Mag-log in抽象的な和彦の表現に、千尋はきょとんとした顔をする。千尋のその表情に、ここのところずっと荒んでいた気持ちが少し和らぐ。和彦はちらりと笑みを浮かべると、あえてサバサバとした口調で言った。
「とにかくぼくは、長嶺組の世話になることになった。この間の、お前としばらく会わないという言葉は撤回するが、ぼくはクリニックを辞めて、しばらくは開業の準備で忙しいから、あまり遊んでやる時間はないぞ」 「だったら、その準備を俺も手伝う」 「――却下」 「どうしてっ?」 「ぼくの独立開業と、お前は関わりがない。それに、お前にはバイトがあるだろう」 千尋を冷たく突き放すのには理由がある。千尋が跡目だというのはどうしようもないことだが、できることなら、和彦がどうして賢吾と深く関わることになったのか、その理由を千尋には知らないままでいてほしかった。 自分が原因だと知ったときの千尋のショックを慮ってというよりも、事実を知った千尋の暴走を恐れているのだ。 只でさえ厄介な状況が、千尋が絡むとさらに面倒なことになる――という予感。もう二度と、あんな怖い目には遭いたくなかった。本来であれば、たった一度であろうが和彦が遭遇するはずのない事態だったのだ。 なんといっても和彦は、長嶺の男たちの〈オンナ〉だ。 その、長嶺の男たちに何も告げていないのには、理由がある。特に、賢吾には打ち明けたくなかった。 賢吾に隠し事はしないと心に決めたが、今回はいままでとは状況が違う。これまでの隠し事は、いわば保身ゆえの行動だったのに対し、和彦と南郷の間で起きた出来事は、一度公になれば、個人ではなく、長嶺組と総和会という組織の問題となる危険を孕んでいる。 男たちは事を荒立てない方法をいくらでも知っているだろうが、和彦の脳裏に浮かぶのは、花見会での賢吾と南郷が顔を合わせたときの光景だった。 あの場にいた者ならば――和彦以外の人間でも、どんな小さな諍いの火種も、この二人の間に作ってはいけないと感じるはずだ。 当人たちが何よりそれを知っているはずなのに、南郷は行動を起こしたのだ。よりにもよって、守光と同じ手段を使って。 南郷は、裏の世界での和彦という存在をよく把握している。抗えない力に対して逆らわず、巧く身を委ねるという気質も含めて。だからあえて、和彦を拘束することも、暴力を振るうこともなく、易々と動きを封じ込めたのだ。 和彦は激怒しているが、その感情は南郷だけではなく、自分自身にも向いていた。同時に、羞恥し、困惑もしている。 南郷の行為に、〈オンナ〉とはこうやって扱っていいものだと、現実を見せつけられた気がした。「――佐伯先生」 組員に呼ばれて顔を上げる。車が雑居ビルの前にちょうど停まるところだった。 和彦は促された外に出ると、やや緊張しながら、組員がドアを開けてくれた後部座席を覗き込む。そこには、誰も乗っていなかった。 こんなことでビクビクしている自分に忌々しさを覚えながら、何事もなかった顔をして和彦は車に乗り込む。すぐにドアは閉められ、速やかに車は走り出した。**** 目を通していたファイルを閉じて、何げなく時間を確認する。驚いたことに、もう夕方と呼べる時間だった。
**** 男の腹部を慎重に押さえ、不自然な張りがないことを確認した和彦は、次に、手術の傷を覆っている大きなガーゼを剥がす。腸閉塞という事態には見舞われたものの、傷口は化膿しなかったようだ。 この調子なら、もう何日かすれば抜糸ができるだろうと思いながら、消毒をして、新しいガーゼを貼る。「手術の経過は問題なし。それと腸閉塞のほうも、便が出たと報告を受けたので、ひとまず安心はしていいだろう」 大人用のオムツをつけた患者の男は、やれやれ、という表情となる。内心では、和彦も同じ気持ちだ。 このとき、治療した側・された側と、まったく違う立場でありながら、同じ気持ちを共有したであろう二人の目が合う。 総和会に匿われる身で、暴漢に襲われて重傷を負うという凄まじい経験をした男は、いかつい顔に似合わない、妙に愛嬌のある笑みを浮かべ、軽く頭を上下に動かす。喉が渇ききって声が出せないなりに、和彦に対して感謝の気持ちを示したらしい。「……まだ油断はできない。手術のためにけっこう腹の中を弄ったから、またどんな影響が出るかわからないんだ。もう何事も起こらないかもしれないし、再発するかもしれない。なんにしても、腹の傷が完全に塞がるまでは様子見だ」 男に対してだけ説明しているわけではなく、ベッドの傍らに立つ監視役の組員にも聞かせているのだ。 和彦は輸液の確認をしてから、必要事項をメモ用紙に書き込む。「明日から、水分を口からとることにしよう。ただし一日で採れるのは、カップ一杯――の半分だけ。あくまで口を湿らせる程度に。引き続き、尿と便の様子を観察してほしい。何かあれば、連絡を」 淡々と告げてメモ用紙を一枚破ると、素っ気なく組員に押し付ける。和彦の態度に驚いたように目を丸くしたが、頭を下げて受け取った。「お疲れ様でした。車を呼びますから、コーヒーでも飲んでお待ちください」「――もし、呼んだ車の後部座席に誰か乗っていたら、タクシーで帰るからな」 和彦は、冷然とした眼差しを組員に向ける。普段であれば、こんな眼差しを他人に向けることはないのだが、この場所にいて
内奥で円を描くように、大胆に指が動く。頑なだった肉は緩み、擦り込まれる唾液によって潤む。おそらく、いやらしく真っ赤に熟れてもいるだろう。そして侵入者は、そういった反応をすべて観察しているはずだ。「んっ……くぅっ」 肉を掻き分けるようにして、指が内奥に付け根まで収まる。その状態で欲望を擦り上げられると、和彦は呆気なく絶頂を迎え、自らが放った精で下腹部を濡らす。 激しく息を喘がせている間も、侵入者は容赦なく内奥を指で攻め、微かに湿った音がするほど蕩けさせてしまう。しかしふいに、指が引き抜かれた。 和彦の耳は、自分の乱れた呼吸音だけではなく、ファスナーを下ろす音も捉えていた。ビクリと体を震わせて起き上がろうとしたが、布越しに、侵入者の顔が近づいてきたのが見えると、それだけで動けなくなる。この状況で相手の顔を見た途端、暴力を振るわれて犯されると、確信めいたものがあった。 奇妙なことだが、顔が見えないからこそ和彦と侵入者の間には、歯止めのようなものが生まれているのだ。 布越しに何度目かの口づけを与えられる。片足を抱え上げられて、蕩けてひくつく内奥の入り口に、圧倒的重量を感じさせる熱い塊を押し付けられ、擦りつけられる。和彦は小刻みに体を震わせて、小さく呟いた。「――……嫌、だ……」 和彦の唇に、荒い息遣いが触れる。もしかすると、侵入者は笑ったのかもしれない。 侵入者は、和彦を犯しはしなかった。その代わりに屈辱と羞恥を与えることにしたのか、和彦の片手を取り、逞しい欲望を握らせた。 知らない男の欲望だった。手を取られ、扱くことを強要されながら、和彦は喘ぐ。被虐的な気持ちに陥りながら、倒錯した性的興奮を覚えていたのかもしれないし、熱を帯びる布越しの口づけに感じていたのかもしれない。 てのひらで感じる侵入者の欲望は、ふてぶてしく育ち、力強く脈打っている。 こんなものが自分の中に打ち込まれたら――。そう想像したとき、体の内を駆け抜けたのは、恐怖なのかおぞましさのか、和彦自身にも判断しかねた。あるいは、別の〈何か〉なのかも。 和彦が小さく身震いを
なぜこんなことを、と頭が混乱していた。それ以上に和彦を混乱させるのは、侵入者がなぜ、守光の取った方法を知っているのかということだった。眠っている和彦の元に忍び寄り、布で視界を覆うと、言葉を発することなく体をまさぐる。当然、和彦が抵抗できないことを知ったうえで。 患者の容態の急変は偶発的なものだが、今、和彦の身に起こっていることは、あまりにできすぎている。まるで事前に打ち合わせをしていたかのように。 熱い舌にベロリと胸の突起を舐め上げられ、小さく声を洩らした和彦は反射的に、侵入者の肩を押しのけようとする。大柄な体つきであることが容易に想像できる、逞しい肩だった。 和彦のささやかな抵抗を嘲笑うように、露骨に濡れた音を立てて胸の突起を吸われ、しゃぶられる。あっという間に熱をもった突起は、荒々しい愛撫になすすべもなく敏感に尖り、和彦にとって馴染みすぎている感覚を生み出してしまう。 両膝を掴まれて左右に大きく開かれ、腰を割り込まされる。侵入者がどういう意図で和彦に触れているか知らしめるように、硬いものを両足の間に押しつけられた。布越しとはいえ、はっきりと欲望の形を感じ取り、和彦は激しく動揺する。「や、め――」 上げかけた声は、再び唇を塞がれて抑え込まれる。唇と唇の間にある布のおかげで、相手の舌が口腔に侵入してくることはないが、唇をなぞる舌の動きは伝わってくる。あからさまに和彦を威嚇していた。 再び欲望を掴まれて扱かれながら、もう片方の胸の突起を口腔に含まれる。感じやすい先端を指の腹で擦られて腰を跳ねさせると、胸の突起をきつく吸い上げられてから、舌先で転がされる。 粗野で荒っぽい愛撫を執拗に与えられ、最初は頑なに体を強張らせていた和彦だが、侵入者の手が柔らかな膨らみにかかったところで、弱さを見せてしまう。「ひっ……」 潰されるかもしれない恐怖と、何度味わっても慣れない強烈な感覚への期待に、心が揺れていた。その瞬間を相手は見逃さなかった。 上体を起こした侵入者に片足をしっかりと抱え上げられ、大きな手に柔らかな膨らみを包み込まれる。「ううっ」 思いがけず巧みに指が蠢く。柔らかな膨らみを揉みしだ
せめて、賢吾にメールを送っておこうと思いはするものの、体がもう動かない。ふっと和彦の意識は遠のく。 普段であれば、このまま深い眠りについてしまうはずなのだが、意識の一部はひどく研ぎ澄まされている。慣れない場所で一人ということもあり、絶えず辺りの様子をうかがっているのだ。 総和会の男たちが同じ階に控えていて、何か起こるはずもないのに――。 自分が起きているのか眠っているのかわからない状態に陥り、浸っていると、前触れもなく異変は起こった。 マットの傍らに誰かが立っている気配を感じたのだ。 本能的な怯えから和彦は体を強張らせる。次にどんな行動を取るか、ほんの数瞬の間に考えて実行に移そうとしたが、その前に動けなくなった。顔全体にふわりと柔らかな感触が触れたからだ。それが薄い布の感触だとわかったとき、和彦の中で蘇ったのは、守光宅の客間での出来事だった。 驚きと戸惑いによって和彦が動けないのをいいことに、侵入者はいきなり大胆な行動に出る。マットの上に上がり、和彦の体にかかった毛布を剥ぎ取ったのだ。 急速に恐怖に支配され、顔にかかった布を外そうとしたが、すかさず片手で手首を掴まれてマットに押さえつけられる。大きくて力強い男の手だった。和彦の手首を折るぐらい簡単にできそうだ。言葉も発さない相手の意図を察し、和彦はささやかな抵抗すらできなくなる。 トレーナーの下に分厚く硬い手が入り込み、肌をまさぐられる。生理的な反応から鳥肌が立つが、相手は意に介さず、トレーナーをたくし上げて、無遠慮に撫で回してくる。手つきも、手の感触すらもまったく違うというのに、和彦の存在を探るかのように触れてきた守光のことが、頭から離れない。 手つきの荒々しさとは裏腹に、男は時間をかけて和彦の体に触れてきた。そして興味をひかれたように、胸の突起を特に念入りに弄り始める。 てのひらで捏ねるように転がされ、自分ではどうしようもできない反応として硬く凝ると、指の腹で押し潰され、再び反応を促すように乱暴に摘み上げられて、引っ張られる。痛みに小さく呻いた和彦は、ここでようやく、頑なに閉じたままだった目を開けた。 薄い布を通した電気の光に、一瞬目が眩む。だがすぐに、自分の上に馬乗りになっ
「腸閉塞だな。わかりやすく言うなら、腸が詰まっているんだ。だから、飲食したものがすべて逆流して、嘔吐が続くし、腹痛も起こる。先日の手術で内臓の組織が癒着して、腸が圧迫されたんだろうな。それに、寝たきりのストレスも、腸によくない影響を与える」 部屋にいる男たちに淡々と説明をしながら、輸液の準備をする。一方で頭の片隅では、この場にいるのは、南郷率いる第二遊撃隊の人間ばかりなのだろうかと考えてもいた。 手術を行ったときは、男が怪我を負った簡単な経緯だけは聞いたが、それ以外のことは何も知らされなかった。唯一はっきりしていたのは、総和会から回ってきた仕事、ということだけだ。だが、帰宅する車で南郷と乗り合わせ、さほど知りたくなかった事情を、大まかながら教えられた。 総和会の中で詰め腹を切らせるために、男は生きていなくてはならないのだ。 こういう事実を知ってプレッシャーを感じるぐらいなら、何も知らなかったほうがありがたい。 医者として患者を救いたいのは当然だが、この世界で求められるのは、そういう道徳や倫理といったものではない。優先されるべきは、組織の都合であり、事情なのだ。結果として患者を救えるのだから文句はないだろうと、南郷なら平然と言いそうだった。 必要以上に南郷を悪辣な男として捉えてしまうのは、やはり苦手だからだ。 車中での出来事が蘇り、和彦は眉をひそめる。背筋を駆け抜けたのは、不快さだった。気を取り直し、男の腕に点滴の針を刺す。「当分、食事はおろか、水を飲むことも厳禁だ。点滴で栄養をとりながら、胃腸を休ませる」「……また、手術をすることになるんですか?」 和彦の指示に従い、新しい洗面器を持ってきた男が問いかけてくる。なんとなく見覚えがある顔だと思ったら、先日、南郷と同乗した車を運転していた男だ。 咄嗟に和彦は、質問に対して、まったく関係ない質問で返していた。「――南郷さんもここに来ているのか?」 男はわずかに目を見開いたあと、すぐに無表情となって首を横に振った。「いえ、今日は会長と行動をともにしているので」「そうか……」
それでも今は、優しい錯覚に浸っていたい。 三田村に促され、サンドイッチを手に取る。和彦が眠っている間に、近くのファストフード店まで三田村が買いに行ってくれたものだ。具がたっぷりの大きなサンドイッチとスープは、和彦の普段の朝食としては十分すぎる量だ。「昼まで一緒にいられるんだろ?」 サンドイッチを頬張る合間に問いかけると、和彦を安心させるように三田村は目元を和らげる。「ああ。もうそんなに時間はないが、先生の行きたいところがあればつき合う」「別に今日、どうしても行きたいってところは……ないな。あんたこそ
「わたしの一風変わった出生と、捻くれた欲情について。わたしが元は日本人じゃないということは、長嶺組の組長と数人の幹部の方は知っていますが、あとは鷹津さんぐらいです。それと、先生。……ただ、わたしにとって大事な秘密は、欲情のほうです。この秘密だけは、先生が所有してください」 上品で端麗な美貌を持つ秦は、腹の内に倒錯した欲情を抱えている。その欲情を向けている相手は、中嶋だ。 何を考えているのか読めない男なりの冗談――というには、秦が和彦に施した愛撫は丹念で執拗だった。執念のようなものすら感じた。 秦のそんな一面を知って、果たして
**** 受け取った箱の中身がわかったとき、和彦は思わず苦笑を洩らしていた。「お前も、ドーナツの差し入れか」 和彦の言葉に、千尋は軽く唇を尖らせる。「だって先生、ドーナツならペロッと平らげるって、うちの連中が――」「仮にぼくがドーナツ好きだとしても、三食ともドーナツを食べても追いつかない量を差し入れされたら、苦笑の一つぐらい洩らしたくなる」「……一緒に食おうと思って持ってきたんだけど、他のものがいいなら、買ってくる」 捨てられ
「そのつもりだったが、元気そうだな。少し痩せたようには見えるが」「食欲は戻った。それに……安定剤を飲んででも、眠るようにしているしな」 鷹津から探るような眼差しを向けられ、和彦は逃げるようにキッチンに向かう。和彦に何があったのか、明らかに鷹津は知りたがっていた。 和彦の身近にいる男たちは、必要があれば情報を共有する。その中で、今回は鷹津がつま弾きにされたらしい。ここでいい気味だと思えないのは、自分自身のことだからだ。 二人分のコーヒーを淹れながら、仕方なく端的に事情を説明する。賢吾なら、先生は甘いなと、薄い笑みを