そこは切り立った崖の上だった。眼下に広がる一面の海の上で、僕は絵筆を持ってキャンパスに色を乗せたところだった。
とても風が強い日だったけれど、あの日の僕はどうしても海が描きたかった。
台風が来るらしいし別の日にすればって、たった一人僕を気にかけてくれる友達に呆れられたけれど、絶対に今日描きたい。そう思って海に来たんだ。
だって、そうしないと……間に合わないんだ。……何に? 残念ながら、その内容までは思い出せはしなかったけれど。
僕はこの場所に来る直前に、海に来ていたことを思い出した。
「……また、思い出したんだな?」
カエンが確信を持って聞いてくる。僕は息を乱しながら頷いた。
「そっか……なあ、俺もうこんななんだけど。拓海から仕掛けたんだから、責任とってくれよな?」
カエンは僕を膝の上に乗せると、わざと尻に当たるように硬くなった雄を擦りつけた。うわ……僕は慄いた。
今まで一方的に触られることはあっても、カエンの欲望を全面に押し出されたのは初めてだった。
「う……こんなところで?」
「だってあんたがこんなところで、キスをねだってきたわけだし? なあ、いいだろ? 拓海だって我慢できそうにないじゃん」
「え、ちょっと……ふぁ、うぐっ」
ズボンをずり下ろされて、芯を持ち始めたモノをキュッと握られて息を詰める。
「んっ、あ! うぅ……っ」
迷いなく追いたてられて、僕はその快感に耐えることに精一杯になる。
ガチガチになった陰茎をカエンは愛でるように撫でさすったり、かと思えば強く擦りあげてみたりして、巧みに僕を翻弄した。
「は……ぁ……んっ!?」
後ろの穴をカエンの指で探りあてられる。カエンの指はすでに濡れていた、いつの間に。
指先が穴に潜りこむ。花の蜜のような香りがほのかに漂う。
くち、ぬちゅ、指が動かされる度に、ねっとりと蜜が穴の奥に送りこまれているような感覚がして、身を震わせた。
「まっ……て、これなに」
「ん? 体に悪いものじゃないから気にしなくていいよ」
「どこ、から」
「どうでもいいじゃん? ほら、集中して」
体の内側を蹂躙する指は、まるで焦らすようにゆっくりと内壁をなぞっている。もっと気持ちよくなりたいと腰が揺らめく。
「うわあ、エロいな」
「んっ……ちゃんと、触って」
「おおせのままに」
ニヤリと舌なめずりでもしそうな顔で笑ったカエンは、僕の前立腺を探りあてて刺激しはじめた。途端に頭の中に火花が散る。
「ぅあ! あ、あっ!!」
僕は必死にカエンにしがみつく。カエンはそんな僕を穴が空くほど見つめている。
「はあ、たまんないな。俺も一緒にしていい?」
カエンも前をくつろげた。腹につくほど反り返った雄は、そんな表現はどうかと思うが綺麗だった。
大きくて立派なんだけど、白くて陶器のようにつるりとした印象を受ける。観察していられたのはそこまでで、僕の竿と一緒に握りこまれて息を詰めた。
「な、一緒に気持ちよくなろう」
「あ……」
「しっかり捕まってろよ」
カエンは片手で僕の尻を弄りながら、片手で兜合わせしながら僕を高めていく。固い雄芯は熱く、僕は激しく吐息を弾ませながらカエンにすがりついた。
「ひ、やあぁっ! や、固いの、ゴリゴリして気持ちいいよぉ、こわいぃ」
「ははっ、めっちゃカウパー出てきた。気持ちいいんだな拓海、もっとしてやる」
「やだやだやだ! そんなしたら、イク、出ちゃうぅ」
「出せよ、俺ももうヤバいから……っ」
カエンがますます僕を追いたてた。ぐちゅぐちゅと先走りで濡れた前を擦られ、前立腺をぐりりと押されると同時に、頭が真っ白になる。
「いっ……ああああぁー」
高い声を上げて僕はイッた。ヒクヒクとお尻の穴が痙攣している。カエンはまだ前を握ったままだ。
「ん、俺ももう、出る……っ!」
「や、僕の、離して、もうイッた、イッたからぁ」
出した後敏感になった肉棒をまとめて擦りあげられて、嫌々とカエンの肩に顔をなすりつけた。
カエンの喉仏からヒュッと息を詰めるような音がして、お腹に温かいものがかかる。
耳元で熱い吐息を感じながら、やっと刺激から解放された僕はくたりと全身の力を抜いた。
「……はぁ、拓海、エロすぎ。我慢できなかったじゃん」
「僕のせいに、しないでよ……んっ」
後ろの穴から指が抜けて、まるで引き留めるかのようにキュッと閉じるのが恥ずかしい。
「……川、行くか」
「うん」
カエンと水浴びをして帰った。その日は夢も見ずに眠りについた。
カエンと体温を分け合うように抱きしめあった後、彼はゆっくりと僕を押し倒した。 暗闇の中で顔は見えないけれど、カエンが僕を見つめている気配を感じる。「どうかした?」「……俺、拓海に謝らなきゃいけないことがある」 ごおごおと強風が吹きつけ、窓ガラスをガタガタと揺らした。 僕は黙ってカエンのシルエットを見つめ返し、話の続きを促す。「俺は、拓海のことを守りたかった。拓海のおばあちゃんから願いの力を分けてもらいながら、拓海のことを守れる日がくるのを心待ちにしていたんだ」 おばあちゃんが僕の無事を願うことで、不思議な力を蓄えてきたってことだろうか? 新たな疑問が湧いてきたが、話の腰を折らないようにぐっとこらえる。「それなのに、拓海が海に落ちた時になにもできなかった……っ! すべての力を使い果たしても到底助けられないってわかったから、拓海の魂だけでも助けたいと思って、ここに連れてきたんだ…
カエンに手を繋がれて、花畑を歩いた。今までで一番穏やかな風が吹いている。鼻歌でも歌いたくなるような心地よさだ。「拓海、本当にもう、海に飛びこんだりしないよな?」「やらないって。現実世界には……未練がないとは言わないけれど、帰ったって消えるだけなんだろう? それよりも時間の許す限り、カエンと一緒に楽しいこととか、気持ちいいこととか、いろいろしたいんだ」 カエンは感極まったようで、またしても僕をギュギュッと抱きしめた。踵が宙に浮く。「ああもう、拓海……! かわいすぎる!!」「力を緩めて、ちょっと痛いよ」「あ、ごめん!」 カエンはパッと僕を解放する。勢いがよすぎて花畑に尻餅をついた。「あいたっ」「っいて!」「……なんでカエンまで痛がってるの」「ああ、だってこの花畑は俺
カエンは花の精、とでも言えばいいのだろうか。それとも付喪神? とにかく、この懐中時計はカエンの本体で間違いない。 昨日の夜、眠る直前に思い出した記憶の続きを辿る。 僕は突風に煽られて、崖から海へ向かって落ちた。そして、ペンダントから声がしたんだ。 切羽詰まった、僕を心から案じる声。今では聞きなれたカエンの声だ。 そして気がついたら、あのネモフィラの花畑にいた。カエンの世界の中に。 その時の僕も記憶を失っていて、初対面のカエン相手にかなり警戒していた。僕はもともと、そんなに人づきあいが得意な方じゃない。 今回初めてカエンに会った時のように、あんなにも慕わしさを感じることの方が異常事態だ。 ……記憶はカエンの体液に触れたり、ペンダントを手にすることで戻るようになっている。 なぜなら僕の記憶を奪ったのは、カエンだから。カエンの残滓から記憶が流れこむことによって、僕は真実を知った。
おばあちゃんが亡くなる一ヶ月前のことだ。その日も僕はバイトの前に、おばあちゃんのお見舞いのために病院に寄った。「拓海、いつもありがとうねえ」「ううん、気にしないで。今日は具合どう?」「昨日よりはいいよ。体を起こしていても、そんなに辛くないしねえ」 おばあちゃんは入院してから体重が落ちたみたいだった。元々細かった手は更にやせ細り、まるで枯れ木のようだ。 死が確実に忍び寄ってきているように感じ怖くなって、ギュッと手を握るとひんやりとした体温を感じた。「おばあちゃん、今日は水ようかんを持ってきたんだ」「おや、嬉しいねえ。後で食べるから、そこに置いておいてくれる?」 床頭台の上に手土産を置くと、おばあちゃんに引き出しを開けるように言われる。「拓海、そこにペンダントが入ってると思うんだけど」「ああ、これ?」「そうそう、それ。拓
丘の上はびゅうびゅうと大風が吹いていた。まだ日も高いのに、ずいぶんと風が吹き荒れている。まるでカエンの心の内を表しているかのようだ。 丘を下ると風の勢いはいくらかましになり、カエンの青褪めた顔に血の色が戻りはじめる。「本当に気分が悪そうだけど、大丈夫?」「大丈夫だ、だいぶましになってきた」 カエンは無理して笑ってみせた。そういう笑顔はあんまり好きじゃない。 丘を降りる途中、大きな木の影で一度休憩をとることになった。僕のお腹が空腹を訴えたせいだ。 お腹が鳴ったのを聞くと、カエンはハッと気を取りなおしたみたいだった。昼食を食べようと提案して、テキパキと用意をしはじめる。「悪かったな、腹が減ってたのに気づかなくて。たんと食えよ」「ありがとう、いただきます」 バケットサンドにはソーセージとチーズ、それからレタスが挟まっている。僕好みの味つけのそれを味わって食べた。
カエンが僕を高める時に、違和感を覚えるようになった。 あの湖に出かけた日の夜からだ。いや、思えばその前から変だった。 彼は僕を責めたてることには熱心だけれど、自分が責められることをよしとしない。 それに、僕に挿れようともしない。男同士のセックスってお尻の孔を使うんだよね? 曖昧な知識だけど、挿入に至らないゲイカップルというのも世間一般にいた気がする。 けれど僕は興味があった。カエンのあの、太くて長いのが僕の気持ちのいいところに当たったら、一体どうなってしまうのか。 僕はカエンのことが好きだ。 笑った顔が一番好きだけれど、下手くそな嘘も優しい声も、僕を追い詰める時の意地悪な顔も、僕の言動に一喜一憂するところも、全部好ましいと思う。 恋に落ちたという感じはしない、気がついたら好きだった。 いや、もしかしたら記憶を失う前の僕はもともとカエンのことが大好きで、恋人だったのかもしれない。残念ながら覚えていないけど。 だから、できれば……抱いてほしいって思う。いろいろ屁理屈をこねてみたけれど、結局のところカエンが抱いてくれなくて欲求不満なのだ、僕は。 言ってみようかな、直球で。でも万が一断られたらへこむなあ。 カエンはたいていのお願いは聞いてくれるけど、記憶を失う前の僕の話とか、そういうのは聞いても教えてくれないから。 ……カエンは本当は、僕に記憶を思い出してほしくないんだろうか。 僕の記憶はところどころ抜けているけれど、両親や友人のこと、好きなものやここに来る直前の記憶なんかは覚えている。 それを踏まえてみると、カエンのことだけ覚えていないのは不自然だ。 彼は物心ついた時から、僕のことが好きだったと言っていた……だとしたら、僕がカエンのことを覚えていないはずがないのに。 カエンの記憶がなくたって、僕は初めからカエンに対して慕わしさと安心感、それに今思えば、恋心を抱いていたと思うのに。 なにかが矛盾している、なんだろう…… 朝食を食べながら考え事に耽っていると、カエンが僕の目の前で手のひらをヒラヒラと振った。「聞いてた?」「あ、ごめん。聞いてなかった」「やっぱりか。今日はどうするって言ったんだ。この前は湖に行ったろ? 次はまた森に行くか」「森はいいよ、それより花畑に行きたい」 カエンをひたと見つめる。この提案は嫌がられるかもし