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第41話(29)

作者: 北川とも
last update 公開日: 2026-07-31 20:00:13

 千尋とともに賢吾の部屋に向かうと、ちょうど賢吾は電話をかけている最中だった。二人の姿を見るなり、少し待てというように賢吾が軽く片手を上げる。

 千尋はいそいそと自分の分の座布団を用意して、和彦には座椅子を勧める。自分はかまわないと首を横に振ったが、肩を掴まれ、半ば強引に座卓につかされた。

 並んで座った和彦と千尋を見て、電話を切った賢吾が微苦笑を浮かべる。話を聞くのなら、この席順はおかしくないかと思った和彦だが、賢吾も同様らしい。だが、些細なことだと言わんばかりに、いきなり本題を切り出した。

「メシの前に、胸が悪くなる話は済ませておこうと思ってな。――年末年始の間、お前を佐伯家に戻すよう、佐伯俊哉が要求してきたというのは、本当か?」

 隣で、千尋がわずかに身じろぐ。しかし声は発しなかった。

 和彦は視線を伏せたまま頷き、俊哉の言葉を伝える。ただし、説明してかまわないと言われたところまで。

 無条件に俊哉の言葉に従ってしまう自分に口惜しさを覚えつつ、一方で、俊哉の目的がわからない以上、長嶺の男たちの疑心をさらに煽るのは危
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  • 血と束縛と   第41話(29)

     千尋とともに賢吾の部屋に向かうと、ちょうど賢吾は電話をかけている最中だった。二人の姿を見るなり、少し待てというように賢吾が軽く片手を上げる。 千尋はいそいそと自分の分の座布団を用意して、和彦には座椅子を勧める。自分はかまわないと首を横に振ったが、肩を掴まれ、半ば強引に座卓につかされた。 並んで座った和彦と千尋を見て、電話を切った賢吾が微苦笑を浮かべる。話を聞くのなら、この席順はおかしくないかと思った和彦だが、賢吾も同様らしい。だが、些細なことだと言わんばかりに、いきなり本題を切り出した。「メシの前に、胸が悪くなる話は済ませておこうと思ってな。――年末年始の間、お前を佐伯家に戻すよう、佐伯俊哉が要求してきたというのは、本当か?」 隣で、千尋がわずかに身じろぐ。しかし声は発しなかった。 和彦は視線を伏せたまま頷き、俊哉の言葉を伝える。ただし、説明してかまわないと言われたところまで。 無条件に俊哉の言葉に従ってしまう自分に口惜しさを覚えつつ、一方で、俊哉の目的がわからない以上、長嶺の男たちの疑心をさらに煽るのは危険だと、理性的な部分で判断もしている。「オヤジは、お前に判断を任せると言っていた。もっともらしい渋面を浮かべていたが、腹の中はわかったもんじゃない。すでにもう、お前の父親との間で話がついているのかもしれないしな。お前はけっこうな値段がつきそうだ」 芝居がかった辛辣な言葉を放ったあと、そんな自分にうんざりしたように賢吾は荒く息を吐き出す。「下世話な話をするなら、長嶺組は佐伯和彦に対してけっこうな金を投資している。じっくりと先を見越しての投資だ。総和会が無理を通そうとしても、長嶺組としては承服しかねると突っぱねる理由にはなる」 長嶺組として、俊哉からの要求を断ることができると仄めかされ、和彦の胸に広がったのは安堵の感情だった。ただしその感情は、繊細な砂糖菓子のようにあっという間に溶けてしまう。 賢吾や千尋を、こちらの事情で危険に晒すわけにはいかないのだ。「……父さんは今回の要求で、総和会や長嶺組と揉めるつもりはないと思う。放蕩者の次男が行方不明のままで通すわけにはいかないから、年末年始の間だ

  • 血と束縛と   第41話(28)

    「これまでの経緯はあるが、総和会を信頼していると示すために、俺はお前の身を預けた。だが、結果はどうだ? 総和会の代紋を背負っている南郷は、お前が泣こうが叫ぼうが本宅に連れて来るべきだったし、そうできたはずだった。そうしなかったのは、憔悴したお前の姿に絆されたからじゃない。南郷は――」 賢吾が視線を向けた先には、和彦が畳んで置いたスウェットの上下がある。突き刺すように冷たい賢吾の一瞥は、不快さに満ちていた。「薄汚い捨て犬のようだった男が、ずいぶん偉くなったもんだ……」 凄みを帯びたバリトンの呟きに、ざわりと肌が粟立つ。賢吾の怒りは本物だと、理屈ではなく理解させられる。 自分がまだ知らない賢吾の一面を見たくないと思いつつも、怒りの原因が自分にあるということに、和彦は困惑と戸惑いだけではなく、胸の奥からせり上がってくるむず痒いような感覚を覚える。 つい、賢吾の腕にそっと手をかけていた。賢吾にその手を掴まれそうになったが、寸前のところで躱す。反対に、賢吾の手を掴み寄せ、手の甲をまじまじと見つめる。指の付け根が真っ赤になって腫れていた。「――……手、痛そうだ」「痛いぜ。なんたって育ちがいいからな。他人を殴り慣れてないんだ」 本気で言っているのだろうかと、和彦は上目遣いで賢吾の表情をうかがう。すると、苦笑いで返された。「やっぱり本調子じゃねーな、和彦。いつもなら澄ました顔で、そうだな、と返すところだ」「そんな……。そうかも、しれない。頭の中がいっぱいで、上手く動いてない感じがする。でも、あんたに話したいことがあって……」「言ったろう。込み入った話は後回しだと。どちらにしろ、俺はこれから出ないといけねーんだ。夕方までしっかり休んでおけ。話はそれからじっくり聞いてやる」 そこまで言われると、頷くしかなかった。賢吾は、もう一度和彦の頬を撫でると、部屋を出て行こうとする。この瞬間、さきほど賢吾に言われた言葉が唐突に蘇り、つい声を洩らしていた。賢吾が振り返り、わずかに首を傾げる。「どうした?」「えっ、あ&h

  • 血と束縛と   第41話(27)

     障子が閉められ一人となっても、すぐにはその場から動けなかった。少しの間ぼんやりと立ち尽くしていたが、改めて自分の格好に思い至り、うろたえる。慌ててコートを脱ぐと、押入れからネルシャツとパンツを引っ張り出した。 着替えを済ませたところで和彦は、文机の上に置かれた紙袋に目を留める。この客間に置いてあるということは、自分に関係があるものだろうが、勝手に中を見ていいのだろうかと逡巡しているうちに、廊下から足音が近づいてくる。 いきなり障子が開き、賢吾が姿を見せた。数秒ほど、言葉もなく見つめ合う。 スッと賢吾の視線が動き、文机に向けられる。「袋の中は見てみたか?」「えっ……」 賢吾が軽くあごをしゃくったので、紙袋の中を覗き込む。「第二遊撃隊の人間が、昨夜のうちに持ってきたんだ。佐伯俊哉から託ったということで。お前の忘れ物だそうだ」 紙袋に入っていたのは、昨夜和彦が首に巻いていたマフラーだった。慌ただしく料亭を出たため、今この瞬間まですっかり失念していた。「マフラーだけ持ってきて、肝心のお前の居場所は知らないと言われたときは、性質の悪い冗談かと思った」 マフラーを文机の上に置いてから、和彦はおずおずと賢吾に向き直る。「……さっき、南郷さんは、大丈夫だった、のか……?」「お前がまっさきに言うことはそれか」 冷然とした声と眼差しに、胸の奥まで貫かれる。和彦は吐き出した息を震わせた。「違う。そうじゃ、なくて……、あの人にあんなことして――」「それはお前が気にすることじゃない。今、お前が何より気にしなきゃいけないことはなんだ」 あくまで賢吾の表情は静かだった。さきほど南郷を殴ったというのに、激した様子は微塵もない。だからこそ和彦は、賢吾が身の内に抱えた、冷たい、凍りつくような怒りを感じずにはいられない。 口を動かそうとするが、言葉が出ない。何から言うべきかと、頭が混乱していたのだ。気持ちと体が委縮して、意識しないまままた後ずさりそうになり、そんな自分の態度を言い訳した

  • 血と束縛と   第41話(26)

    「……南郷さんは、違いますよね」「聞きようによっては、なかなか自惚れの強い言葉だな、先生。身近にいる男たちのほとんどが、自分に骨抜きになっていると自覚していないと出ない言葉だ」「どうせぼくは、したたかで性悪ですから」 一瞬の間を置いて、南郷が快活な笑い声を上げる。こんな笑い方もできる男なのかと、和彦は驚嘆する。ずっと張り詰めていた空気がふっと緩むが、それもわずかな間だった。 なんの説明もないまま、車がコンビニの駐車場へと入る。 和彦は小さく声を洩らす。昨夜も立ち寄った場所だった。車を停めた南郷は肩越しにこちらを一瞥したあと、一人車を降りる。すると、待機していたらしい男たちが駆け寄ってきて、南郷に向けて深々と頭を下げた。第二遊撃隊の隊員だ。 和彦はウィンドーに顔を寄せて外の様子をうかがいながら、やっと状況を理解する。昨夜は、ここで隊員たちと別れて南郷と二人きりとなったが、今度は合流するのだ。 案の定、南郷は隊員の一人を伴って車に戻ってくる。ただし、南郷が乗り込んだのは助手席だった。 その理由を、車が再び走り出してから南郷が口にする。「これから長嶺の本宅に向かうのに、俺が堂々と、あんたの隣に座っているわけにはいかないだろう。さすがに、自分の立場はわきまえている」 皮肉っぽい南郷の言葉を聞いて、和彦はそっと背後を振り返る。やはり護衛の車がついてきていた。しかも、二台。護衛にしては仰々しすぎると感じた次の瞬間、和彦は慌てて正面に向き直り、南郷の後ろ姿を凝視する。 まさかと思いつつも、己の持つ力を賢吾に対して誇示しようとしているのではないかと、ふと気になった。 和彦は、自分の格好を見下ろす。羽織ったコートの下は、南郷が着るために買っていたスウェットの上下だ。明らかにサイズの合っていない服を着た和彦を見て、賢吾が何も感じないはずはない。 自分の迂闊さをひたすら心の内で罵っているうちに、車は見慣れた住宅街へと入って行く。 心臓の鼓動が少しずつ速くなってくる。和彦は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出し、おそるおそる前方をうかがう。本宅の建物が見えてきたところで、ふいに南郷が声を

  • 血と束縛と   第41話(25)

     ワイシャツの上から南郷の脇腹に触れさせられた。指先で感じるのは硬い腹筋の感触だが、姿が隠れている百足の蠢きが伝わってくるようで、和彦は顔を強張らせる。 耳元に顔を寄せた南郷がひそっと囁きかけてきた。「忘れるなよ、先生。あんたが可愛がった刺青の姿を」 体が離れてほっと息をつく間もなく、玄関まで連れて行かれる。 急いでいるというのは本当らしく、コートに袖を通す和彦をその場に置いて、南郷は慌ただしく二階へと駆け上がっていき、すぐに戻ってきた。片手には和彦のスーツが入ったゴミ袋を、もう一方の手には南郷自身のジャケットを掴んでいる。 車を停めてある庭に出ると、早朝の冷たい空気に和彦は大きく身を震わせる。コートの前を掻き合わせながら、昨夜はよくわからなかった庭の光景を改めて目にする。どの遊具も塗装が剥げているだけではなく、壊れかけてボロボロだ。昨夜は気づかなかったがかつては花壇だったらしいものもあるが、もちろん荒れている。「――経営者は、この庭でくたばったそうだ」 車のロックを解除した南郷が、さらりと物騒なことを言う。軽く目を見開いた和彦に対して、南郷は皮肉っぽく唇の端を動かした。「昨夜は、あんたが気味悪がるだろうから言わなかったんだ。ここで焼身自殺があったってことは。買い手がなかなか見つからないのは、そのせいだ。縁起が悪いからな」 そんな場所を南郷は隠れ家として使っているのかと、和彦はうすら寒いものを感じた。 南郷が車を庭の外へと移動させるのを待ってから、和彦は後部座席に乗り込む。入れ替わりに車を降りた南郷は鉄門扉を閉め、鎖を巻きつけていく。その様子を眺めていた和彦は、鉄門扉越しに庭へと視線を遣り、すぐに背ける。 かつての経営者の話は、あえて和彦の耳に入れなくてもよかったものだ。それでもあえて話したのは――南郷の性癖だとしか思えなかった。和彦がどんな反応を示すか、観察したかったのだろう。 急速に車内が暖房によって暖められていく中、居心地の悪さを覚えた和彦はシートの上で身じろぐ。その拍子に、ポケットに入れたままの携帯電話の存在を思い出した。 ポケットに手を突っ込み、携帯電話をそっと指先でまさぐる。本宅に着く前に連絡を

  • 血と束縛と   第41話(24)

     ムキになって反論する間に冷めてしまいそうで、和彦は黙って、温かなタオルに顔を埋める。心地よさに小さく吐息が洩れていた。「そのまま聞いてくれ、先生。――あんたをこれから、長嶺の本宅まで送り届けることになった」 タオルからわずかに顔を上げると、南郷はあごに手を当て、やけに神妙な顔をしていた。「本宅、ですか……」「あんたをゆっくり休ませて、昼頃にでもマンションに送る予定だったんだが、どうやら本部のほうで騒動になっているらしくてな。早く戻ってこいと命令された」「南郷さんに命令って、会長が――」「総和会の組織体系がまだピンときてないだろうが、あそこで、俺に命令できる人間はいくらでもいる。普段は何かと大目に見てもらって好き勝手しているが、さすがに長嶺組を本気で怒らせるような事態となったら、話は別だ。ケジメをつけるために指を何本か落とせと言われても、逆らえない」 南郷の話に、和彦は顔を強張らせる。騒動の原因が、自分の行動にあることを嫌というほど自覚しているからだ。大事になると薄々わかっていながら、長嶺組に連絡を入れることなく一晩所在をくらませ、しかも南郷と一緒だったと知り、長嶺組――というより賢吾の怒りは、和彦にも向くかもしれない。「……総和会には、どこにいるか知らせてなかったんですか?」「知らせたら、どこからか長嶺組にも伝わって、あんたは数時間とここにいられなかったはずだ。俺は案外、義理堅い男なんだ。まあ、誰にも邪魔されたくなかったというのもあるが」 別に、南郷に感謝しようという気持ちは湧かなかった。ただ、自分のせいで南郷が、総和会で危うい立場に追いやられるかもしれないということに、わずかながら申し訳なさを覚える。 そんな感情の揺れが顔に出たのか、南郷がニヤリと唇を歪めた。「優しいな、先生。そんなことだから、悪い男たちに付け込まれるんだ。それともあえて、そういう隙を見せているのかな」 返事の代わりに咳をすると、すぐに表情を引き締めた南郷は、和彦がテーブルの上に置いたスーツ一式を、無造作にゴミ袋に突っ込み始める。「何してるんですかっ」「バッ

  • 血と束縛と   第11話(20)

     外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう

    last update最終更新日 : 2026-03-27
  • 血と束縛と   第11話(22)

     さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自

    last update最終更新日 : 2026-03-27
  • 血と束縛と   第6話(22)

    「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく

    last update最終更新日 : 2026-03-21
  • 血と束縛と   第4話(27)

    「――先生」  呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」  泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」  賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する

    last update最終更新日 : 2026-03-19
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