INICIAR SESIÓN10歳の頃、私は突然、男女の頭上に繋がる赤い糸が見えるようになった。 その赤い糸で繋がるのは、肉体関係を持ったことのある二人だけ。そしてその糸は、決して隠すことができない。 この何年かで、父の頭上には二本の赤い糸が増え、そのたびに母は離婚を切り出し、父と何度も揉めてきた。 だからこそ、私は夫を選ぶうえで何よりも「誠実さ」を重視していた。 そして最終的に選んだのが、頭上に一本の赤い糸もない、禁欲的な男――榊原律希(さかきば りつき)だった。 結婚式を翌日に控えた夜、私は親しい女友達たちと独身最後のパーティーを開き、みんなでゲームをしていた。負けた人はスマホを差し出し、ほかのみんなが好きなように中身を見てもいいというルールだ。 ブライズメイドの雨宮芹那(あまみや せりな)の番になると、彼女はスマホを胸元に抱え込み、頬を赤らめながら艶っぽく笑った。「私のは見ないでよ。昨日の夜、彼が遅くまで寝かせてくれなくて……あんな写真、人には見せられないから」 みんなはそんな芹那をからかった。彼女はずっと恋人のことを秘密にしていて、今まで誰一人として、彼女の恋人に会ったことがなかったのだ。 私がその場を丸く収めようとした、そのとき。 芹那の頭上から一本の赤い糸が伸びているのが見えた。 その糸は人混みの中をまっすぐに抜け、さらにドアの向こうへと伸び――私の婚約者、律希の頭上へと繋がっていた。 けれど昨日の夜、彼が私を家まで送ってくれたときには、頭上には間違いなく何もなかった。 それどころか、ほんの30分前にも、彼からこんなメッセージが届いたばかりだった。【澪花、君のために25年間、ずっと純潔を守ってきた。明日の初夜で、ようやく君をこの腕に抱ける。愛してる!】 私はドアの外から愛おしげにこちらを見つめる律希を見て、それから、いかにも昨夜の余韻を残したような芹那の顔へと視線を移した。 そしてグラスを手に取り、彼女と軽くグラスを合わせる。 「芹那の彼氏って……もしかして、サカキバって名字なの?」
Ver más翌日の夕方、律希はやはり姿を現した。一回り痩せ、シャツの襟元はだらしなく開き、髭も剃っていなかった。彼はカフェの入口に立ち、手には私が以前好きだった焼き菓子の袋を提げていた。「澪花」「ここには来ないで」「ほかに行くところがないんだ」彼の声はひどく掠れていた。「母と鷹取社長のことが父にばれて、今、離婚の話になってる。俺も会社を辞めることになった。何社に履歴書を送っても、どこからも返事が来ない」彼はまっすぐ私の目を見た。「復縁してくれって頼みに来たんじゃない。君が応じないことくらい分かってる」「じゃあ、何しに来たの?」「一言、謝りたかった」律希は焼き菓子の袋を階段に置いた。「俺はずっと、自分は一線だけは越えていないと思ってた。体の関係さえ持たなければ、裏切りじゃないって。昨日、俺たちのメッセージの履歴を見返したんだ。それで気づいた。俺が彼女に送った『おやすみ』は、君に送った数より200件以上も多かった」彼の口元が歪んだ。笑顔とも呼べないような表情だった。「とっくに一線なんて越えてたんだな。ただ俺が、自分で認めようとしなかっただけだ」私は彼の頭上を見た。赤い糸は、まだ残っていた。あの日より少し色褪せてはいたものの、それでも街の向こう側にいる誰かへと繋がっている。……芹那が妊娠したという知らせは、本人がSNSで公表した。添えられていたのは妊娠検査薬の写真で、文章はたった一言。【運命が私にくれた贈り物】その下のコメント欄は、がらんとしていた。芹那を知る人たちは、彼女の投稿をミュートしたか、何も言わずにその投稿を読み飛ばしたのだろう。依織がスクリーンショットをグループチャットに送ると、真っ先に灯里が返信した。「わざわざ投稿するってことは、榊原律希に責任取らせたいんでしょ」続いて史帆。「それか澪花に見せつけて、嫌な気分にさせたいだけ」3日後、芹那は律希を訪ねた。律希はDNA親子鑑定をすると言った。芹那は泣きながら、彼を冷たいと罵った。一方、芹那の元彼のほうはさらに容赦がなかった。芹那の連絡先をすべてブロックしたうえ、SNSに一言だけ投稿した。【自分とは一切関係ありません。巻き込まないでください】二人の男は、どちらも自分とは無関係だと必死に線を引こうとしていた。それから1
結婚式の翌日には、出席していた何人かが会場で撮影した動画をネットに投稿していた。撮影された角度はばらばらで、編集も雑だったが、あれだけ派手な修羅場となれば、人目を引くには十分だった。動画には、さまざまなタイトルがつけられていた。【新婦が浮気動画を披露宴で公開、結婚式が一瞬で公開裁判に】【新婦が親戚一同を指差して「あなたたちも肉体関係を持ってる」――考えれば考えるほど怖い】【今年一番スカッとする婚約破棄!黒いドレスの新婦が披露宴を地獄絵図に】最初のうちは、それほど大きな話題にはならなかった。コメント欄には私を褒める人もいれば、罵る人もいたが、大半はただ面白半分に騒ぎを眺めているだけだった。ところが3日目、芹那が動いた。複数のインフルエンサーアカウントが一斉に投稿を始め、その文面はまるで同じテンプレートを使ったかのように統一されていた。【関係者が暴露:新婦は重度の被害妄想を抱えており、これまでにも周囲の人間を何度も浮気扱いしていた】【「赤い糸が見える」というのも、そもそも精神的な問題。友人グループも以前から彼女にうんざりしていた】【新郎は7年間、束縛の強い新婦に耐え続けて、ついに限界を迎えただけ。本当の被害者はいったい誰なのか?】依織は怒りのあまり、グループチャットに27件もの音声メッセージを連投した。しかも、どれも1分を超えていた。けれど5日目になると、流れは一気に逆転した。フォロワー300万人を抱える恋愛系インフルエンサーが、結婚式の完全版動画を取り上げ、コマ送りで検証したのだ。なかでも赤枠で強調されていたのは、私が裕之とホテルの女性支配人の関係を指摘した直後、裕之本人が思わず「一回だけだ!酔ってて……」と口走った場面だった。そのインフルエンサーのコメントは、たった一言。「もしこの新婦が妄想しているだけなら、少なくとも複数人が、わざわざ自爆コントに付き合ってくれたことになりますね」そこからコメント欄の風向きが変わり始めた。【待って。ホテルの支配人の件、当事者本人が認めちゃってるじゃん】【「シュウゴ」って男がその場で顔色変えたの、リアルすぎる。あの反応、作り物には見えないでしょ】【むしろ気になるんだけど、この能力って依頼受け付けてないの?】最後のコメントには、あっという間に8万件も
私は彼を見つめた。「私を愛してる――」その言葉を、ゆっくりと繰り返した。「だから、私があなたから離れられないって決めつけた。私を愛してるから、私が絶対に許せない一線を踏み越えておいて、それでも自分を理解してくれって求めたのね。昨日の夜、私はあなたにメッセージを送った」私はスマホの画面を開いた。ほかの誰にも見せず、律希の目の前にだけ掲げる。「自分が何をしたのか認めて、一緒に結婚式を中止して、それぞれ穏便に終わらせようって言った。監視カメラの映像は公開しない、あなたの職場にも知らせない。最後くらい、あなたの顔を立ててあげるって。それに、あなたは何て返した?」律希は答えなかった。「あなたが返したのは、『酔ってるんだろ。早く寝ろよ。明日は朝早くから花嫁支度があるんだから』だった」彼は目を閉じた。「逃げ道は用意してあげたよ、律希。でも、あなたはその道を選ばなかった。あなたは今朝、何事もなかったように結婚式を続けることを選んだ。あなたのお母さんは私を無理やり式場まで連れてきて、土下座しろ、結納金を倍にして返せって迫ることを選んだ。あなたが選んだのは榊原家の面目であって、私じゃなかった。だから今さら、どうして穏便に済ませてくれないんだなんて、私に聞かないで」律希が私の腕を取ろうとした。「澪花、二人だけで話そう」「もう、二人だけで話すことなんてない」私は俯き、ハンドバッグから小さなベルベットの箱を取り出した。蓋を開けると、中には一度も指にはめることのなかった結婚指輪が収まっている。照明がプラチナのリングに反射していた。傷一つなく、あまりにも綺麗で、まるで最初から、誰のものでもなかったかのようだった。私は箱ごと指輪を律希の掌へ置いた。彼の指が閉じかけ、けれど強く握ることはできず、そのまま中途半端に指を曲げた。まるで、熱すぎて握りしめることのできない結末を掌に載せているようだった。「律希、私たちは終わりよ」彼は何も答えなかった。三歩ほど離れたところに立っていた芹那は、律希と出口を二度ほど交互に見た。そのつま先は、すでにわずかに出口のほうを向いている。私は彼女を見なかった。この瞬間から、彼女にはもう、一瞥するだけの価値すらなかった。警察官が、関係者に署まで同行するよう促した。依
依織が扉を半分押し開け、その後ろから私の三人の親友――篠崎灯里(しのざき あかり)、水瀬史帆(みなせ しほ)、小宮山初音(こみやま はつね)が姿を現した。三人とも表情こそそれぞれ違っていたが、全員が依織の後ろにしっかりと並び、誰一人として尻込みする者はいなかった。依織がさらに一歩横へずれると、入口には制服姿の警察官が二人立っていた。その瞬間、私はすべてを理解した。今朝、私が結婚式に出ると知った依織から、一通のメッセージが届いていた。たった一言。【私に任せて】そのときの私は、ホテルの精算などを代わりに済ませてくれるという意味だと思っていた。けれど彼女がしてくれたことは、それだけではなかったのだ。式場は3秒ほど、しんと静まり返った。裕之は反射的に椅子をテーブルのほうへ寄せ、先ほどまでテーブルを叩いて怒鳴り散らしていた勢いは、一瞬にして消え失せた。依織が私に目配せをする。私はその視線を受け止めると、二人の警察官へ向き直った。「警察の方、お手数をおかけしてすみません。まずは、今回の経緯を説明させてください。私は椎名澪花といいます。今日の結婚式の新婦です。昨夜の時点で、私はすでに新郎に正式に結婚式を中止すると伝えました。理由は、婚約者の榊原律希が結婚式前夜に、私のブライズメイドである雨宮芹那と浮気したことが分かったからです。新居のリビングに設置していた監視カメラの映像があり、タイムスタンプも残っています。映像に編集や加工は一切していません。ところが新郎側の家族は私からの中止の連絡を無視し、今朝も予定どおり会場を準備して招待客を迎えました。それだけでなく、私が宿泊している部屋の前で騒ぎを起こし、私を脅して無理やり結婚式場まで来させました。さらに榊原家からは、760万円の結納金を倍額で返還し、挙式と披露宴にかかった費用もすべて私が負担するよう要求されています」私は二人の警察官を見た。「以上について、お二人に立ち会っていただきたいんです」年長の警察官はステージの上と客席の様子を一通り見渡すと、携帯していた手帳を開いた。「結婚をするかどうかは本人の自由です。婚姻は双方の自由意思に基づくものであり、誰であっても結婚を強制することはできません。結納金の返還や費用の負担については……」そこでいったん言葉を切り、