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第29話(5)

Auteur: 北川とも
last update Date de publication: 2026-05-07 14:00:05

 ほお、と芝居がかった口調で洩らした英俊の目に、狡知な色が浮かぶ。それと同時にゆっくりとイスから立ち上がった。

 その光景が、和彦の記憶を刺激する。子供の頃の体験が生々しく蘇っていた。

 本能的な危機感から、怯える小動物さながらの動きでテーブルを離れる。和彦が出入り口の扉に行かないよう牽制しつつ、英俊が近づいてくる。広い個室とはいえ、逃げ回れるほどのスペースがあるわけではなく、あっという間に和彦は窓際へと追い詰められていた。

 英俊はあくまで優雅な仕種で、和彦の喉元に片手をかけてきた。力を込められたわけではないが、それだけで息苦しくなり、完全に動きを封じられる。

「あまり、お前の顔を殴るのは好きじゃない。忌々しいぐらい、わたしに似ている顔だからな。だからといって、蹴るのは野蛮だ」

 英俊に冷たい迫力に圧され、無意識に後退った和彦の背に窓ガラスが当たる。完全に逃げ場を失った和彦に対して、英俊が顔を寄せ、低く抑えた声で囁いてきた。

「里見さんが気になることをちらりと洩らしていたが、なるほど。こういうことか」

「何、
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  • 血と束縛と   第37話(6)

    「ふむ。長年のつき合いがあるというのに、秋慈はどうやら、お前とのほうに友誼を感じているようだ。電話で聞いたが、お前と誰かがいい感じだなんて、一切教えてくれなかったぞ。薄情な奴だと思わないか?」 どこか嘲りも含んだ賢吾の物言いに、和彦はふと、料亭で守光から言われた言葉を思い出す。『オンナ同士、相性がいいのかもしれんな』 賢吾も同じようなことを言うのだろうかと、和彦は強い眼差しを向ける。それに気づいた賢吾が、こめかみに唇を寄せてきた。「冗談だ。お前が久しぶりに穏やかな表情をしているから、妬けたんだ」「……誰に?」 ひそっと和彦は囁きかける。賢吾は短い言葉の意味を即座に理解したらしく、目を細めた。後ろ髪を掴まれたため、和彦はわずかに顔を仰向かせる。「悪いオンナだ。――秋慈以外の誰が、お前を慰めてくれたんだ」「慰めじゃない。求めてくれたんだ」 怖い男の両目を、怯みそうになりながらも和彦は見つめ続ける。賢吾は淡々とした口調でこう言った。「浮気相手を見つけ出して、いろいろと切り落としてやるか」 和彦は短く息を吐き出すと、賢吾の挑発に乗った。「――あんたが言ったんだ。遊びは許す、と」「これまでの経験で、さんざん骨身に染みたと思ったんだがな。ヤクザの言うことを信用するなってことは」 和彦自身、玲に言ったことだ。なんとか不安や怯えを表情に出すまいと踏ん張っていたが、この瞬間、すがるように賢吾を見つめてしまう。 賢吾が首筋に顔を寄せ、じわじわと歯を立ててきた。このまま皮膚どころか肉まで食い千切られるのではないかと、硬い歯の感触に怖気立ったが、同時に和彦の胸の奥で熱いものがうねった。この行為が、賢吾の強い執着心を表していると、よくわかっているからだ。「賢吾……」 思わず呼びかけると、首筋をベロリと舐め上げられる。「本当に、性質の悪いオンナだ。浮気を許可してすぐに、相手を見つけ出して、咥え込んで。どうせ、相手の男も骨抜きにしたんだろ」 誰だ、と低い声で問われる。物騒な響きを帯びたバリトンに、甘

  • 血と束縛と   第37話(5)

     南郷が、御堂の過去を露骨に口にするのは、そうすることで辱めているつもりなのだろうか。ふと、そんなことを考えたあと、嫌な男だと、和彦は心の中で呟いておく。「――……伊勢崎さんには、お会いしました」「今は伊勢崎組を率いているんだったな。俺自身は、本人と顔を合わせたことはないんだが。なかなかのやり手だそうだ。組自体はそう大きくはないが、何しろシンパが多いらしい。今じゃ、北辰連合会では欠かせない男だとまで言われている」「詳しいんですね」 和彦の言葉に、南郷が派手な笑い声を上げる。「総和会で隊を任されている身だからな。情報収集も仕事の一つだ」「だったら、全国の組の情報をすべて把握しているんですか?」「いや、そこまでは。気になるところだけ、だな」 和彦は昨日知ったばかりの、伊勢崎組――というより龍造の動向が頭に浮かんだが、南郷に報告するつもりは一切なかった。情報収集が仕事だというのなら、いずれ南郷の耳に入るだろうし、もしかするとすでに把握しているのかもしれない。 心情としては、御堂の立場が悪くなるようなことはしたくなかったのだ。 余計なことは言うまいと心に誓った次の瞬間、南郷に問われた。「先生の、伊勢崎龍造の印象を聞いてみたいな」「印象ですか……。気さくな方でした」「他には?」「……いい父親という感じでした。息子さんをずいぶん可愛がっている様子で」 どういう意味か、南郷は軽く鼻を鳴らした。「南郷さん?」「極道も人の子。やっぱり血の繋がった我が子は、何より可愛くてたまらないんだろうな。……今のところ、これはあんたの子だと訴えてくる女もいない、独り者の俺には到底わからない感覚だ」 南郷の脳裏に浮かんでいるのは、伊勢崎父子のことだけではないだろう。 踏み込んではいけない南郷の闇に触れてしまったような気がして、和彦はブルッと身を震わせた。**** 湯から上がり、浴衣

  • 血と束縛と   第37話(4)

     守光の手が再び欲望にかかり、てのひらで擦り上げられる。ようやく欲望の高ぶりを覚え、おずおずと形を変え始めていた。引き出された舌を濡れた音を立てて吸われながら、欲望を扱く手の動きが速くなる。和彦は喉の奥から声を洩らし、ビクビクと腰を震わせていた。 先端がしっとりと濡れ始めると、一度愛撫の手が止まり、少し間を置いてから欲望がハンカチに包まれる。再び性急な愛撫を与えられ、和彦は上り詰める。 まるで、精を搾り取られたようだった。ハンカチに向けてわずかに精を吐き出したあと、荒い呼吸を繰り返す和彦を、守光は片腕で優しく抱き寄せる。「近いうちに、じっくりと時間を取ろう。あんたと相談したいこともあるしな……」 一体何をと、和彦が視線を上げると、守光は穏やかな微笑を浮かべていた。なんとなく臆した和彦は黙って頷く。 乱れた格好を整えている間に、車はある建物の駐車場へと入る。ここで、自分が乗ってきた車に戻るよう言われるのかと思ったが、守光が座っている側のドアが開いた。戸惑う和彦に、守光はこう告げた。「あんたはこのまま、マンションまで戻るといい。ちょうど護衛役に南郷もついている。誰に任せるより、わしも安心だ」 和彦が何も言えないうちに守光が車を降り、ドアが閉められる。再び車が走り始め、和彦は深く息を吐き出したあと、急いでシートベルトを締めた。 守光がいなくなった途端、車内にまだ淫靡な空気が残っているように感じ、和彦は黙ってウィンドーをわずかに下ろした。ひんやりとした風が吹き込んできて、熱くなっている頬を撫でる。 南郷がちらりと振り返る。和彦はハッとして、すぐにウィンドーを上げた。「……すみません。勝手に窓を開けて……」「どうやら、この間の襲撃のショックは回復できたようだな、先生。それともその無防備さは、俺たちの護衛に対する信頼の表れか?」 嫌なことを思い出し、和彦はそっと眉をひそめる。車で襲撃を受けた衝撃はもちろん忘れたわけではないが、その襲撃を仕掛けたのが守光ではないかという、御堂から注ぎ込まれた〈毒〉がまっさきに蘇ったのだ。 守光の計画を、南

  • 血と束縛と   第37話(3)

     さすがに、この申し出を断ろうとは思わなかった。 和彦が守光とともに店を出ると、三台の車が待機していた。総和会の護衛の男たちは辺りに鋭い視線を向けて警戒しており、二人の姿を見るなり、あっという間に整列して人の壁を作り出す。 促されるまま素早く車に乗った和彦だが、助手席に座っている男の姿を認めてドキリとする。後ろ姿であろうが見間違えるはずもない。南郷だった。 今晩は一緒だったのかと、和彦は横目でちらりと守光を見遣る。守光とは電話で話すこともあったが、南郷とは、車で襲撃を受けた翌日に、病院まで付き添ってもらったとき以来だ。 その南郷が振り返り、後部座席の二人に向かって一礼したあと、前方に向かって合図を送る。静かに車が走り出した。 車中は静かだった。無駄な会話は必要ないとばかりに、誰も口を開こうとしない。和彦は静かにシートに身を預けたまま、すっかり暗闇に覆われた外の景色に目を向けていたが、程なくしてピクリと体を震わせた。守光の手が、腿にかかったからだ。 まったく知らないふりもできず、ぎこちなく隣に目を向ける。いつからなのか、守光がじっと和彦を見つめていた。対向車のヘッドライトの明かりを受けるたびに、守光の両目だけがやけにはっきりと浮かび上がって見え、そこに潜む獣の気配を感じ取ってしまいそうだ。 守光の片手がスラックスの上から腿を撫で始める。和彦は、自分の従順さが試されているのだとすぐに理解した。そこに、懲罰的な意味も含まれているとも。 守光の意に沿わない行動を取ったと、和彦には当然自覚がある。鷹津のこと、清道会のこと、御堂のこと。何より、守光を避けてしまったこと――。 強張った息を吐き出した和彦は、何事もないように前に向き直る。守光の手は動き続け、腿の内側へと入り込み、促されるまま足をわずかに開く。 両足の中心にてのひらが押し当てられたとき、さすがに声が洩れそうになったが、寸前のところで堪える。敏感な部分を刺激されながら和彦が危惧したのは、玲との間にあった出来事を、守光に把握されているのではないかということだった。 誰かに見られたわけでもなく、唯一察していた様子の御堂も、あえて守光に報告するはずがない。「――何か、あったのか

  • 血と束縛と   第37話(2)

    「わしが顔を出すわけにもいかんし、名代を出しても、歓迎されるとも思わんかったので、花を贈らせてもらったんだが、そうか、体調が――……」 思うところがあるのかもしれないが、守光の表情からは一切何も読み取れない。しかし次の瞬間、和彦の視線に気づいたのか、薄い笑みを向けられた。「〈あちら〉では、たっぷりわしの所業を聞かされたかね?」「えっ、あっ、いえ、そんなこと……」「いずれは、あんたの耳にもいろいろと入るだろう。それを否定する気はないよ。わしは、総和会会長の座を手に入れるために、鬼になった。若い時分に世話になった相手ですら、追い落とした。そこまでしても、総和会を盤石の組織にしたかった。その先に、今以上の長嶺組の安寧があると思っている。賢吾ですら、まだ理解はしてくれんだろうが」 返事のしようがなくて和彦は口ごもる。総和会の頂点に立つ守光が、その組織について語るとき、力のうねりのようなものを肌で感じる。気圧され、自分ごときが軽々に意見など口にできないという気持ちになる。 和彦にはうかがい知ることのできない権力の構図と蠢きが、守光には見えているのだろう。まるで箱庭の中で、自由に人や物を配置し、排除し、完璧な景観を作り出そうとしているかのように。特別な場所に飾られているのは、間違いなく長嶺組だ。 景観を乱す存在は、どう扱われるかと想像して、和彦はそっと身を震わせる。つい、自分から切り出していた。「……ぼくが連休中、御堂さん――第一遊撃隊隊長のもとで過ごしたことを、不快に思われたのではないですか?」 守光の目に、鋭い光がちらつく。「オンナ同士、相性がいいのかもしれんな」 さらりと投げつけられた言葉に、カッと和彦の体は熱くなる。羞恥ではなく、屈辱感からの反応だった。しかも、御堂を侮辱されたと感じてのものだ。「元気のないあんたをなんとかできないかと思いながらも、わしを含めて皆が手をこまねいていた。そこに賢吾が、御堂秋慈に任せてみてはどうかと提案してきた。あんたと御堂が急速に親しくなっていることは、わしの耳にも報告は入ってはいたが、さて、と躊躇した。だが、

  • 血と束縛と   第37話(1)

     連休が明け、抱えた厄介事が解決するどころか、さらに増えていることに、和彦は一人悄然としていた。 それでも、鬱屈したものがいくらか軽くなっているように感じるのは、単なる錯覚か、現実逃避の結果か。もしくは、自分がさらにしたたかに、ふてぶてしくなったのか――。 後部座席のシートにぐったりと身を預け、和彦はぼんやりとそんなことを考えながら、外の様子に目を向ける。どんどん日が落ちるのが早くなってきていることに、夕方のひんやりとした風とともに季節の移り変わりを実感する一時だ。 仕事終わりの疲労感に浸りながら、このまままっすぐ自宅マンションに向かいたいところだが、そうもいかない。これから守光と、外で食事をとることになっているのだ。 総和会本部に呼ばれなかっただけ、まだずいぶん配慮してもらっているのだろうが、朝、守光本人から連絡が入ったときは、和彦は胃を締め上げられるような痛みに襲われた。 守光には、鷹津のことで確かめておきたいことがある一方で、俊哉との接触や、連休中の玲との行動について、絶対に隠し通さなければならない。上手く立ち回れる自信はまったくなく、恐ろしい狐に翻弄される自分の姿が、容易に想像がつく。 車が向かったのは、和彦も何度か訪れている料亭だった。 案内された座敷にはすでに、寛いだ様子の守光がおり、和彦の顔を見るなり穏やかに笑いかけてくる。その笑顔の裏にあるものを読み取りたい衝動に駆られたが、ぐっと抑える。 席につく前に和彦は、まず畳の上で正座をしてから守光に頭を下げた。「一か月近く、電話のみの応対となりまして、不義理をいたしました。それにもかかわらず、暖かく見守っていただき、ありがとうございます。……長嶺会長だけではなく、賢吾さんも……」「頭を下げられるようなことは、わしは何もしていない。繊細なあんたをさらに追い詰めるのが怖くて、何も手助けをしてやれなかった。上手くやったのは、賢吾だ。何かとあんたを構いたがるわしを、あれが止めてくれたんだ。今は〈和彦〉をそっとしておいてほしいと言ってな」 驚いて頭を上げると、ゆっくりと頷いた守光が、向かいの座椅子を手で示す。和彦は素直に席につ

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  • 血と束縛と   第11話(22)

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  • 血と束縛と   第8話(33)

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    last updateDernière mise à jour : 2026-03-24
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