LOGINその話を振られ、琉里の顔は屈辱と怒りで朱に染まった。「お祖父様だって聞いたでしょう!?あの宝生会長、『源蔵とは兄弟のような仲だ』なんて口では調子のいいことを言っておきながら、あんな手の込んだ芝居で私たちを騙したのよ!どの土地にも少しずつ入札して、誰にも怪しまれないようにカモフラージュするなんて……あのジジイ、本当に食えないわ!」「馬鹿め」源蔵は呆れたように窓の外へ視線を向け、低く、しかし凄みのある声で言った。「あの古狸が、本気でお前を孫娘のように可愛がっているとでも思っていたのか?私たちはビジネスの世界で生きているのだ。利益が絡む話で、他人の甘い言葉を軽々しく信じるな。……私がこれまで口酸っぱく言い聞かせてきた教えを、すっかり忘れおって」冷酷なまでに的確な祖父の言葉に、琉里はグッと唇を噛み締めた。反論の余地はない。今回ばかりは完全に自分の隙を突かれたのだと、認めざるを得なかった。源蔵はデスクに置かれた企画書を一瞥すると、氷のように冷たい声で言い放った。「こんなものはやり直しだ」「……お祖父様」「半月島は、確かに新しい開発ルートからは外れた。だが、あそこの景観自体は悪くない。現在、南鳥市は観光業に多額の助成金を出して後押ししている。やり方次第では、松霧島のリゾート開発と十分に渡り合えるはずだ」琉里は膝の上でギリッと拳を握り締めた。祖父の言う通りだ。半月島は自分にとって消えない汚点となった。この地に塗られた泥を拭い去り、再び音羽の次期総帥としての威厳を取り戻すには、このプロジェクトを何としてでも成功させるしかないのだ。「かしこまりました。すぐに練り直します」一礼して退室しようとした背中に、再び鋭い声が飛んだ。「灼也くんとの仲はどうなっている」灼也。その名前を出され、琉里の顔色が一気に曇った。最近の彼は、憎き水琴とは距離を置いているようだが、同時に自分のことも巧妙に避けている。あの大槻家の邸宅での事件以来、目に見えない敵意を向けられているような気がしてならない。自分が裏で糸を引いていたことは、絶対にバレていないはずなのに。「あの……彼とは……」言葉を濁す孫娘に、源蔵は苛立たしげに鼻を鳴らした。「これ以上時間をかけるな。南鳥市における高遠家の権力は絶大だ。もし
どうして急に、そんな非科学的な言葉が出てくるのかと水琴は首を傾げた。世間の多くの人は、記憶の不一致や混乱を「パラレルワールドからの干渉」などとロマンチックに解釈したがる。しかし、心理学の観点から見れば、それは単なる自己への疑いや自己暗示から生じるバグに過ぎない。「ええ、その通りです。ただ、例外もあります」一慧の声が、ふっと一段低くなった。「例外……ですか?」「例えば、過去に極めて重大な精神的トラウマを受けた場合。あるいは――」一慧は少しだけ間を置き、告げた。「人為的な催眠をかけられた場合です」水琴は深く考え込んだ。自分の記憶を遡っても、三年前のあの一時期に、何か強烈なトラウマになるような出来事があったとは思えない。だが――誰かに催眠をかけられたかと言われれば、絶対にないとは断言できなかった。「現実世界におけるパラレルワールドを想像するのは難しいでしょうが、それを『脳内のパラレルワールド』と置き換えてみてください」電話越しに、一慧が淡々とした口調で説明を続ける。「時間の分岐ごとに無数の世界線が存在すると仮定します。強いショックや刺激を受けた時、あなたの脳内でその無数の分岐が絡み合い、バグを起こすことがある。これが記憶の錯乱です」少し間を置いて、彼はさらに核心を突いた。「もちろん、外的刺激がなくても記憶が抜け落ちるケースはあります。『潜在意識による自発的な忘却』です」潜在意識による自発的な忘却……水琴はその意味を痛いほど理解していた。ショックで記憶を失うよりも、はるかに恐ろしいこと。それはつまり、「自分自身で脳を騙し、なかったことにする」という防衛本能だ。だが、一番しっくりくるはずのその仮説が、水琴自身には全く当てはまらない気がしてならなかった。三年前の私に、紗音ちゃんや灼也との記憶を「自ら消し去りたくなるような理由」なんて、一つも見当たらないのだから。「御堂院先生。紗音ちゃんの病状は最近落ち着いていて、傍目には何の問題もないように見えます。でも……私、どうしても嫌な胸騒ぎが消えないんです」まるで、嵐の前の静けさのような。心の病というものは、冬眠のように息を潜めている時ほど恐ろしい。一度何かのスイッチが入って暴走すれば、手がつけられなくなる。水琴の懸念を察した一慧は、
紗音はぱぁっと顔を輝かせ、感謝のまなざしを向けた。「琉里お姉ちゃん!本当にいいの?」「ええ、もちろんよ」「ねえねえ、じゃあ後で少しだけ外に出てもいい?すぐに戻ってくるって約束するから!ここ数日ずっとお祖父様に閉じ込められてて、もう息が詰まりそうで死んじゃいそうなの!」両手を合わせて懇願する紗音に、琉里は仕方ないといった様子で優しく頷いた。「分かったわ。でも、必ず早めに戻ってくるのよ?」「うん!ありがとう、琉里お姉ちゃん!」それから三十分後。紗音は、A大学の心理相談室の前に立っていた。幸いなことに、今の時間帯に予約の患者は入っていないようだ。ドアを開けるなり、彼女は水琴の胸へと真っ直ぐに飛び込んだ。「水琴お姉ちゃーん!ずっと会えなくて、すっごく寂しかったよぉ!お姉ちゃんもわたしのこと会いたかった?」「紗音ちゃん……もちろん、私も会いたかったわ。でも、あなたからの連絡がずっと途絶えていたから」水琴は愛おしそうに彼女の背中を撫でた。「お祖父様がね、わたしをずっと家に軟禁してたの。だから連絡もできなくて……」唇を尖らせて不満をこぼす紗音を促し、水琴はソファに座らせた。「最近の調子はどう?怖い夢は見なかった?」専門家としての優しい目で問いかけると、紗音はフルフルと首を横に振った。「ううん、悪夢は見てないよ。でもね……最近、ちょっと不思議な夢をよく見るの」「不思議な夢?」「あのね……水琴お姉ちゃんと一緒に遊園地に行ったりするの。それから……私、お姉ちゃんと兄様が……」そこまで言って、紗音は急に恥ずかしそうに頬を赤らめた。「私と灼也が、どうしたの?」水琴が不思議そうに首を傾げると、紗音はくるりと背中を向け、もじもじしながら小さな声で答えた。「その……お姉ちゃんと兄様が、チュッてしてるところ……」「えっ……!?」予想だにしない言葉に、水琴の顔も一気にカッと熱くなった。まさかそんなストレートに言われるとは思っていなかったのだ。しかし、照れくささを必死に抑え込みながら、水琴の脳内では凄まじいスピードで思考が回転し始めていた。この夢……やっぱり何か意味がある。先日、灼也に催眠をかけた際、彼の深層心理が描いていたのは「私とのデート」だった。そして今、紗音ちゃんの夢の中では
焦りから、声のトーンが次第に高くなっていく。だが、どんなに言葉を尽くして追い詰めても、灼也は固く口を閉ざしたままだった。シーツを握りしめる両手は震え、関節が真っ白になるほど力が込められている。「答えてよ……っ!」冷静なカウンセラーとしての仮面はとうに剥がれ落ちていた。水琴は半ば狂気を孕んだように耳元に顔を近づけ、同じ問いを何度も何度も浴びせかける。張り詰めた空気が限界に達しようとしたその瞬間――灼也がハッと息を呑み、勢いよく目を見開いた。「……ッ、何もない!!」充血した瞳が虚空を睨み、獣のような低い咆哮が部屋に響き渡った。荒い呼吸を繰り返す彼を見て、水琴はハッとして身を引き、強引に元の冷静さを取り戻した。決定的な答えこそ引き出せなかったものの、彼女の中にはすでに一つの確信が生まれていた。たぶん、私と彼は……ずっと前から知り合いだったんだわ。臣と結婚するよりも、もっとずっと前から。それなのに、どうして自分はその記憶だけを都合よく失っているのだろうか。「灼也」水琴は感情の読めない虚ろな瞳で彼を見つめ、静かに口を開いた。「私たち……昔から、知り合いだったの?」自分の無意識が重要な手がかりを漏らしてしまったことを悟ったのだろう。灼也は何も答えず、ただ無言で首を横に振った。「どうして……どうして答えてくれないの?」水琴の悲痛な問いかけにも、彼は重い沈黙を貫くばかりだ。これ以上問い詰めても無駄なんだわ。水琴は痛いほど理解していた。私が想像していることは、きっとすべて真実なのだ。彼はただ、私に知られたくないだけ。私が記憶を失っているという事実以外にも、もっと恐ろしい、到底受け入れられないような『何か』を彼が隠し持っていることは間違いない。それでも、引き下がるわけにはいかなかった。「ねえ、お願いだから教えて!私――」水琴がさらに追及しようと身を乗り出した瞬間。灼也は耐えきれないとばかりに弾かれたように立ち上がり、振り返ることなく、逃げるように部屋を飛び出していった。……高遠家の本邸。静寂に包まれた奥の座敷。紗音は最近、景正の厳命によってずっと屋敷に軟禁状態に置かれていた。縁側から差し込む暖かな陽だまりの中、景正と源蔵が碁盤を挟んでパチリ、パチリと静かに
水琴は微かに目を伏せた。ニュースで見た、琉里と親しげに寄り添う彼の姿が脳裏をちらついて胸が痛むのか、自分でももう分からなかった。「みーちゃん、俺は治ってなんかない。……君がまだ俺を許してくれていないのに、どうして治るはずがある?」自嘲気味に笑う灼也の言葉に、水琴は自分の指先を見つめながら、努めて平坦な声を出した。「それなら、今日はどんなご相談でしょうか。また失恋ですか?」灼也はソファの背もたれに深く体重を預け、目を閉じた。「ああ、失恋だ。俺の好きな人が、今は俺と口も利いてくれない。……俺は、どうすればいい?」甘えるような、けれど切実なその問いに、水琴は小さく瞬きをして強引に話題を変えた。「……土地の件は、ありがとう。琉里さんに怪しまれたり、責められたりはしなかった?」灼也はゆっくりと首を横に振る。「あの女は、仮に腹を立てていたとしても絶対に表には出さない」空港で再会したばかりの頃は、まだ互いを探り合う余裕もあった。だが今は違う。向かい合ってビジネスの会話をしていても、常に一枚の見えない壁が隔てているような薄気味悪さがある。何より、あの女の顔を見るたびに、灼也の脳裏には水琴が受けた数々の凄惨な仕打ちがフラッシュバックして吐き気がするのだ。最近、灼也は毎晩のように酷い悪夢にうなされていた。廃工場のような薄暗い場所で、水琴が血だまりの中に倒れている。必死に駆け寄って抱きしめようとするのに、冷たく分厚い壁に遮られて触れることすらできない。耳をつんざくような、絶望に満ちた悲痛な叫び声。背筋が凍るようなその泣き叫ぶ声が、いつまでも脳裏にこびりついて離れないのだ。「高遠さん。それでは、治療を始めましょう」水琴はかすかに微笑み、デスクの裏から歩み出た。灼也のそばに立つと、彼がよりリラックスできるようにリクライニングチェアの背もたれを倒す。そして屈み込み、耳元でひときわ甘く、穏やかな声で囁き始めた。「力を抜いて、何も考えないで……ゆっくりと、全身の緊張を解いていきます。頭の中をからっぽにして……だんだんと、眠くなってきますよ。まるで、長い距離を走り終えた直後のように、心地よい疲労感と深い眠気が……」水琴の静かな声に誘導され、灼也はゆっくりと長いまつ毛を伏せた。全身からすっかり力が抜け、
今すぐあいつらを破滅させてやりたい。だが、今の彼女は完全に自由を奪われている。どこへ行こうと常に看護師たちの監視の目が光っており、息をすることすら窮屈で恐ろしい毎日だ。ふと、またあの言葉が脳裏にフラッシュバックした。忘れようとすればするほど、呪いのように耳の奥で反響し、脳髄を掻き回す。「――少しはこの家のために貢献してちょうだい」「――紗夜さんのお腹には、臣の子がいるの。鷹司家にとって、たった一つの希望なのよ」......家、家、家!跡取り、跡取り!雅は手元のプラスチックの箸を、折れんばかりの力で握りしめた。面会室で母親と完全に決裂したあの日から、佳乃は一度もこの病院に足を運んでいない。臣だって同じだ。きっとあの母親は、とうの昔に自分という娘の存在を頭から消し去ってしまったのだろう。兄はもう、あの頃の優しい兄じゃない。母はもう、私を愛してくれた母じゃない。「……ふふっ」乾いた笑いが、雅の唇からこぼれ落ちた。どれだけあの二人が私を切り捨てて、あの偽善者の腹ボテ女を守ろうと必死に足掻いたところで、全部無駄なのだ。だって、水琴はすでにすべての決定的な証拠を握り、警察に提出しているのだから。紗夜の手首に冷たい手錠がかけられ、この地獄へと引きずり降ろされる日は――もう、すぐそこまで来ている。……オークションが終わり、大きな嵐が過ぎ去ってから数日が経った。予想に反して、水琴の周囲は奇妙なほどの静けさを保っていた。おかしいわね……オークションで琉里をあれだけ見事にコケにしたのだ。プライドの高い彼女のことだから、なりふり構わず狂ったように報復してくるだろうと警戒していたのに、音羽側からは何の動きもない。その静けさの理由を、水琴はすぐに知ることになる。「――本日、音羽グループの音羽琉里氏と高遠家の御曹司・高遠灼也氏が、半月島の視察に同行しました。両家は今後、共同で大規模なリゾート開発を推し進める見通しで……」パソコンの画面から流れるニュース映像には、無数のフラッシュを浴びながらメディアに囲まれる灼也と琉里の姿が映し出されていた。画面の中の琉里は、この上なく幸せそうな、とろけるような笑みを浮かべている。彼女はこれ見よがしに灼也の腕に身を寄せ、小鳥のように愛らしく寄り添っていた
臣が呆然としていると、温かい手がそっと彼の手を握った。隣に座る紗夜が、心配そうに顔を覗き込んでいる。「臣さん、どうしたの?胃の調子でも悪いのかしら。スープでもいただく?」臣は力なく首を横に振った。水琴は宗一郎に笑顔で応えると、臣と紗夜のやり取りなどまるで存在しないかのように、静かに椅子を引いて腰を下ろした。その傍らで宗一郎が、見せつけるような二人の親密さに、侮蔑を込めてフンと鼻を鳴らした。鷹司家の食卓は、食事中の私語を許さない厳格な家風がある。水琴に食欲などあるはずもなく、ただ宗一郎の手前、仕方なく箸をつけただけだった。やがて食事が終わると、宗一郎が水琴を引き留めた。「臣と
書斎の外から漏れ聞こえてくる会話に、水琴は静かに目を伏せた。鷹司家に嫁いでからの日々が、脳裏をよぎる。姑である佳乃にも、義妹である雅にも、自分なりに心を尽くしてきたつもりだった。雅が事故に遭い手術を受けた時、何日も病院に泊まり込み、甲斐甲斐しく付き添ったのも自分だ。佳乃に対しては、常に敬意を払い、その言葉には注意深く耳を傾けてきた。けれど、どれだけ尽くしても、あの人たちの心を変えることはできなかったのだ。すべては、無意味だった。ふと、スマートフォンの着信が静寂を破る。小林鹿耶(こばやし かや)からだった。電話口から聞こえてくるのは、少し気だるげな親友の声。「ミコト、本当
水琴は足を止め、その差し出された手を見つめた。表情は凪いだまま、応じようとはしない。差し出された紗夜の手が、宙で居場所をなくし、彼女の顔から完璧な笑みがわずかに強張る。隣で、臣が割って入るように口を開いた。その声は低く、感情が読めない。「祖父が、俺たちのことを知った。今夜、話があるから屋敷に来いと。お前の携帯が繋がらなかったから、直接迎えに来た」「わかったわ」水琴は自分のスマートフォンに目を落とす。確かに、バッテリーが切れていた。「充電したら、すぐに向かいます」彼女はそう頷くと、付け加えた。「先に行っていて」その言葉は、あなたたちと行動を共にするつもりはない、という明確な拒絶だ
そして、呆然と立ち尽くす雅を視界の端に留めながら、スーツケースのハンドルを握りしめると、一度も振り返ることなく、その家を後にした。鷹司家の重々しい門を抜けると、一台の真っ赤なオープンカーが目に飛び込んできた。運転席から、親友の鹿耶が身を乗り出し、サングラスを額に押し上げながら、芝居がかった投げキスをよこす。「お姫様、ご乗車を。鹿耶様が、最高の祝賀会に連れてってあげる」祝賀会とは言ったものの、離婚したばかりの水琴の心情を慮ってか、鹿耶が連れて行ってくれたのは、落ち着いたジャズが流れる隠れ家のようなミュージックバーだった。離婚の経緯を話すと、鹿耶は呆れ返ったようにグラスを置いた。「また







