしげた。

「何がですか?」

「いや、なんかやけに千年前に縁があるなって。ほら、花守温泉郷にいた花守の巫女も千年前でしょ? それに、桜翁も樹齢が千年って言われてるでしょ?」

 口にしてみると、なおさらその数字の重なりが妙だった。ただ古いというだけでは片づけにくい。あちこちで、同じ深さの時間が顔を出している。

「だから、やけに千年前って数字をよく見るなってさ」

「…………」

 返事がない。

 悠斗が視線を向けると、美琴の動きが止まっていた。目の焦点がわずかに遠い。何かに思い当たったのか、それとも別の記憶に触れたのか——その表情のまま、美琴の唇がゆっくりと開く。

「美琴?」

「……先輩。今思ったんですけど……。花守の巫女がその後どこに行ったか、明かされてませんでしたよね。確か、桜の苗を持っていたって」

 声は静かだった。けれどその奥に、明確な引っかかりがある。ただの思いつきを口にしている温度ではなかった。

「……もしかして、花守の巫女がそのまま桜織へ……ってこと?」

 悠斗が言うと、美琴はすぐには頷かない。視線をわずかに伏せ、考えを確かめるように呼吸を整えてから、言葉を選び直した。

「いえ、先輩の言う通り、千年という数字が何度も連なっていたので……。でも、ありえない話ではないと思います」

 廃寺を抜ける風が、傷んだ柱の隙間を鳴らす。人気のない境内に、その音だけが妙にくっきりと響いた。

「というのも、花守の巫女が古の巫女に連なる者なのは間違いありません。その彼女、もしくは彼女の子孫が桜織に根付いた……。そう考えたら、先輩に流れる古の巫女の血にも説明がつきますから」

 そこまで聞いて、悠斗は思わず乾いた笑いを漏らした。

「はは、花守の巫女の子孫の可能性があるって? そんな偉業を成し遂げてたら、きっと僕の家はもっと大きくなってたよ。まぁ、確かに僕の家系は桜織創設の関係者らしいけどさ」

「桜織の創設……ですか?」

 美琴の目がわずかに見開かれる。

「うん。僕の家系はね、何やら桜織の創設に関わってるみたいなんだ。もうその歴史はあまりに古くて、そんな話も忘れられつつあるみたいだけど、意外とすごい生まれみたいなんだよね」

 言いながら、悠斗自身どこか現実味の薄い話だと感じていた。幼い頃から断片的に聞かされてはいたものの、昔話の延長のような響きが強い。今まで、深く考えたことはなかった。

 けれど——こうして同じ数字が幾度も重なってくると、かつての曖昧な話がにわかに別の輪郭を帯び始める。

 美琴はすぐには言葉を返さなかった。悠斗を見る目が、ほんの少しだけ変わっている。驚きがあった。それだけではない。何かと何かを繋ぎ合わせるように、視線がかすかに揺れて——けれどその先を、美琴は口にしなかった。​​​​​​​​​​​​​​​​

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜    読者の皆さまへ

    ### 作品をより良くするための挑戦 この作品は、**物語の良さを最大限に引き出すため**に、大きく二つの改訂を行います。 一つ目は、視点の変更です。 当初は一人称で書いていましたが、**三人称一元視点(悠斗の内面に寄り添う視点)** に変更しました。これは、読者の皆さまにより深く物語の世界に没入していただくための選択でした。 一人称では表現しきれなかった、**静かな空気感**、**日常に滲み出る異常**、そして**じわりと背筋を這い上がる怖さ**。それらを、より豊かに、より美しく描くことができたと感じています。 二つ目は、内容のテコ入れです。 物語の核心は変えず、展開やシーンの構成を見直します。より自然な流れで、より緊張感のある展開で、悠斗と琴音の物語が読者の心に届くように。 ### でも、変わらないもの どれだけ手を加えても、**絶対に失いたくなかったもの**があります。 それは、**この物語が持つ温かさと切なさ**。 春の桜、夕陽の茜色、風に揺れる髪。そんな美しい日常の中に、静かに、でも確かに存在する「この世ならざるもの」との繋がり。 **悠斗の優しさ**と**美琴の儚さ**。二人の間に流れる、言葉にならない想い。 それらは、最初に書いた時から、ずっと変わらず、この物語の心臓として脈打っています。 ### 最後に この物語が、皆さまの心に、少しでも残るものであれば幸いです。 怖さの中にある優しさ。日常の中にある奇跡。そして、縁が結ぶ不思議な物語。 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   裏設定

    皆さん、物語を読んでいただきありがとうございます! ここでは、物語をさらに深く楽しんでいただくために、いくつかの裏設定を少しだけ解説したいと思います。 Q1. 迦夜(かや)って、結局何だったの? 第七章で悠斗たちを苦しめた《迦夜》。彼女たちは、琴音の呪いによって生まれた「歴史への怨嗟の集合体」です。 しかし、琴音が戦いの最中に言ったこのセリフ、気になりませんでしたか? > 『ぐぅ……! 吸収し損ねた迦夜の残骸か……! はみ出し者の分際で、妾に逆らうとは……っ!!』 実は、琴音はこの千年もの間、自らが振りまいた呪いが生み出す怨念を、その身に吸収し続けていました。 迦夜の力も怨みも。 つまり、悠斗たちが戦った迦夜は、その巨大な器から**ほんの少しだけ溢れ出してしまった「残骸」**にすぎません。 Q2. なぜ沙月(さつき)の血筋だけが、他の巫女より長生きできたの? 美琴の血筋をはじめ、多くの巫女たちが二十代という若さで命を落とす中、なぜ沙月の子孫だけは比較的長く生きられたのか。 その答えは、**沙月が呪いの元凶である琴音の「実の妹」**だったからです。 力の源流に最も近い血を持つ沙月は、琴音の力を扱える器でした。 (もちろん、全く呪われていない訳ではありません) 例えるなら、他の巫女たちの呪いの進行速度を「2倍速」とすると、沙月の子孫は「等速」で進む、というイメージです。 それ故に、他の巫女よりは長く、三十代~四十代まで生きることができました。 悠斗に一切呪いがないのは、沙月の子孫への強い想いから繋がった、祈りという名の奇跡なのです。 Q3. 忘れられた創設者・沙月の歴史 桜織市の創設者である沙月の歴史は、あまりにも長すぎるため、そのほとんどが人々の記憶から忘れ去られています。 温泉郷にかすかに「清き巫女の伝説」が残るのみで、その全貌を知るのは、桜織神社の墓守である藤次郎の一族だけです。 なぜ歴史が忘れられたのか? それは、沙月自身がそう望んだからです。 彼女は、自分の子孫たちが過酷な宿命に縛られず、自由に生きてほしいと願い、藤次郎の祖先に「真実を語り継ぐ必要はない」と伝えていました。 ちなみに、沙月には**《葵(あおい)》**という娘がいました。 白蛇様の分身体を封印する覚悟を決めた沙月は、その少し前に、娘を父方の家系へと

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の結び

    あれから――さらに、百年もの歳月が流れようとしていた。 悠久の風がこの白蛇山の山頂を吹き抜ける中、妾は静かに見守り続けていた。悠斗に遺した妾の血を媒体に、彼と美琴、そしてその子孫たちが紡ぐ、すべての記憶と感情を。 それが、妾が自らに課した最後の贖罪であったから。 二人は、実に満ち足りた生涯を送った。 まるで失われた時間を取り戻すかのように、笑い、愛し合い、時には些細なことで喧嘩をしながらも、固く手を携えて歩んだ。やがて、その腕に新しい命を抱き、慈しみ、育て、そして次の世代へと縁を繋いでいった。 霊砂や百合香たち、古の巫女たちもまた、穏やかに天寿を全うし、安らかな眠りについた。 その最後の魂が天へと昇ったのを見届けたとき……妾の役目も、ようやく終わったのだ。 あぁ……なんと壮大で、愛おしい記録であったことか。 妾の呪いが彼らを、そして多くの者を苦しめてしまった事実に変わりはない。 だが、妾の血を引き継いだ彼らの子孫たちが、この先も数多の物語を紡いでいく。かつてあれほど憎らしいとさえ思ったその事実が、今ではむしろ……誇らしく、喜ばしいとさえ感じるのだ。 そんなことを想いながら空を仰いでいた、その時だった。 『……姉上……』 ふと、天から懐かしい声が聞こえたような気がした。 いや、気のせいではない。魂に直接響く、凛として、それでいて慈しみに満ちた声。 『む……?』 『姉上……』 見上げると、雲間から柔らかな光が差し、天からひとつの人影が、静かに舞い降りてくる。 妾の記憶にある、ただ一人の姿。 『……沙月……!』 『迎えにまいりました』 地に降り立った妹は、以前と何ひとつ変わらぬ、穏やかな微笑みを浮かべていた。 かつては、その清廉さが息苦しくもあった。だが……それがいまは、どうしようもなく心地よい。 『ふふ……そなたの蒔いた種が、見事な花を咲かせ……こうして、妾を解放するに至った。感謝するぞ、沙月』 そう告げると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、そっと妾の手を取った。 差し出されたその手は、記憶にあるどの温もりよりも柔らかく、そして、暖かかった。千年の時を超え、ようやく妹の手に触れることができたのだ。 さぁ、天へと上がろう。 悠久の時を、今度こそ二人で。 そして、この地に生きる、まだ見ぬ愛しき子孫たちよ。

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の最終話:縁が結ぶ光

    あれから――十六年が経った。 月日は慌ただしく流れ、私の日常も大きく姿を変えた。 私は今、この桜織市で『結び屋』という名の霊媒処を営んでいる。 古の巫女である霊砂さんたちとの交流は続き、私の方から「一緒に霊媒師をやらないか」と声を掛けたところ、彼女たちも快く受け入れてくれた。今では、皆が『結び屋』の正式な仲間だ。 皆の助けもあってか、いつしか「よく当たる」などと評判になり、かつてのような無名の存在ではなくなった。 けれど、やっていることは昔と何も変わらない。 ただ静かに、迷える霊たちの傍に寄り添い、その”想い”と向き合い――癒すだけ。 かつて、彼女がそうしてくれたように。 *** バスの車窓から、ふと紅い影を纏った霊を見つける。すぐに停止ボタンを押し、運賃を払ってバスを降りた。 いた。あの霊だ。 「こんにちは。何か、お困り事でも?」 私は、路地裏に佇むその霊に、臆することなく声をかける。 『あんた……私が見えるのね……』 「ええ。何か抱えている想いがあるはずです。私でよければお聞きしますよ」 『……なんで……なんで私が死ななきゃいけなかったの!? あいつが……あいつが悪いのに……!』 胸の内に渦巻く、未練と怒り。それはまだ”すれ違い”の最中なのだろう。 「よければ……あなたの話を、聞かせてくれませんか。私にも、力になれることがあるかもしれません」 これまで、幾度となく見てきた。怒りに呑まれ、世界を恨んだ霊たちも――きちんと”言葉”を交わせば、癒えるのだと。 *** 『……ってわけがあってねぇ……』 先ほどまで荒れ狂っていた霊は、今ではすっかり落ち着き、赤く禍々しかった気配も、まるで嘘のように消えていた。 「なるほど……それは、とてもお辛かったですね」 そう伝えると、彼女の身体が透き通り始める。成仏の兆候だ。 「あとは私が、あなたの想いを引き継ぎましょう」 『……ほんとに? いや……なんだか、あんたは信用できる気がするよ……』 彼女は、誤解の果てに彷徨っていた。だが、その誤解はいま解けた。約束通り、後日、彼女の言葉を伝えるために”その人”へ連絡を取るつもりだ。それが、私の仕事。私が選んだ、生き方。 『……あぁ……なんだか……心地がいいや……』 彼女の姿がさらに透け、やがて光の粒子となり、静かに――天へと昇っていっ

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百八十:おかえりとただいま

    僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。 彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。 美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今更ながら胸が痛む。 この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの魂に支えられて今、ここにあるのだ。 琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように深く愛していた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。 けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。 「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」 その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に深い悲しみがよぎる。でも彼は、変わらず優しく微笑んでくれた。 「……はい」 僕は深く頷いた。 *** 車内の空気は、しばらく静寂に包まれた。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。 「元気でな、悠斗君!」 別れ際、彼は笑顔で手を振った。 「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」 その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。 だけど彼は、そっと首を横に振った。 「これは俺が、一人でやりたいことだから」 彼の瞳は、どこか遠い空を見つめていた。 そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと── (……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと) そう心に誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。 「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」 その声が遠ざかっていく。 僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。 *** 輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。 バスの振動に揺られながら、窓に映る自分の顔が、やけに強張っていることに気づいた。もう何度も来ているはずの場所なのに、今日は心が落ち着かない。大切な報告があるからか、それとも、これまで

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百七十九:終幕のその先へ

    「……よく戻ったな」 長老の家の前に立ったとき、あの慈愛に満ちた声が出迎えてくれた。 琴音様のことを村人たちに伝え終え、僕はひとり、この家を訪れていた。理由はふたつ。ひとつは――琴音様が告げた、美琴の転生の話を伝えるため。この人にとっても、美琴はきっと、大切な存在だったから。 「長老……琴音様から、美琴についてのお話がありました」 「ふむ……聞こう」 僕は、琴音様が語った言葉をそのまま伝えた。十数年後、美琴は再びこの世に生を受け、僕のもとへ還ってくる、と。 「琴音様が……そんなことを……?」 長老は、にわかには信じがたいといった表情で目を細めた。だが、その深く刻まれた皺の奥で、小さな希望の灯火が宿るのが見えた。 僕は静かに頷く。 「はい。あのとき、琴音様は力強くそう言ってくれました。……あの瞳に、迷いはありませんでした」 ゆっくりと、深く頷いた長老の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。 「そうかぁ……そうかぁ……」 何度も繰り返されるその声に、どれほどの想いが込められていたのか――僕は、その涙の重みを、ただ静かに見守った。 そして――もうひとつ。 「長老、もうひとつ……お願いがあります」 「ほう? なんじゃ?」 「沙月さんの情報を……すべて、正しく書き直してほしいんです」 しばしの沈黙の後、長老は目を閉じて静かに問い返す。 「それは……構わんが、なぜ今になって?」 「沙月さんのこの村での記録は、偽られたままです。本当のことが、何ひとつ残されていない……。千鶴さんが、彼女の子孫である僕達を守るためにそうしたのは分かります。でも、今はもう――その呪いも、終わったから……」 かつて琴音様が残した呪いは、もう祓われた。今の村には、彼女を知る人もいない。それなら、もう……彼女の人生を”真実”として刻んでもいいはずだ。 「ふむ……。では、文献を作り直そう」 そう言って、長老は真っ直ぐ僕を見つめ、力強く頷いてくれた。その声に、ひとかけらの迷いもなかった。 「ありがとうございます」 知らず知らずのうちに詰めていた息が、そっと吐き出された。 「して……その沙月様について詳しく話してくれるか?」 「もちろんです」 そうして、僕は語りはじめた。あの人が歩んできた、千年の祈りの軌跡を。温泉郷で呪われた霊たちを鎮めたこと。僕に呪いが宿って

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百十六:絶望の処方箋

    俯いたままの僕を、美琴はまっすぐに見つめていた。 「悠斗君、あなたはね……間違いなく成長してるよ」 その声は、やわらかく、でも胸の奥まで届くほど真っ直ぐだった。優しさに包まれているのに、不思議と甘さはなくて。まるで、確信だけを結晶にしたような響きだった。 「だから……自分が成長してないなんて、思わないで」 「……!」 思わず、顔を上げた。目が合った瞬間、胸の奥にしまい込んでいた感情が、ざわりと揺れる。 「……本当に、そう思ってくれるの……?」 自分でもわかるほど、縋るような声だった。情けない。でも、それしか出てこなかった。 「うん。霊力の扱いに関しては、もう比べ物にならないくら

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百十四:恐怖の正体、無力の証明

    「あれは……幽護ノ帳……?」 間違いない。 見た目も、そこから発せられる禍々しい気配も、僕の知っているものとはまるで違う。けれど、その術が持つ根本的な構造、その霊的な“骨格”とでも言うべきものが、僕自身の術と寸分違わず一致している。魂が、それが同質のものであると、嫌でも理解させられる。 だが、どうして。なぜ、あの怨霊が、巫女の血を引く僕たちだけの術を使える? 思考が混乱の渦に飲み込まれかけた、その時だった。脳の一片だけが氷のように冷静に、先ほどの光景をフラッシュバックさせる。 (そうだ……迦夜は、ボロボロの巫女服を……着ていた……) その瞬間、頭の中で何かが、かちりと音を立てて繋が

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   百十三話:目覚め

     ん、と喉の奥で声が鳴った。  瞼の裏に薄い光が滲む。意識が浮上するより先に、右手の感覚が戻ってきた——指先に、柔らかな温もり。どうやら美琴の手を握ったまま眠っていたらしい。  頬に冷たいものが伝う。涎だった。椅子の背にもたれた首が痛みを訴え、悠斗はのろのろと顔を上げた。 「悠斗くん、目が覚めましたか?」  目が合った。  布団の上に半身を起こした美琴が、こちらを見ている。焦げ茶のポニーテールは解かれ、肩に散った髪が朝の薄明かりを受けて淡く光っていた。頬に赤みがある。昨夜の蝋のような白さは、もうどこにもない。 「美琴——!?」  椅子が軋んだ。身を乗り出した拍子に、肩にかけられて

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   百十〇話:炎の対価

     黒崎の叫びが、空気に溶けていく。  最後の残響が消えるより先に、美琴の身体が傾いだ。 「美琴っ!」  駆け寄る。彼女の肩を掴んだ手に、熱が伝わった。異常な熱。制服越しでもわかるほどの。 「……はぁ……はぁ……」  額から汗が流れ落ちている。一筋ではない。滝のように。風鳴トンネルのときとは比べものにならなかった。あのときも代償はあった。でもここまでじゃない。顔色は紙のように白く、呼吸のたびに肩が大きく揺れている。 「ご……ごめん、なさい……。代償が……きます……っ」 「謝らなくていい!!」  声が裏返った。そんなことはどうでもよかった。 「お、おい! これが代償ってやつなのか

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status