丘の上はびゅうびゅうと大風が吹いていた。まだ日も高いのに、ずいぶんと風が吹き荒れている。まるでカエンの心の内を表しているかのようだ。
丘を下ると風の勢いはいくらかましになり、カエンの青褪めた顔に血の色が戻りはじめる。
「本当に気分が悪そうだけど、大丈夫?」
「大丈夫だ、だいぶましになってきた」
カエンは無理して笑ってみせた。そういう笑顔はあんまり好きじゃない。
丘を降りる途中、大きな木の影で一度休憩をとることになった。僕のお腹が空腹を訴えたせいだ。
お腹が鳴ったのを聞くと、カエンはハッと気を取りなおしたみたいだった。昼食を食べようと提案して、テキパキと用意をしはじめる。
「悪かったな、腹が減ってたのに気づかなくて。たんと食えよ」
「ありがとう、いただきます」
バケットサンドにはソーセージとチーズ、それからレタスが挟まっている。僕好みの味つけのそれを味わって食べた。
「おいし……」
「拓海はよく俺の作る飯を褒めてくれるよな。そういうとこ好き」
「僕もカエンが好きだよ」
「……え? っ本当か!?」
バッとカエンが勢いよく立ち上がった。あれ、伝えたことなかったんだっけ、そういえば。
「好きだよ」
「本気で? 俺のことが?」
「好き好き。本気」
「言い方が軽いな!? でも、嬉しい……っ!」
カエンはバケットサンドをカゴに戻すと、僕の食事を邪魔しないように、背中側からそっと抱きついた。
ご飯が終わるまで待てなかったんだな、ちょっとかわいい。
「ひっついてないでご飯を食べなよ」
「ちょっと待って、今、めちゃくちゃ感動してるから……拓海が俺のこと好きとか、うわ、破壊力ヤバいな。うっわどうしよ、俺はどうすればいいんだ! うひゃーっ」
耳元で奇声をあげてるヤツのことは放っておいて、僕はバケットサンドを平らげた。それにしてもおいしいな。もう一個くらい食べれそう。
カゴの中に残っているカエンの分の昼食が目につく。
「食べないならそれちょうだい?」
「いいぜ。俺、今は胸が一杯で……ああ、拓海っ! 俺も大好きだっ!!」
そんなに大袈裟に感動するほどのことなのか。記憶のある頃の僕はカエンと恋人同士だったと思っていたけれど、どうやら違いそうだ。
カエンに抱きつかれるのは少々暑苦しいが、悪い気分じゃなかった。むしろ好きだ。胸の奥がくすぐったい。
カエンにひっつかれながら食べる好物は、いつもより美味しかった。幸せってこういうことを言うのかも。
なんかもう……記憶のことは気になるけれど、思い出すことでカエンが苦しむなら、このままでもいい気すらしてきた。
それよりも今は、カエンとキスがしたいし、抱きしめ返したいし、一つになって繋がりたい。
「ねえ、カエン。好きだよ」
「ぐはっ! かわ、かわいすぎる」
「だからさ、最後までカエンとしたい……」
後ろを振り向き、カエンの胸に甘えるように抱き返した。
カエンはちょっとの間固まっていたけれど、やがてぎこちなく僕から顔を逸らした。
「俺も……拓海をちゃんと抱きたいって気持ちは、正直めっちゃある。だけど抱いたら、拓海がどこかに行ってしまいそうで……怖いんだ」
カエンはギュッと俺の背を抱く腕に力を込めた。
「どこにも行かないよ。カエンがここにいてほしいって言うなら、ずっとここにいる」
「でも……ごめん、俺は意気地無しだ。どうしても、怖い……だって拓海は……」
カエンはそれ以上言葉が続かないようで、それきり黙ったまま僕を抱きしめていた。
*
その日の夜はなにもせず、ただ抱きしめあいながら互いの手を握り、夜遅くまで話をした。
「拓海が俺を好きになってくれるなんて、思ってもみなかったから、本当にすごく嬉しいよ」
「なんで? カエンは顔もいいし性格だって優しいし、誰だって君のことを好きになるんじゃない?」
「そうか? へへっ、他の人に好かれるかどうかはどうでもいいけど、拓海に好かれてるってのが一番嬉しい」
カエンは夢見心地といった様子で、僕の指先をそっとなぞった。
「爪、伸びてきたな。また今度切ってやるよ」
「そのくらい自分でできる」
「いや、今のは言い方を間違えた。拓海のことは全部俺がやりたいから、やらせて」
「そんなの、僕がなにもできなくなるじゃないか」
「いいじゃん、なにもできなくたって俺がなんでもするし。拓海のためなら俺、なんでもできるから」
浮かれきっているカエンは、シーツの中でもぞもぞと忙しなく足を動かした。僕の足に自身の足を絡めると、ようやく動きが落ち着く。
「じゃあ、僕の爪を切ってもらうお返しに、カエンの爪を切らせてよ」
「俺? 俺の爪は伸びないからなあ……どうしても伸ばしてほしいっていうならやるけど」
……いよいよカエン人外説が濃厚になってきた。いや、薄々わかってはいたことだけど。本人の口からハッキリ聞くと衝撃を受ける。
「カエンって、爪が伸びないのか……」
「そうだ。やっぱおかしいか? でもな……あんまり無駄遣いしたくなくてさ」
「なにを?」
「えーと、エネルギー?」
「エネルギーってなに」
「うーん、説明するのが難しいな……」
カエンがあまりにもうんうん唸って悩んでいるので、僕は助け舟を出さずにはいられなかった。
「いいよ、どうしても爪切りがやりたいわけじゃないから」
「そうか? なあ俺、拓海とやりたいことがたっくさんあるんだ……」
カエンの願いはたわいもないものばかりだった。
森の中を手を繋ぎながら散策したり、川でくっついて泳いだり、また僕に絵を描いてほしいといったような、いつでもできそうなことばかりだ。
かわいいなって思いながら相槌を打ちながら聞いていると、カエンはやがて静かになった。
規則正しい呼吸音が聞こえる。眠ってしまったみたいだ。
穏やかな寝息を聞いていると、真っ暗で風の音ばかりが耳を突くこんな夜でも、安心して眠れるのだ……いつもなら。
今日はどうしても気になることがあって、疑問ばかりが頭をめぐって眠れない。
昼間の会話を思い出す。海を避けたがるカエン。告白に喜ぶ姿、そして最後まで繋がることへの拒絶と恐怖。
カエンはいったい、なにをそんなに怖がっているんだろうか。いまさら僕がカエンの側から離れるつもりはないのに。
……やっぱり記憶を思い出すしかない。忘れていることがなんなのかわからない以上、判断材料が足りない。
全部の記憶を思い出した上で、それでも大丈夫だよ、側にいるよとカエンに言ってあげたい。
「……」
のそりと体を起こす。今まで僕は、キスをすることで記憶を思い出していたように思う。正確には、カエンの体液を飲みこんだ時だ。
けれど最近は、キスをしても新たな記憶を思い出したりしないから、勘違いかとも思っていた。
もしかして、違う種類の体液なら。
そっとカエンの下衣に手をかける。ゆるい寝巻きは簡単にずり下ろすことができた。
パンツごとずり下げると、くたっと力の抜けたソレを掴む。
「ん……」
カエンが吐息を漏らす……起きていないみたいだ。ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、そっと息を吐く。
暗闇の中、僕は怪しい動きでカエンに覆い被さり、雄芯を育てはじめた。
ひとまず指先を使ってカリの部分を上下に擦ってみる。ちょっと硬くなったかな?
もうちょっとちゃんと刺激したい……そうだ。
僕は思いついて、彼の雄に顔を寄せた。先端をペロリと舐めてみる。
「あ、え……!? た、拓海か? なにやって」
まずい、カエンが起きた。僕は思いきって彼の先端を口に咥えた。
「ちょ、本当になにしてるんだ!?」
カエンが焦っているけれど、それでめげる僕じゃない。亀頭部分をすっぽり口内に含むと、口唇をすぼめて吸い上げた。
「っう!」
カエンのそれがムクムクと大きくなる。花の香りが口の中から鼻へと抜けた。
溢れ出てきた先走りを舌先で舐めとる。しょっぱくない。むしろ甘い。どういうことだ。
まさかこんな完璧なプロポーションで、実は糖尿病とか有り得ないだろうし。
混乱しながらも舐めていると、髪の合間にカエンの指が差し入れられる。
「拓海、それヤバいって……!」
切羽詰まった声とは裏腹に、僕を撫でる手つきは柔らかい。本気で嫌がってないってことでいいよね?
ジュルリと先走りごと口の中に溜まった唾液をすすると、ピクリと雄が跳ねる。最大サイズになると、口を開けているだけでちょっと疲れる。
「ん、んぅ」
しょっぱくもなく臭くもないソレを、夢中でペロペロ舐め上げる。口に収まりきらない部分に手を添えると、ガッチガチに硬くなっていて今にも弾けそうだ。
上下に竿をさすると、カエンの息が荒くなる。
「拓海、口離して、もう出る……っ」
「んーん、ふぉおままあふぃうぇ」
このまま出してと言ったが、通じただろうか。カエンは息を乱しまくっていて、それどころじゃなさそうだ。
「そこで喋んなって、くっそ……くぅっ!」
ドピュッと口の中に液体が注がれた。蜜のように甘いそれをためらいもなく飲み下す。
ゴクリ、と僕の喉が鳴る音を聞いて、カエンはヒュッと息を吐く。
そして僕は思い出した。おばあちゃんがいっとう大切にしていたペンダントのことを。
カエンは花の精、とでも言えばいいのだろうか。それとも付喪神? とにかく、この懐中時計はカエンの本体で間違いない。 昨日の夜、眠る直前に思い出した記憶の続きを辿る。 僕は突風に煽られて、崖から海へ向かって落ちた。そして、ペンダントから声がしたんだ。 切羽詰まった、僕を心から案じる声。今では聞きなれたカエンの声だ。 そして気がついたら、あのネモフィラの花畑にいた。カエンの世界の中に。 その時の僕も記憶を失っていて、初対面のカエン相手にかなり警戒していた。僕はもともと、そんなに人づきあいが得意な方じゃない。 今回初めてカエンに会った時のように、あんなにも慕わしさを感じることの方が異常事態だ。 ……記憶はカエンの体液に触れたり、ペンダントを手にすることで戻るようになっている。 なぜなら僕の記憶を奪ったのは、カエンだから。カエンの残滓から記憶が流れこむことによって、僕は真実を知った。
おばあちゃんが亡くなる一ヶ月前のことだ。その日も僕はバイトの前に、おばあちゃんのお見舞いのために病院に寄った。「拓海、いつもありがとうねえ」「ううん、気にしないで。今日は具合どう?」「昨日よりはいいよ。体を起こしていても、そんなに辛くないしねえ」 おばあちゃんは入院してから体重が落ちたみたいだった。元々細かった手は更にやせ細り、まるで枯れ木のようだ。 死が確実に忍び寄ってきているように感じ怖くなって、ギュッと手を握るとひんやりとした体温を感じた。「おばあちゃん、今日は水ようかんを持ってきたんだ」「おや、嬉しいねえ。後で食べるから、そこに置いておいてくれる?」 床頭台の上に手土産を置くと、おばあちゃんに引き出しを開けるように言われる。「拓海、そこにペンダントが入ってると思うんだけど」「ああ、これ?」「そうそう、それ。拓
丘の上はびゅうびゅうと大風が吹いていた。まだ日も高いのに、ずいぶんと風が吹き荒れている。まるでカエンの心の内を表しているかのようだ。 丘を下ると風の勢いはいくらかましになり、カエンの青褪めた顔に血の色が戻りはじめる。「本当に気分が悪そうだけど、大丈夫?」「大丈夫だ、だいぶましになってきた」 カエンは無理して笑ってみせた。そういう笑顔はあんまり好きじゃない。 丘を降りる途中、大きな木の影で一度休憩をとることになった。僕のお腹が空腹を訴えたせいだ。 お腹が鳴ったのを聞くと、カエンはハッと気を取りなおしたみたいだった。昼食を食べようと提案して、テキパキと用意をしはじめる。「悪かったな、腹が減ってたのに気づかなくて。たんと食えよ」「ありがとう、いただきます」 バケットサンドにはソーセージとチーズ、それからレタスが挟まっている。僕好みの味つけのそれを味わって食べた。
朝の光が差し込む室内で、朝食を用意しているカエンの後ろ姿をぽけっと眺める。 幻想的な水色の髪、広い肩幅、骨ばった男らしい手……あの手が昨日も僕の大事なところを触って、乱して……「できた。今日は拓海が言ってたナンってやつを作ってみたぞ」 声をかけられて我に返り、淫らな妄想を振り払う。食卓に置かれたナンは、豆の煮物っぽいなにかと一緒に食べるみたいだ。「う、うん。いただきます」 僕は朝っぱらからなにを考えていたんだ。毎晩触られているうちに、頭の中までえっちになってきちゃったのかもしれない。 気を取り直して、ナンを豆の煮物に浸して口に入れる。昔インドカレー屋で食べたみたいな、スパイスが効いたカレーの味がした。「わあ、美味しい。カエンってなんでも作れるんだ」「別にそんなことないって。知ってるやつしか作れない」 それにしても、朝からカレーを作るとは思わなかった。基本的に料理はカエンに任せているから、文句
カエンが僕を高める時に、違和感を覚えるようになった。 あの湖に出かけた日の夜からだ。いや、思えばその前から変だった。 彼は僕を責めたてることには熱心だけれど、自分が責められることをよしとしない。 それに、僕に挿れようともしない。男同士のセックスってお尻の孔を使うんだよね? 曖昧な知識だけど、挿入に至らないゲイカップルというのも世間一般にいた気がする。 けれど僕は興味があった。カエンのあの、太くて長いのが僕の気持ちのいいところに当たったら、一体どうなってしまうのか。 僕はカエンのことが好きだ。 笑った顔が一番好きだけれど、下手くそな嘘も優しい声も、僕を追い詰める時の意地悪な顔も、僕の言動に一喜一憂するところも、全部好ましいと思う。 恋に落ちたという感じはしない、気がついたら好きだった。 いや、もしかしたら記憶を失う前の僕はもともとカエンのことが大好きで、恋人だったのかもしれない。残念ながら覚えていないけど。
そこは切り立った崖の上だった。眼下に広がる一面の海の上で、僕は絵筆を持ってキャンパスに色を乗せたところだった。 とても風が強い日だったけれど、あの日の僕はどうしても海が描きたかった。 台風が来るらしいし別の日にすればって、たった一人僕を気にかけてくれる友達に呆れられたけれど、絶対に今日描きたい。そう思って海に来たんだ。 だって、そうしないと……間に合わないんだ。……何に? 残念ながら、その内容までは思い出せはしなかったけれど。 僕はこの場所に来る直前に、海に来ていたことを思い出した。「……また、思い出したんだな?」 カエンが確信を持って聞いてくる。僕は息を乱しながら頷いた。「そっか……なあ、俺もうこんななんだけど。拓海から仕掛けたんだから、責任とってくれよな?」 カエンは僕を膝の上に乗せると、わざと尻に当たるように硬くなった雄を擦りつけた。うわ……僕は慄いた。