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第10話

Autor: ライチ
私は正幸を見つめていた。彼が一体何をしようとしているのか、まったくわからなかった。

生きている間は辛いことばかりだった。それでも、こうして彼を見ていると、ほんの少しだけ胸が熱くなるのを感じた。というのも、彼が母を救ってくれたからだ。

あのとき、母は弥生に突き飛ばされ、壁に頭をぶつけて意識を失った。

幸い、正幸が差し向けた人たちがぎりぎりで駆けつけてくれた。もし少し遅れていたら、母は本当に助からなかったかもしれない。

私が死んだと知らされた母は、身を引き裂かれるように泣き叫んだ。そのまま泣きながら正幸を追い出した。

彼は目を赤くして、それ以上そこにいることもできず、ただ母にまとまったお金を差し出すだけだった。

そんな母の姿を見て、私の胸は悲しみと苦しみでいっぱいになった。

親不孝な娘で、ごめん。生きているうちは幸せにできなかったのに、死んだあとまで、こんなに大きな悲しみを背負わせてしまう。

お母さん、私のことは忘れて。

そのお金で、どうか穏やかな生活を送ってほしい。

正幸は、ある墓石の前に立った。その表面には何も刻まれておらず、ただまっさらだった。

彼はナイフを取り
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  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第10話

    私は正幸を見つめていた。彼が一体何をしようとしているのか、まったくわからなかった。生きている間は辛いことばかりだった。それでも、こうして彼を見ていると、ほんの少しだけ胸が熱くなるのを感じた。というのも、彼が母を救ってくれたからだ。あのとき、母は弥生に突き飛ばされ、壁に頭をぶつけて意識を失った。幸い、正幸が差し向けた人たちがぎりぎりで駆けつけてくれた。もし少し遅れていたら、母は本当に助からなかったかもしれない。私が死んだと知らされた母は、身を引き裂かれるように泣き叫んだ。そのまま泣きながら正幸を追い出した。彼は目を赤くして、それ以上そこにいることもできず、ただ母にまとまったお金を差し出すだけだった。そんな母の姿を見て、私の胸は悲しみと苦しみでいっぱいになった。親不孝な娘で、ごめん。生きているうちは幸せにできなかったのに、死んだあとまで、こんなに大きな悲しみを背負わせてしまう。お母さん、私のことは忘れて。そのお金で、どうか穏やかな生活を送ってほしい。正幸は、ある墓石の前に立った。その表面には何も刻まれておらず、ただまっさらだった。彼はナイフを取り出すと、力を込めてゆっくりと文字を刻みはじめた。口元がかすかに動いている。「詩織、俺が悪かった。お前は人に触れられるのが嫌いだったから、この墓石だけは俺が自分の手で刻むよ」しかし、どれだけ力を込めても、墓石には傷ひとつつかなかった。私が彼の真正面に立ちはだかり、必死に遮っていたからだ。その様子を見て、私はほっと胸をなでおろした。私の目には、はっきりと見えていた。正幸が刻もうとしているのは「妻・川村詩織」という文字だ。そして、私はもうこれ以上、彼と少しでも関わりたくなかった。正幸は何度も何度も試みたが、すべて無駄に終わった。次の瞬間、彼の目にみるみる涙があふれた。声を震わせながら、傷ついたように言った。「詩織、お前は俺を罰しているのか……?死んでからも、俺と一切関わりたくないっていうのか……?」けれど、返事はない。彼の涙は風にさらわれていった。「……わかった。俺はお前をあんなにひどい目にあわせた。代償を払うのは、当然だよな」その言葉に、いやな予感が胸をよぎった。恐怖で見開いた私の目の前で、正幸はそのナイフを手に取り、刃先を自分へと向けた。そ

  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第9話

    正幸が人目もはばからず泣きじゃくる姿を見ても、私の心は妙に冷静だった。かつての私は、いつだって彼の気持ちを最優先にしてきた。小さい頃からプライドが高いのを知っていたから、破産のショックでつぶれてしまわないかと心配で、毎日あれこれ手を尽くして笑わせようとした。彼は貧乏のフリして、私を騙したあの時期でさえ、私は明るく振る舞い続けた。つらいことも疲れもすべて胸の内にしまい込み、彼にプレッシャーをかけないように必死だった。でも、今はもう吹っ切れている。正幸という男は、最初からそこまでしてもらう価値などなかったのだから。ただ、あの子のことだけは少し胸が痛む。妊娠したことさえ知らずにいたのに、その未来を、私自身が知らぬ間に閉ざしてしまった。私のお腹からは、これまでに二人の子どもが失われている。今のこのざまは、きっと神が私に与えた罰なのだろう。人を見る目がないまま、長い年月を正幸に無駄に費やした報いなのだ。けれど、なぜだろう。死んだあとも魂は消えず、私は無理やり川村正幸のそばに縛りつけられてしまった。ついさっき、彼が弥生と対峙した場面も、私は一部始終を見ていた。驚いたことに、弥生は最初からすべてを知っていたのだ。それなのに、彼女は利益のために正幸との政略結婚を選んだ。しかも結婚後は互いに好き勝手に振る舞いながら、正幸を心から愛しているかのように装っていた。やはり、利益の前では、感情などいつだって取るに足らないものらしい。私の遺体が火葬炉へと運び込まれる。その瞬間、正幸が子どものように泣きじゃくるのが見えた。彼はもがき、なりふり構わず炉にすがりつき、両手を高熱で焼けどした。それでも痛みなど感じていないかのように、まるで、それが大切な宝物であるかのように、泣きながら私の遺体を抱きしめた。だが、私にはただ吐き気がこみ上げるだけだった。生きているときも、死んでからも、正幸とはもう一切関わりたくない。正幸は私の遺骨を持ち帰ると、どこへ行くにもそれを持ち歩いた。そして、彼は本当に藤田家への復讐を始めたのだ。彼自身も大きな痛手を負った。藤田家のほうは立ち直れないほど叩きのめされ、巨額の借金まで背負い込んだ。弥生は、これまで何ひとつ不自由なく育ったお嬢様だ。そんな天地がひっくり返るような激変に耐え

  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第8話

    正幸は逆鱗に触れられたかのように激怒した。弥生に飛びかかると、その首を力任せに締め上げた。「よくも詩織に手を出したな。お前の仕業だろ?詩織の父の酸素チューブを抜いたのも、詩織がお前を陥れたと俺に嘘をついたのも、全部お前なんだな。弥生、よくもそんなことを。ずっと誤魔化せると思っているのか」首を絞められ、弥生の顔が赤く染まる。それでも彼女は正幸を見つめ、口元には嘲るような笑みを浮かべていた。「それがどうしたの。あなた、バカみたいにずっと私に騙されてたじゃない。正幸、私が失ったのは、たかが遊びの男よ。お金さえあれば、そんな男はいくらでも代わりがきく。でも、あなたはどう?あなたが裏切ったのは、心から愛して、十年近くもそばにいてくれた女じゃない。彼女はあなたの一番つらい時期を一緒に乗り越えて、それなのに、自分の手で彼女を捨てた。あなたのために片足を失って、人生でいちばん大切なものを全部失った。それでもあなたは、彼女を何度も深淵に突き落としただけよ。正幸、私だっていい人じゃない。でも、あなたは私より先に地獄に落ちる。あなたの罪は、私のよりずっと重いんだから」その言葉が、正幸の胸のいちばん痛む場所をえぐった。次の瞬間、ドスンと大きな音がして、弥生の体はベッドから蹴り落とされた。もともと流産で弱っていた弥生の顔色は、さらに青ざめる。だが、正幸に向ける視線は、ますますあざ笑うかのように光っていた。「やっと本性を現したわね。あなた、最初からそういう男だったのよ!私がなにも調べてないとでも思ってたの?あなたと彼女のことは、とっくの昔から知ってた。わざと彼女に私たちの関係を気づかせたのよ。あなたがどんな反応をするのか、見てやろうと思ってね。まさか、想像以上に卑劣な手に出るとは思わなかったけどね。あの時、すぐに私に打ち明けてくれていたら、少しは見直してあげるかもしれない。最初からあなたは、まるで飼い犬みたいに私の手のひらで転がされていただけ。そして、唯一あなたのことをまともに見てくれていた人は、あなたが殺したのよ」「黙れ!」正幸はそう怒鳴ると、弥生の頬を二発、平手打ちした。その顔色は、ぞっとするほど悪くなっている。「そうだ、俺は罪深い男だ。だが、お前だけは楽にはさせない」言い捨てると、彼は弥生から手を離し

  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第7話

    正幸が、弥生の入院先に戻った。だが、彼女が流産したと知らされた。病室に足を踏み入れると、弥生は正幸の顔を見るなり、かっとなって怒りをあらわにした。「正幸、どこに行ってたの。私が流産したってのに、そばにもいない。またあの泥棒猫のところに行ってたの?」けれど今回は、いつものようになだめたりはしなかった。正幸は鼻でせせら笑う。「泥棒猫?自分のことを言ってるのか」弥生は一瞬、言葉を失った。まさか、そんな口をきかれるとは思ってもみなかったのだ。恥と怒りで頭に血が上り、声を荒らげた。「どういう意味よ。私をバカにしてるの?正幸、私たちの子は、あの女に殺されたんだから。あいつが私を怒らせて、ひどく気持ちを揺さぶったから流産したのよ。なのにあなた、あいつを庇うわけ?」そう叫ぶと、弥生は手にしていたコップを正幸に投げつけた。正幸はそれをひらりとかわす。「俺たちの子がどうして流れたのか。お前、わかってるんだろう」そのひと言に、弥生の胸がぎゅっと締めつけられた。なぜそんなことを言うのだろう。まさか、気づいているの。いや、そんなはずはない。完璧に隠しおおせてきた。知られるわけがない。そう思いながら、弥生は頑として白を切った。「何を言ってるの。意味がわからないんだけど」正幸は、もう我慢の限界だった。アシスタントから受け取った資料を、弥生に乱暴に投げつけ、嘲るように言い放つ。「俺を馬鹿にしてるのか。妊娠してるくせに、バーで朝まで男と遊んで、何人もの男と肩を組んで出てきたんだろうが。しかも、ここ数日はずっと家に帰らず、連絡がつかなくなっていた。それでごまかしきれるとでも思ったのか」写真を見たとたん、弥生の顔色がさっと青ざめた。ちらりと目をやっただけで、すぐに視線を背ける。まともに見る勇気など、とても持てなかった。あの数日は、たしかに刺激的で、めちゃくちゃだった。酒に飲まれて、勢いでやってしまったことばかりだ。今では弥生自身、思い返すだけで恥ずかしくなる。弥生は声を震わせた。「……全部、知ってたの」正幸は冷たく言い捨てる。「これを見つけなければ、まだ俺の前で愛してるふりを続けるつもりだったのか。ついでに教えておく。俺は、ごまかしを許さない。お前が必死にかばっていたあのヒモ男なら、外国に飛ばしてやったよ

  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第6話

    詩織の名前を耳にした瞬間、正幸の頭は真っ白になった。ハンマーで頭を殴りつけられたような衝撃。あらゆる感覚が一瞬で消え失せる。周囲の話が、はるか遠くから響いてくるように聞こえた。「あの子もバカだよな。十年近くも男に尽くして、ずっと陰で支え続けてきたんだろ。そこまで長く付き合って結婚しないなんて、誰が見たっておかしいってわかるはずだ」「本当に愛してるなら、十年も引き延ばすわけがない。男のほうに、やましいことでもあるに決まってる」もう一人が、怪訝そうな顔で口を開く。「でもネットじゃ、飛び降りた女のほうが不倫相手で、本命はどこかの令嬢だって噂もあるんだぜ。なんであの小林って人は不倫相手じゃないって言い切れるんだ?」「不倫相手なんかじゃない!」その言葉が終わらないうちに、はっと我に返った正幸が、鋭い声で遮った。二人は突然の大声に驚き、まるでおかしな者を見るような目で正幸を見る。「俺たちはネットの噂話をしてただけだ。なんでそんなにムキになるんだよ」一人が正幸の顔をまじまじと見つめた。その目が大きく見開かれ、驚愕の色に変わる。「お前……川村正幸か?彼女を捨てた男って、お前なのか」けれど、そのときの正幸の頭の中は、たった一つの思いでいっぱいだった。詩織に会いに行かなくては。彼は狂ったように病院を飛び出した。まだ手術室にいる弥生のことなど、きれいさっぱり忘れ去っていた。アクセルを床まで踏み込み、現場へと急ぐ。だが現場はすでに封鎖されていて、飛び降りた本人も、とっくに葬儀場へ運ばれたあとだった。地面に残る、まだ乾ききっていない血の跡が、正幸の目に深く突き刺さった。彼は慌てて意識を引き戻すと、すぐに病院の監視カメラの映像を取り寄せた。映像に映っていたのは、片足を引きずりながら、尊厳もへったくれもない犬みたいに、床へ力任せに押さえつけられる詩織の姿だった。詩織は、弥生が酸素チューブを抜き取るのを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。正幸は、心臓を引き裂かれたような感じがした。そういうことだったのか。思えば、詩織はもともと理不尽な人間じゃない。なのに、なぜ突然、弥生をあんなふうに責め立てたのか。あのとき、心のどこかで疑問に思った。けれど弥生は、大事に育てられた令嬢で、そのうえ妊娠までしている。

  • 足の不自由な路上歌手の私が、彼のせいで死んだ   第5話

    正幸は慌てて振り返った。少し離れた場所では、人々が大混乱に陥っていた。パトカーのサイレンと救急車の音が入り混じっている。なぜだかわからないが、正幸の胸のうちに、これまでにない不安が込み上げてきた。無意識にそちらへ駆け寄ろうとしたが、その手首を弥生に掴まれる。「あなた、お腹が痛いの……」正幸の顔に迷いの色が浮かんだ。それでも結局、アクセルを踏み込み、まずは弥生をかかりつけの産婦人科に運ぶことにした。心の中で自分に言い聞かせる。世の中、足の不自由な人間は大勢いる。まして相手は妊婦だ。詩織であるはずがない、と。車を発進させると、さっきまで苦しんでいた弥生が、急に静かになった。甘えるような声で正幸に話しかける。「ねえ、あなた。男の子と女の子、どっちが好き?」正幸は適当に考え、心ここにあらずで答えた。「どっちでもいいよ」実は、正幸と詩織の間にも、かつて子どもができたことがある。ただ、彼女が妊娠した矢先に、正幸は破産した。あの頃は借金取りに追われて、自分たちの生活で手一杯で、子どもを育てる余裕などなかった。だから詩織は泣く泣く子どもを堕ろした。その後、詩織の右足は借金取りに切断されてしまった。それ以来、正幸はただひたすら、詩織を大切にしようと心に決めていた。弥生は正幸の心ここにあらずの態度を見抜いて、不満だった。彼女にはわかっている。正幸の気持ちが詩織に向いている。あの泥棒猫、本当に憎たらしい。足が不自由なくせに、まだ正幸にまとわりつくなんて。幸い、もう手を回して詩織を痛めつけてやった。これで二度と、自分の男を奪おうなんて思わないはずだ。弥生が何か言いかけたちょうどその時、突然、腹部に痛みが走り、苦痛の叫び声をあげた。正幸はもともと苛立っていたところへ、さらに不愉快そうに眉をひそめる。「もう病院に向かってるんだ。いい加減、芝居はやめろ。本当にそんなに痛いのか」弥生の額からは冷や汗が止めどなく流れ、痛みで顔が歪んでいる。正幸の冷たい口調など気にする余裕もなく、彼の手をぎゅっと握りしめた。「痛い……早く病院に連れてって」正幸が振り返ると、シートが真っ赤に染まっている。ただごとではないと察し、すぐにアクセルを踏み込んだ。できる限り急いだものの、病院に着いたときにはす

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