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第1話(6)

Author: 北川とも
last update publish date: 2025-10-14 21:00:14

 和彦の視線に気づいたのか、サービスというには過剰すぎる色気たっぷりの流し目を千尋が向けてくる。

「コーヒーのお代わりはいかがですか?」

 そう問いかけられ、頷いた和彦は空になったカップを千尋のほうに動かす。

「長嶺ながみねくんに妙に懐かれてるな、佐伯先生」

 千尋が次のテーブルに移動すると、澤村が笑いながら言った。すらりとした千尋の後ろ姿を漫然と目で追っていた和彦は、露骨に顔をしかめて見せる。ちなみに長嶺というのが、千尋の姓だ。

「犬っころだな。彼を見ていると、くしゃくしゃと頭を撫で回したくなる」

「あはは、尻尾振って、大喜びしそうだな」

 実際千尋は、似たようなものだ。甘えるのが好き、甘やかされるのが大好き。そのくせ、和彦にのしかかりながら、野性味たっぷりの獣に変わる。

「だけど、あの手のタイプはモテるだろうな。女の母性本能をくすぐるというか」

「かもな。このカフェで働き始めたときは危なっかしく見えたが、慣れてくると、客の扱いが上手い。それを勘違いする女性客がいても不思議じゃないだろうな」

 千尋が、和彦が行きつけとしているこのカフェでアルバイトとして働き始めたのは、三か月ほど前だ。店が暇になるとさりげなく和彦に話しかけてきて、美容外科医だとわかると、親しげに『佐伯先生』と呼ぶようになった。そして携帯電話の番号を渡され、気まぐれに連絡を取り、外で頻繁に会うようになった。

 体の関係を持ってから、そろそろ二か月になるが、二人の関係はきわめて良好だ。体の相性はそれ以上。

 千尋は、いままで和彦が関係を持った誰よりも、刺激的で魅力的な遊び相手だ。面倒が起こればすぐに関係を断つつもりだったが、今のところそれもない。

 まだ当分、千尋との関係は楽しめるだろう。

 コーヒーにミルクを入れて掻き混ぜながら、和彦がそれとなく視線を向けると、先にこちらを見ていた千尋と目が合った。さりげなく、千尋は自分の左腕に手をかけた。ちょうど、タトゥーがある部分だ。

 和彦は思わず、艶然とした笑みを浮かべていた。

*

*

*

*

 仕事を終え、外で食事を済ませて戻ってきた和彦は車から降りると、肩に手をやる。今日は少々厄介な手術を立て続けにこなしたので、肩から腕にかけての筋肉がいまだに緊張して強張っている。

 明日はクリニックは休みなので、久しぶりにスポーツジムで体を動かしてこようかと思いながら、ゆっくりと腕を回す。そうしながらマンションのエントランスに向かおうとした和彦は、扉の陰で闇に紛れるようにして立っている男の存在に気づいた。

 何か確信があるわけではないが、ふいにゾクリと寒気を感じた。この瞬間頭に浮かんだのは、連日かかってくる無言電話のことだ。

 和彦は男の存在に気づかないふりをして、エントランスに入ろうとしたが、突然、背後から駆け寄ってくる数人分の足音を聞いて素早く振り返る。

 何もかもあっという間だった。

 いつの間にか、エントランスの陰から男が飛び出してきて、和彦の側にやってくる。首筋に何かが押し当てられ、嫌な音がした。それがなんの音であるか考える前に、和彦の頭の中で閃光が弾けた。

 痛みと、全身を駆け抜ける強い衝撃に、声も出せないままその場に卒倒しかけたが、寸前で誰かに体を受け止められ、一気に引きずられる。

 全身が痺れて力が入らない。何かが自分の身に起きたと自覚できる程度には意識はあるのに、何もできない。

 まるで荷物のように扱われ、スライドドアを開けて待っていた大型ワゴン車の後部座席に乗せられる。すぐにドアは閉められて、乱暴に車が発進した。

 和彦の体はシートに押さえつけられ、車内の様子を認識する前に目隠しをされ、両手も後ろ手できつく拘束される。

 このときになって和彦はようやく、自分が拉致されたのだとわかり、息も詰まるような恐怖を覚えた。

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