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第6話

徒然
あのときの言葉を、そのまま返した。

彼も思い出したのだろう。

私の手首をつかむ力が、ふっとゆるんだ。

フランクの車に乗ってから、私は気まずくなって頭をかいた。

「変なところ見せちゃったね。元旦那、ちょっとおかしいんだ。

助けてくれてありがとう」

フランクは笑った。

「お礼なんていいよ」

彼は私のシートベルトを引き出して留めると、片目をつむってみせた。

「ただ、さっき言ったこと、いつでも本気だから。

紗和が俺と一緒にいたいと思ってくれるなら、俺の婚約者は紗和だよ」

私は返事をしなかった。

失敗した結婚を終えたばかりで、もう少し時間をかけて自分を取り戻したい。

自分の気持ちを整理したい。

そう伝えるだけにした。

車を降りるとき、私は振り返って彼を見た。

「キャンディの瓶、返して。あの人のものを、あなたのところに残しておくわけにはいかないから」

フランクは首を横に振った。

「だからこそ、紗和のところには置いておけないよ」

それでも説得しようとすると、彼は胸を押さえ、今にも泣き出しそうな顔をした。

「紗和、元旦那のために俺のお願いを断るの?」

私は押し
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  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第7話

    彼は、私の首元の赤いマフラーを何度も整えた。そして、風邪だけはひかないでくれと小さくぼやく。私は思わず笑った。彼があの赤い毛糸玉を受け取ったとき、涙を流していた姿を思い出したからだ。あんなに大柄な人が、ぼろぼろになった毛糸玉を抱えて、ぐしゃぐしゃに泣いていた。しゃくり上げながら、絶対に直すと言っていた。私は、編み針に触ったこともないくせに、絵を描くことしかできない人がどうやって直すの、と笑った。彼は何も言わなかった。ただ目を赤くしたまま、その夜のうちに十数パターンものマフラーの絵を描き、私に確認させた。ここを直して。そこは違う。そうして、元の形を一つずつ確かめていった。その頃から、彼はよく姿を消すようになった。何をしているのか、妙にこそこそしていた。私は、彼が編み物教室に通っていることに気づかないふりをした。背中の後ろに隠した編み針も、見ていないふりをした。本当に、ばかな人だ。編み物教室の申し込みメールはスマホに堂々と残っているし、あんなに長い編み針を横向きに背中へ隠せるはずもないのに。……私の誕生日の日。彼は、昔とそっくり同じ赤いマフラーを取り出した。私はそれを巻き、彼の腕に寄り添って笑った。「これで、また支えが二つになった」彼には、意味が分からなかったはずだ。それでも、私と一緒に笑ってくれた。私たちはふざけ合いながら玄関へ向かった。そこで、呼んでもいない客に出くわした。樹はギフトバッグを提げていた。その後ろには、いかにも傷ついたふうな顔をした美詩が立っている。私たちを見るなり、樹は慌ててギフトバッグから赤いマフラーを取り出した。急いで私に見せようとして、私の首元に巻かれているものに気づく。以前と、まったく同じ赤いマフラー。樹は、手の中のマフラーを握りしめた。柔らかいはずのそれを握りながら、目元を赤くしている。「これは俺が編んだ。お前が戻ってきてくれるのを、待っていた」褒めてほしそうな言葉だった。けれど今の彼は、そのマフラーを私に見せることさえ恥じているようだった。きっと、気づいたのだ。良かれと思って入れた小さな柄や模様のせいで、それがもう、元のマフラーとは別物になってしまったことに。彼がどんな気持ちなのか、私

  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第6話

    あのときの言葉を、そのまま返した。彼も思い出したのだろう。私の手首をつかむ力が、ふっとゆるんだ。フランクの車に乗ってから、私は気まずくなって頭をかいた。「変なところ見せちゃったね。元旦那、ちょっとおかしいんだ。助けてくれてありがとう」フランクは笑った。「お礼なんていいよ」彼は私のシートベルトを引き出して留めると、片目をつむってみせた。「ただ、さっき言ったこと、いつでも本気だから。紗和が俺と一緒にいたいと思ってくれるなら、俺の婚約者は紗和だよ」私は返事をしなかった。失敗した結婚を終えたばかりで、もう少し時間をかけて自分を取り戻したい。自分の気持ちを整理したい。そう伝えるだけにした。車を降りるとき、私は振り返って彼を見た。「キャンディの瓶、返して。あの人のものを、あなたのところに残しておくわけにはいかないから」フランクは首を横に振った。「だからこそ、紗和のところには置いておけないよ」それでも説得しようとすると、彼は胸を押さえ、今にも泣き出しそうな顔をした。「紗和、元旦那のために俺のお願いを断るの?」私は押し切られ、結局その瓶は預けることにした。……一週間後、海の向こうから荷物が届いた。樹が署名した離婚届だった。私はようやく息をついた。日々は、少しずつ正しい軌道に戻っていった。気の置けない友人が何人かでき、記者としての仕事も順調に進んだ。ほどなく昇進も決まり、恋の気配まで少しずつ増えてきたように思えた。樹は、まるで消えてしまったかのようだった。彼の消息を再び耳にしたのは、メディアの記事を通してだった。画風が激変したという。以前の、みずみずしく自然な雰囲気はすっかり消え、代わりに画面いっぱいの重苦しさと憎しみが広がっている、と。彼が公の場で、自分のインスピレーションの源であるミューズは、実は元妻だったと名指しした。さらには、取り憑かれたように絵を描く時間を削って、いわゆる恋愛カウンセラーに相談し、大金をだまし取られたという話まであった。私はそれを聞いて、ただ笑った。日々は相変わらず、静かに過ぎていく。彼はまた新作を発表した。テーマは、やはり『永遠の愛』。けれど内容は第一作よりもさらに痛々しく、さらに狂気じみていた。ま

  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第5話

    これ以上、彼の芝居に付き合う気にはなれなかった。私は苛立ちを隠さずに言った。「じゃあ、もう帰ってくれる?」彼は口を開いた。私を引き止めようとしたらしい。けれど、手についた花粉が気になるのか、近づくことも離れることもできずにいた。私は深く息を吸い、彼の横を通り過ぎる。そのとき、震えるような小さな声が聞こえた。「悪かった」樹が、こんなふうに頭を下げて謝るところを、私は一度も見たことがなかった。ひどくばつが悪そうで。ひどく、御影樹らしくない。昔の私なら、きっとその顔をじっくり眺めていただろう。彼が耳まで赤くなるまでからかって、ようやく満足したはずだ。でも今は、その芝居じみた謝罪が気持ち悪いだけだった。……仕事は順調だった。樹と過ごした六年間で積み上げた美術の知識を生かし、私は国際的にも知られる画家、フランクへの取材を無事に取りつけた。共通の話題が多かったこともあり、私たちはそれなりにうまくやっていた。彼は樹とは違う。外向的で、気さくで、いつも目元に笑みを浮かべている。話も弾む人で、場の空気を冷ますことがなかった。樹と並んでも見劣りしない顔立ちのせいもあって、私は少しだけフランクに好感を持っていた。二度目の取材が終わり、フランクを会社の外まで見送ったときだった。そこで、樹に出くわした。彼は車にもたれていた。私を見ると、数歩でこちらへ近づいてくる。そこでようやく、彼が何を持っているのか分かった。キャンディの瓶だった。けれど、中に入っていたのはキャンディではない。透明なキャンディの包み紙で折られた、たくさんの折り鶴だった。付き合って二年目の頃、彼に聞かれたことがある。どうしていつも折り鶴を折っているのか、と。私は言った。このキャンディ瓶いっぱいに折り鶴を詰めたら、それを「結納品」にして、私があなたを「お嫁にもらう」のだと。彼はおかしそうに笑い、私の頭を撫でただけで、何も言わなかった。けれど、私が瓶いっぱいのキャンディを食べ切って虫歯になる前に、彼は黙ってプロポーズしてくれた。私は急に怖くなった。フランクに、私たちの過去を知られるのが怖かった。樹が本当にそのキャンディ瓶を持って、もう一度、私の前で片膝をつくのが怖かった。樹は私

  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第4話

    到着してから、私はネットで内見を予約していた家を見に行った。部屋は広く、南向きで日当たりもいい。庭には、枝を大きく広げたマンゴーの木まであった。大家さんは満足そうに言った。「これはね、南国から取り寄せたものなんです。大事に育てれば、毎年実がなりますよ」私は小さく笑い、マンゴーの幹にそっと触れた。「マンゴーなんて、もうずいぶん食べていません」「どうしてですか?」樹にアレルギーがあったから。それに、あの鮮やかな黄色を見るのも嫌がったから。私はその理由を飲み込み、軽く手を振った。「大した理由じゃありません。今はもう、関係のないことですから」一週間後、私は新しい会社に入社した。会社では歓迎会を開いてくれて、私はかなり飲んだ。少しふらつきながら家へ向かっていると、知らない番号から電話がかかってきた。深く考えずに出る。「紗和、お前、何を騒いでる?」電話の向こうから聞こえた声には、妙に覚えがあった。私は酔いでぼんやりする頭を揺らした。「誰?元旦那に声、似てるね」そう言って、自分で先に笑ってしまう。「ありえないか。あの人は大画家だから。毎日、自分のミューズにお茶を出したり、優しく気遣ったりして、忙しいはずだもんね」電話の向こうの男が、もう一度口を開いた。「俺だ。樹だ。ひとまず戻ってこい。誤解なら、いくらでも解ける」御影樹。昔の私なら、その名前だけで胸が跳ねた。今では、酔いを一気に冷ます氷水でしかない。「戻る?どこへ?私の好きな服が一着もなくて、母の形見ひとつ置いておけない家に?」彼はため息をついた。「違う、そうじゃ――」私は彼の言葉を遮った。「それとも、誤解って何?あなたと彼女がカップル取材を受けたこと?ペアリングをしていたこと?私が仕事を失う原因を作ったこと?それとも、何度も私を雨の中に置き去りにしたこと?」電話の向こうが、しばらく黙った。次に聞こえた声は、少しかすれていた。「そんなに傷ついていたなんて、知らなかった」私は怒りを通り越して、笑ってしまった。「知らなかった?そんなに何も見えてなくても、画家ってできるんだね。私たちの間に、誤解なんてない。あなたはただ、私が傷ついているかどうかなんて、最初から気にもしていなかっただけ

  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第3話

    私は聞こえなかったふりをして、気に入ったウサギのぬいぐるみを手に取った。そのまま店を出ようとする。「紗和!」手首を、樹に掴まれた。彼は私の目を見て、一瞬だけ動きを止める。「お前……なんか変じゃないか?」「そう?」樹は何か言いかけた。けれど、手に込める力はさらに強くなる。痛みに顔をしかめた瞬間、美詩が私の手からぬいぐるみを奪い取った。「これ、かわいい!紗和、私のものを奪ったんだから、これくらい譲ってよ」「美詩、いたずらしないで、それは彼女が先に取った――」樹はぬいぐるみを取り返し、私に渡そうとした。「いいよ」樹は怪訝そうに私を見る。私は笑った。「美詩にあげて。ちょうど、私もいらなくなったところだから」言い終えた直後、美詩は樹の腰に両腕を回して抱きついた。「紗和って太っ腹。じゃあ、これも譲ってくれる?」「ふざけるな!」樹の目が、ほんの一瞬だけ慌てたように揺れた。彼は、腰に絡みついた美詩の腕を外そうとする。私は、二人のペアリングが照明の下できらきら光るのを見つめていた。そして、樹が唯一、結婚指輪をはめた日のことを思い出す。六年前の、結婚式の日だ。前に一度、どうして指輪をしないのかと聞いたことがある。彼は、指輪をしていると絵が描きにくいと言った。私は六年間、それを信じていた。「持っていけば」樹の動きが、ぴたりと止まった。顔色を沈ませ、にこにこと笑う私の目を見る。私は踵を返した。「譲るわ」ギフトショップの入り口に立つと、雨はもう本降りになっていた。「紗和、お前どうした?」私は振り返り、雨の幕を見つめた。もう愛していないだけだとは、言わなかった。美詩が小さく身を震わせた。「樹、寒い」樹は上着を脱いだ。そして、私のむき出しの腕を一度だけ見る。私は、好きにすれば、と目で示した。彼は満足げにそのまま美詩の肩に上着をかけた。「雨が強くなってきた。先に美詩を送ってから、迎えに来る」私はうなずいた。二人が一枚の上着をかぶり、雨の中へ走っていくのを見送る。美詩の家は、ここから車で十分ほどの距離にある。私はハイヒールのまま、一時間半待った。送ったメッセージには、ひとつも返事がなかった。「お客様、そろそろ閉店の

  • 色を奪ったあなたへ、さようなら   第2話

    彼女は、鮮やかな青いワンピースを着て、マイクを整えていた。私が声をかけるより早く、樹はうなずいた。「藤沢さん、始めてください」樹は口数こそ少ない。けれど、どの記者が相手でも見栄えのする記事が書けるだけのことは、十分に話していた。ただ、その向かいに座っている記者は、私ではなかった。私は壇下に立ったまま、黒いスーツに包まれた自分を見下ろした。それから、樹の向かいにある鮮やかな青へと目を移す。卒業した年。将来に迷っていた私を、彼はこう慰めてくれた。「何を心配してるんだ?俺が有名な画家になったら、お前が俺を取材すればいい」あのとき、私は顔を上げた。彼が身をかがめ、私にキスをする。シャッターが一度光った。その卒業写真には、彼の嘘まで写り込んでいた。取材が終わると、私は樹の袖口を掴んだ。問いただしたかったのは、今日のことなのか。それとも、あの日の約束なのか。自分でも分からなかった。「私が取材するって、約束したよね?」樹の表情は変わらない。私を見る目は、淀んだ水面みたいに静かだった。結婚して六年。私は、その目が何を意味するのか、嫌というほど知っている。家を出て、鍵を忘れたとき。彼がどこにいるのか分からなくて、私だけが焦って汗だくになったとき。彼の乗った飛行機が無事に着いたか心配で、夜中まで眠れなかったとき。樹はいつも、その目をしていた。どこか他人事みたいに、私を物分かりの悪い女だと責める目。でも、彼は知らない。私が彼を好きになったのは、その目のせいだった。名もない小さな展覧会だった。片隅に、一枚の絵が飾られていた。私がその絵に見入っていると、彼が尋ねた。「その絵、好き?」振り返った私は、彼の瞳に宿る星の光にぶつかった。そこから、もう引き返せなくなった。今、その光は消えている。私の声は、自分でも聞き取れないほど小さかった。「新作の予告が必要なの。そうじゃないと、私、クビになるかもしれない」樹は眉を上げた。その声は、氷水みたいに冷たかった。「予告なら、もう彼女に話した。クビになるなら、お前の能力不足だ」樹は、私が握って皺になった袖口を整えると、一度も振り返らずに歩き去った。胸の奥から冷たさが広がっていく。けれど、それに

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