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10.予想外の告白

作者: 渡瀬藍兵
last update 公開日: 2026-07-17 12:40:41

 ──櫻井悠斗──

 目の前の扉が、軋んだ音を立てて開いた。

 暗闇を切り裂くように、白い光が差し込んでくる。ライトの光をまともに浴びた僕は、眩しさに耐えきれず顔を背けた。

「えっ……!? さ、櫻井先輩……!?」

 驚きに弾んだ声が、静まり返った廊下に響く。

 この声――聞き覚えがある。

 まさか。

 恐る恐る顔を上げると、ライトを下ろした少女の姿が闇の中から浮かび上がった。

 桜翁の前で出会った、一年生の少女。

 ――月瀬美琴さんだった。

「月瀬さん……!?」

 どうして彼女がここにいるんだ。

 疑問ばかりが頭の中を駆け巡り、何一つ答えにたどり着かない。

 月瀬さんは急いで僕のそばまで来ると、床に座り込んでいる僕と目線を合わせるようにしゃがんだ。

「先輩、大丈夫ですか? どうして、このような場所に……?」

 戸惑いを滲ませながら、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。

 それは、こっちの台詞なんだけど……。

 そう言いかけて、口を閉じた。

 月瀬さんが扉を開けてくれなければ、あのまま僕がどうなっていたか分からない。まずは僕から事情を話すべきだろう。

「実は、僕の幼なじみがここへ入り込んだみたいなんだ。昨日から家にも帰っていないらしくて……それで、僕が探しに来たんだよ」

「……そういうことでしたか」

 月瀬さんは納得したように頷いた。

「ところで、その……月瀬さんは、どうしてこんなところへ?」

「私は、こちらを届けに来たんです」

「届ける……?」

 月瀬さんは肩に掛けていた鞄を開き、中を探り始めた。

 やがて取り出したのは、白いハンカチに包まれた小さな何かだった。

 膝の上で丁寧に布を広げる。

 中から現れたのは、木彫りの犬だった。

 表面は黒ずみ、全身に深い傷が刻まれている。片脚も途中から折れて失われていた。それでも、丸みを帯びた素朴な形からは、誰かの手で大切にされてきたような温かさが感じられた。

 これを届けに来たって……誰に?

 こんな廃病院にいる相手なんて――。

「それよりも、先ほど……ものすごい音が聞こえましたけど」

「うっ……」

 心臓がぎくりと跳ねた。

 きっと、僕が霊に吹き飛ばされ、扉へ叩きつけられたときの音だ。

 けれど、正直に話していいものなのだろうか。

 霊に襲われました――なんて口にしたところで、普通なら信じてもらえるはずがない。

「こ、転んじゃって……あはは……」

 考えた末に口から出たのは、自分でも呆れるほど下手な嘘だった。

 一体どう転べば、あれほど大きな音が鳴るのか。

 言ってしまった以上、もう引き返せない。どうにか信じてくれと祈りながら笑ってみせたものの、月瀬さんの表情は変わらなかった。

「ええと……それは、嘘ですよね?」

 やっぱり駄目だった。

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙が、僕たちの間に落ちる。

 遠くで、どこからか水滴の落ちる音がした。

 どうやって誤魔化そう。

 必死に次の言葉を探していると、月瀬さんが静かに口を開いた。

「先輩には、幽霊が見えているのですよね?」

「……え?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 月瀬さんは、冗談を口にした様子もなく僕を見つめている。

「私にも、ここにいる方々の姿が見えています。ですから、先輩が何を隠そうとしているのか、何となく分かってしまうんです」

 その瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。

 僕と母さん以外にも、霊が見える人がいる。

 僕と同じものを見て、同じ声を聞くことのできる人が、今、目の前にいる。

 誰かに説明することも、信じてもらおうとすることもなく、僕の見ている世界を分かってくれる人がいる。

 その事実だけで、胸の奥に凝り固まっていた何かが、ほんの少しほどけたような気がした。

「月瀬さんも、霊が……見えるの?」

「はい。ですから、私には隠さなくて大丈夫ですよ」

 月瀬さんの声は穏やかだった。

「先ほどの音も、霊の仕業だったのですよね?」

「う、うん。実は、ここにいる男の子の霊と出くわしてさ。いきなり吹き飛ばされて、扉に叩きつけられたんだ」

「なるほど……」

 月瀬さんはわずかに眉を寄せ、何かを考えるように木彫りの犬へ視線を落とした。

 それ以上深く聞かれると、情けない姿をすべて話すことになりそうだ。

 僕は慌てて話題を変えた。

「あ、あのさ。届けに来たって言ってたけど……それ、誰に?」

 尋ねると、月瀬さんは木彫りの犬を両手で包み込んだ。

 まるで壊れやすい宝物を守るような、とても優しい手つきだった。

「この病院に留まり続けている男の子――山口誠也くんにです」

「……誠也くんに?」

 つい先ほどまで僕を追い詰めていた、あの男の子。

 どうして月瀬さんが、その名前を知っているんだ。

 けれど、木彫りの犬を見つめる彼女の横顔に、嘘をついているような様子はなかった。

 月瀬さんは間違いなく、誠也くんのことを知っている。

「ですが、急がなければなりません」

 先ほどまでの穏やかな声が、僅かに重くなった。

「あの子は、あまりにも長いあいだ、この世に留まり続けています。積み重なった寂しさは、やがて怒りへ変わり……今では、深い恨みになりかけています」

 木彫りの犬を握る彼女の指先に、わずかに力がこもる。

「ですから、一刻も早く見つけ出して、あるべき場所へ還してあげなければなりません」

「還すって……」

 霊を、あるべき場所へ還す。

 とても、僕より年下の高校一年生が口にするような言葉とは思えなかった。

 まるで、本物の霊媒師みたいだ。

「でも、そんな……霊能力者みたいなこと、本当にできるの?」

「できます」

 僕の疑いを断ち切るように、月瀬さんは即座に答えた。

 そして、真っ直ぐに僕の目を見つめる。

「私は、先輩がおっしゃった通り――霊能力者ですから」

 その言葉には、一切の迷いがなかった。

「霊能力者……」

 あまりに予想外の告白に、それ以上の言葉が出てこない。

「先輩は、お友達を捜しに来たのですよね?」

「う、うん」

「でしたら、なおさら誠也くんを先に見つけなければなりません」

 月瀬さんの表情が、さらに険しくなる。

「先輩のお友達を助けなければなりません。けれど同時に、誠也くんをこれ以上、この病院へ囚われたままにしておくこともできないのです」

 静かな口調だった。

 けれど、その声には隠しきれない焦りが滲んでいた。

「誠也くんが理性を保っていられる時間は、もうほとんど残されていません。このまま完全に悪霊となってしまえば、先輩のお友達を助けることも難しくなります」

「それは……!」

 翔太の顔が脳裏に浮かんだ。

 こんな場所へ一人で乗り込んできて、僕にできたことは何もない。

 けれど月瀬さんは、誠也くんを助ける方法を知っている。

 少なくとも、僕なんかよりずっと、この場所で何をすべきなのか分かっている。

「ですから、先輩」

 月瀬さんが立ち上がり、僕へ手を差し伸べた。

「今は、私と一緒に誠也くんを捜しましょう。ついてきてください」

 廃病院の闇の中で、その小さな手だけが、妙にはっきりと見えた。

「少なくとも、私のそばにいてくだされば大丈夫です。先輩のことは、私が必ずお守りしますから」

 年下の女の子に守ると言われるのは、さすがに少し情けない。

 それでも今の僕に、意地を張っている余裕なんてなかった。

「……分かった。月瀬さんを信じるよ」

 差し出された手を取る。

 その手は細く、驚くほど柔らかかった。

 けれど、闇と冷気に閉ざされたこの病院で触れたその温もりは、不思議なくらい心強かった。

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