ルヴァーニュ共和国――それは“感情を統制する国家”として知られている。
表情、語調、服装に至るまで“合理性”と“統一性”が求められ、感情の発露は“社会的なノイズ”とされる文化だった。
「……なんて退屈そうな国なの。」
エリシアはクロードに連れられ、共和国の中心・サンクト議政庁に足を踏み入れた。
「形式美と管理こそが、我々の誇りです。」
そう語るクロードの背はまっすぐで、感情の揺れなど微塵も感じさせなかった。
けれど――
「……ほんとに、そう思ってるの?」
彼の瞳の奥には、かすかに“ためらい”があった。
◆◆◆
「クーデター未遂事件に関し、証言が必要です。」
応接室に通されたエリシアは、共和国の官僚たちから次々と質問を受けた。
「あなたの国家では、恋愛が政務に影響を与えるのですね?」
「ええ、バリバリに。恋がなきゃ税制改革もできないわよ?」
「……理解不能です。」
「そうでしょうとも!」
堂々と笑うエリシアに、誰もが困惑の表情を浮かべる。
だが、ただ一人――クロードだけが、視線を伏せていた。
◆◆◆
その夜。
「この国、本当に全部が“仮面”ね。人の顔も、言葉も、街も……みんな均一で、誰も泣かない、誰も笑わない。」
エリシアは屋上で夜風に吹かれながら呟いた。
「……それが、我が国の安定の源です。」
クロードの声が背後から響く。
「けれどその安定が、“恋すら許さない”なら、それはただの――。」
「欺瞞、ですね。」
エリシアの言葉を、クロードが遮った。
「……私は、知ってしまった。あなたの国で、人が笑い、泣き、恋に傷つき、また立ち上がる様を。」
「それで?」
「私は……選びたいのです。“真実の顔”を。誰かの期待でも、国家の形式でもなく、ただ私自身の意思で。」
エリシアの心が跳ねた。
(……この人、今、自分の“仮面”を外したんだ。)
「なら、こっちに来なさいよ。グランフォードは、“仮面じゃ生きられない国”だから。」
彼女が手を伸ばした瞬間、議政庁から緊急の鐘が鳴り響いた。
「第二のクーデター……!?“感情の芽生え”を排除する運動が、再燃した!」
「……やはり来たか。“選ばせない”という圧力が、最後の牙を剥く……!」
エリシアとクロードは視線を交わし、静かにうなずき合う。
「行くわよ。“選ぶ自由”を守るために!」
議政庁の中枢――そこで今、“仮面派”と呼ばれる官僚たちによる掌握が進んでいた。
「感情は腐敗を呼ぶ!我々が築いてきた理性の国を、決して汚すな!」
「“恋愛主義国家”の影響で、共和国が歪むなど認められぬ!」
彼らはクロードを“情動汚染の元凶”として排除対象に認定した。
「クロード様、後ろへ!」
とっさにエリシアが前に出る。魔力を込めた風が、反逆の術式を吹き飛ばす。
「ちょっと!他国の王女に向けて魔法を撃つって、マナー違反も甚だしいわよ!?」
「感情に呑まれた君が語る倫理に、何の価値がある!」
「あるわよ!……だって、私は“恋したいから国を作った女”なんだから!」
その言葉が、議政庁の空気を震わせる。
クロードもまた、静かに歩み出る。
「私も、選びたい。仮面に従う生ではなく、自分の意思で選ぶ生を。」
「クロード様……それは、国家への反逆になります。」
「ならば私は、国家を“もう一度選ぶ”必要があるのかもしれませんね。」
◆◆◆
戦いの末、クロードとエリシアは議政庁の記録塔を制し、“感情の記録”の公開に踏み切った。
人々の記憶から消されていた“恋した記録”、“泣いた記録”、“選んだ記録”が、一気に世に流れ込む。
そしてそれを見た民たちが――涙した。
◆◆◆
数日後、ルヴァーニュ共和国は“情動承認政体”への移行を発表。
クロードは正式に“感情を知る代表者”として、副首相の座に就くこととなった。
「……お見事ね。」
エリシアが少し拗ねたように言うと、クロードは静かに言った。
「あなたが“選ばせてくれた”。仮面の下にある、自分自身を。」
そして彼は、ほんの少し、笑った。
「エリシア様。これが“恋”なのでしょうか?」
「……まだわからない。でも、それは“選んだ未来”で確かめてよね?」
ふたりの間に、穏やかな風が吹いた。
◆
グランフォード帰還後。
「ふふ~ん、政略恋愛ミッション完了っと!」
「エリシア様、それ恋愛よりも国政成果の方が多いですよ……。」
「まぁ恋の芽は蒔いたってことで!」
――グランフォードの空は、今日も晴れていた。
——〈次話〉“星降る丘と、願いを継ぐ者”
「今夜は、“星降りの夜”なんですって!」エリシアがワクワクした声で言うと、家族と仲間たちは一斉に顔を上げた。「年に一度の流星群か……。」カイラムが空を見上げながら呟く。「願い事、考えておかなきゃね!」「お嬢様、その手の願掛けは“恋人と並んで星を見る”のが正式な作法だそうですよ。」「なんですって!?そんなロマン行事、聞いてないわよ!」◆◆◆丘の上では、祭りの準備が進んでいた。屋台が立ち並び、子どもたちが星形のランタンを持ってはしゃぎ回る。エリシアはふと、静かな一角に佇むカイラムを見つける。「どうしたの?お祭り嫌い?」「いや……昔、この夜に、祖父……つまり前魔王が、何かを呟いていたのを思い出した。」「何を?」「“星が降る夜には、魔王の願いが空に返る”って。」その言葉が、なぜか胸に引っかかった。「……ねぇ、カイラム。もしかして、“魔王の願い”って、まだこの国のどこかに残ってるのかな。」「わからない。でも、残ってるなら――。」彼は空を見上げた。「“継ぐ者”に届いてほしいって、そう思ってたんじゃないか。」◆◆◆夜が深まり、星が降り始めた。そのとき、ひときわ大きな流星が、空を切り裂くように駆け抜けた。「っ、あれは……!」地平の彼方、旧魔王領の奥深く――かつて誰も足を踏み入れたことのない、黒の谷に、光の柱が立った。「……あれは、“魔王の遺産”かもしれない。」カイラムの言葉に、空気が凍る。「私たちの旅、“国づくり”じゃなく
ルヴァーニュ共和国――それは“感情を統制する国家”として知られている。表情、語調、服装に至るまで“合理性”と“統一性”が求められ、感情の発露は“社会的なノイズ”とされる文化だった。「……なんて退屈そうな国なの。」エリシアはクロードに連れられ、共和国の中心・サンクト議政庁に足を踏み入れた。「形式美と管理こそが、我々の誇りです。」そう語るクロードの背はまっすぐで、感情の揺れなど微塵も感じさせなかった。けれど――「……ほんとに、そう思ってるの?」彼の瞳の奥には、かすかに“ためらい”があった。◆◆◆「クーデター未遂事件に関し、証言が必要です。」応接室に通されたエリシアは、共和国の官僚たちから次々と質問を受けた。「あなたの国家では、恋愛が政務に影響を与えるのですね?」「ええ、バリバリに。恋がなきゃ税制改革もできないわよ?」「……理解不能です。」「そうでしょうとも!」堂々と笑うエリシアに、誰もが困惑の表情を浮かべる。だが、ただ一人――クロードだけが、視線を伏せていた。◆◆◆その夜。「この国、本当に全部が“仮面”ね。人の顔も、言葉も、街も……みんな均一で、誰も泣かない、誰も笑わない。」エリシアは屋上で夜風に吹かれながら呟いた。「……それが、我が国の安定の源です。」クロードの声が背後から響く。「けれどその安定が、“恋すら許さない”なら、それはただの――。」「欺瞞、ですね。」エリシアの言葉を、クロードが遮った。「……私は、知
「外交、ですって?」エリシアが口をあんぐりと開けたのも無理はない。「うん。ついに来たよ、国交樹立のお誘いが!」ネフィラが書状を振って誇らしげに報告する。「え、え、どこの国から?」「三つ来てるわ。“氷雪の王国グレイスフロスト”、“砂の自由商都エリゼール”、そして……“新王制を掲げたルヴァーニュ共和国”」「多いな!?建国から何ヶ月だと思ってるのよ!?恋する暇ないじゃない!!」「逆ハーレム国家、外交もハーレム構造なのか……?」ユスティアが若干引きつった表情で呟く。◆◆◆「というわけで!」エリシアは気合を入れて、各国の使者を迎えるための“大歓迎セレモニー”の準備に取りかかっていた。「国家間の友好関係は、“第一印象”が大事よ!ここで『この国イケてる!恋もできそう!』って思わせなきゃ!」「その基準で外交してるの、世界広しといえどグランフォードくらいですよ……。」クレインがため息をつきつつ、宴会のメニュー表に目を通す。「でも正直、心配なのはルヴァーニュ共和国ね。」ネフィラが神妙な顔で続ける。「彼らは、“感情”より“実利”を重んじる国家。うちの『恋する国政』に、どう反応するか……。」「ってことは、逆に“感情面”を刺激すれば、突破口があるってことね!」「……エリシア様、それ、まさか――。」「決まってるじゃない。政略恋愛よ!!」「また爆弾投下したぁ!!」◆◆◆三国の使者が一堂に会したグランフォード迎賓館。冷ややかな視線のグレイスフロスト王子リューディル、陽気で策略家のエリゼール
「……どうしてこの部分だけ、記録が“空白”なんだろう。」ネフィラは記録管理室の古文書を前に、眉をひそめていた。「魔王領にまつわる記録の中でも、特に“魔力の起源”に近い文献がごっそり抜け落ちてるのよ。」「また記憶操作……?それとも、意図的な封印?」ユスティアが地図と照合しながら唸る。「でも、興味あるわ。“記録から消えた魔力”……って、なんだかロマンあるじゃない?」エリシアは軽い口調で言いながらも、心の奥に小さなざわめきを覚えていた。(このところの記憶や恋に関わる現象、すべてが“何か”に繋がってる気がする……。)「場所の特定はできるの?」「はい。ここです。“グランフォード地下第三層、未調査領域”。」「未調査?でもそこ、建国初期に調べたはずじゃ――。」「“記録上は”ね。でも、実際には“立入禁止”の印だけが残されてて、中の調査記録は一切残ってないの。」「うちの国家、ほんと記録に穴ありすぎじゃない!?」◆◆◆グランフォード地下第三層。岩肌がむき出しの空間を進むと、古びた扉が現れた。そこには、今では使われていない古代文字が刻まれていた。「“ここに遺せしは、過去にして未来。記されずとも、力は残る”……?」「……記されずとも……。」セーネの言葉が蘇る。“記録に残さなくても、想いと魔力は宿る”――「行こう。この扉の向こうに、“遺された魔力”があるなら、今こそ向き合う時だわ。」◆◆◆扉の向こうに広がっていた
「……この地図、変よ。」ネフィラの一言に、会議室の空気がピリリと張り詰めた。「どうした?見慣れた地図じゃ――。」「そう、“見慣れてる”はずなのに……この区域、前は“湖”だったのよ。」ネフィラの指先が指す先――そこには、現在“乾いた草原”と記されている。「湖が……干上がったの?」「違うわ。記録上は最初から“草原”になってる。でも、私の記憶では確かにここは“蒼の水鏡湖”だった。」「記録と記憶が、またズレてる……?」ユスティアが眉をひそめる。「誰かが、“土地の記憶”を操作した可能性がある。」「土地の記憶……それって、“存在そのもの”を塗り替えるってこと?」「うん。そして、その中心部で“謎の揺れ”が観測されたの。」「行くしかないわね!エリシア探検隊、出動よ!」「そんなノリで国家の調査隊を出すなぁ!」◆◆◆数日後、調査隊一行は“元・湖”だったとされる草原地帯へ到着する。「……ここが、あの蒼の水鏡湖……のはず、なんだけど。」エリシアが歩を進めると、突然、空気がひんやりと冷たくなる。「魔力濃度、異常に高い……。この空間、“魔力の傷跡”だわ。」「何かが、ここで“封じられた”……あるいは“消された”。」そのとき、風に乗って、誰かの歌声が聞こえた。『……忘れられた風を追い、影は静かに舞い降りる
「……エリシアは最近、“誰か”のことばかりだな。」魔王領の旧兵舎跡。カイラムは一人、壊れた石柱に腰掛け、スープをすすっていた。「料理?ユスティア。記録?リュシア。なんか忘れてないか……?俺のこと……。」彼の背後で、リビアが気まずそうに翼をぱたつかせた。「まぁ、その……閣下は“宰相”としても大忙しですし……。」「俺だって宰相だし、魔王だったし、初期メンバーだし!ていうか、最初に木刀で吹っ飛ばされた被害者だし!」「それは確かに……いや、ちょっと誇れる内容ではないのでは?」「くそっ……!エリシアの奴、今頃“継承式”の準備とかで浮かれてるんだろうな……!」そう、現在グランフォードでは“王家による正式な国家承認”の是非をかけて、“最初の継承式”を開催する準備が進められていた。王都からの使者も到着し、“新たな王位継承者”としてエリシアの名前が取り沙汰されている。◆◆◆その頃、グランフォード本城・会議室。「ねぇこれ、“王位”って言っても形式上だけよね?」「今さら何を言うか。もう継承式の招待状、王都に送っちゃったぞ。」「え、あの金ピカのやつ!?冗談のつもりだったのに!」「……エリシア様、それ冗談で国政動かしてたんですね……。」ユスティアがこめかみを押さえ、クレインが真顔でメモを取る中、ネフィラは厳しい声を上げた。「でも気になるのは、王都の“沈黙”よ。」「使者は来たのに、本家からの返事がないってこと?」「うん。しかも