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記憶喪失のふりで家族に養子だと騙された

記憶喪失のふりで家族に養子だと騙された

By:  愛しき影Completed
Language: Japanese
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娘の誕生日を祝おうと出かけた途中、俺たちは交通事故に遭った。 意識を取り戻した俺――相沢慎(あいざわ しん)は、病床を囲む家族を見渡し、冗談を口にした。 「すみません。どちらさまですか?」 笑いをこらえながら、記憶を失ったふりをする俺に、みんながどんな反応をするのか見てみたかった。 父や妻の藤崎葉月(ふじさき はづき)が心配そうに俺の手を握るのか。それとも、娘が泣きながら「パパ」と飛びついてくるのか。 ところが、彼らは一瞬驚いたあと、揃って安堵の表情を浮かべた。 最初に口を開いたのは父だった。どこか肩の荷が下りたような声で言った。 「忘れたなら、かえって好都合だ。実はお前は神崎家の養子で、修平が本当の息子なんだ」 葉月も俺を指し、娘に言った。 「この人のことは、慎おじさんと呼びなさい」 衝撃で何も言えずにいる俺の目の前で、命懸けで守った娘は振り返り、神崎修平(かんざき しゅうへい)の胸へ飛び込んだ。 「パパ!今日は一日中遊びに行ってたから、会いたかった!」 俺の「記憶喪失」は、彼らにとってまさに好都合だったのだ。 それなら、こんな偽りだらけの関係など、もう何もかも捨ててしまえばいい。

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Chapter 1

第1話

「杏奈、これからはママの言うことを聞くのよ。もう慎おじさんに甘えたりしないで」

葉月は複雑な目で俺を見つめていたが、そこに罪悪感も後ろめたさも見えなかった。

杏奈(あんな)は葉月の腕の中から顔をのぞかせ、ためらいがちに俺を見た。

そして、無邪気な声で呼んだ。

「慎おじさん」

その呼び名が胸の奥に突き刺さり、鈍い痛みがじわじわと広がった。

修平が病床の前まで来ると、責めるように言った。

「慎、俺も葉月も仕事で忙しいんだ。少し子どもを見てもらっただけなのに、どうしてこんなことになるんだ?杏奈が無事だったからよかったものの、もしものことがあったら責任を取れたのか?本当に、お前は何一つまともにできないんだな」

修平が言い終えると、俺がずっと認めてもらおうとしてきた父も、すぐさま同調した。

「修平、そんな言い方はやめなさい。こいつは神崎家の血を引いていないんだ。何をやらせても優秀なお前とは違う。こればかりは、持って生まれたものなんだろう」

父はため息をつき、誇らしげな目で修平を見ながら、その肩を叩いた。

胸の内が冷え切っていった。

神崎家の本当の息子は俺だ。

修平は、俺の20年以上にわたる人生を奪った家政婦の息子だった。

当時、家政婦は自分の息子に裕福な暮らしをさせるため、生まれたばかりの俺たちを入れ替えた。

俺はその家で育てられ、事あるごとに殴られたり罵られたりした。

何度も聞かされたのは、いつも同じ言葉だった。

「神崎修平を見てみなさい。あの子こそ本物の御曹司よ。あんたなんか足元にも及ばない。身の程をわきまえて!」

やがて真相が明らかになり、俺は神崎家に引き取られた。

これでようやく苦労が報われると思っていた。

それなのに実父は、俺が記憶を失ったと思った途端、いとも簡単に俺を切り捨てた。

「慎、聞いてるの?」

葉月の声で、俺は過去の記憶から引き戻された。

彼女は冷たい声で続けた。

「杏奈が言ってたわ。運転中ずっとスマホを見ていたから、ガードレールにぶつかったんでしょう。杏奈がシートベルトをしていたからよかったものの、もしものことがあったらどうするつもりだったの?叔父として何をしていたのよ!」

俺は信じられない思いで娘を見た。

事故が起きた瞬間、俺は助手席の杏奈をかばいながら反射的にハンドルを切り、運転席側からガードレールに衝突した。

額をハンドルに打ちつけ、割れたガラスで腕を切ったが、杏奈は無傷だった。

それなのに、命懸けで守った娘は今、幼い声で悪意に満ちた嘘をついている。

「俺はスマホなんか見てない!」

起き上がろうとした拍子に傷が痛み、思わず息を詰めた。

「こんな子どもが嘘をつくとでも言うの?」

葉月の声が一段と大きくなった。その目には、露骨な嫌悪が浮かんでいた。

「慎がこんなに反省できない人だったなんて、今まで気づかなかった。よくもそんな見え透いた嘘がつけるわね!」

俺は口元をゆがめ、自嘲気味に笑った。

「子どもだって嘘はつく。現に、こんなにうまくついてるだろ」

修平はわざとらしく目を見開いた。

「慎、杏奈に向かって何を言うんだ!まだ子どもだぞ!まさか、わざと事故を起こして杏奈を殺し、神崎家と藤崎家の財産をすべて奪うつもりだったんじゃないだろうな?」

あまりにも荒唐無稽で、言葉も出なかった。

父の顔色がたちまち変わった。

俺を指さし、憎々しげに吐き捨てた。

「慎、よく聞け!そんな浅ましい考えは捨てろ!自分の立場をわきまえろ!」

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ノンスケ
ノンスケ
これはまた…ちょっとした悪戯のつもりが、蛇が出たわけね。しかし、父も妻も娘もまぁ薄情だな。娘は仕方ないにしても…
2026-10-11 15:59:38
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9 Chapters
第1話
「杏奈、これからはママの言うことを聞くのよ。もう慎おじさんに甘えたりしないで」葉月は複雑な目で俺を見つめていたが、そこに罪悪感も後ろめたさも見えなかった。杏奈(あんな)は葉月の腕の中から顔をのぞかせ、ためらいがちに俺を見た。そして、無邪気な声で呼んだ。「慎おじさん」その呼び名が胸の奥に突き刺さり、鈍い痛みがじわじわと広がった。修平が病床の前まで来ると、責めるように言った。「慎、俺も葉月も仕事で忙しいんだ。少し子どもを見てもらっただけなのに、どうしてこんなことになるんだ?杏奈が無事だったからよかったものの、もしものことがあったら責任を取れたのか?本当に、お前は何一つまともにできないんだな」修平が言い終えると、俺がずっと認めてもらおうとしてきた父も、すぐさま同調した。「修平、そんな言い方はやめなさい。こいつは神崎家の血を引いていないんだ。何をやらせても優秀なお前とは違う。こればかりは、持って生まれたものなんだろう」父はため息をつき、誇らしげな目で修平を見ながら、その肩を叩いた。胸の内が冷え切っていった。神崎家の本当の息子は俺だ。修平は、俺の20年以上にわたる人生を奪った家政婦の息子だった。当時、家政婦は自分の息子に裕福な暮らしをさせるため、生まれたばかりの俺たちを入れ替えた。俺はその家で育てられ、事あるごとに殴られたり罵られたりした。何度も聞かされたのは、いつも同じ言葉だった。「神崎修平を見てみなさい。あの子こそ本物の御曹司よ。あんたなんか足元にも及ばない。身の程をわきまえて!」やがて真相が明らかになり、俺は神崎家に引き取られた。これでようやく苦労が報われると思っていた。それなのに実父は、俺が記憶を失ったと思った途端、いとも簡単に俺を切り捨てた。「慎、聞いてるの?」葉月の声で、俺は過去の記憶から引き戻された。彼女は冷たい声で続けた。「杏奈が言ってたわ。運転中ずっとスマホを見ていたから、ガードレールにぶつかったんでしょう。杏奈がシートベルトをしていたからよかったものの、もしものことがあったらどうするつもりだったの?叔父として何をしていたのよ!」俺は信じられない思いで娘を見た。事故が起きた瞬間、俺は助手席の杏奈をかばいながら反射的にハンドルを切り、運転席側からガードレール
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第2話
また「自分の立場をわきまえろ」か。その言葉は、まるで呪いのように俺につきまとってきた。幼い頃は育ての父から、今は実の父から、何度も同じ言葉を浴びせられる。全身から力が抜け、俺はうつむいた。これ以上、無意味な言い争いを続ける気にはなれなかった。手のひらに入り組んだ線を見つめていると、幼い頃に手相を見てもらったときのことを思い出した。その人は、俺は生まれつき運がなく、身内との縁も薄いと言った。当時はまだ幼く、言われた意味も分からなかったが、育ての父は笑っていた。「慎は本当に運のない子だな」確かに、これまでの人生はあの手相占いのとおりだった。それでも、俺はずっと運命など信じていなかった。葉月と結婚し、杏奈が生まれてからは、なおさら自分が不運だとは思わなくなった。だが今日になって、どれほど望んでも手に入らないものがあるのだと、ようやく分かった気がした。涙がこぼれそうになり、俺は必死にこらえた。こんなところで泣くわけにはいかない。まして、こいつらの前で弱みを見せるなど、まっぴらだった。深く息を吸い、俺は笑って言った。「俺に財産を奪われるのがそれほど怖いなら、神崎家とは縁を切る」葉月と父は言葉を失い、驚いた顔で俺を見た。修平だけは、喜びを隠そうともしていなかった。「何だと?」最初に我に返ったのは父だった。怒りをあらわにして声を荒らげた。「神崎家と縁を切るだと?お前……もう一度言ってみろ!」修平はすぐに父の腕を支え、慌てたように言った。「父さん、怒らないで。慎はきっと、ずっと前からそうするつもりだったんだ。養子とはいえ、神崎家は何不自由なく暮らさせてきた。それなのに恩を仇で返すなんて、本当に恩知らずだよ」一瞬迷いを見せていた父も、修平の言葉を聞いて完全に考えを固めたようだった。俺を見る目が、たちまち失望に変わった。「そうか。そこまで言うなら、好きにしろ!あとで後悔しても知らないぞ!」こんな家族と縁を切って、何を後悔するというのだろう。それまで黙っていた葉月が、突然口を開いた。声を和らげ、なだめるように言った。「慎、勢いで決めないで。お義父さんも頭に血が上がっているだけよ。家族なんだから、そこまで言う必要はないでしょう?」俺は鼻で笑った。「葉月、今さら
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第3話
俺は、すべてを水に流せるほど寛大な人間ではない。あの家政婦のせいで、俺は20年以上も本当の家族と引き離されたうえ、まともな扱いも受けずに育った。今も恨みは消えていない。その息子で、何も知らないまま俺の人生を手に入れた修平に、好意を持てるはずもなかった。だが当時、葉月は何気ない口調で言った。「修平だって、何も悪くないでしょう。あの頃はまだ子どもで、何も知らなかったんだから」その言葉が引っかかり、俺は2日ほど葉月と口をきかなかった。結局、葉月のほうから機嫌を取りに来て、キャンディを一袋差し出したことで、この話はそれきりになった。今思えば、あれが俺たちの関係の分岐点だったのかもしれない。それまでと変わらない日々が続いているように見えて、俺たちはあのときから、すでに違う道を歩き始めていた。キャンディを口に入れると、舌の上でゆっくり溶けていった。以前は好きだったはずの甘さが、今は妙にくどく感じられた。俺はスマホを取り出し、ある番号に電話をかけた。「おい、慎!お前から電話してくるなんて珍しいな。葉月に骨抜きにされて、俺のことなんか忘れたかと思ってたぞ!」大学時代からの親友、倉田直樹(くらた なおき)だった。直樹は、俺が周囲に見せていた姿が本当の俺ではないと見抜き、それでもそばにいてくれた唯一の友達だった。卒業後は海外へ渡ったが、連絡は取り続けていた。「直樹」自分でも分かるほど、声がかすれていた。「離婚して、海外へ行くつもりだ」直樹はしばらく黙り込んだ。「慎、お前……本気で言ってるのか?やっと決心したんだな?」「ああ」俺は窓の外に広がる、どんよりとした空を見た。「ただ、直樹に頼みたいことがある」「何だ?遠慮せず言え。お前のためなら何だってやる」退院の日、俺は誰にも連絡しなかった。まだ足元がおぼつかない状態で自宅のドアを開けると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。思わず足が止まった。大きな窓から差し込む月明かりが、リビングで楽しげに過ごす4人を照らしていた。俺だけが、その輪の外に取り残されていた。俺に気づいた途端、笑い声がやみ、気まずい沈黙が広がった。俺は口元をゆがめ、わざと他人行儀に尋ねた。「すみません。俺の部屋はどこでしょうか?」父の表情がこわばった。すると修平がすぐに立ち上がり、階段の奥にある小さ
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第4話
修平が体調不良を訴えた途端、葉月の意識はすべて彼へ向いた。そして俺を振り返り、冷たく言い放った。「これで満足?」そのまま全員で修平を支え、慌ただしく病院へ向かった。出ていく直前、父はわざわざ振り返って怒鳴った。「この疫病神が!」俺はその場に立ち尽くし、足がしびれてきた頃、ようやく納戸へ入った。心身ともに疲れ切っていた俺は、狭いシングルベッドに倒れ込み、そのまま眠りについた。どれほど時間が経ったのか分からない。乱暴に腕を引かれ、俺は目を覚ました。怒りに目をつり上げた葉月が、俺をベッドから引き起こした。「慎!どうしてそこまで卑劣なことができるの!」まだ意識がはっきりしないうちから、激しい怒声を浴びせられた。「修平が重度のピーナッツアレルギーだと知っているくせに、わざとピーナッツクリームのケーキを送りつけたでしょう!恨みを晴らすために、修平を殺すつもりだったのね!」何を言われているのか分からなかった。ピーナッツクリームのケーキ?俺がいつ、そんなものを注文した?あまりの言いがかりに、笑いが込み上げた。「俺じゃない」「あなたでなければ誰なの!洋菓子店の注文票には、あなたの名前と携帯番号がはっきり書かれているのよ!」「俺がそこまで馬鹿に見えるのか?名前も電話番号も残る方法で修平を狙って、お前たちに見つかるのを待つとでも?」葉月はスマホを俺の前へ投げつけた。「慎、本当に見損なったわ!」見損なった?それは俺のほうだ。修平が関わった途端、葉月は迷わず彼を信じ、すべての責任を俺に押しつける。「好きに考えろ」もう反論する気にもなれなかった。「俺がやったと思うなら、警察に通報すればいい」そう言い残し、葉月を押しのけて、反吐が出るような家を出た。直樹に事情を話すと、電話の向こうで怒鳴り声が上がった。「ふざけるな!どう考えても修平の野郎が自作自演で、お前に罪を着せただけだろ!葉月は馬鹿なのか?こんな分かりやすいことにも気づかないのかよ!」「気づいてる。葉月だって、本当は分かってるんだ」俺は首を振った。胸に残ったのは、怒りよりも虚しさだった。「葉月にとっては、真相より修平のほうが大事なんだよ」しばらくすると、父から電話がかかってきた。「慎!どうしてお
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第5話
修平の誕生日がやってきた。父は市内でも指折りの高級ホテルを会場に選び、盛大なパーティーを開いた。葉月も費用を惜しまず、市内の名士のほとんどを招待した。オーダーメイドのスーツを身にまとった修平は、葉月と腕を組み、招待客から次々と祝福を受けていた。父も満面の笑みで二人のそばに立ち、満ち足りた様子で会場を見渡していた。3人は仲睦まじい家族そのもので、周囲から羨望の目を向けられていた。その頃、俺はすでに海外にいた。3日前の便で出国していたのだ。時間はすべて計算してあった。パーティーが最高潮を迎え、司会者に促された葉月が壇上に立ち、修平へ祝いの言葉を贈る。その瞬間に、俺が用意したプレゼントも届く手はずだった。俺は直樹の知人にメッセージを送った。【始めてくれ】宴会場では、葉月がマイクを手に、愛情のこもった目で修平を見つめながら話していた。「修平、あなたは子どもの頃から、いつも周りを明るくしてくれる存在だった……」葉月が話し終える前に、会場中央の巨大スクリーンが一度明滅した。修平のポートレートを映していた画面が、突然真っ暗になった。次の瞬間、あらかじめ録音しておいた音声が会場に流れ始めた。父の「お前は神崎家の養子にすぎない」という言葉。葉月が杏奈に「この人のことは慎おじさんと呼びなさい」と教える声。そして、俺を見下し、勝ち誇る修平の言葉。そのすべてが、広い宴会場に響き渡った。あれほど賑やかだった会場は、一瞬にして静まり返った。招待客たちは呆然とスクリーンを見つめ、次いで壇上に立つ青ざめた3人へ目を向けた。録音が終わると、画面に俺と葉月の婚姻届受理証明書が映し出された。続いて表示されたのは、俺と父が実の親子であることを示すDNA鑑定書だった。さらに画面は、洋菓子店の防犯カメラ映像へ切り替わった。修平の秘書が周囲を気にしながらケーキを注文する姿が、大きく映し出された。修平が騒ぎを起こしたあと、俺はすぐにあの洋菓子店へ連絡していた。以前から何度も利用していたため、店主も俺のことを覚えていた。事情を説明し、迷惑をかけた分も含めて代金を支払うと、店主は注文時の防犯カメラ映像を提供してくれた。映像には、キャップとマスクで顔を隠した男が、周囲を警戒しながらカウンターで注文
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第6話
修平の誕生日パーティーは、とんでもない騒ぎのなかで幕を閉じた。翌日には、藤崎家と神崎家をめぐる騒動や、修平が俺の立場を奪っていた事実が青凪市中に広まり、世間の格好の話題となった。葉月が経営する会社の株価は急落し、取引先からも次々と契約解除を申し入れられた。神崎家の事業も、大きな打撃を受けた。その頃、俺は海外のスタジオにいた。明るい日差しが差し込む大きな窓の前でコーヒーを飲みながら、直樹が送ってきた会場の映像を見ていた。招待客が去ったあとの宴会場は、見る影もなく荒れていた。その中で、修平と葉月が激しく言い争っていた。「葉月!慎が記憶を失っていないと知っていたなら、どうして俺に言わなかった!全部自分の思いどおりになると言ってただろ!」修平が声を荒らげた。「私だって、慎が本当に記憶を失ってないなんて、確信してたわけじゃない!」葉月は修平へ詰め寄り、両手でその肩をつかんで激しく揺さぶった。「今さらそんなことを言って、何になるの!私の信用は地に落ちた。会社まで潰れかけてる!全部あなたのせいよ!あなたが余計なことをして、欲を出したからでしょう!」修平は信じられないという顔で葉月を見た。「今度は全部、俺のせいにするのか?俺を家に住まわせたのは誰だ?慎の前で、杏奈に『慎おじさん』と呼ばせたのは誰だ?俺にあれこれ世話をさせて、それを当然のように受け入れていたのは誰だよ!」修平は葉月の手を強く振りほどき、何歩か後ろへ下がった。その顔には皮肉な笑みが浮かんでいた。「お前だって俺に気があったんだろ?慎の冷めた態度にうんざりしてたんじゃないのか?俺に一度も心が動かなかったと言い切れるのか?」「あなたに気があった?」葉月は鼻で笑った。「修平、自分を何だと思っているの?」険しい表情で、一つ一つ突きつけるように続けた。「そばに置いていたのは、幼い頃から一緒に育ったあなたを放っておけなかったからよ。多少の責任があると思っていただけ。同情を恋愛感情と勘違いしないで。私は一度も、あなたに何かを約束したことなんてない。勝手に距離を詰めて、都合のいい未来を思い描いていたのはあなたでしょう。今になっても、まだ自分の立場が分からないの?私の夫は、最初から最後まで慎一人よ」その言葉は、修平に残っていたわずかな自尊心まで容赦
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第7話
それから数日のうちに、俺は弁護士を通じて家庭裁判所へ離婚調停を申し立て、葉月の不貞を裏づける証拠をすべて提出した。同時に、婚姻中に築いた財産の分与も求めた。家庭裁判所からの呼出状を受け取った葉月は、対応に追われた。会社の危機を収拾し、世間からの批判にも耐えなければならない。そのうえ、俺との離婚問題まで抱えることになった。葉月は俺に連絡を取ろうとしたが、電話もSNSも、すべてブロックされていた。結局、弁護士を通じて和解を求めてきた。葉月側の弁護士によると、彼女は財産をすべて放棄する代わりに、俺に申し立てを取り下げ、これまでの騒動はすべて誤解だったと公に説明してほしいという。俺は自分の弁護士を通じ、こう返した。【構わない。市内で一番大きな広場に3日3晩ひざまずいて俺に謝るなら、考えてもいい】その返答を聞いた葉月は、怒りのあまり、オフィスの物を手当たり次第に壊したらしい。一方、神崎家はさらにひどい状況に陥っていた。父は大きな衝撃と屈辱に耐えきれず、寝込んでしまった。これまで大切にしてきた修平が、どれほど身勝手で悪意に満ちた人間だったのか、ようやく理解したのだ。そして、そんな男のために、たった一人の実の息子を自ら傷つけた。父は後悔していた。毎日のように電話やメッセージを送り、過ちを認めて許しを求めてきた。俺は一度も返信しなかった。傷つけたあとになって向けられる情など、何の価値もない。すでに取り返しのつかない傷を残しておきながら謝るのは、自分の罪悪感を軽くしたいだけだ。俺が許してやる理由など、どこにもなかった。俺はそこまで寛大な人間ではない。あいつらが、かつて俺に味わわせた苦しみの底へ、二度と這い上がれないほど深く沈んでいく姿を見届けたかった。離婚調停で合意には至らず、争いは訴訟へ移った。だが手続きは、予想以上に早く進んだ。動かしようのない証拠を前に、葉月には反論の余地がなかった。最終的に、財産分与と慰謝料を合わせ、婚姻中に築いた共有財産の7割に相当する額を俺が受け取ることになった。葉月は財産の大半を失った。会社も一連の騒動で経営破綻寸前まで追い込まれ、最後は競合企業に安値で買収された。やり手の経営者として名を知られていた葉月は、わずかな間にすべてを失った。
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第8話
翌日、葉月は杏奈を連れ、直接スタジオを訪ねてきた。そのとき、俺はクライアントと打ち合わせをしていた。慌てた様子のアシスタントが会議室へ入ってくると、俺の耳元で小声で告げた。「相沢社長、藤崎と名乗る女性が、お子さんを連れて受付に来ています。どうしても社長にお会いしたいとのことです……」会議室にいた全員の視線が、俺へ集まった。俺は表情を変えず、クライアントに軽く頭を下げた。「申し訳ありません。少々失礼します」会議室を出ると、ロビーに立つ葉月と杏奈がすぐに目に入った。1年ぶりに見る葉月は、以前よりかなり痩せていた。目元には疲労の色が濃く、かつての自信に満ちた姿は見る影もなかった。杏奈も背が伸びていた。目を赤くし、落ち着かない様子で葉月の後ろに隠れていた。俺の姿を見た途端、葉月の表情が明るくなった。早足で近づいてくると、わずかに声を震わせた。「慎……やっと見つけた」俺はその場から動かず、冷ややかに葉月を見た。「藤崎さん、何かご用ですか?用がないなら、仕事の邪魔をしないでください」「慎、そんな言い方をしないで……」葉月は苦しそうに表情をゆがめた。「私が間違ってた。本当に反省してる。この1年、どうしてあんなことをしたのか、毎日後悔してきた。もう一度だけ機会をくれない?やり直したいの」「やり直す?」俺は鼻で笑った。「葉月、一度失った信頼は、もう元には戻らない。俺たちがやり直せると、本気で思ってるのか?」葉月は何も答えられなかった。そのとき、杏奈が葉月の後ろから飛び出し、俺の脚にしがみついて泣き出した。「パパ!パパ、ごめんなさい!私が悪かったの!嘘をついたり、慎おじさんなんて呼んだりしてごめんなさい!私を捨てないで、パパ!ずっと会いたかった!」子どもの泣き声は、否応なく周囲の同情を誘う。スタジオのスタッフたちも、痛ましそうな顔でこちらを見ていた。俺は視線を落とし、脚にしがみついて泣きじゃくる杏奈を見た。胸の奥が、わずかに揺れた。だが、それだけだった。一度塞がった傷は、もう以前のようには痛まない。俺は杏奈の指を一本ずつ、脚から引きはがした。そして、しゃがんで目線を合わせ、落ち着いた声で言った。「俺は杏奈のパパじゃない。杏奈のパパは修平だ。みんなに合わ
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第9話
直樹があとから会議室へ入り、常温の水を差し出した。心配そうに俺の顔を見た。「大丈夫か?」俺はグラスを受け取り、一口飲んでから首を振った。「ああ。自分でも驚くくらい、何も感じなかった」本当に、何も感じなかった。再び二人と顔を合わせれば、痛みや複雑な感情が込み上げると思っていた。だが実際にそのときが来て、初めて分かった。俺の心はすでに、波一つ立たない海のように静まり返っていた。二人はもう、そこに何の波紋も起こせなかった。これで一件落着だと思っていた。ところが数日後、また招かれざる客が現れた。父だった。葉月以上に憔悴し、髪の大半が白くなっていた。顔には深いしわが刻まれ、この1年で一気に老け込んだように見えた。直樹に案内されてオフィスへ入ってきた父は、俺を見るなり涙を流した。抱きしめようと近づいてきたが、俺は体をずらして避けた。行き場を失った両手が、宙で止まった。父はしばらく動けずにいたが、やがて震える声で話し始めた。「慎……お前は俺の息子だ。俺が間違っていた。本当にすまなかった……」父は涙を流しながら、かすれた声で何度も謝り続けた。修平の言葉に惑わされ、判断を誤って俺を傷つけてしまったのだと訴えた。この1年、後悔と苦しみから逃れられず、病気も悪化したという。医師からは、残された時間は長くないと告げられたらしい。死ぬ前に俺の許しを得ることだけが、最後の願いだと言った。父はあのDNA鑑定書まで取り出し、震える手で差し出した。「慎、見てくれ。俺たちは本当の親子なんだ。俺を見捨てないでくれ!」以前の俺なら、心を動かされていたかもしれない。だが今は、ただ滑稽にしか見えなかった。鑑定書を受け取らず、冷めた目で父を見た。「もう芝居はやめろ」父は呆然とした。「慎、お前……俺を信じないのか?」乾いた笑いが漏れた。「何を信じろと言うんだ?真相を知りながら、修平が俺の人生を奪い続けるのを黙って見ていたことか?それとも自分を守るため、迷わず俺を養子だと言い張ったことか?」「俺は……」父は答えられなかった。「病気なら医者に診てもらえ。懺悔したいなら教会へ行け。俺のところへ来ても何も変わらない」俺は父の手から鑑定書を取り、目の前で破り捨てた。「謝
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