Masuk「この人は、組とは一切関係ない」
和彦は、男にきつい眼差しを向ける。男の言葉には悪意が満ちており、それが和彦を不快にする。言葉だけではない。所作の一つ一つが、何もかもが生理的に受け付けられない。 男はスッと目を細め、和彦を見据えてくる。冷たく凍りつくような目だった。そのくせ、粘つき、ぎらつくようなものが微かに覗き見えたりもしている。どこか賢吾の持つ冷たさと似ているが、あの男の持つ冷たさは不純物が一切ない。だが、目の前に立つ男は、さまざまなものが混じり合い、濁っている。「――善良な一般人を巻き込みたくなかったら、これから俺と二人きりで話をしろ。お前にはいろいろと聞きたいことがある」「絶対嫌だ」「ここで俺が騒いで、外のパトカーに一緒に乗ってみるか?」「困ったことがあれば、すぐに長嶺の顧問弁護士に連絡するよう言われている。……得体の知れない男に脅されたときとか」 男はまた、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「あの蛇みたいな男がご執心だと聞いたときは、冗談かと思「脅しだったんじゃないかと思う。先生じゃなくて、じいちゃんに対する。いままで、弱みらしいものがなかったじいちゃんが、先生を側に置いたうえに、総和会の力と金を使って、先生に事業を始めさせそうとしているんだ。誰だって、先生が特別な存在なんだってわかる。……法要のときの、〈あれ〉もあるしさ。実際、どういうことをしたのかはともかく、盃を交わしたという話で、総和会の中は持ちきりだったらしいし」「……お前のその口ぶりだと、まるで、総和会の中に――」「外部の組織の可能性がまったくないわけじゃないけど、総和会の誰かの仕業という可能性のほうが、圧倒的に高い。総和会は、そういう組織なんだ。じいちゃんだって、手を汚さずに会長の座についたわけじゃない。それをよく思わない人間は、総和会の中にいくらでもいる。表立って揉めないのは、やっぱりそれだけ、じいちゃんの力が絶大だからだ」 そんな存在の弱みになりうるかもしれないと、自分は目されているのだ。和彦は、これまで総和会という組織の中で、自分に向けられた男たちの視線を思い返していた。守光を信奉する男たちの目が行き届いているのか、オンナであることで不愉快な思いをしたことはないが、その中に敵意や害意が含まれていたかもしれないのだ。 本部周辺では現在、この雨にもかかわらず、厳戒態勢が敷かれているという。和彦を本部から遠ざけたのも、不測の事態に備えてのことらしい。「本部かクリニックにいる先生にはピンとこないだろうけど、夏頃から、総本部とかの空気がちょっとおかしいんだよね。ざわついているというか、浮き足立っているというか」「どうしてだ?」「第一遊撃隊の隊長が職務に復帰して、隊自体も活動を再開したから」 思いがけない形で第一遊撃隊の話題が出て、和彦は目を見開く。「御堂さんのことか……」「そういえば先生、御堂さんと会ったことあるんだってね。――先生がどこまで知ってるかはわからないけど、あの人がどうこうというより、あの人を、じいちゃんの抵抗勢力の神輿にしたがってる人間がいるんだよ。筆頭は、清道会かな。とにかく、そういう目論見を抱く側と、警戒する側が、総本部の
尋常でない出来事があったにも関わらず、総和会の男たちの動きは迅速だった。速やかに代わりの車が呼ばれ、和彦だけがその車に乗って現場を立ち去ったのだが、そのあと、警察を呼んで処理したとは到底思えなかった。 どしゃ降りの雨の中、車の外にいた男たちは、ずぶ濡れになりながら明らかに殺気立っており、あんなぎらついた目をして警官と相対すれば、さらに面倒な事態になるのは目に見えている。 先生は何も心配しなくていいと言われたが、自分が乗っている車があんな目に遭い、安穏とした気持ちでいられるはずがない。頭の中は疑問符が飛び交っていた。 車をぶつけてきたのはどこの誰なのかということはもちろん、今夜はこのホテルで休むよう言われた理由も、時間の経過とともに気になってくる。 本部までは、もう少しだったのだ。歩いてさえ行けた距離だ。なのに、わざわざ離れたホテルへと連れて来られた。おそらく隣か前の客室も、総和会によって押さえられているはずだ。護衛の手間を考えても、ホテルの部屋を取った利点が見えてこない。 もう一度ため息をつこうとしたとき、部屋の外で慌しい気配がする。また何か起こったのかと、反射的に飛び起きたと同時に、ドアがノックされた。和彦はベッドの上で動けず、じっと息を潜める。すると、ナイトテーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。相手は千尋だ。『――先生、ドア開けて』 電話に出ると、開口一番にそう言われて面食らう。再びドアがノックされ、ようやく和彦はベッドから下りた。 念のためドアスコープを覗いて、ドアの前に千尋が立っているのを確認する。ドアを開けると同時に千尋が押し入り、和彦をきつく抱き締めてきた。「よかったっ……。本当に無事だった」 呻くように千尋が洩らした言葉に、和彦は目を丸くしたあと、小さく笑みをこぼす。千尋の背後に目を向けると、護衛としてついてきたのだろう。廊下に長嶺組の組員たちが立っている。和彦が頷くと、ドアが閉められた。「……大丈夫だと言っただろ。どうして来たんだ」 茶色の髪をくしゃくしゃと撫で回しながら和彦が言うと、不安そうに千尋が見つめてくる。「迷惑だった?」
**** 八月最後の日だった。 和彦はウィンドーを覗き込むようにして、外の様子をうかがう。クリニックからの帰宅途中なのだが、日が暮れてから急に天候が崩れ、とうとうどしゃ降りの雨となっている。『――雨すごいね』 電話の相手である千尋の言葉に、見えるはずもないのに和彦は頷く。「ああ。クリニックを閉める頃に降り出したから、よかったといえばよかったが……。お前は、本宅にいるのか?」『珍しく、午後からずっとね。先生が仕事休みだったら、どこかに一緒に出かけたかったのにさ』「この暑い中、どこに出かけるつもりだったんだ」『いろいろあるよ。まずは、映画なんてどう? あと、秋物も並んでるから、服を買いに行くとかさ』 ここのところ、千尋と気楽な気分で出かける機会もなかったので、素直にいいなと思ってしまう。「お前の予定が合うなら、クリニックが休みの日に出かけるか。ぼくも、買いたいものがあるし」『予定なんて、合わせるよっ。じゃあ、来週の日曜は?』「ぼくのほうは、今は予定が入ってないから大丈夫」『だったら俺、じいちゃんに、その日は絶対に先生に予定を入れないように言っておくから』 総和会会長の孫だからこその発言だなと、和彦は密かに苦笑を洩らす。今の守光に、こんなことを面を向かって言えるのは、おそらく千尋ぐらいだろう。賢吾ですら、長嶺組組長という立場から気安く口にはできないはずだ。「あまり強引な頼み方はするなよ」 柔らかな口調で窘めた和彦は、ここで異変に気づく。大雨のため、普段以上に慎重な運転を続けていた車が、前触れもなく加速したのだ。それに伴い、前に座っている護衛の男たちが目に見えて緊張する。「どうかしたんですか?」 和彦が問いかけると、助手席に座っている男が硬い声で答える。「車の通りが少ない道に入ってから、急に後続車が車間を詰めてきたんです。どうも、動きが不自然で」 和彦がおそるおそる振り返ると、確かにすぐ背後を走る車があった。それでなくてもどしゃ降りの雨の中、この車間の近
和彦は声を洩らして笑っていたが、中嶋が律動を再開し、すぐに尾を引く嬌声を上げる。中嶋に抱き締められ、両腕の中で滑る体を奔放に捩って乱れていると、ふいに、内奥から欲望が引き抜かれ、下腹部から胸元にかけて、中嶋の精が飛び散った。「……さすがに、本部に帰る先生の中に、俺の精液を残すわけにはいきませんからね」 息を乱しながらの中嶋の言葉に、納得せざるをえない。「そんなことまで、頭が回ってなかった……」 和彦が率直に告げると、中嶋がゾクゾクするほど挑発的な表情で応じた。「そんなに、気持ちよかったですか?」「気持ちよかった。自分が浅ましい人間なんだと実感させられた。……周りの男たちが大層な扱いをしてくれるから思い違いをしていた。ぼくは、オンナであろうがなかろうが、本来、こういう人間なんだ。プライドが傷ついたなんて発言は、おこがましかったな」「先生は、自分を正しく客観視しようとしすぎですよ。誰も採点なんてしないんだから、気楽に」 中嶋の発言に、正直驚いた。和彦は目を丸くしたあと、苦々しい顔となる。「子供の頃からの癖だな。採点はされていた。――父親から」 まるで慰めようとするかのように中嶋に頬を撫でられたが、ローションがついてしまい、思わず破顔する。 唇を重ね、抱き合いながら、精がこびりついた下肢を密着させているうちに、中嶋を組み敷く格好となる。和彦は、高ぶった欲望をためらいもなく、潤んだ内奥に再び埋め込んだ。** 気だるさと、清々しさをまとった和彦が本部に戻ったとき、すでに日付は変わっていた。堂々の夜遊びだ。 エレベーターを降り、ラウンジの前を通り過ぎようとして、ぎょっとする。誰もいないと思っていたが、ソファの背もたれの向こうで大きな影が動いたからだ。姿を見せたのは南郷だった。どうやら、ソファに深くもたれかかっていたらしい。 和彦が全身の毛を逆立てる勢いで警戒すると、南郷は露骨に頭の先からつま先まで眺めてきた。そして、芝居がかった下卑た笑みを見せた。「わかってはいるつもりだった
「まだ、役目があるんだから、イッたらダメだ。その代わり、こっちを――」 和彦は、中嶋の欲望をくすぐるように撫でてから、柔らかな膨らみをてのひらに包み込む。ビクリと中嶋の体が震え、間欠的に声を上げる。内奥を緩やかに突きながら、柔らかな膨らみを優しく揉みしだき、探り当てた弱みを指先で弄る。 内奥が激しく蠢き、和彦の欲望を舐め上げるように刺激してくる。普段、自分もこんなふうに反応しているのだとしたら、男たちが執拗にこの部分を攻めてくるのもわかる気がした。 中嶋の興奮を鎮めるため、柔らかな膨らみから手を離し、ビクビクと震えている内腿に指先を這わせてくすぐる。激しい律動は必要なかった。和彦は二度、三度と内奥から欲望を出し入れしたあと、ぐうっと奥深くへと押し入り、絶頂を迎える。 精が注ぎ込まれていると感じたのか、中嶋の内奥が激しい収縮を繰り返し、まるで絞り上げるように和彦の欲望を咥え込む。 腰から溶けてしまいそうな快感は数瞬のうちに去り、次に押し寄せてきたのは脱力感だった。和彦は大きく息を吐き出してから体を離すと、中嶋の隣に転がる。 手足の指先にまで充足感が満ちていき、全身から汗が噴き出す。自分が主導して動くとやはり体の反応がいつもとは違う。これまでも中嶋とは体を重ねていたが、今夜は特別な気がした。 中嶋がしどけなく髪を掻き上げて顔を上げ、熱っぽい眼差しを向けてくる。「やみつきになりそうですよ。先生とのセックス。秦さんも三田村さんもいないから、本気を出しました?」「君のほうこそ、いままでと反応が違った。本気でぼくに応えてくれたか?」 ここで中嶋の目の色が変わり、しなやかな獣のような動きで身を起こし、和彦にのしかかってくる。「――次は、俺の番ですね」 力の抜けた両足を抱え上げ、中嶋が腰を密着させてくる。物欲しげにひくついている内奥の入り口に、欲望の先端が擦りつけられ、思わず和彦は喉を鳴らす。中嶋は一息に、内奥の深い場所までやってきた。「んうっ……」 和彦が仰け反ると、露わになった喉元を舐め上げられる。深く繋がったところで、貪るように唇と舌を吸い合い、汗とローションで濡れた肌をぴった
中嶋の手が欲望に伸び、ローションを塗り込めるように扱かれる。和彦は新鮮な感触にビクビクと震わせ、そんな和彦に興奮を覚えたのか、中嶋に唇を求められる。促されたわけではないが、和彦もおずおずと中嶋の欲望に触れ、自分がされているように扱く。 ふざけ合いの延長のような前戯に小道具が加わり、和彦の戸惑いは中嶋によって巧みに溶かされていく。貪り合うような激しいセックスとは違う気楽さは、和彦が現在置かれている息も詰まるような緊張感から解放してくれてもいるようだった。 元ホストだけあって、こういう手管にも長けているのだろうかと考えたりもしていたが、すぐにそんな余裕はなくなる。 中嶋の手がさらに奥へと伸び、内奥の入り口をまさぐられた。和彦が微かに声を洩らすと、中嶋はうっすらと笑みを浮かべてから、再びてのひらにたっぷりのローションを垂らし、和彦の両足の間をまさぐってくる。中嶋の指の動きに呼応するように、淫靡な音が一際大きく響く。 内奥に一本の指がヌルッと挿入されてくる。ローションのおかげでほとんど痛みはなく、馴染みのあるはずの異物感も驚くほどすんなりと体に馴染む。 二本、三本と指を増やされていくに従い、自分の息遣いが妖しさを帯びてきたことに、和彦は気づいていた。反り返った欲望の先端からは透明なしずくが滴り落ち、中嶋が指先で掬い取りながら問いかけてくる。「先生、どっちが先がいいですか?」 その問いの意味を理解し、和彦はうろたえる。「……君に、任せる」「言ったでしょう。傷ついた先生のプライドを癒す手伝いをすると。そのためには、先生がまず選ばないと。自分がどうしたいのか」 本当はプライドなどと大した話ではないのだ。ただ和彦は、南郷に嘲りを含んだ言動を取られるのが、たまらなく嫌なのだ。オンナなのだから、男に庇護される代わりに、男からのどんな嘲りも受け入れろと、言外に示されているようで。 物騒な世界に引き入れられる以前、和彦にとって男と体を重ねることに、建前や価値など見出す必要はなかった。そうしたいから、しているだけで、それで心も体も満たされていた。誰にも迷惑をかけないのだから、誰も立ち入るなと、心の中で密やかに主張しながら。
和彦の内奥を的確に指と道具で犯す男の背後に立ったのは、高そうなダブルのスーツをこれ以上なく見事に着こなした中年の男だった。四十代半ばぐらいだろうが、一目見て圧倒される存在感を持っていた。 全身から漂う空気は剣呑としており、それでいて威嚇するような攻撃的なものではなく、ただ静かな凄みを放っている。衰えを知らないような厚みのある体つきに相応しいといえた。何より、彫像のように表情が動かない顔は、冷徹そのものではあるが、端整だ。 だが、容貌はさほど重要ではない。男が持つ独特の鋭さや冷ややかさ、年齢を重ねているだけでは醸せない落ち着きが、男の存在自体を圧倒的なものにしてい
突然のことに声も出せない和彦は、大きく目を見開く。南郷は、手荒な行動とは裏腹に、静かな表情で和彦を見つめていた。 こんなときに限って、マンション前には人はおろか、車すら通りかからない。 南郷の大きく分厚い手が眼前に迫ってくる。絞め殺されるかもしれないと、本気で危機を感じた和彦だが、仮にも総和会に身を置く男がそんなことをするはずもない。 南郷の手は、和彦の首ではなく、両頬にかかった。「これが、長嶺組長のオンナ……」 和彦の顔を覗き込みながら、ぽつりと南郷が呟く。淡々とした声の響きにゾッとして、和彦は手
「おもちゃで遊ばれている姿を見ながら感じていたが、お前がつき合ってきた男は、きちんとここを開発してくれていたようだな」 喉を反らして感じる和彦に対して、賢吾は容赦なく内奥の浅い部分を攻め立てながら、汗ばんだ胸元を舐め上げてくる。生理的な反応から涙を滲ませながら、和彦は緩く首を左右に振る。このときまた、三田村と目が合っていた。 同性と体を重ねる以外で、特殊な性癖は持ち合わせていないつもりの和彦だが、このときから自信がなくなる。見られることが、もう一つの愛撫になっているようだった。 「こっちを見ろ」 賢吾に言われ、反射的に従ってしまう。す
** 自分の車に千尋を乗せて和彦が向かったのは、繁華街の中にある、飲食店ばかりが入った雑居ビルだった。とにかく人目を避け、なおかつ人に紛れ込みたかったのだ。これだけ飲食店があれば、仮に尾行がついていたとしても、二人の姿を容易に見つけ出せないはずだ。 もっとも、千尋と二人きりになった時点でアウトな気もするが、肝心の千尋が和彦から離れないのだから仕方ない。 混み合うエレベーターを途中で降り、階段を使って上がる。入ったのは、個室が使える居酒屋だった。すでに盛り上がっているグループやカップルを横目に、二人は黙り込んだまま個室に案内してもらう