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第14話

last update Last Updated: 2025-05-15 18:41:27

悪魔と契約出来たダリアは、さっそく動き出した。晩餐の席で、「私も友人と呼べる方が欲しくて」と、お茶会を開かせて欲しがったのだ。

お父様も、内心ではダリアの去就に思うところがあったようで、「ガネーシャ、お前が一緒になって開催してやりなさい」と言ってきた。

私が招待でもしてやらなければ、ダリアに人脈などないからお茶会は開けない。

内心では面倒な事を言い出したものだと、ダリアやお父様に舌打ちしたい思いだったけれど、今生では完璧な令嬢を演じなければならないわ。

「はい、お父様。ダリアにも親しみやすい方々を招待させて頂きますわ。友人が出来れば、ダリアも社交界に出やすいでしょう」

従順に頷いた後、お父様が撫でる顎髭を憎たらしく思いながら、ダリアが同席するお茶会の招待にでも応えてくれる令嬢を考えた。

何しろ公爵家に卑しい出自の兄妹が家族として迎え入れられた事は知れ渡っている。本来ならばダリアはそれを逆手に取って哀れに見せて味方を増やすのだけど、そうはさせない。

私を好意的に見ていて、同情してくれている令嬢達を念入りに選んで、私は三人の令嬢達へ招待状を送ったわ。

それを知ってか知らでか、ダリアは「失敗してガネーシャお姉様にご迷惑をおかけする訳にはいかないもの」と、勇んで茶葉や茶菓子に茶器まで、自ら進んで下女へ指示を出していた。

そうして迎えてしまった、お茶会当日。私は何としてもダリアの目論見の通りにはさせまいと思案していた。

「メリナ、今日のお化粧は薄くチークを使ってちょうだい」

「かしこまりました、ガネーシャお嬢様。昨夜は良くお眠りになれなかったのでございますか?顔色が優れませんわ」

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」

気鬱さも感じながら身だしなみを整えていると、仕上げの段階でダリアが私の部屋を訪れた。

「ガネーシャお姉様、失礼致します。お出迎えの場までご一緒なさいませんか?」

「──ええ、もちろんよ」

途中でダリアが何かを企んでも、見落とさないように。けれど、一足遅かった。

「ガネーシャ、お茶会のティーポットにダリアが血を一滴仕込んでる」

ベリテから耳打ちされて私は焦った。

「お嬢様、ご令嬢の皆様の馬車は既に到着して来ておりますので、お急ぎ下さいますように」

そこで部屋に来た執事に告げられて窮地に立たされた思いがした。ここで私が離れてティーポットのある所に行くのは無理よ。

──どうしましょう、ベリテ。悪魔の力が加わった血よね?

「うん。このままでは令嬢達が操り人形になる。──僕の力で時間を十五分前に戻すよ。ダリアが血を仕込んだ直後にね。そこで君がティーポットに自分の血を混ぜれば中和されて無力化する」

──時間を戻す?時空を司る天使とはいえ、そんな力があるものなの?

「それが、君の中に眠っている異能の力を加えれば可能になるんだよ。まだ覚醒していないから、君は生命力を消耗する事になるけど……」

──お願い。迷ってなんていられないわ。

「分かった。──行くよ」

ベリテが輝きを放ち始めると同時に、自分の中に流れる全身の血が熱を帯びるような感覚になってくる。熱い。

同時に気怠さが襲ってきて、めまいがしたかと思うと、私は屋敷の厨房近くにいた。何かカチャカチャと音が聞こえて、物陰に身を隠す。

「これでガネーシャの友人達は、私の駒になるわ……せっかくの晴れ舞台になるのだもの、ご挨拶に遅れたら駄目ね。早く行かなきゃ」

厨房の隣室、ティーポットを含む茶器等を準備する部屋から、ダリアが薄ら笑いを浮かべながら出てきて、足早に去っていった。

──前世でもお茶会でダリアは「可哀想な乙女」を演じて味方を増やしていたけれど……裏では悪魔の力を使っていたのね。

「ああ、主催者なら仕込むのも簡単だからね。──さ、ガネーシャ。時間がない」

──ええ。

私はすぐさま部屋に入り、温められたティーポットの蓋を開けて底を見た。僅かな一滴の赤いものが底に落とされている。

「ここに君の血を数滴垂らすんだ」

──一滴では中和されないのかしら?数滴も垂らしたら、皆がお茶の味に異変を感じ取る……あっ。

「そう、感じ取らせるんだ。そこからは君の働きが大事だよ。出来る?」

──もちろんよ。任せて。それはそうと、傷は残らないように治癒出来るかしら?

「また君の力も借りる事になるけど、可能だよ。君に証拠が残っていたらダリアが見つけようとするからね」

──ありがとう、ベリテ。

そこで私は、フォークを手にして思い切り手のひらに刺した。痛いとか傷が怖いなんていう感覚は前世で捨てているの。

血がぷくっと溢れ出し、垂れて、ダリアの血を覆い隠す。味が僅かにおかしく感じられる程度に血を加えて、私はティーポットの蓋を戻した。

そうしてベリテに治癒してもらい、急いで令嬢達の出迎えに向かう事にする。チークはもうどうでもいいわ。むしろ儚げに見えていいじゃないの。

今のダリアでは、私の友人達を出迎える事など出来ないから、私と合流して共に出迎えなければならないのよ。

「ダリア、先に来てきたのね。待たせてしまったわ」

私は何食わぬ顔でお茶会の席に向かった。時を戻す前とは展開が変わっている。

「ガネーシャお姉様……私一人きりで皆様をお待ちしていて心細かったですわ……」

これも私の落ち度として利用するつもり?そうはさせないわ。

「ごめんなさいね、髪を結うのに時間がかかってしまったのよ。それでも、皆さんが集まるには間に合うように急いだの。まだ誰もお越しになってはいないわね?」

「え、ええ……お見えには……」

「あなたを一人で寂しく大変な目に遭わせはしないわ、ダリア。私はあなたの姉よ」

「……ありがとうございます」

「──お嬢様、ご令嬢方の馬車が到着してきております」

執事が告げに来て、この会話はダリアも私を攻めきれず、うやむやに終わった。私は気持ちを切り替えるように明るくダリアに話しかけた。

「──さ、ダリアの初めてのお茶会だわ。ダリアの準備してくれた紅茶も楽しみね。茶葉の味わいを楽しみたいわ、初めはストレートで頂きましょうと皆さんにもお勧めするわ」

お砂糖やミルクで誤魔化すのは、私の血がもったいないものね。

「え?あの、はい……」

何やら戸惑っているダリアをよそに、歓談しながら歩いてくる令嬢達へ私から歩み寄る。

「ようこそお越し下さいましたわ、皆様。私の招待を受けて下さって、心よりお礼を申し上げます」

にこやかに挨拶すると、まずネイブール伯爵令嬢のアニエス様がお辞儀をして、私に笑顔を向けた。

彼女の母君は社交界きっての情報通よ。今日の事は彼女から伝えられるに決まっているわ。成功すれば心強くて頼もしい存在になってくれる。

「それは、もちろんガネーシャ様からのご招待ですもの。喜んで参ります。しかも本日は、新しく妹君になられたお方もご一緒なのですもの」

「ありがとうございます、アニエス様。皆様も本日はお楽しみになられて下さいませね」

残る二人はフッティス子爵家のナタリア様と、マフカス男爵家令嬢のディアルナ様。

正直に言えば、公爵家の令嬢である私とは簡単にはお茶を共には出来ない家格なのだけれど、これはダリアの顔見せだから十分だわ。

「ナタリア様、ディアルナ様、お二方も本日はお気持ちを楽にしてお楽しみ下さいませね」

私を目の前にして、畏まっている二人にも声をかける。

ナタリア様が頬を染めて口を開いた。

「ガネーシャ様、このようなお席にお招き下さり光栄ですわ。ありがとうございます。そちらのお方が新しい妹君様でしょうか?」

同じ子爵家の令嬢でも、ナタリア様とダリアの境遇には天と地の差があるわね。ダリアの心中は簡単に察する事が出来る。

ダリアは、どこか黒々とした闇を孕んだ瞳をして見せた後、ベリタに何か注意されたようだわ。はっと表情を変えて微笑んだ。

「皆様、初めまして。ガネーシャお姉様の妹としてフォクステリア家に参りました、ダリアと申します。どうか親しくして頂けましたら幸いですわ」

「皆様、ダリアは初めてのお茶会ですのよ。とても張り切って準備に携わりましたの。皆様に喜んで頂こうと努めるダリアは愛らしくて」

「ガネーシャお姉様、そんな……恥ずかしいですわ……」

ここで親しげにダリアを扱うのも計算のうちよ。心を許して接していると見せかけるの。

おかげで、令嬢達はダリアを表向きだけでも受け入れているようね。ナタリア様がにこやかにダリアを見つめた。

「まあ、ダリア様の健気なお気持ち、本当に嬉しく思いますわ」

するとアニエス様も、おっとりと応えたわ。

「これまでご苦労なされたと伺っております。新しい環境でのお暮らしでは、ガネーシャ様より格別に良くして頂いているとお話には聞いておりましたのよ。こうして拝見すると、嘘偽りはなかったと思えますわね。素敵なご姉妹に見えますわ」

私は令嬢達の反応に満足して、次のステップに進む事にした。

「皆様、お席に着かれて下さいませ。馬車でお疲れでしょう。ダリアが直々に手配した紅茶を頂きましょう。きっと美味しいでしょうから、ストレートで味わってみて差し上げて下さいね」

「皆様、恐縮ですが、ぜひ頂いて下さいませ。茶器選びから頑張りましたので……」

控えめを装って主張するダリアに、ディアルナ様が朗らかな様子で喜んでみせた。

「ダリア様がそこまで私達をもてなそうと努めて下さっただなんて、嬉しいですわ」

ディアルナ様は鷹揚な性格の方だから、そこに嫌味など存在しない。でも、それをダリアに教えてやる義理はないわ。

皆で席について、紅茶がサーブされる。

ナタリア様だけは明らかに私の顔を立てて笑顔を作っているけれど、それも好都合だわ。

まず真っ先に私が紅茶を口に含んだ。ダリアは見た目だけ穏やかそうに、剣呑さを隠し、黙って様子を伺っている。

本来ならば、招かれた令嬢達の誰かから先に飲んでくれた方がダリアには好都合だった事くらい知っているわよ。

私は飲み込み、ティーカップをソーサーに戻して微かに表情を曇らせてやった。

「あら……?この紅茶から何かおかしな風味がするわ……私の気のせいかしら……」

その場の空気が硬くなる。令嬢達は戸惑いながら、試すように紅茶を口に含んだ。

そして一様に同じ反応を示して来たわ。

「私も、何か……変わった風味を感じますわ」

ナタリア様が首を傾げると、他の二人も続いた。

「失礼を申し上げますが……塩味とも生臭さともつかぬ風味が混ざっているような……」

「恐れながら、私も同様に感じますの」

ダリアが動揺を隠せない表情を見せる。そこでベリタが気づいて教えたようね。一瞬だけ、憎悪に満ちた目で私を睨んだ。私はお構いなしよ。

「皆様、ダリアが間違った茶葉を気づかず選んでしまったようですわ。私が代わってお詫び致します」

「まあ、ガネーシャ様!頭を上げて下さいませ」

「でも、皆様には申し訳ないわ。──この紅茶は下げて、キーマンのミルクティーをご用意させて下さるかしら?甘い茶葉の香りが、口直しにはぴったりだと思いますのよ」

「はい、それは素敵ですわね」

「あの、私とした事が……その、皆様には申し訳ございません……」

思惑通りにいかなかったダリアは周りへのフォローも根回しも考えが及ばないありさまよ。いい気味だこと。

これでダリアについて流れる最初の噂は、初めてもてなす大事な客人に対して、満足にお茶も出せない無能な令嬢と決まったわね。

私はダリアの肩にそっと手を置いて微笑んだ。

「──ダリア、落ち込まないでね。あなたが頑張った事は私が良く知っているわ」

「ガネーシャお姉様……ありがとうございます」

「良いキーマンの茶葉があるのよ、私のお気に入りなの。ダリア、あなたにも味わって欲しいわ。気持ちが落ち着くわよ」

感情のこもっていないダリアの声は、それだけ申し訳なく思っていると周りには取られたらしい。そのやり取りを見たナタリア様が気を取り直して、私に笑顔を向けた。

「まあ、ガネーシャ様の思いやり深さは素晴らしいですわ。ダリア様を大切に思われておいでですのね」

そこで私は、ダリアへ見せつけるように、格別の笑みを浮かべてやった。

「はい。ダリアは可愛い妹ですのよ。皆様、甘やかしてしまう私をお許し下さるかしら……」

令嬢達は口を揃えて、「もちろんです、ガネーシャ様のお優しいこと」「懐の深く素敵な姉君をお持ちのダリア様が羨ましい程ですわ」と私を称賛してくれたわ。

本来ならば、私が失態を犯して、事態を上手く収拾するダリアが称賛を受けていた場よ。

ダリアにも前世の記憶というものがあったなら、さぞや口惜しさも倍増した事でしょう。

その後、ダリアといえば空気のように存在感が薄れてしまって、令嬢達は私との会話を楽しんでいた。その中でも、私はダリアを気遣う姉を装う事は忘れない。

結果として、令嬢達は私を心優しい令嬢として再認識し、満足そうに帰路へついた。

ダリアは必死に愛想笑いをしていたけれど、目が笑っていないのは誰から見ても明らかだったわ。敏い令嬢達が気づかない訳がないのよ。

「ガネーシャ、これでダリアの出鼻をくじけたよ。この調子で立ち回ろう」

令嬢達を見送って、ベリテから声をかけられた私は、朝とは打って変わった晴れやかな気持ちで答えた。

──ええ。ありがとう、ベリテ。それにしても怠いような眠いような、体が何だか重いわ。

「生命力を使ったからね。晩餐の時間まで、少しベッドで休むといい」

──そうするわね。メリナかミーナに起こしてもらうわ。

晩餐の席には居なくては。ダリアが何の出たらめを言うか分かったものではないから。私は同席しているだけで十分な牽制になるはずよ。

そうして短い眠りに就いて、私は不思議な世界の夢を見た。

太陽もないのに真昼のように明るくて、それでいて優しい明るさの白い世界だった。

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    悪魔と契約出来たダリアは、さっそく動き出した。晩餐の席で、「私も友人と呼べる方が欲しくて」と、お茶会を開かせて欲しがったのだ。お父様も、内心ではダリアの去就に思うところがあったようで、「ガネーシャ、お前が一緒になって開催してやりなさい」と言ってきた。私が招待でもしてやらなければ、ダリアに人脈などないからお茶会は開けない。内心では面倒な事を言い出したものだと、ダリアやお父様に舌打ちしたい思いだったけれど、今生では完璧な令嬢を演じなければならないわ。「はい、お父様。ダリアにも親しみやすい方々を招待させて頂きますわ。友人が出来れば、ダリアも社交界に出やすいでしょう」従順に頷いた後、お父様が撫でる顎髭を憎たらしく思いながら、ダリアが同席するお茶会の招待にでも応えてくれる令嬢を考えた。何しろ公爵家に卑しい出自の兄妹が家族として迎え入れられた事は知れ渡っている。本来ならばダリアはそれを逆手に取って哀れに見せて味方を増やすのだけど、そうはさせない。私を好意的に見ていて、同情してくれている令嬢達を念入りに選んで、私は三人の令嬢達へ招待状を送ったわ。それを知ってか知らでか、ダリアは「失敗してガネーシャお姉様にご迷惑をおかけする訳にはいかないもの」と、勇んで茶葉や茶菓子に茶器まで、自ら進んで下女へ指示を出していた。そうして迎えてしまった、お茶会当日。私は何としてもダリアの目論見の通りにはさせまいと思案していた。「メリナ、今日のお化粧は薄くチークを使ってちょうだい」「かしこまりました、ガネーシャお嬢様。昨夜は良くお眠りになれなかったのでございますか?顔色が優れませんわ」「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」気鬱さも感じながら身だしなみを整えていると、仕上げの段階でダリアが私の部屋を訪れた。「ガネーシャお姉様、失礼致します。お出迎えの場までご一緒なさいませんか?」「──ええ、もちろんよ」途中でダリアが何かを企んでも、見落とさないように。けれど、一足遅かった。「ガネーシャ、お茶会のティーポットにダリアが血を一滴仕込んでる」ベリテから耳打ちされて私は焦った。「お嬢様、ご令嬢の皆様の馬車は既に到着して来ておりますので、お急ぎ下さいますように」そこで部屋に来た執事に告げられて窮地に立たされた思いがした。ここで私が離れてティーポットのある所に行くのは無理よ。

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    いわゆる、お見合いとも呼べる顔合わせの日。お父様と同乗していた馬車を降りて案内の者に従って歩き、お父様と謁見の間に待機していると、国王夫妻と立太子されたばかりのウィリード王太子殿下が厳かに入室して各々の席についた。私は最上級の礼儀でお辞儀をして、玉座から声をかけられるのを、かしこまって待つ。国王陛下は想像していたよりも親しみをこめて語りかけて下さった。「そなたは商いで得た収益で孤児院に多額の寄付を行なっていると聞くが、その若さで大した才覚だ。今後の展開はどう考えておるか?」「恐縮でございます。幸いにも販路は順調に広まっておりますので……今後は貧民街の救済院へ寄付をし、就業支援に着手しようと考えております」「慈善事業も、そこまでゆくと国政で対応するような領域だな。民を案じる心根は美しいと見るぞ」「誠にありがたいお言葉と存じます、国王陛下」すると、王太子殿下が苦々しい口調で水を差したわ。「慈善事業を理由としても、貴族の令嬢が商いで稼ぐ事を考えるなど、少々品位に欠けると思われるが。しかもまだ齢十四にすぎない少女の考える事となると、早熟に過ぎる」なるほど……と私は思った。前世ではダリアが殿下を誑かしていたけれど、そうなる素養が殿下にはあるのだわ。どうやら私は、ダリア抜きにしても殿下から好意的には見られないようね。そこに落胆と諦念、そして達観を交えて無難な言葉を探していると、国王陛下が先に殿下へ問いを投げかけた。「そのように言うお前は、王家の者として民の為に力を尽くした事があるのか?」もっともな言い分だわ。けれど、王太子殿下はつまらなさそうに言い捨てた。「今はまだ力及ばずとも、いずれ王位を継げば私は国を治める為に尽力致します。それで十分でしょう」王妃陛下が扇子で溜め息を隠すのが見えて、私は国王夫妻の苦労を垣間見た気持ちになったわ。仮にも立太子された身なのだから、王太子として国を案じなさいよ。まあ、実際に貧しい国民へ施している私を、身分や性別と年齢にそぐわないと言って蔑む時点でお察しだけれど。「ウィリード、お前はまだ青い。しかし王太子となったからには、王子だった頃のように城を抜け出し、平民を装って市街を見て歩く事は許されなくなる事は覚えておくように」国王陛下が苦虫を噛み潰したような面持ちで告げると、王太子殿下はあからさまな不満顔になった

  • 闇より冥い聖女は復讐の言祝ぎを捧ぐ   第12話

    ──気を揉んでいるうちにも季節は移ろい、夏を迎えようとしていた。私が考えた洗髪粉と石鹸は貴族の間で定着し、廉価版が庶民にも広まりつつある。おかげで慈善事業も順調だ。私の名声は称賛をもって広まっていた。その間にも、ダリアは何とかして私に害をなそうとしていたものの、ベリテの力と私が持つ前世の記憶で防げていた。ダリアにはマストレットの他にまだ味方がいないから、出来る事は悪戯じみた悪さだけだ。前世を憶えている私を超える程の知識も経験も持たないダリアでは、太刀打ち出来ない。失敗する度に癇癪を起こすダリアはお父様にとっても頭痛の種ではあったものの、私のお母様を差し置いて愛した、愛人の子が残した娘だ。邪険には扱えないようだった。マストレットといえば、使用人にも卑屈な態度をとっていたが、お父様には誰に対しても謙虚で気遣いある接し方をする息子と捉えられていたらしい。あばたもえくぼとは、この事だ。そうして、ある日の朝餐で、ついに恐るべき時が来た。「マストレット、朝食を終えたら私の執務室に来なさい」「はい、父上。分かりました」二人のやり取りを見たベリテが難しい面持ちで私に告げた。「ガネーシャ、父親はどうやら書庫の鍵をマストレットに渡すつもりらしい」──鍵を?ついにこの時が来てしまったの?出来るだけ先延ばしにしようと頑張ってきていたのに。「マストレットはダリアに自慢するよ。何しろ公爵家の子息として認められたって事を意味するからね」──そんな事をしたらダリアが黙っていないわ。「だろうね。羨むだけじゃ済まない」ダリアも禁書のある書庫に入りたがるはずよ。公爵家の一員として、堂々と。これまでダリアは知り合いも作れずに引きこもっていたけれど、おとなしくしていてくれる訳がないわ。果たして、私が危惧する事は現実となった。その日の晩餐、ダリアが口を開いた。「お父様、マストレットお兄様が書庫の鍵を頂いたと聞きましたわ。ガネーシャお姉様もお持ちですし、私だけ頂けていないのは家族として認められていないようで悲しいです」「ダリア、お前にはまだ難しい書物や扱いの難しい物が多いんだ。理解しなさい」お父様はたしなめたけれど、ダリアは黙らなかった。「ですが、鍵のいらない書庫にさえ私はガネーシャお姉様に同伴して頂かなくては入れないままなのですもの……」ダリアがカトラリーを置

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