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胸元に飽きずに唇を押し当てる千尋の背を、事後のけだるさに身を委ねつつ和彦は撫でる。その手つきは、犬を撫でる仕種にも似ている。というより、そのものだ。ときおり髪をくしゃくしゃと掻き乱してやると、千尋は首をすくめて笑う。
戯れに唇を啄ばみ合いながら、千尋の腕に手をかけた和彦は、ここであることがいまさらながら気になった。 千尋は左腕の上のほうにタトゥーを入れている。しなやかな筋肉に覆われた腕に、凝ったデザインの鎖が巻きつき、その鎖には、艶かしく蛇が絡みついているのだ。初めて見たときは、タトゥーの生々しさにドキリとしたのだが、今もまだ慣れない。 タトゥーに対してイメージがよくないというより、あまりにタトゥーのデザインが千尋の存在感に似合いすぎて、個性的で魅力的ではあるが、単なる二十歳の青年でもある千尋に、どことなく凶悪な空気を嗅ぎ取ってしまう。 裏を返せば、千尋をより刺激的な存在にしている小道具ともいえる。 「先生、よく俺のタトゥーを撫でるよね。もしかして、気に入ってる?」タトゥーを撫でる和彦の手を取って、神経質な性質を表すような細い指先に千尋が唇を押し当ててくる。和彦は手を抜きとると、千尋の引き締まった頬を軽く抓り上げた。
「そんなわけないだろ。……若いときに勢いでこんなもの入れて、将来どうするのかと思っているだけだ。タトゥーは、いざ消すときに苦労するぞ」 「消す気ないし」 「今はそう言ってろ」 拗ねたように千尋が唇を尖らせたが、顔立ちと仕種がおそろしく似合ってない。和彦は苦笑を洩らすと、子供の機嫌を取るように千尋の頭を撫で、引き寄せられるまま、今度は千尋の上に和彦がのしかかる格好となる。 千尋の滑らかな肌に舌と唇を這わせると、心地よさそうに吐息を洩らした千尋の体が、再び熱を帯び始める。若くて反応が素直な千尋の体に触れるのは好きだった。 せがまれるまま千尋のタトゥーに舌先を這わせながら話す。 「さっき、消すとき苦労するって言っただろ。痛いわけ?」 「痛いというのもあるが、きれいに消そうと思ったら、手間と時間がかかる。一回の施術でそう大きな範囲を処置もできないし、一度施術すると、肌の状態が元に戻るのを待たないといけないから……最低でも一か月は間を置かないと、二回目の施術ができない。それを何回も繰り返したところで、本当にきれいにタトゥーが消えるか、絶対とは言えないしな」 くくっ、と笑い声を洩らした千尋に、後ろ髪を優しく梳かれる。他愛ない行為だが、和彦の中で燻る情欲の火がまた燃え上がりそうになった。 「さすが、先生。美容外科医だけあって、専門だ」 「皮膚のトラブルは、ぼくの専門じゃない」 「じゃあ、先生の専門は?」 顔を上げた和彦は、ニヤリと笑って千尋の頬を撫でる。 「骨を削るのは上手いぞ」 「……サド全開の表情で、怖いこと言わないでよ」 笑い合った二人は、再びベッドの上を転がるようにして抱き合い、貪るようなキスを交わす。また高ぶりを見せた千尋のものが腿に擦りつけられ、和彦はゾクゾクするような興奮を覚える。千尋の、底のない欲望も魅力的だった。和彦の内奥を的確に指と道具で犯す男の背後に立ったのは、高そうなダブルのスーツをこれ以上なく見事に着こなした中年の男だった。四十代半ばぐらいだろうが、一目見て圧倒される存在感を持っていた。 全身から漂う空気は剣呑としており、それでいて威嚇するような攻撃的なものではなく、ただ静かな凄みを放っている。衰えを知らないような厚みのある体つきに相応しいといえた。何より、彫像のように表情が動かない顔は、冷徹そのものではあるが、端整だ。 だが、容貌はさほど重要ではない。男が持つ独特の鋭さや冷ややかさ、年齢を重ねているだけでは醸せない落ち着きが、男の存在自体を圧倒的なものにしていた。 まともな人間ではない。この男だけでなく、この場にいる男たち全員が、普通ではないと和彦は見抜いた。 それを裏付けるように、男が言った。 「総和会、という名前を聞いたことがあるか? ときどきニュースで流れることがあるから、もしかして聞いたことぐらいはあるかもな」 和彦は、体の熱がわずかに下がるのを感じた。 男が口にした『総和会』という名を、確かに聞いたことはある。テレビのニュースや新聞で、ときどき見聞きすることがあるのだ。だが、その名が出るときは、絶対に不気味さや怖さがつきまとう。それというのも――。 「暴力団組織だ。総和会というのは十一の組から成り立っていて、俺は、その一つの組を任されている。もっとも、一般人からしたら、下っ端だろうが組長だろうが、ヤクザはヤクザだ。忌まわしくて、できることなら関わりたくない存在だろう」 男の冷めた視線が、ローションに塗れ、道具を含まされたままの和彦の秘部に向けられる。羞恥心は芽生えなかった。ただ、屈辱に打ちのめされるだけだ。 いきなり拉致されて裸に剥かれ、挙げ句にこんな仕打ちを受けているのだ。理不尽にもほどがある。もちろん、この場でそんな訴えをする無益さと無謀さだけはわかっている。 「俺の背負っている組は、総和会では特別だ。跡目となる人間が限られている」 ここまで言って男が膝を折り、目線の位置を近くした。たったそれだけの動作で、簡素で殺風景な室内の空気が大きく動いたようだった。男がそこにいるだけで、ひんやりとした空気が独特の熱を
「んんっ、うっ、くうぅっ……ん」 意識しないまま、内奥を押し開くようにして挿入される道具を締め付ける。異常な状況での異常な行為によって、次第に和彦の理性も危うくなっていた。このまま何もわからなくなれば楽かもしれないという、本能の逃避なのかもしれない。体が積極的に快感を貪りだしている。 「ううっ、うっ、うっ、ううっ――」 捩じ込まれた道具が内奥深くで大胆に動き、さんざん掻き回されたあと、引き抜かれる。次に挿入されたのは指で、和彦は自分ではどうすることもできずに締め付けていた。 指と道具で交互に内奥を犯されながら、欲望の高まりを忠実に表している熱く反り返ったものを扱かれ、胸の突起も執拗に弄られる。 和彦は息を喘がせながら、何人の人間に体に触れられているのだろうかと頭の片隅で数えていた。ラテックスの手袋越しでは、同じ人間の手だと判断するのは不可能で、混乱してしまう。それに、さらに思考力を奪う事態になっていた。 「嫌、だ……。もう、やめろ……」 弱々しく訴えたときにはもう遅く、両足を大きく開かされ、内奥を道具で突かれながら、和彦は半ば強引に高みへと押し上げられていた。ローションですでに濡れている下腹部に、自分が放った絶頂の証が飛び散る。 今この瞬間なら、殺されても抵抗しないかもしれない――。 ふっとそんなことを考えたとき、突然、目隠しが取り去られた。 絶頂の余韻でぐったりとした和彦は、すぐには何が起こったのか呑み込めなかった。ただ、自分を見下ろしている男たちの姿を緩慢に見回してから、開いた両足の間にいる男に目を止める。 あごにうっすらと残る細い傷跡が印象的な、精悍な顔立ちをした三十代半ばの男で、ワイシャツ姿だ。そのワイシャツの袖を捲り上げ、手にはラテックス手袋をしているのを見て、和彦は納得した。自分の内奥を指と道具で犯していたのは、この男なのだ。 次の瞬間、和彦はおそろしいものを見て目を見開く。男の隣に、もう一人男が立っており、手にはビデオカメラを持っていた。何を撮っていたか、考えるまでもない。道具はまだ、和彦の内奥深くに収まったままで、淫らにうねり続けている。それを内奥は懸命に締め付けており、その様子を男たちに晒しているのだ。
ひたすら気持ち悪くて仕方なく、吐き気すらしてくる。男を犯すことだけが目的なら、こんな行為は不要だ。ようは、必要な場所に、必要なものを突っ込めば済む話なのだ。 機械の手に弄られているような錯覚を覚え、この程度の行為なら耐えられるかもしれないと和彦が思ったとき、和彦の一瞬の油断を嘲笑うように、もう一本の手に柔らかな膨らみをまさぐられ、やや力を込めて揉まれる。「うっ、うっ……」 意識しないまま腰が震える。感じる、感じないの問題ではない。一番の弱みを無防備に晒して、弄られ、無反応でいられるわけがなかった。「い、やだ……。やめろっ――……」 和彦がようやく洩らした言葉に対する返答のつもりか、握られたものの先端にローションが垂らされ、括れをきつく擦り上げられる。「ああっ」 ビクリと背を反らして、腰を揺らす。追い討ちをかけるように柔らかな膨らみを揉みしだかれ、和彦は喉を鳴らす。恐怖も嫌悪感も、しっかりと和彦の体を支配している。しかし、こんな形で体を攻められると、感情だけの問題ではなくなるのだ。 和彦の体を弄っている人間は、明らかに快感を引きずり出そうとしていた。だからこそ、体が刺激に反応するという醜態を見せられないと頭ではわかっているのに――。 柔らかな膨らみをさんざん刺激した手に、当然のように内奥の入り口をまさぐられ、またローションがたっぷり振りかけられる。「うっ、あっ、あっ、ううっ」 内奥に容赦なく指を挿入され、和彦はビクビクと腰を震わせる。痛みや異物感を覚える前に、ローションの滑りを借りた指が内奥から出し入れされ、犯される。その間も和彦のものは上下に擦られ続け、ときおり先端を撫でられる。 痺れていた体が、いつの間にか熱くなって汗ばんでいた。鈍くなっていた感覚も元に戻るどころか、鋭敏さを増している気さえする。自分を取り戻そうと足掻くように、肩を動かしてみるが、背後から和彦の両足を抱え上げて押さえている人間はびくともしない。 和彦の気力を奪い尽くそうとしているのか、内奥を擦り上げていた指に、ふいに浅い部分を強く押し上げられ、強烈な感覚
後ろ手に拘束されているせいで体のバランスが取りにくいが、それでも懸命に身じろぎ、なんとか体を起こそうとする。しかし、肝心の体にはまだ痺れが残っており、力が入らない。すぐにマットレスの上に転がったが、前触れもなく誰かに体を抱き起こされ、両手の縛めを解かれた。 ただしこれは救いにはならず、むしろ最悪の状況に向かう前振りといえた。「何っ… …」 ジャケットを強引に脱がされ、和彦は混乱する。本能的に身を捩ろうとしたが、背後からしっかり肩を押さえられた。 シャツのボタンが外されながら、スラックスのベルトにも手がかかる。和彦はやめさせようとしたが、緩慢にしか動かせない両腕は簡単に掴み上げられ、目的を問う前に、身につけていたものすべてを奪われていた。 純粋な恐怖でもう声が出なかった。再び後ろ手で拘束されたが、手首にかかったのはひんやりとして重量のあるものだった。手錠だとわかり、微かに歯が鳴る。 殺されたあと、死体は何も身につけていないほうが身元がわかりにくい。これで指を切り落とし、歯をすべて砕いてしまえば、あとは海に捨てるなり、山に埋めてしまえばより完璧に近づく。 マットレスの上に茫然自失となって座り込む和彦は、ふいに肩を押されて後ろ向きで倒れそうになったが、誰かの胸で受け止められた。一方で、前にいる別の人間には両足を掴まれたかと思うと、左右に大きく開かれた。「やめろっ」 咄嗟に声を上げて両足を閉じようとしたが、背後にいる人間の手によって両足を抱え上げられる。前にいる人間たちに、秘部をすべて晒す屈辱に満ちた姿勢を取らされてしまったのだ。 何か様子が違うと、ここに至ってようやく和彦は気づく。自分を拉致した男たちの目的は、すぐに殺すことではなく、まずは辱めることにあるのではないか、と。 その証拠に――。「ひっ……」 胸元に手が押し当てられ、まるで検分するかのように肌の上を滑る。断言はできないが、医者である和彦には馴染みのあるラテックスの手袋をしているようだった。妙に生温かな手が胸元から腹部へ、さらに下腹部へと這わされる。 恐怖と生理的な嫌悪感から、たまらず
さきほど首筋に押し付けられたのは、スタンガンだろう。痺れて動かない体をシートに押さえつけられたまま和彦は、今となってはどうでもいいことに結論を出す。体では、車の振動を感じていた。思考がまとまらないながらも、頭に浮かぶのは最悪の状況だけだ。 理由もわからないまま、重しでもつけられて海に沈められるのだろうか。それとも山中で生き埋めにされるのか。自殺に見せかけて首を吊らされることも――。 自分で自分の想像に吐き気がしてきた。和彦が思わず身じろぐと、有無を言わさず体をまた押さえつけられた。 車内には、和彦を除いて四人の男が乗っていた。運転席と助手席に二人、後部座席で和彦を押さえているのが二人。他の車に仲間がいるのかもしれないが、咄嗟の状況で和彦が把握できたのはこれだけだ。 男たちの行き先はすでに決まっているらしく、車中では一切会話を交わさない。 おそらくもう一時間近く車を走らせているが、外の様子も見えない中で、時間の感覚など簡単に麻痺してしまう。もしかすると三十分も経っていないのかもしれないし、実はとっくに一時間など過ぎているのかもしれない。 それに、どこか遠くに連れて行かれているようで、本当は同じところをぐるぐると回っているような気もしてくる。 和彦は懸命に考え続ける。脱力感と、体を押さえつけられているせいで全身が痛いが、せめて思考ぐらい働かせていないと、恐怖のあまり声を上げてしまいそうだ。声を上げると、きっとこんな扱いでは済まないだろう。だから和彦も黙り続けているしかない。 いつまでこんな時間が続くのか。和彦がぐっと奥歯を噛み締めたとき、車がカーブを曲がり、少しまっすぐ走ったあと、ふいに体が浮くような感覚を味わった。何事かと思ったが、音が反響しているのを聞き、どこかの地下に入ったのだと推測する。 地下駐車場だとわかったのは、車のエンジンが切られてスライドドアが開けられたからだ。和彦は車から降ろされ、また荷物のように引きずられる。 エレベーターに乗せられて何階かまで上がるが、その途中の階で停まることはなかった。目隠しをして両手を拘束された男を引きずって歩くぐらいだ、普通のビルやマンションではないのかもしれない。
和彦の視線に気づいたのか、サービスというには過剰すぎる色気たっぷりの流し目を千尋が向けてくる。 「コーヒーのお代わりはいかがですか?」 そう問いかけられ、頷いた和彦は空になったカップを千尋のほうに動かす。 「長嶺くんに妙に懐かれてるな、佐伯先生」 千尋が次のテーブルに移動すると、澤村が笑いながら言った。すらりとした千尋の後ろ姿を漫然と目で追っていた和彦は、露骨に顔をしかめて見せる。ちなみに長嶺というのが、千尋の姓だ。 「犬っころだな。彼を見ていると、くしゃくしゃと頭を撫で回したくなる」 「あはは、尻尾振って、大喜びしそうだな」 実際千尋は、似たようなものだ。甘えるのが好き、甘やかされるのが大好き。そのくせ、和彦にのしかかりながら、野性味たっぷりの獣に変わる。 「だけど、あの手のタイプはモテるだろうな。女の母性本能をくすぐるというか」 「かもな。このカフェで働き始めたときは危なっかしく見えたが、慣れてくると、客の扱いが上手い。それを勘違いする女性客がいても不思議じゃないだろうな」 千尋が、和彦が行きつけとしているこのカフェでアルバイトとして働き始めたのは、三か月ほど前だ。店が暇になるとさりげなく和彦に話しかけてきて、美容外科医だとわかると、親しげに『佐伯先生』と呼ぶようになった。そして携帯電話の番号を渡され、気まぐれに連絡を取り、外で頻繁に会うようになった。 体の関係を持ってから、そろそろ二か月になるが、二人の関係はきわめて良好だ。体の相性はそれ以上。 千尋は、いままで和彦が関係を持った誰よりも、刺激的で魅力的な遊び相手だ。面倒が起こればすぐに関係を断つつもりだったが、今のところそれもない。 まだ当分、千尋との関係は楽しめるだろう。 コーヒーにミルクを入れて掻き混ぜながら、和彦がそれとなく視線を向けると、先にこちらを見ていた千尋と目が合った。さりげなく、千尋は自分の左腕に手をかけた。ちょうど、タトゥーがある部分だ。 和彦は思わず、艶然とした笑みを浮かべていた。****