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縁が結ぶ影
縁が結ぶ影
作者: 渡瀬藍兵

1.桜が紡ぐ町

作者: 渡瀬藍兵
last update 公開日: 2026-07-17 07:56:06

   ────────────────

『私は……何のために生まれてきたんだろう』

「……君にしか、成し得ないことがあったからだ」

『でも、そこに私の気持ちが入り込む隙間なんて、どこにもなかった』

「それでも君は、その命を燃やし続けた。鮮やかに――春になれば咲き、やがて散っていく桜のように」

「君が成し遂げたことは、決して無駄ではない。払った代償は、あまりにも大きかった。けれど、私は知っている」

 わずかな沈黙のあと、声は静かに告げた。

「……私こそが、君がここにいた証だ」

   ────────────────

 桜が、降っていた。

 薄桃色の花びらが春の光を透かし、風に乗って古い町並みを流れていく。|石畳《いしだたみ》に落ちるものもあれば、|瓦屋根《かわらやね》の上を滑っていくものもある。ひとひらが僕の肩に触れ、すぐにまた宙へさらわれていった。

 僕は|通学鞄《つうがくかばん》の肩紐を持ち直しながら、その行方を目で追った。

 僕の名前は、|櫻井《さくらい》|悠斗《ゆうと》。

 今日から高校二年生になる。

 一見すれば、どこにでもいる地味な高校生だと思う。目立つような容姿でもなければ、人に自慢できる特技があるわけでもない。

 ただ、ひとつだけ。

 僕には、本来なら見えないはずのものが見える。

 それさえ除けば、本当に何の変哲もない高校生だった。

 ここは、|風穂県《かざほけん》|桜織市《さくらおりし》。

 格子戸の並ぶ町家や、白壁の蔵、細い水路に架けられた石橋が、今も古い時代の面影を残している。千年もの昔から桜とともに歴史を織り上げてきた――そんな言い伝えから、桜織の名がついたらしい。

 その名に違わず、町の至るところに桜がある。

 川沿いにも、駅のホームにも、寺社へ続く石段にも。バスの窓から外を眺めても、電車を待っていても、春の桜織で桜を目にしない日は一日たりともない。

 今朝も街じゅうが淡い色に染まり、冷えた空気の中に、花のかすかな甘い匂いが混じっていた。

「あら、悠斗ちゃん!」

 通りに面した|煙草屋《たばこや》から、朗らかな声が飛んできた。

 顔を向けると、店番のおばさんが軒先から身を乗り出し、こちらへ大きく手を振っている。赤い「たばこ」の看板の下で、いつもと変わらない元気そうな笑顔を浮かべていた。

「あ、どうも。おはようございます」

「今日から高校二年生だろう? 桜もこんなに見事に咲いて、縁起のいい門出になりそうだねえ」

 おばさんの目尻に、柔らかな皺が寄る。

「悠斗ちゃんは昔からいい子だからね。今年もきっと、いい一年になるよ」

「あはは……ありがとうございます。そうなるといいんですけど」

 正面からそんなことを言われると、どうにも気恥ずかしい。曖昧に笑いながら頭を下げると、おばさんは「いってらっしゃい」と、もう一度手を振ってくれた。

 僕も軽く手を上げて応え、再び学校へ向かって歩き出す。

 足元を、風に追われた花びらが転がっていった。

 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸

 始業式を終えたばかりの教室は、新しいクラス特有の浮ついた熱気に満ちていた。

「おっ、今年はお前と一緒のクラスか!」

「またお前かよ。勘弁してくれって」

「ねえ、担任って誰だろ。まさか去年と同じじゃないよね?」

「部活どうする? 今年こそ大会に出るんだろ?」

 あちこちから飛び交う声が重なり、教室の空気を騒がしく揺らしている。

 机を寄せ合って笑う者。廊下へ顔を出し、別のクラスになった友人を探す者。黒板の前に集まり、張り出された名簿を覗き込む者。

 誰もが、まだ何ひとつ始まっていない一年に、何かを期待しているように見えた。

 …僕は、その輪の外側にいた。

 別に、誰とも話せないわけではない。声をかけられれば返事をするし、挨拶だってする。

 けれど、自分からあの輪の中へ踏み込もうとすると、足が一歩だけ重くなる。

 それは、昔から変わらなかった。

 みんなと同じ場所にいて、同じものを見ているはずなのに、自分だけが違う景色を見ているような感覚。

 弾けるような笑い声の奥に、誰かの溜息が混じって聞こえる。

 誰もいない廊下を、足音だけが通り過ぎていく。

 窓ガラスの端に、そこにいるはずのない影が映る。

 桜の木の下に、もうこの世にはいない誰かの気配が立っている。

 そんなことを口にしたところで、相手を困らせるだけだということを、僕はとっくに知っていた。

 だから、何も言わない。

 見えないふりをして、聞こえないふりをして、窓の外へ視線を逃がす。

 春の風が吹き抜け、校庭の桜が一斉に花びらを放った。

 桜は今日も、何も知らない顔で舞っていた。

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