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第35話(11)

Auteur: 北川とも
last update Date de publication: 2026-06-14 20:00:49

 日が落ち始めた頃には、二人はホテルの部屋に入っていた。

 和彦は、着替えを入れた袋を手にしたまま、室内を見回す。落ち着いたブラウン系でまとめられた部屋は、単なるダブルルームではないようだ。宿泊料はけっこうするだろう。

 当日に訪れて、シティホテルで部屋を取れるのだろうかと心配したのだが、鷹津は予約を入れていた。つまり、今日の行動は衝動的なものではなく、しっかり計画を立てていたのだ。

 ここまで来て、鷹津の不可解な行動を問い詰めても、おそらく徒労感しか得られないだろう。鷹津はきっと教えてくれないし、強引に聞き出す腕っ節も勇気も、和彦にはない。

 総和会も長嶺組も大騒ぎになっているだろうなと、心の中でそっと嘆息する。

 クローゼットに袋を入れ、買ってもらったコートだけはハンガーにかけてから、さっそく靴からスリッパへと履き替える。

「足はどうだ?」

 ベッドに腰掛けた和彦の前に屈み込み、鷹津が問いかけてくる。

「大したことない。靴擦れというほどのものでもないし、本当に歩
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  • 血と束縛と   第42話(32)

     自分たちがいると不審がられるからと、寒いのに店の外で待っていた組員たちと合流し、駐車場へと向かう。 途中、頬にぽつりと冷たい粒が落ち、反射的に空を見上げる。ここに来るまで雨が降りそうだと思っていたが、そろそろ危なそうだ。 車に戻った和彦は、もう寄るところはないからと組員に声をかけ、マフラーを外す。秦から受け取った紙袋にちらりと視線を向けてから、余計なことを聞くのではなかったと後悔していた。 秦と中嶋の仲がこじれたままだとしても、二人で解決してくれなどと言ってしまった手前、首を突っ込むべきではない。そう、頭では理解しているのだが、こじれる瞬間を目の当たりにした身としては、まったく知らん顔をするのは道義にもとる気もする。 秦はともかく中嶋は、裏の世界での数少ない友人なのだ。 コートのポケットから携帯電話を取り出し、少しの間見つめていた和彦だが、低く一声唸ってから電話をかけた。** ドアを開けた中嶋の顔を一目見て、和彦は目を見開く。口を開こうとしたところで、素早く腕を掴まれて玄関に引き込まれた。ドアが閉まる寸前、部屋までついて来てくれた組員に、車で待っていてくれと早口で告げた。 中嶋が不自然に顔を背けようとしたので、容赦なくあごを掴んで阻む。それからじっくりと、顔を覗き込んだ。「――……これは確かに、人前には出られないな」 左頬が赤紫色になって腫れており、只事ではない事態が中嶋の身に起こったとわかる。ハンサムな顔が台無しだ。 秦と別れたあと、車中から中嶋に電話をかけて話したとき、和彦は漠然とした違和感を感じた。その違和感を無視できなくて、結局、本宅に戻るのをやめ、こうして中嶋のマンションに押し掛けてきたが、その判断は間違っていなかったようだ。 中嶋のほうは、隠し通そうとしたものがバレてしまい、甚だ不本意そうではあるが。「先生、勘がよすぎですよ……」「医者を舐めるな。電話越しに、君の話し方がいつもと違うと思ったんだ。それだけ腫れてたら、口も開けにくいだろ」 中嶋は否定せず、部屋に上がるよう言ってくれた。

  • 血と束縛と   第42話(31)

     やや胸を張って答えた秦には申し訳ないが、和彦はムッと顔をしかめる。去年と同じじゃないかと即座に言い返しそうになったが、さすがにそれは行儀が悪い。しかし、表情には出てしまう。秦は、ニヤリと笑った。クリスマスの飾り付けがきらびやかな店内にあって、それでも十分目を奪われる美貌が、一層華やかに彩られる。「今回は、木製のオーナメントなんですよ」「はあ……。ぼくのクリスマスツリーは今、長嶺の本宅にあるんだ。去年君からもらったものも合わせて、さぞかしきらびやかになるだろうな。ぼくだけじゃなく、組員もちょこちょこと小さなおもちゃを飾り付けているから」「長嶺組長もおもしろがって、こっそり飾りを足しているそうですよ」 それは初耳だ。和彦が片方の眉を跳ね上げると、わざとらしく秦が口元を手で覆う。ヤクザの組長と怪しげな青年実業家は、他人のクリスマスツリーの飾り付けについて話すことがあるらしい。「ぼくが子供だったなら、そういう遊び心も無邪気に喜べるんだが――」 自分で言った『子供』という単語に、和彦自身の記憶が刺激される。ふと脳裏を過ったのは、もしかして存在しているかもしれない、千尋の次の跡目のことだ。子供にとってクリスマスというイベントはきっと特別なもので、プレゼントをどれだけ楽しみにしているか想像に難くない。 賢吾は、プレゼントどころか、クリスマスツリーも買ってやったのだろうかと考えたとき、和彦は自分がどんな表情を浮かべたのかわからなかったが、秦がやけに慌てた様子で付け加えた。「もちろん、オーナメントだけじゃありませんよ。先生に似合いそうだと思ったストールも入っています」「……ありがとう」「よかったら、先生が手に取っていたブランケットもプレゼントしますよ」「いいよ、これはぼくが買う。――気前がいいのはけっこうだが、もっと大事な人間のプレゼントは買ったのか? 抜け目ない君に、こんなことを聞くのは野暮かもしれないが」 一瞬浮かんだ秦の微妙な表情に、和彦はあれこれと想像を巡らせながら、ひとまず自分の買い物を済ませてくる。 戻ってみると、秦は場所を移動し、店内に展示された小さなク

  • 血と束縛と   第42話(30)

     電話がかかってきたのは、ほんの十分ほど前だ。和彦は、話しかけてくる千尋を片手で制しつつ、あとでかけ直すという短い留守電を聞いてから、こちらから電話をかけてみる。 応じたのは、滴り落ちそうな艶を含んだ声だった。『――ご機嫌いかがですか。先生』 たった今、心療内科を受診したばかりだと言ったら、電話の相手である美貌の男はどんな顔をするのだろうかと、皮肉めいたことを考える。「すこぶるいい。寒いけど、天気がいいからな」『でしょうね。声を聞けばわかる』 元ホストらしい調子のよさに、堪らず和彦はくすくすと笑ってしまう。一方の千尋はあからさまにムッとしながら、口の動きだけで問いかけてくる。誰、と。「それで、何か用か?」『今日の先生の予定をお聞きしたくて。実はお渡ししたいものがあります』「はっきり言ってくれ。――秦」 にじり寄ってくる千尋に聞かせるよう、はっきりと呼びかける。電話の向こうの敏い男は、和彦の状況を察したらしく、息遣いが弾んだ。『お世話になっている先生に、今年もクリスマスプレゼントをお渡ししたいんです』 少し気が早くないかと指摘したかったが、和彦も他人のことは言えないため、寸前のところで自重した。** 昼間、さんざん千尋とあちこちで買い物をしたのに、また心が浮き立ってしまう――。 北欧の輸入雑貨を扱っている店内で、和彦は自分の目がキラキラと輝いているのを自覚していた。とにかく、魅力的な商品が多すぎる。特に今はクリスマスシーズンということもあり、この時期ならではのデザインのものが揃っていた。 目の毒すぎると、つい顔を背けた先で、使い勝手のよさそうなクッションを見つけ、ふらふらと歩み寄る。その隣には、暖かそうなブランケットがある。ソファに掛けて使えそうだと、思わず手を伸ばしていた。「――楽しそうですね、先生」 傍らから声をかけられて我に返る。いつから和彦の様子を眺めていたのか、今いる店の紙袋を下げた秦が顔を綻ばせていた。「ここなら、きっと先生は喜んでくれると思ったんです。まあ正直、待ち合わせ場所に現れた先生が、どことなく

  • 血と束縛と   第42話(29)

    「――食事はしっかりとれているか? もう少し太ってもいいぐらいだが、まあ痩せすぎというわけでもなさそうだ。……お前はなあ、食事に関しては本当に危なっかしい。学生の頃は、王子様みたいな見た目のくせして、いつもモソモソと菓子パンかじってただろ。同じ教室の女子たちが心配して、よく食い物を差し入れしてたよなあ」 昔のことをよく覚えているなと呆れていると、橘の傍らに立つ看護師の口元がわずかに緩んでいる。さすがに恥ずかしくなった和彦は、慌てて弁明する。「一年生の頃の話だっ。一人暮らしに慣れてからは、きちんと食事はしていた」「いやいや。誰彼と、お前をメシに連れ回してたからだろ。……本当に、今はきちんとやってるのか?」「ぼくよりしっかりした人間に、面倒を見てもらっているから、心配するな」 橘が、おやっ、という顔を一瞬したが、和彦は気づかないふりをする。そんな和彦の態度を、橘も見逃すはずもない。あごひげを撫でると、橘は目元は柔和なまま医者の顔となる。「眠れなくなる以外に、気になる症状はあるか?」 友人同士としての語らいはここまでだと察し、和彦は姿勢を正すと、患者として質問に答え始めた。** 病院を出ると、すぐ側のバス停に並ぶ人たちの列が視界に入った。緩やかなスロープを下りながら、なんとなく眺めていた和彦だが、その列の向こうに立つ千尋に気づき、目を見開く。すぐに駆け寄った。「何してるんだっ」「病院には入ってないよ」「……へ理屈を言うな」 冷たい風が吹きつける屋外にいて寒くないはずもなく、千尋は両手をダウンジャケットのポケットに突っ込み、首をすくめている。道路を挟んで向かいにある薬局にまで当然のようについてこようとするので、好きにさせた。「――病院から出てきた和彦が、いままで見たことないような顔してた」 いつもより数回分多めに処方された安定剤を受け取り、病院の駐車場に引き返していると、こんなことを千尋に言われた。「どんな顔だ?」「ちょっと怖い顔。もしかして、どこか悪いって言わ

  • 血と束縛と   第42話(28)

    「よお、来たな。佐伯」 男の羽織った白衣の胸元には、〈橘〉と記された名札がついている。この男が、和彦の友人であり、心療内科の担当医だった。 さあ座れと言うように、一人掛け用のソファを示される。和彦は一応、こう提案してみた。「……処方箋だけ出してくれたらいいんだが……」「お前は毎回、同じことを言うなあ。それで頷く心療内科医がいると思うか?」「他の医者には言えないから、橘さんに言ってるんだ」「――橘先生」 すかさず訂正され、和彦は露骨に顔をしかめて見せる。千尋に説明したとおり、橘は遠慮なくがさつな笑い声を上げた。人によっては眉をひそめるかもしれないが、和彦は違う。聞き慣れた笑い声に覚えるのは、安心感だった。 和彦がソファに腰掛けると、橘もファイルを手に、小さなテーブルを挟んで向かいに座る。橘の傍らには、にこやかな表情の看護師が立った。「ぼくのことは、『先生』をつけて呼んでくれたことがないくせに」「俺は、この男前の顔をどうこうしたいとは思わないからなあ。天地がひっくり返っても、お前が担当医になることはないな」「脱毛もやっている」 思わず、といった様子で橘が、あごを覆う強いひげに手をやる。ひげだけではなく、癖のある髪もぼさぼさで、ついでに言うなら眉は太く濃い。「俺の毛を、一本もお前に抜かせる気はないからな」「わかってるよ……」 こんなやり取りは、いつものことだった。おそらく橘は、他の患者相手にもこんな感じなのだろう。 見た目は、はっきりいってむさ苦しい四十男だ。顔の輪郭はごつく、大きな口が特徴的で、間違っても美男子と呼べる容貌ではないのだが、驚くほど目元が柔和で、それが人の警戒心を解いてしまう。学生時代から、子供と老人受けは抜群だった。 橘は、こちらに質問をしてくる前に、開いたファイルにさっそく何かを書き込み始める。互いに黙り込んだところで、音量をかなり抑えた音楽が流れていることに気づく。 ずいぶん昔に流行ったクリスマスソングで、これは橘個人の好みな

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    **** 和彦の心療内科の担当医は、医大に入った頃からの長年の友人でもある。 実家が病院を経営しており、跡を継ぐため医大に入学したと言っていたが、そういう使命を背負った学生は、さほど珍しくない。他の同期たちの中にも、同じようなことを語っている者は何人もいた。 ただ、和彦の友人は少しだけ変わった経歴を持っていた。 病院を継ぐ気などさらさらなく、理工学部を卒業したあと、一般企業の研究職に就いていたのだという。事情が変わったのは、長男である友人に代わって、婿を取って病院を継ぐ予定だった彼の妹が病に倒れたからだそうだ。 親兄弟、さらには親戚総出で説得され、友人は医者を目指すことになり、二浪を経て、医大に入学した。 同期ながら、和彦より九つ年上だが、それでなくてもさまざまな人間が学ぶ大学だ。多少の年齢差を気にする者はいなかった。「ぼくの友人は、年上のうえに、社会人経験もあったから、けっこう同期たちから頼りにされてたんだ。気さくで大らかで、いつもがさつにガハハと笑って、でも気配りができて。それでも、心療内科の道に進むと言われたときは、さすがに驚いた」「……ずいぶん買ってるんだ。その人を」 一緒に車の後部座席に座っている千尋が、拗ねたような口調で言う。自分から聞きたがったくせに、どうして機嫌が悪くなるのだと、和彦は横目でじろりと見遣る。 今話題に出ている友人の診察を受けるため、土曜日の午前中から出かけているのだが、なぜか千尋が、当然の顔をして車に乗り込んできたのだ。「一体、どうしたんだ。いままでは、ぼくが病院に行くと言っても、ついてくることなんてなかったし、ぼくの友人のことなんて聞いてもこなかったのに。……そもそも、聞く必要もないだろ。どうせ、お前たち父子、とっくに調べてるんじゃないのか」「まあ、和彦を診てる友人だというぐらいだし、気にはなったから。……心配なんだよ。〈あんなこと〉があったばかりだし、それでなくても最近、和彦の周りがバタバタしてるから。目を離すと、またトラブルに巻き込まれるんじゃない

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  • 血と束縛と   第4話(27)

    「――先生」  呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」  泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」  賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する

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