Mag-log in「秘密を抱えた先生の表情だ。俺にバレるのが怖くて、必死にそれを押し殺している。そのくせ、どんな〈いいこと〉をしてもらったのか知らねーが、目のやり場に困るような色気を振り撒いてやがる」
和彦は瞬きも忘れて、賢吾を見上げる。次の瞬間には握り潰されるのではないかと、切迫した危機感に息が止まりそうになるが、賢吾はくすぐるように優しく欲望を擦り上げてくる。和彦は顔を背けて唇を噛んだ。「たっぷり搾ってもらったようだな。俺が触ってやるとすぐに反応するのに、今朝は反応が鈍い」 あからさまな賢吾の物言いに、体が熱くなる。「性質の悪い男を片っ端から血迷わせて、まったく性質の悪いオンナだ……。そのくせ、こんなものをつけている、見た目だけは優しげな色男だからな」 和彦のものを緩く扱いてから、賢吾の指が秘裂をまさぐってくる。まだ熱をもって疼いている内奥の入り口を軽く擦られて、無意識に腰が揺れる。賢吾は唾液で指を濡らすと、躊躇なく内奥に挿入してきた。「ううっ」 丹念な愛撫を与えられた直後のように従頭に浮かんだのは、兄である英俊の姿だ。婚約者である西宮光希と結婚して、もし甥か姪が誕生したとき、自分はどんな気持ちで対面するのだろうか。兄弟でありながら、和彦は生まれた時点で佐伯家と和泉家の秘事を背負っており、そして和彦自身が、後ろ暗い世界での生活を選択した。佐伯家の長男として生まれ、父親を追うように官僚となり、将来は政治家となるかもしれない英俊とは何もかも違う。 そもそも我が子との対面など、英俊が許してくれないだろうなと、ひっそりと苦笑を洩らす。 名残惜しいがスマートフォンをデスクの引き出しに仕舞ったところで、スタッフが届いた郵便物を持ってきてくれる。大半がダイレクトメールで、差出人を確認して選り分けていく。 テンポよく作業をしていた和彦だが、最後に残った白封筒を手に取ったところで首を傾げる。悪筆とまでは言わないが、なかなか癖のある字が綴られている。 一体誰からだと、封筒をひっくり返して差出人を確認したが、まったく知らない男の名だ。急に胸がざわつくのを感じながら開封する。折り畳まれた便箋を開いて手紙をこわごわと読み始める。 時候の挨拶の次に書かれた文章に、イスから転げ落ちそうになった。『先日は息子が迷惑をかけた』という一文で、手紙の本当の差出人がわかったからだ。 動揺から鼓動が激しく乱れる。スタッフが診察室に入ってこないうちに、急いで手紙を読み進めるが、差出人――伊勢崎龍造の本当の目的は、息子の不始末を詫びるためではなかった。 さほど長くない手紙を最後まで読み終えて、たまらずため息をつく。つい声に出してぼやいていた。「父子揃って、クリニックを都合よく利用しないでほしいなあ……」 手紙の内容を簡潔にまとめると、総和会会長と会って話をしたいため、和彦に間を取り持ってほしいというのだ。しかも、長嶺組と総和会に内密でという条件付きだ。 総和会会長と、北辰連合会の大物幹部による密談の仲介役。想像しただけで胃がぎゅっと引き絞られる。なぜ自分が、というのが率直な気持ちだった。龍造が働きかけるなら御堂経由でもいいのではないかと一瞬考えたが、すぐに打ち消す。御堂の守光に対する隔意を無視できないし、龍造も把握しているはずだ。
**** 和彦が医者であると告げたことで、稜人からは『和彦せんせ』呼びが確定した。少し舌足らずな感じで、語尾が跳ねるように呼ぶのが、たまらなく可愛いのだ。千尋がおもしろがって、何か吹き込んでいたのはわかっていたが、夕食時に照れた様子で稜人からこう呼ばれて、危うくご飯が喉に詰まりそうになったぐらいだ。 ちなみにその日の本宅での夕食には、和彦が持ち込んだアジが、フライ以外に、ミンチにしたものと豆腐を混ぜて作ったハンバーグとなってテーブルに並んだ。千尋が選んだ食器で食事をする稜人を、長嶺の男二人が優しい目で見つめていたのが印象的だった。 日帰りということで夕方までしか一緒にいられなかったが、別れ際、稜人が少し泣きそうな表情をしていたのを見て、胸がぎゅっと締め付けられた。無条件で大事にされ、愛されるべき存在なのだと、身をもって教えられた気がする。 他人である和彦ですらこんな感情を抱くのだ。血縁者である賢吾や千尋にとっては言葉にできないものがあるだろう。 施術を終えた患者が帰り、次の予約までまだ間があるため、クリニック内の空気がふっと緩む。診察室でお茶を啜りつつ、手持ち無沙汰となった和彦はさっそくスマートフォンを取り出す。実は土曜日に、稜人の写真を撮っておいたのだ。しっかりと保護者二人も一緒に写っているが。 画像をタップしてじっくりと眺める。並んでいるとやはり稜人は千尋によく似ており、雰囲気としては父子というより兄弟だ。まだまだ若者然とした千尋も、稜人が側にいることで次第に落ち着きや貫禄が出てくるのだろうかと考える。稜人を気遣う姿は様になっていたが、正直、見ていて少しだけくすぐったくなった。傍らに立つ賢吾は、そんな二人を守ろうとするかのように、どっしりとして圧倒されそうな凄みがあった。「ああ、あれが父性か……」 和彦は無意識に声に出して呟く。ひどく納得すると同時に、誰に対してなのか、羨ましくもあった。 次々に画像を表示して、ご機嫌な稜人の姿を眺めているうちに、和彦は口元を綻ばせていた。撫でた髪の柔らかさ、握った手の高い体温、笑うたびに覗く小さな歯、廊下を走る軽い足音。稜人に関わる何もか
横目で一瞥すると、千尋は特に感慨もなさそうな表情で応じる。「じいちゃんとオヤジがあれこれ手を回したみたい。えーと、稜人の養育費や、自分の親との関係について、水商売やってた頃の知り合いに相談して、そこで紹介された弁護士が――」「結婚相手か」「じゃなくて、組にちょっと弱みを掴まれてた弁護士で、その弁護士の友人という設定で結婚相手を紹介した、と」 簡単な関係図を頭の中で描いてから、和彦は顔をしかめる。 稜人の母親が相談したという『知り合い』に、長嶺組の息がかかっていたという可能性に気づいた。悟られないよう稜人の母親を囲い込むなど、抜け目ない男たちにとっては容易かろうと、自分の体験を踏まえてのことだ。そうするだけの理由が、長嶺の男たちには十分ある。そして上手く事が進んだ。いや、進めた。 いまさらながら、ヤクザとは怖い生き物だと、そっと和彦は嘆息する。実のところ、前に稜人の母親の結婚について聞かされたとき、なんの根拠もなく長嶺の男たちが手を回したのではないかと想像したのだ。千尋の話は、その想像が裏付けられたようなものだ。当の千尋も、話しながらややうんざりした顔をしている。言葉の端々に苦さが滲んでいるのは、罪悪感のせいか。 賢吾と守光が暗躍して上手くいかないことなどないだろう。結果として稜人は、長嶺の本宅の中庭でのびのびと遊んでいる。 子供は健全な環境下で、道徳心や倫理観を育まなければならないと、建前だとしても言うべきなのだ。その真逆にあるとも言えそうな本宅は、しかし稜人を守る堅牢な要塞であり、そこに棲まう男たちも盾となるだろう。綺麗事や一般論的な理屈ではない。稜人は、せめて自分で選択できる年齢になるまで、ここで生きなければならないのだ。 気持ちよさそうにブランコを漕ぎながら、稜人がこちらを見る。目が合うと、えへへという声が聞こえてきそうな笑顔を向けられる。「はあ、可愛い……」 心の底からの言葉を洩らすと、千尋がニヤニヤしながら肘で小突いてくる。「すっかり稜人に骨抜きじゃん、和彦」「子供の頃のお前に会っていたら、やっぱり頭を撫でて、可愛いと言ってたと思うぞ」「…&
「自分の親がヤクザの金目当てで稜人を利用してたのに嫌気が差してたところに、自分の結婚が決まって、稜人の母親は決心したわけだ。親と縁を切るのと同時に、ヤクザとの縁もすっぱり切ろうって。……葛藤もあったと思うよ。産んだ子供を、父親とはいえヤクザの家に引き渡していいのか。その葛藤にケリをつけるのに、ここまで時間がかかった」「苦しかっただろうな」「俺はとやかく言う権利はない。何も知らなかったわけだし。ただ、今はほっとしている。稜人が子供らしく育っててさ。たぶん、母親のほうは可愛がってたと思うんだよ。忙しくはしてても。だけど、結婚っていう自分の幸せにも目を向けたというか、なんというか――」 奥歯にものが挟まったような物言いに、和彦は千尋に顔を寄せ、声を潜める。「なんだ?」「稜人の母親の結婚相手、俺、知ってる人なんだ……」 へえ、と声が洩れる。詳しく聞こうとしたが、とてとてと子供らしい足音が聞こえてきたため、会話は一旦中断する。 稜人は大喜びでクッキーを齧っていたが、小さな口を懸命に動かす姿がいじらしくて、和彦は目を細める。 オヤツを食べ終えると、一息つく間もなく、中庭の遊具で遊びたいと控えめにねだってくる。表情が緩みっぱなしの大人たちはもちろん断るはずもない。 中庭に置かれた遊具に忙しなく目移りしてから、稜人はまず滑り台に挑戦して見事に砂場に着地する。そして気まぐれに砂で遊んだあと、一人用の小さなトランポリンに乗り上がる。先日までは置いてなかったよなと首を傾げていると、機嫌よくトランポリンで跳ねる稜人の様子を、千尋がスマートフォンで撮影し始める。 和彦はそんな父子を撮影したかったが、自重しておく。「――あんなにちっこいのに、子供ってよく動くよなー」 最初は稜人について回っていた千尋だが、五歳ともなるとここにある遊具で危なげなく遊べるとわかったらしく、縁側に腰掛けた和彦の隣にやってくる。「稜人専用の公園を作った甲斐があったな。楽しそうに遊んでるじゃないか」「もっと暑くなったら、プールを買ってきて出すんだ。あと、水遊びなら水鉄砲もいるよね。俺と和彦の分も
「――もうすっかり仲良しだね」 感心したような、しかしわずかに呆れを含んだ声が会話に割って入ってくる。障子の陰から、ひょっこりと千尋が姿を見せる。「俺なんて、会った初日は、稜人はまともに目も合わせないし、ろくに話もしてくれなかったんだぜ」「それはまあ、びっくりしたんじゃないか。見知らぬ大人の男というだけで、子供は警戒する。……今は違うんだろう?」 千尋は軽く唇を尖らせたあと、部屋に入って身を屈める。稜人に向かって手招きした。稜人は小さく、んしょっ、と声を出し、イスから下りる。その動作があまりスマートではないのは、イスも学習机も大きいからだ。同年代の子供に比べて、稜人は小柄なのかもしれない。ただ、かつて病弱だったという千尋の幼少時の写真を見たが、やはり線が細くて小柄な印象だった。それがいまやふてぶてしいほど元気で逞しく成長しているのだから、将来が楽しみだ。 稜人が遠慮がちに千尋の元に歩み寄る。見ていてハラハラしてしまうが、千尋はあっという間に腕の中に稜人を閉じ込める。照れたような表情を一瞬浮かべたあと、稜人はくすぐったげに首を竦める。そこに千尋に対する親愛の情を見て、和彦はほっとする。父子は着々と距離を縮めていたようだ。「よかった。そっちも仲良しなんだな」「そう。だから、稜人と和彦が気まずそうにしていたら、間に入ろうと待ち構えてたんだ。なのに、あっという間にニコニコし合ってさ、出番がなかった」「そこは喜べよ」「さすが、タラシの佐伯先生」 にんまりと笑いかけてきた千尋の背を、稜人にバレないよう拳で殴る。きょとんとした目で稜人が見上げてきて、取り繕うように微笑みで返す。「……子供の前で、変なこと言うなよ。教育に悪い」「和彦って、教育ママ――いや、なんでもない」 もう一発殴ってやろうかと思っていると、卑怯なことに千尋は稜人の背をこちらに向けて盾にする。もっとも、頑丈な男が、非力な和彦の拳など本気で恐れていないのだろうが。 オヤツだと言って、組員が器やカップがのったトレーを抱えて部屋にやってくる。器に盛られているのは、猫の顔の形を象った小さなクッキー
**** 和彦は子供とは縁遠い人生を歩んできた。親戚の子を可愛がるという経験もほぼなく、研修医時代に四苦八苦しながら小児科での研修を終えたぐらいで、はっきり言ってしまえば、子供は宇宙人にも等しい存在だ。だからといって接したくないというわけではなく、何かあれば守ってやりたいという使命感や庇護欲はあるのだ。これまで実行に移す機会には恵まれなかったが。 五歳児は、想像よりはるかに達者に話せるのだなと、昆虫図鑑を開いていろいろと説明してくれる稜人の相手をしながら、和彦は感心しきりだった。玄関での初対面では警戒されてしまったが、慣れないながらも和彦のほうから話しかけていると、意外に短時間のうちに笑顔を見せてくれるようになった。その様子がひたすら可愛い。もしかすると人懐こい性質なのかもしれない。 カマキリの写真を小さな指でさし示しながら、丸い目がこちらを見上げてくる。キラキラとした目の輝きに、知らず知らず和彦の表情は緩む。昆虫は苦手のような話を千尋から聞いたが、意外に写真だと平気のようだ。 稜人に用意されているのは、中庭に面した一室だった。この部屋の前から、遊具が置かれた場所に出られるようになっている。廊下に面した障子を開け放っているが、いつになく組員の姿が目につくのは、やはり稜人の存在が気になるからだろう。 稜人は来年の小学校入学を控えて本宅で暮らす予定で、今から環境に慣れさせていくのだという。とりあえず今日は日帰りで。様子を見ながら一泊させ、さらに宿泊の日数を伸ばしていく。常識的に考えれば、大人の男たちばかりに囲まれての環境は稜人にとって不安であるはずだが、生まれた頃から賢吾とはたびたび会っており、一応祖父だと理解もしているようだ。さらには、賢吾についている護衛の組員たちとも顔馴染みとなっている。 問題は、千尋への認識だ。「この本、チヒロくんが買ってくれたんだよ」 子供向けとはいえ、なかなかしっかりとした作りの図鑑だ。稜人は重そうに抱えていたその図鑑を真新しい学習机の上に置くと、最後のページを開いて見せてくれる。子供に人気のキャラクターが印刷されたネームシールがすでに貼られ、そこに『ながみねやまと』と書かれている。千尋の字







