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「前田さん、私と結婚してくれませんか?」
ミシュラン認定フレンチ店の個室で突然のプロポーズされた。
「……結婚、ですか?なんだか夢みたいで信じられない。ふふ、うふふ」
口元を手で隠していたが、自然と笑みが零れてくる。
だって、相手は将来有望な財閥の御曹司!おまけに顔もいい!私の理想とするスパダリ(※スーパーダーリン)そのものだ。
しかし、次に彼の口から出た言葉でその笑みは一瞬にしてピタリと止んだ。彼・蓮見律は、表情を一切崩さずに冷めた口調で言う。
「あの勘違いしないでください。結婚といっても契約結婚です」
(元カレの啓介が結婚すると聞いて、契約結婚を疑った。愛を奪う側だった私が、まさか契約結婚を突きつけられる側になるなんて思ってもいなかった。)
――――遡ること一週間前
私・前田凛は、この日参加男性は年収条件ありのプレミアム合コンに参加し、他の男性と談笑をしていた。
しかし、会場の隅にいた男性が突然、すごい剣幕でこちらに近付いて、会話を割って声を掛けてきた。それが、蓮見 律(はすみりつ)との出逢いだった。
身長は180㎝くらいのスラッとした長身で、クールな切れ長の瞳に高い鼻、薄い唇の透明感があり、顔もタイプだ。
(カッコいい!細身のスーツも似合っていて素敵!こんな人がこの場にいるなんて…!)
「こんばんは。今、いいですか?」
私の隣にいた男性は会話を邪魔されて怪訝そうな顔をしていたが、私の視線が捉えるのは律だけだった。
「ええ、大丈夫です。」
受け取った名刺には、大手企業の蓮見グループの専務と書かれている。
「蓮見さんは、お若いのに専務なのですね。苗字が同じですが親族なんですか?」
「ええ、蓮見は曾祖父が作った会社です。」
私は、一気に蓮見への興味が湧いた。心の中で久しぶりに狩猟本能が目を覚ます。
「まあ、素敵。将来を期待されているんですね」
「あなたはどんなお仕事を?」
「私は、T製薬会社で受付をしています。」
「そうか、あなたのような見た目なら綺麗ですし目も引くな」
蓮見は、冷静に分析するようにゆっくりと視線を走らせて私の頭から足先まで眺めている。品定めされているかようで変な緊張感が生まれ立ち尽くしていた。
その後も、社内外の役員以上のクラスと関わる機会があるか、どんなことをするのかと尋ねられたので、時には秘書の代わりとして代行することも伝えると、蓮見は指を顎にあてて俯きながら何か考え事をするような仕草をしていた。
こうして合コンが終わるまで、ずっと一緒に二人きりで話をしていたが、連絡先を交換すると名刺にかかれている番号と同じ仕事用の番号を伝えられ脈ナシかとショックを受けた。
しかし、連絡をすると返事はその日中に返ってきて、食事も候補を何日か教えて欲しいと積極的に誘ってきて本心がよく分からない。
そして今、初めていった食事でこうしてプロポーズを受けている――――
「契約、結婚ですか……?私が?律さんと?」
「ええ、厳密には期間限定の契約結婚です」
「契約結婚、期間限定……?なぜ、契約結婚を?」
「蓮見グループは曾祖父が作った会社で、次期社長は蓮見家の中から決めます。最近は、家系図のポジションよりも実績と経歴重視です。そしてその経歴には【結婚】も含まれる。親会社のポストを狙うなら結婚はマストです。」
「……つまり出世のためには、結婚が必要」
「そういうことです。そして上層部が求める社交性と見た目を持ち合わせている女性を探していました。君ならその条件も大丈夫でしょう。」
「理由はわかりましたが、何故、期間限定なのですか?」
「社長に就任さえしてしまえば、プライベートが原因で役職を降格されることはない。だから決める時に結婚さえしていればいい。祖父が七十歳になる三年後が勝負だ。それまでに有利に進めていく。」
「三年間の期間限定妻、ということですか。」
「ああ。もちろん君の意見を尊重する。結婚している間は不自由な生活はさせないし、離婚後も君の生活が困ることがないよう一括で慰謝料を支払うよ。」
(啓介が仕事のために結婚したのではないかって疑ったけれど、まさか本当にこんな話があるなんて。啓介の契約結婚を疑った理由がそのまま私のところに返ってきたというの?)
「……せっかくですがお断りします。」
「なんだって?何が不満なんだ」
「あなたは条件でしか、私を見ていない。好条件を出せば黙って頷くと思っているかもしれないけれど、私はそんな女じゃありません。」
今まで散々自分が条件で男性を選んでいたが、男性に品定めされるのは嫌だった。
「そうですか、では少し猶予を与えましょう。受ける気になったら連絡してください」
断ったのに一歩も引かない蓮見の強引さに圧倒されながらも、その日はそのまま店を後にした。蓮見は、驚きと悔しさを滲ませた顔で私を見送っていた。
「……後継者は実力争いじゃなかったの?今は色々言われても、これで律が後継者になれれば見返すことが出来るんじゃないの?」俯いて落ち込む律に、私が必死で問いかけると、律は抑揚のない声でポツリとポツリと言葉を発している。「祖父である会長はそう言っているが、俺が高い位置につくのを嫌がる連中もいるから一筋縄ではいかないと思う」「何弱気になっているのよ?律が諦めたら終わりよ? 見返すくらいの気持ちで上を目指しなさいよ」「……俺のことを責めないのか?」律は不安の色が滲んだ瞳で、私をまっすぐ見つめてくる。「確かに黙っていたのは嫌だったけど、言いたくないことは誰だって一つや二つくらいあるわよ。むしろ、それをわざわざ言ってくる人たちの方が嫌」「俺についてきても、未来がないかもしれないんだぞ?」「……そうだとしても今はあなたの妻よ。三年の期間限定だけど」私が皮肉交じりに言うと、律は口角を上げて息を吐くように小さく笑った。律が、家事を自分でやっていたことも、いつどうなるか分からないという発言も、昔から蓮見家の御曹司と
「円華さんや隼人さんが言っているのは、家柄のことだ」しばらくして律は小さな声でポツリと呟いた。声は少し震えていて、耳元で囁くような震えている。「家柄……?」それだけでは内容が分からず聞き返すと、律は体を起こして私の身体から身を離した。私も起き上がり、ソファで律と隣同士で向き合って座った。「俺が、蓮見家の子供であることは間違いない。だけど、俺は父の愛人の子で、元々は母と二人で暮らしていた。だけど、学生の時に母がガンになった。余命宣告された母は、父に助けの連絡を入れたんだ。学業の成績が良かったのが功を奏して、父に気に入られて、母が亡くなってすぐに俺は蓮見家に入った。内藤、これが俺の旧姓だ」「愛人の子ども……?内藤律?」「姉とは血は繋がっているけれど、母親は違う。香澄さんの母親が、父の妻で、俺は愛人の子ども。だから立場は低くて周りから批判を受けやすいんだ。今日の懇親会で隅に座らされたのも、そのせいだ」集合写真や今日の懇親会で香澄さんと律の場所が違ったこと、隼人さんや円華さんが否定的なことを言ってきた謎が一気に解けた。「律が年下の隼人さんのことをさん付けで呼ぶのも、そのため?」「ああ、隼人さんは歳は下だが父の兄の子どもだ
これ以上、律に泣き顔を見せたくなくて、外へ出るために手を振り払おうとすると、律は必死で抵抗して離そうとしない。もう一方の手首も掴まれると、そのままソファに押し倒された。「違う、違うんだ、凛……。信用とかそういうのではないんだ」律の声が震えている。瞳を潤ませていた律は、ソファと私の顔のわずかな隙間に顔をうずめると、私に覆い被さるような体制のまま、しばらく黙ったままでいた。私と律の頬がくっついている。律の目元から生温かい雫が私の頬を湿らす。(知りたいのは、泣きたいのは、私の方なのに……。でも、律にそんな顔されたら責められないよ。)声を震わせる律も、目を潤ませ涙目になる姿も、私の胸を強く締め付けている。律に手首を掴まれたまま、私が律の頬を撫でると、律は手首を握っていた力を徐々に弱めていった。完全に私の手首を離すと、私は片方で律の背中をさすり、もう片方で律の頭を撫でた。今まで男性に慰めてもらう側だった私が、律の弱弱しい姿を見て、初めて心から慰めたいと思った。律の悲しんでいる顔を見ると、自分のことのように胸が苦しく、切なくなった。律が落ち着くまで、私は背中をポンポンと叩いて頭を優しく撫で続けた。律が身を委ねるように私に体重を預けている。「もう少しこのままでいさせてくれないか。そうしたらちゃんと話すから&hellip
帰りの車内では終始無言だった。形だけの契約結婚だったはずが、抱き合って、キスをして、最近は一緒のベッドでも寝るようになった。今も後部座席に隣同士で座っていて、手を繋ごうとすれば繋げる距離にいる。きっと律に出会う前の独身時代の私だったら、彼氏や気になる人とこのシチュエーションでいたら、迷うことなく私から手を握っていただろう。驚いてこちらを見る彼に、照れたように微笑んで「手を繋ぎたくなっちゃった」とか言って甘えていたはずだ。だけど、今はそんな気になれなかった。時折、横目で律を見ると、窓からぼんやりと景色を眺めていて、何を考えているか分からなかった。「ねえ、私に隠していることない?私が知らないことがあるんじゃないの?」部屋に入ってすぐに問い詰めると、律は眉をピクリと動かし黙っている。その反応が、苛立ちなのか、動揺なのかは読み取れない。無表情のまま、視線を私に、じっと向けて無言を貫いていた。しばらくの沈黙が続いて、耐えきれなくなった私は苛立ちと共に吐き出すように律に行った。「そう、何も話すつもりはないわけ?私は、律の口から聞きたかったけど、律がそういう態度なら他の人に聞くわ。隼人さんがいつでも電話してきてって言ってくれたし」私が隼人さんの名前を出すと、律は思った通りに不快感を露わにしている。
「律さんの奥様ですよね?」「はい、ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません。律の妻の凛です。よろしくお願い致します」声を掛けられて円華さんに挨拶をすると、彼女はふくみをこめた冷笑をこちらに向けてきた。その視線は、私を値踏みし見下しているようだった。「不躾だけど、あなた、何が目当てで律さんと結婚したの?」「え。何が目当て、ですか?」突然の質問に私は言葉に詰まってしまった。「だってそうでしょう。律さんと結婚しても将来は難しいじゃない。それとも顔?」不躾にもほどがあると円華への苛立ちを感じながらも、気にしていないふりをして冷静を装って笑顔で答えた。「難しい、とはどういうことでしょう。私はそう思っていませんが」「あら、やだ。あなた律さんのこと何も知らないのね。でも、だから結婚したのか。知らぬが仏って言葉もあるし、これからも気にせず過ごせばいいわ」円華はそう言って、目的を果たした満足感のある冷たい笑みを残して懇親会場に戻って行った。席を立ってから私と話す以外のことは何もしていない。私にこの話をするために、わざわざ席を立ったのだと確信した。
「凜ちゃん、久しぶりね」「香澄さんー、お久しぶりです」幹部だけの会議が終わり懇親会場へ向かうと、律と香澄さんが話をしていたが、律より先に香澄さんが気づいてくれて声を掛けてくれた。「今日も素敵なドレスね。可愛くて凜ちゃんの雰囲気にぴったり。ね、律?」「あ、ああ」律の素っ気ない態度を横目に、私は今日の参加者たちを見渡した。(あの青いネクタイの人が圭吾さんね。この中で一番年上だから、自分がトップの地位につきたいと隼人さんをライバル視していると聞いたわ。そしてその手前にいるパンツスーツの女性が円華さん。彼女は、律のお父さんの妹の子どもだったわね。妹さんは性別を理由にいいポストをもらえなかったから躍起になっていると聞いたわ。彼女には要注意と言っていたし気を付けないと……)小森さんの情報をもとに、その後も顔と名前を一致させていく。受付の仕事をしていたこともあって顔と名前を覚えるのは得意だった。席次は事前に決まっており、上座に圭吾さんと隼人さん、香澄さんと続いている。私たちは一番隅に案内された。(なんで一番隅なの?この前の集合写真でも香澄さんは中央だったけれど律は一番隅だった。写真嫌いだからだと思っていたけれども、もしかしてあの時も場所が指定されていたの