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毒草の村

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-10-11 07:03:17

朝。焚き火は灰になり、白い息だけが立っていた。

アレンは灰を指で弾く。灰は軽く、薄い文字をひとつだけ残した。

「行こう」

リオが頷き、ミナは小さな手で裾を握る。

霧の道。並木は痩せ、畑は色を失っている。

村の入口には、歪んだ札がぶら下がっていた。

――毒草注意。

「……いい匂いがしないな」

アレンが小声で言う。

「当たり前だよ。ここ、もう何も食べられないんだ」

リオの声は低い。ミナがうつむく。

通りかかった老婆が舌打ちした。

「また流民か。うちには分けるもんなんてないよ」

「ぼくたち、村の子だよ。戻っただけだ」

リオが言い返す。老婆は目を逸らした。

「戻って何をする。食べ物は毒、畑は枯れ、鍋は鳴かない。……ここは“何も食べられない村”なんだよ」

言葉は霧より冷たかった。

村の中心に、ひび割れた井戸。

人の気配はあるが、誰も立ち止まらない。

視線だけが刺さる。

「村長に会わせてくれ」

アレンが言う。

「行こう。ぼくが案内する」

リオが前を歩いた。

粗末な小屋。扉の向こうに、どっしりとした背中。

「誰だ」

「リオです。……それと、アレン」

「他所者か」

低い声が唸る。

アレンは静かに頭を下げた。

「アレン。料理人だ。村の食を見せてほしい」

「帰れ」

即答。

村長の額には深い皺。目は火を信じない目だ。

「毒草を煮て死んだ奴を、何人も見た。鍋は墓じゃねえ。……他所者の出る幕じゃない」

「アレンは、ぼくらを助けてくれた!」

リオが一歩出る。

小屋の外に人が集まり、ざわめきが膨らむ。

「草を食わせたって?」「狂ってる」「毒を使う魔物使いだ!」

ミナがアレンの袖を握る。指が震えていた。

アレンはその手に軽く触れ、袖をまくる。

「……見せた方が早いか」

「やめろ!」「触るな!」「匂いが移る!」

叫びが重なるその中で、アレンは路傍の草を摘んだ。

紫の斑点。楕円の葉。村人が顔をしかめる。

彼は葉を揉み、指先に滲む汁を嗅いだ。

灰の地面に、淡い線がふっと現れる。

火の息のような細い文字が、彼の指の動きに寄り添った。

「見たか。魔の文字だ!」

「違う」

アレンは否定を短く置く。

「苦味の芯をずらし、熱を通す。……味の通訳を信じろ」

「信じられるか!」

村長の拳が震える。

ミナが、おそるおそる口を開いた。

「……あの時も、これで……おいしかった」

小さな声が、小屋の空気に小石を落とす。

沈黙。ざわめきが一瞬しぼむ。

アレンは灰を指で集め、井戸の脇に石を三つ組んだ。

細枝を重ね、灰の文字に息を乗せる。

赤い核が生まれ、低い火が灯る。

「火だ……」

誰かが呟く。しばらく聞いていなかった音だ。

「葉は丸めず、逃げ道を残す。芯は炙って苦味を切る。実は砕いて、香りを先に起こす」

アレンは独り言のように言い、動作は簡潔だ。

灰をひとつまみ、石の皿に薄く散らす。

「灰をふりかけるだと?」「馬鹿な……」

「灰は火が残した記憶だ。味の輪郭を整える」

湯気が立ち、香りが流れる。

「……甘い匂い?」

「毒のはずなのに」

鼻先を上げる村人が増える。

井戸の水面が、湯気の影を揺らした。

村長が唸る。

「……それは、何の魔法だ」

アレンは手を止めず、短く答えた。

「料理だ」

静まり返った中で、彼は最初の皿を二つ作った。

平たい石に、炙った芯、柔らかくなった葉、砕いた実。

灰の塩を指先でひとつまみ。

「リオ、ミナ。先に」

「うん」「……うん」

リオは葉を齧る。眉が寄り、すぐにほどける。

「苦くない。あったかい」

ミナは根を舐め、目を丸くして笑った。

「……あまい」

唾を飲む音が、あちこちで重なった。

アレンは次の皿を作る。

「嫌なら、断っていい。無理はさせない」

彼は皿を差し出し、視線を逸らす者には無理に近づかない。

最初に手を伸ばしたのは、老婆だった。

震える指で葉を摘み、歯でちぎる。

目尻に皺が寄り、すぐに濡れた。

「……何年ぶりだろう、“味”がする……」

隣の男が、恐る恐る根を齧る。

「苦くない……いや、苦いけど、嫌な苦さじゃない……」

人が寄ってくる。短い息と短い言葉。

皿が空き、火が育つ。灰の文字は、小さな輪をいくつも作った。

アレンの舌の奥にも、同じように円環が増えていく。

村長は腕を組んだまま、動かない。

アレンは彼に向かって、最後の皿を作った。

芯の焦げ目をひとつ、葉の柔らかい縁をひとつ、実の香りを少し。

「村を見た。……あなたが守ってきたことも、匂いでわかる」

「戯言を」

「守るために、捨てすぎた。味も、火も、希望も」

アレンは皿を置いた。押しつけない。

村長はしばらく見つめ、ふっと笑った。

「言葉が生意気だ」

そして、葉を齧る。

静かな咀嚼。目蓋が震え、息が漏れる。

「……食える。……いや……うまい、のか、これは」

ざわめきが笑いに変わる。泣き笑いだ。

井戸端に座り込む者、空を仰ぐ者、手を合わせる者。

アレンは火を見た。火は丸く、低く、よく働いた。

「人は、食べられるものを忘れる」

アレンの声は焚き火に溶けた。

「けれど、“食べていい”と知った瞬間、生き返る」

リオが胸を張る。

「アレンは、魔法使いじゃない。料理人だ」

ミナが頷く。

「火のこと、ちゃんと聞いてくれる人」

村長が咳払いをした。

「……お前さん。名は」

「アレン・フォルテ」

「アレン。明日、畑を見ろ」

村長は短く言う。

「毒をどうにかできるなら――それを見せろ。……信じるのは、食ってからでいい」

アレンは笑った。

「明日、畑を見よう。毒を育てるんじゃない。味を育てるんだ」

夜。霧が薄れ、井戸の上の黒に、白い点がひとつ灯った。

誰かが「星だ」と言い、誰かが泣きながら笑った。

火はやわらかく頷き、灰の文字が一行だけ増える。

――食べて、生きろ。

アレンはその言葉を胸に収め、火に礼をした。

「ごちそうさま」

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