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赤い糸は裏切りを教えてくれる

赤い糸は裏切りを教えてくれる

Por:  雨森ふみCompletado
Idioma: Japanese
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10歳の頃、私は突然、男女の頭上に繋がる赤い糸が見えるようになった。 その赤い糸で繋がるのは、肉体関係を持ったことのある二人だけ。そしてその糸は、決して隠すことができない。 この何年かで、父の頭上には二本の赤い糸が増え、そのたびに母は離婚を切り出し、父と何度も揉めてきた。 だからこそ、私は夫を選ぶうえで何よりも「誠実さ」を重視していた。 そして最終的に選んだのが、頭上に一本の赤い糸もない、禁欲的な男――榊原律希(さかきば りつき)だった。 結婚式を翌日に控えた夜、私は親しい女友達たちと独身最後のパーティーを開き、みんなでゲームをしていた。負けた人はスマホを差し出し、ほかのみんなが好きなように中身を見てもいいというルールだ。 ブライズメイドの雨宮芹那(あまみや せりな)の番になると、彼女はスマホを胸元に抱え込み、頬を赤らめながら艶っぽく笑った。「私のは見ないでよ。昨日の夜、彼が遅くまで寝かせてくれなくて……あんな写真、人には見せられないから」 みんなはそんな芹那をからかった。彼女はずっと恋人のことを秘密にしていて、今まで誰一人として、彼女の恋人に会ったことがなかったのだ。 私がその場を丸く収めようとした、そのとき。 芹那の頭上から一本の赤い糸が伸びているのが見えた。 その糸は人混みの中をまっすぐに抜け、さらにドアの向こうへと伸び――私の婚約者、律希の頭上へと繋がっていた。 けれど昨日の夜、彼が私を家まで送ってくれたときには、頭上には間違いなく何もなかった。 それどころか、ほんの30分前にも、彼からこんなメッセージが届いたばかりだった。【澪花、君のために25年間、ずっと純潔を守ってきた。明日の初夜で、ようやく君をこの腕に抱ける。愛してる!】 私はドアの外から愛おしげにこちらを見つめる律希を見て、それから、いかにも昨夜の余韻を残したような芹那の顔へと視線を移した。 そしてグラスを手に取り、彼女と軽くグラスを合わせる。 「芹那の彼氏って……もしかして、サカキバって名字なの?」

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Capítulo 1

第1話

芹那のグラスから酒が数滴こぼれ、その瞳に一瞬、動揺が走った。

「でも、誰だろうと負けたんだから、スマホ没収ね」

友人グループの榎本依織(えのもと いおり)が手を伸ばして奪おうとすると、芹那はスマホを握りしめたまま笑いながら身をかわし、私の後ろに隠れた。

「本当にダメなの。彼、けっこう怒りっぽいから、私が写真をみんなに見せたなんて知ったら怒るよ」

「そんなに彼氏をかばうの?」

「仕方ないでしょ。ちょっと特殊な立場の人だから、今はまだ私たちの関係を公にしたくないの」

そう言った芹那の視線は、みんなの頭越しに、入口に立つ律希へと向けられていた。

二人の頭上を繋ぐ赤い糸が、嫌というほど目に刺さる。

これまで幾度となく、さまざまな男女を繋ぐ赤い糸を見てきた。それでもまさか、明日私の新郎になるはずの男の頭上に、その糸が現れる日が来るとは思ってもみなかった。

「澪花からも何とか言ってよ」芹那は甘えるように私を見た。「本当に彼から、ほかの人には見せるなって言われてるの」

私は震える手を必死に抑えながらグラスを置き、どうにか笑みを作った。「今日のルールを決めたのは私よ。負けたらスマホを見せる。それがルールでしょ」

「おおっ!」依織がテーブルを叩いた。「花嫁がそう言ったよ」

芹那は一瞬固まった。私が助け舟を出さないとは思っていなかったらしい。

そのとき、律希が中へ入ってきて、私の肩に手を置いた。

「澪花、もういいだろ。芹那はこういうのを恥ずかしがるんだから。花嫁の君が先頭に立って、ブライズメイドをいじめるなよ」

――芹那。

以前の彼は、彼女のことを「雨宮さん」としか呼ばなかった。

私は肩に置かれた彼の手を見つめた。

昨夜まで、この手は私のコートの前をそっとかき合わせ、服越しに私を抱きしめながら、「初めては何もかも、結婚初夜まで取っておきたい」と言っていたのに。

それから24時間も経たないうちに、彼の頭上には初めての赤い糸が現れた。

「私が彼女をいじめてるっていうの?」

「君が本気になったら、誰も敵わないだろ?」律希は笑いながら、ジュースの入ったグラスを手に取って私へ差し出した。「結婚前に不安定になるのは普通だよ。ジュースでも飲んだら?」

芹那はその隙に、律希の後ろへ逃げ込んだ。「やっぱり律希さんは私のこと分かってる。澪花、結婚してからあんまり彼にきつく当たっちゃダメだよ?こんないい男、怖がって逃げちゃったらどうするの?」

「私の婚約者が逃げるかどうか、そんなに気になる?」

「澪花のために心配してあげてるのよ」

芹那は口元を押さえて笑った。その小指には、飾り気のないシンプルなリングがはめられていた。

その指輪は、以前、律希が私に見せてくれたボツデザインだった。

デザインがありきたりすぎて、私には似合わないと言っていたものだ。

それが今、芹那の指にはめられている。しかも、まるで彼女のために作られたかのようにぴったりだった。

芹那が油断した隙を突き、依織が芹那の顔の前にスマホをかざし、ロックを解除した。「そこまで見せたくないって言われると、余計に見たくなるんだけど」

依織は最初の写真を開くなり、ひゅう、と口笛を吹いた。

写っていたのは芹那の横顔だった。

目尻は赤く染まり、鎖骨の下から胸元へと、濃淡のある生々しいキスマークが服の内側まで続いている。

「うわあ……」

依織がスマホを私たちの前へ差し出した。

二枚目は、二人が指を絡めて手を繋いでいる、その手元のアップだった。画面越しにも、二人の親密さが嫌というほど伝わってくる。

男の手首には黒い文字盤の機械式腕時計が巻かれていた。その文字盤の右下には一本の傷がある。

私はその傷を、あまりにもよく知っていた。

律希が私とスーパーに買い物に行ったとき、うっかりショッピングカートにぶつけてつけた傷だったからだ。

爪が掌に深く食い込んだ。

さらにスマホを操作すると、今度はメッセージの履歴が現れた。

登録名は「RI」。アイコンは一面の草原だった。

トーク画面には、毎日の「おはよう」と「おやすみ」、そして深夜の音声通話の履歴がびっしりと並んでいる。

一番古いメッセージは、一年前のものだった。

【芹那に会いたい。どうしても君のことを考えずにはいられないんだ】

【私も会いたいよ。昨日の夜も夢に出てきたの。あなたに抱かれたまま眠る夢だった】

画面を遡り、3か月前のあるメッセージが目に入った瞬間、私は数秒、呼吸すらできなくなった。

芹那が甘えるように尋ねていた。【今日のコンサート、本当に最高だった。でも、私たちが今日みたいに堂々と手を繋げるようになるのは、いつ?】

RIから返ってきたのは、短い言葉だった。【もうすぐだ。待ってて】

3か月前のその日は、私と彼が付き合って7周年を迎えた記念日だった。

あの日、私は2時間かけて化粧をし、テーブルいっぱいに料理を作って、5時間も彼を待ち続けた。

そして最後に届いたのは、たった一言の謝罪だった。【ごめん。今日は残業で遅くなる。先に食べて寝てて】

「もうっ、恥ずかしい!みんな本当にひどい!」

芹那は悲鳴まじりにそう言ってスマホを奪い返すと、その場から立ち上がった。そして顔を両手で覆いながら、階段のほうへ走っていった。

彼女が姿を消してから2分も経たないうちに、律希のスマホが鳴った。

彼は画面を一瞥すると、すぐに通知を消した。「母から、部屋を二つ追加で取ってくれって頼まれた。遠方の親戚が来たらしい。みんな、楽しむのはいいけど、あんまり遅くならないうちに澪花を帰してやってくれよ。明日は朝早くから花嫁支度があるんだから」

そう言って律希は身をかがめ、私の額に軽くキスをした。

たちまち、その場にいた全員から冷やかす声が上がった。

彼が出ていったあと、私はお手洗いに行くと言って席を立った。

すると階段の踊り場のほうから、芹那の声が聞こえてきた。

「今夜は会わないって言ってたじゃない?」

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第1話
芹那のグラスから酒が数滴こぼれ、その瞳に一瞬、動揺が走った。「でも、誰だろうと負けたんだから、スマホ没収ね」友人グループの榎本依織(えのもと いおり)が手を伸ばして奪おうとすると、芹那はスマホを握りしめたまま笑いながら身をかわし、私の後ろに隠れた。「本当にダメなの。彼、けっこう怒りっぽいから、私が写真をみんなに見せたなんて知ったら怒るよ」「そんなに彼氏をかばうの?」「仕方ないでしょ。ちょっと特殊な立場の人だから、今はまだ私たちの関係を公にしたくないの」そう言った芹那の視線は、みんなの頭越しに、入口に立つ律希へと向けられていた。二人の頭上を繋ぐ赤い糸が、嫌というほど目に刺さる。これまで幾度となく、さまざまな男女を繋ぐ赤い糸を見てきた。それでもまさか、明日私の新郎になるはずの男の頭上に、その糸が現れる日が来るとは思ってもみなかった。「澪花からも何とか言ってよ」芹那は甘えるように私を見た。「本当に彼から、ほかの人には見せるなって言われてるの」私は震える手を必死に抑えながらグラスを置き、どうにか笑みを作った。「今日のルールを決めたのは私よ。負けたらスマホを見せる。それがルールでしょ」「おおっ!」依織がテーブルを叩いた。「花嫁がそう言ったよ」芹那は一瞬固まった。私が助け舟を出さないとは思っていなかったらしい。そのとき、律希が中へ入ってきて、私の肩に手を置いた。「澪花、もういいだろ。芹那はこういうのを恥ずかしがるんだから。花嫁の君が先頭に立って、ブライズメイドをいじめるなよ」――芹那。以前の彼は、彼女のことを「雨宮さん」としか呼ばなかった。私は肩に置かれた彼の手を見つめた。昨夜まで、この手は私のコートの前をそっとかき合わせ、服越しに私を抱きしめながら、「初めては何もかも、結婚初夜まで取っておきたい」と言っていたのに。それから24時間も経たないうちに、彼の頭上には初めての赤い糸が現れた。「私が彼女をいじめてるっていうの?」「君が本気になったら、誰も敵わないだろ?」律希は笑いながら、ジュースの入ったグラスを手に取って私へ差し出した。「結婚前に不安定になるのは普通だよ。ジュースでも飲んだら?」芹那はその隙に、律希の後ろへ逃げ込んだ。「やっぱり律希さんは私のこと分かってる。澪花、結婚してからあんまり
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第2話
律希は声を潜めて答えた。「ただ、どうしても君に会いたくてさ。顔を見るためだけに来たんだ」「もう見たでしょ。帰って。約束したじゃない。昨日の夜を最後に、もう会わないって」芹那は口では追い返そうとしているものの、その声は甘く、どこか名残惜しそうだった。「明日はあなたの結婚式なんだから、澪花に私たちのことを勘づかれたくないの。知ってるでしょ?澪花は昔から裏切られることを何より怖がってるから、ちょっとしたことでもすぐ疑うのよ。さっきだって、私の彼氏はサカキバって名字なのかって聞かれた」律希が小さく笑った。「彼女が裏切りを怖がってるって、ちゃんと分かってたんだな」短い沈黙のあと、ドア越しに衣擦れの音が聞こえてきた。「芹那、昨日の夜は俺が一線を越えた」「それで?」「俺は澪花と結婚しなきゃならない。彼女には本当に申し訳ないことをした」芹那の呼吸が乱れた。「じゃあ、彼女を愛してるの?」「愛してる」律希は一瞬も迷わなかった。「大学の頃から、結婚するなら彼女しかいないって決めてた。新居の名義も彼女にするし、給料だって全部渡す。結婚してからも、絶対に彼女を悲しませたりしない」「じゃあ、私は何なの?」「君にも申し訳ないと思ってる。俺が感情を抑えられなかっただけだ。どうしても君に惹かれる気持ちを止められなかった」律希の声が低くなる。「この何年も、仕事では君に支えてもらうのが当たり前になってた。君はつらいことがあれば俺を頼ってくれたし、俺も仕事でしんどいとき、本音を話せるのは君だけだった。昨日の夜、もう二度と会わないって君が泣いたから……我慢できなかったんだ」芹那が彼の胸を叩いたような音がした。「そんなに彼女を愛してるなら、今さら私に会いに来て何がしたいのよ?」「君に会いたかった」たったそれだけの言葉だった。吐息のように軽い一言なのに、それは私が7年間かけて築いてきたすべての信頼を、粉々に打ち砕いた。私はドアノブを掴んだ。そうしなければ、その場に立っていることさえできそうになかった。彼は、私を愛しているとはっきり自覚しながら、同時に別の女を恋しく思うこともできるのだ。彼はこれまで守り続けてきた貞操を、まるで高価な贈り物のように大切にして、結婚初夜に私へ差し出すつもりだった。けれど、いざ私に渡す直前に
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第3話
その寝室には、私が午後いっぱいかけて一枚一枚丁寧にアイロンをかけた、ピンク色で揃えた新品の寝具一式が敷かれていた。壁には私と律希のツーショット写真が飾られ、ベッドサイドには彼から贈られた結婚記念のプレゼントまで置いてある。私が心を込めて整えたすべてが、今では二人が情事に耽るための背景になっていた。監視カメラに映るのはリビングだけだった。それでも、あの赤い糸が、すでに結末を教えていた。覚悟はしていたはずなのに、二人が抱き合い、口づけを交わす姿を目にした瞬間、喉が詰まったようになり、しばらく息をすることさえできなかった。大粒の涙が次々とスマホの画面に落ち、絡み合う二人の姿がぼやけていった。やがてスマホの画面が暗くなると、そこに自分の顔が映った。28歳。母が父の浮気を知ったときと、同じ年齢だった。ただ一つ違うのは、母は耐える道を選んだけれど、私は耐えるつもりなどないということだ。証拠はスマホの中にあり、監視カメラの映像もクラウドに残っている。私は涙を拭うと、アクセルを踏み込み、そのまま車で実家へ戻った。それでも母の顔を見た瞬間、また涙がこぼれた。「お母さん、明日の結婚式……中止にしたい」夜11時。監視カメラの映像を見終えた母の指は、ずっと震えていた。「澪花、この映像には、二人が寝室に入るところまでは映ってないわ」「でも今日、二人の頭の上の赤い糸が繋がってた」母が勢いよく顔を上げた。「ちゃんと見たの?」「見た」10歳の頃、私は母に尋ねたことがある。一階の住人のおじさんと、三階の向かいの部屋に住むおばさんの頭の上が赤い糸で繋がっているのは、二人がそういうことをしたからなのか、と。母は私が変なことを覚えたのだと思い、頬を平手で叩いた。ところが半年後、二つの家庭が不倫をめぐって裁判沙汰になり、そのとき初めて母は、私に何が見えているのかを理解した。それ以来、母はこの特殊な力のことを誰にも話してはいけない、余計な揉め事に首を突っ込んではいけないと、私に言い聞かせてきた。そして母は、私がなかなか結婚に踏み切れなかった理由も知っている。母は目を閉じた。「よりによって、結婚式の前日に……」「前日じゃないよ。二人はもう1、2年前から、気持ちの上ではとっくに裏切ってた。昨日の夜、ようやく本当に赤い糸
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第4話
律希が私の手を取ろうとした。「もう意地を張るなよ。ウェディングドレスは俺が持ってきたから、早く中に入って着替えて」私はその手を避けた。「芹那は?」「体調が悪いんだ」「昨日の夜、激しすぎて疲れたの?」突然、幸子が私を突き飛ばした。「口を慎みなさい!こんなめでたい日に、自分の男にそんな濡れ衣を着せてどうするの!」腰をご祝儀受付のテーブルの角にぶつけ、あまりの痛みに私は身を屈めた。母がすぐさま駆け寄ってくる。「暴力まで振るうつもりですか!」しかし、母は律希の叔父・榊原裕之(さかきば ひろゆき)と従姉・榊原光希(さかきば みつき)に行く手を阻まれた。「あんたの娘が、どうしても私たち榊原家に恥をかかせたいっていうんでしょ!」幸子は私の鼻先に指を突きつけた。「おとなしく結婚式を挙げるか、今ここで跪いて、榊原家の招待客全員に謝るか。どちらかにしなさい!」律希が私の体を支えた。「母さん、彼女を追い詰めるのはやめてくれ」「まだこの子をかばうの?」幸子は怒りに顔を歪めた。「澪花は俺の妻だ」私は冷笑し、彼に言い聞かせるように告げた。「まだ婚姻届も出してない。私たちは何の関係もないわ」それでも律希は、私を掴む手にさらに力を込めた。「澪花、もう意地を張るのはやめてくれ。昨日の夜、俺が間違ったことをしたのは認める。結婚式が終わったら、ちゃんと埋め合わせするから」「あなた、今でも私が駆け引きしてるとでも思ってるの?」律希は私を見つめ、その目には信じられないことに、わずかな困惑さえ浮かんでいた。「まさか本当に、俺がたった一度犯した小さな過ちのために、7年間の関係を全部壊すつもりなのか?」そのとき、式場から司会者の華やかな声が聞こえてきた。「それでは、新郎のご入場です!」招待客から一斉に拍手が湧き起こり、律希は満面の笑みを浮かべて会場へ入っていった。扉の向こうには幻想的なスポットライトが輝き、見渡す限りの花々が会場を埋め尽くしていた。優雅なウェディングマーチが流れる中、司会者が高らかに告げる。「続きまして、新婦のご入場です!」私は全身黒ずくめで、まるで葬儀に参列するような姿のまま、長い間待ち望んできた結婚式の会場に立った。芹那はブライズメイドのドレスを着て会場前方に立っていた。目は泣き腫らしたように赤く、その手に
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第5話
「何を言ってるの!」幸子の顔から、さっと血の気が引いた。メインテーブルに座っていた海人も眼鏡に手をやったが、その拍子にグラスの酒がこぼれ、テーブルクロスを濡らした。私は二人の間を繋ぐ赤い糸を見つめた。「お二人とも、どうしてそんなに慌ててるんですか?もしかして、もうとっくに体の関係があるんじゃないですか?」「変なこと言わないで!黙りなさい!」幸子は怒りで全身を震わせた。「さっきから何を馬鹿なことばかり言ってるの!目上の人間にそんな濡れ衣を着せるなんて、いったい誰に教わったの!」しかし、海人の妻が立ち上がった。「榊原さん、今この子が言ったこと……本当なの?」「こ、こんな子の言うことを真に受けないでください!私たちに仕返しするために、わざとそんなことを言っただけです!」「本当にこの二人が寝たかどうかなんて――」私は冷たく口を挟んだ。「今日帰ったら探偵でも雇って、二人が去年ホテルに出入りしていたかどうか調べてもらえば、すぐにはっきりするんじゃないですか?」私には証拠などなかった。けれど、後ろめたいことのある人間は、無意識の反応だけで自ら真実をさらけ出してしまうものだ。海人が咄嗟に幸子へ視線を向けた。その一瞬だけで十分だった。海人の妻はグラスを掴むと、中の酒を夫の顔へ勢いよく浴びせた。たちまち会場が騒然となる。幸子が私に飛びかかろうとしたが、母がすぐに前へ出て遮った。「娘がこんな下品なデマを流してるのに、よく平気でいられるわね!」母は会場中に聞こえる声で言い返した。「この子は嘘なんてついてません!娘は10歳の頃から、誰と誰が肉体関係を持ったのか見えるんです。あなたの息子の頭にも昨日の夜、初めて赤い糸が現れた。その糸は雨宮芹那に繋がってるんですよ!」芹那は怯えたように二歩後ずさった。裕之が大声で非難する。「赤い糸だの何だの、そんな馬鹿な話があるか!人を惑わすようなでたらめを言って、お前はただ中傷してるだけだ!」私はゆっくりと彼へ顔を向けた。「私がでたらめを?」そう言って、入口に立つホテルの女性支配人を指差した。「じゃあ、あそこにいる女性支配人。私の見間違いじゃなければ、裕之さん、あの人と寝たことがありますよね?」裕之の妻が夫の耳を掴んだ。「あの人、ただの同級生じゃなかったの?」「一回だけ
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第6話
依織が扉を半分押し開け、その後ろから私の三人の親友――篠崎灯里(しのざき あかり)、水瀬史帆(みなせ しほ)、小宮山初音(こみやま はつね)が姿を現した。三人とも表情こそそれぞれ違っていたが、全員が依織の後ろにしっかりと並び、誰一人として尻込みする者はいなかった。依織がさらに一歩横へずれると、入口には制服姿の警察官が二人立っていた。その瞬間、私はすべてを理解した。今朝、私が結婚式に出ると知った依織から、一通のメッセージが届いていた。たった一言。【私に任せて】そのときの私は、ホテルの精算などを代わりに済ませてくれるという意味だと思っていた。けれど彼女がしてくれたことは、それだけではなかったのだ。式場は3秒ほど、しんと静まり返った。裕之は反射的に椅子をテーブルのほうへ寄せ、先ほどまでテーブルを叩いて怒鳴り散らしていた勢いは、一瞬にして消え失せた。依織が私に目配せをする。私はその視線を受け止めると、二人の警察官へ向き直った。「警察の方、お手数をおかけしてすみません。まずは、今回の経緯を説明させてください。私は椎名澪花といいます。今日の結婚式の新婦です。昨夜の時点で、私はすでに新郎に正式に結婚式を中止すると伝えました。理由は、婚約者の榊原律希が結婚式前夜に、私のブライズメイドである雨宮芹那と浮気したことが分かったからです。新居のリビングに設置していた監視カメラの映像があり、タイムスタンプも残っています。映像に編集や加工は一切していません。ところが新郎側の家族は私からの中止の連絡を無視し、今朝も予定どおり会場を準備して招待客を迎えました。それだけでなく、私が宿泊している部屋の前で騒ぎを起こし、私を脅して無理やり結婚式場まで来させました。さらに榊原家からは、760万円の結納金を倍額で返還し、挙式と披露宴にかかった費用もすべて私が負担するよう要求されています」私は二人の警察官を見た。「以上について、お二人に立ち会っていただきたいんです」年長の警察官はステージの上と客席の様子を一通り見渡すと、携帯していた手帳を開いた。「結婚をするかどうかは本人の自由です。婚姻は双方の自由意思に基づくものであり、誰であっても結婚を強制することはできません。結納金の返還や費用の負担については……」そこでいったん言葉を切り、
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第7話
私は彼を見つめた。「私を愛してる――」その言葉を、ゆっくりと繰り返した。「だから、私があなたから離れられないって決めつけた。私を愛してるから、私が絶対に許せない一線を踏み越えておいて、それでも自分を理解してくれって求めたのね。昨日の夜、私はあなたにメッセージを送った」私はスマホの画面を開いた。ほかの誰にも見せず、律希の目の前にだけ掲げる。「自分が何をしたのか認めて、一緒に結婚式を中止して、それぞれ穏便に終わらせようって言った。監視カメラの映像は公開しない、あなたの職場にも知らせない。最後くらい、あなたの顔を立ててあげるって。それに、あなたは何て返した?」律希は答えなかった。「あなたが返したのは、『酔ってるんだろ。早く寝ろよ。明日は朝早くから花嫁支度があるんだから』だった」彼は目を閉じた。「逃げ道は用意してあげたよ、律希。でも、あなたはその道を選ばなかった。あなたは今朝、何事もなかったように結婚式を続けることを選んだ。あなたのお母さんは私を無理やり式場まで連れてきて、土下座しろ、結納金を倍にして返せって迫ることを選んだ。あなたが選んだのは榊原家の面目であって、私じゃなかった。だから今さら、どうして穏便に済ませてくれないんだなんて、私に聞かないで」律希が私の腕を取ろうとした。「澪花、二人だけで話そう」「もう、二人だけで話すことなんてない」私は俯き、ハンドバッグから小さなベルベットの箱を取り出した。蓋を開けると、中には一度も指にはめることのなかった結婚指輪が収まっている。照明がプラチナのリングに反射していた。傷一つなく、あまりにも綺麗で、まるで最初から、誰のものでもなかったかのようだった。私は箱ごと指輪を律希の掌へ置いた。彼の指が閉じかけ、けれど強く握ることはできず、そのまま中途半端に指を曲げた。まるで、熱すぎて握りしめることのできない結末を掌に載せているようだった。「律希、私たちは終わりよ」彼は何も答えなかった。三歩ほど離れたところに立っていた芹那は、律希と出口を二度ほど交互に見た。そのつま先は、すでにわずかに出口のほうを向いている。私は彼女を見なかった。この瞬間から、彼女にはもう、一瞥するだけの価値すらなかった。警察官が、関係者に署まで同行するよう促した。依
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第8話
結婚式の翌日には、出席していた何人かが会場で撮影した動画をネットに投稿していた。撮影された角度はばらばらで、編集も雑だったが、あれだけ派手な修羅場となれば、人目を引くには十分だった。動画には、さまざまなタイトルがつけられていた。【新婦が浮気動画を披露宴で公開、結婚式が一瞬で公開裁判に】【新婦が親戚一同を指差して「あなたたちも肉体関係を持ってる」――考えれば考えるほど怖い】【今年一番スカッとする婚約破棄!黒いドレスの新婦が披露宴を地獄絵図に】最初のうちは、それほど大きな話題にはならなかった。コメント欄には私を褒める人もいれば、罵る人もいたが、大半はただ面白半分に騒ぎを眺めているだけだった。ところが3日目、芹那が動いた。複数のインフルエンサーアカウントが一斉に投稿を始め、その文面はまるで同じテンプレートを使ったかのように統一されていた。【関係者が暴露:新婦は重度の被害妄想を抱えており、これまでにも周囲の人間を何度も浮気扱いしていた】【「赤い糸が見える」というのも、そもそも精神的な問題。友人グループも以前から彼女にうんざりしていた】【新郎は7年間、束縛の強い新婦に耐え続けて、ついに限界を迎えただけ。本当の被害者はいったい誰なのか?】依織は怒りのあまり、グループチャットに27件もの音声メッセージを連投した。しかも、どれも1分を超えていた。けれど5日目になると、流れは一気に逆転した。フォロワー300万人を抱える恋愛系インフルエンサーが、結婚式の完全版動画を取り上げ、コマ送りで検証したのだ。なかでも赤枠で強調されていたのは、私が裕之とホテルの女性支配人の関係を指摘した直後、裕之本人が思わず「一回だけだ!酔ってて……」と口走った場面だった。そのインフルエンサーのコメントは、たった一言。「もしこの新婦が妄想しているだけなら、少なくとも複数人が、わざわざ自爆コントに付き合ってくれたことになりますね」そこからコメント欄の風向きが変わり始めた。【待って。ホテルの支配人の件、当事者本人が認めちゃってるじゃん】【「シュウゴ」って男がその場で顔色変えたの、リアルすぎる。あの反応、作り物には見えないでしょ】【むしろ気になるんだけど、この能力って依頼受け付けてないの?】最後のコメントには、あっという間に8万件も
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第9話
翌日の夕方、律希はやはり姿を現した。一回り痩せ、シャツの襟元はだらしなく開き、髭も剃っていなかった。彼はカフェの入口に立ち、手には私が以前好きだった焼き菓子の袋を提げていた。「澪花」「ここには来ないで」「ほかに行くところがないんだ」彼の声はひどく掠れていた。「母と鷹取社長のことが父にばれて、今、離婚の話になってる。俺も会社を辞めることになった。何社に履歴書を送っても、どこからも返事が来ない」彼はまっすぐ私の目を見た。「復縁してくれって頼みに来たんじゃない。君が応じないことくらい分かってる」「じゃあ、何しに来たの?」「一言、謝りたかった」律希は焼き菓子の袋を階段に置いた。「俺はずっと、自分は一線だけは越えていないと思ってた。体の関係さえ持たなければ、裏切りじゃないって。昨日、俺たちのメッセージの履歴を見返したんだ。それで気づいた。俺が彼女に送った『おやすみ』は、君に送った数より200件以上も多かった」彼の口元が歪んだ。笑顔とも呼べないような表情だった。「とっくに一線なんて越えてたんだな。ただ俺が、自分で認めようとしなかっただけだ」私は彼の頭上を見た。赤い糸は、まだ残っていた。あの日より少し色褪せてはいたものの、それでも街の向こう側にいる誰かへと繋がっている。……芹那が妊娠したという知らせは、本人がSNSで公表した。添えられていたのは妊娠検査薬の写真で、文章はたった一言。【運命が私にくれた贈り物】その下のコメント欄は、がらんとしていた。芹那を知る人たちは、彼女の投稿をミュートしたか、何も言わずにその投稿を読み飛ばしたのだろう。依織がスクリーンショットをグループチャットに送ると、真っ先に灯里が返信した。「わざわざ投稿するってことは、榊原律希に責任取らせたいんでしょ」続いて史帆。「それか澪花に見せつけて、嫌な気分にさせたいだけ」3日後、芹那は律希を訪ねた。律希はDNA親子鑑定をすると言った。芹那は泣きながら、彼を冷たいと罵った。一方、芹那の元彼のほうはさらに容赦がなかった。芹那の連絡先をすべてブロックしたうえ、SNSに一言だけ投稿した。【自分とは一切関係ありません。巻き込まないでください】二人の男は、どちらも自分とは無関係だと必死に線を引こうとしていた。それから1
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