تسجيل الدخول夫の斉藤渉(さいとう わたる)が、妊娠した若いモデルの坂本胡桃(さかもと くるみ)を堂々と家に連れてきた。そして、彼女の療養のために寝室を明け渡すように言ってきた。 でも私は、これまでみたいに物を壊したり、ご飯を食べなくなったりはしなかった。 むしろおとなしく部屋を譲って、胡桃のために手料理まで作ってあげた。体にいい栄養満点のスープを。 それから私は、香市のセレブの間で笑いものになった。 渉に取り入ろうとする女たちは、みんな私のことを「ちょろい」と思ったみたい。渉の子供さえできれば、簡単に私を追い出せる、って。 渉の遊び仲間たちは、さらに私のことを馬鹿にした。「斉藤家っていう金の鳥かごから離れられない、かわいそうな女だ」って、笑いながら話していたらしい。 やがて、胡桃のお腹も目立ってきた頃。渉は、ベビー服にアイロンをかける私を、得意げな顔で見ていた。 「玲奈(れな)、外の女なんて、しょせんは遊びなんだよ。 お前がおとなしくさえしていれば、俺が外で何人女を作ろうと関係ない。俺の妻は、永遠にお前だけだから安心しろ」 誰もが、私が渉のお金目当てだから、こんなみじめな真似をしているんだと思っていた。 でも、本当の理由は私にしか分からなかった。 私は斉藤家と、ある婚前契約を結んでいたのだ。 【夫側に有責行為がある場合、その行為如何にかかわらず、妻が結婚生活を5年間続けた時点で、斉藤グループの株の10%を受け取ることができる】 そして今、その5年が経った。 渉の資産は何千億円。その半分が、これからは私のものになるのだ。
عرض المزيد連れていかれる渉の目は、うつろで絶望しきっていた。「玲奈、もしあの時、俺が香市に戻らずに江川市で普通に暮らしていたら、結末は違っていたかな?」私は彼を見つめて、冷たく言った。「『もしも』なんて、ないのよ」渉は力なく笑うと、警察にパトカーへ押し込まれていった。裁判は、あっという間に終わった。証拠は十分で、渉に無期懲役が言い渡された。香市での用事をすべて片付けた後、私は江川市の実家に戻った。そこは、両親が残してくれた、たったひとつの思い出の場所だったから。庭のカイドウの木は、すっかり枯れていた。渉と私の恋、そのものだった。私は人を呼んで枯れ木を掘り起こしてもらい、代わりに新しい苗木を植えた。今回はカイドウじゃない。楠にした。大きな楠には神が宿ると信じられているから。私も、新しい人生を始めようと思った。真夜中にふと、今でも夢を見る。雪の中を走っていた、あの少年の夢を。夢の中の彼は私に笑いかけ、あつあつの栗が入った袋を手渡してくれる。「玲奈、熱いうちに食べな」目が覚めると、いつも枕が濡れている。でも、それがただの夢だってことは、わかっている。現実の渉は、鉄格子の中で、長くて苦しい余生を送っている。刑務所での彼の暮らしは、かなり悲惨なものらしい。足が不自由だから、いつも他の囚人にいじめられているそうだ。それに、渉は多くの人を敵に回しすぎた。渉の兄一家は、わざわざ人を使って彼を「お世話」しているらしい。面会の日が来ても、誰も渉に会いに来ないそうだ。彼はいつもたった一人で、窓から見える四角い空をぼんやりと眺めているという。看守の話では、渉はもうおかしくなってしまったそうだ。一日中、誰もいない空間に向かって、あるときは「玲奈」、またあるときは「母さん」と、叫んでいるらしい。時には、彼が床に額を押しつけたまま動かずにいるそうだ。渉が心の底から後悔していることは、わかっている。でも、それが何になるっていうの?一度与えられた傷は、永遠に癒えることはないのだから。私は、絶対に許さない。
渉が江川市に預けられたばかりの頃、内田家はまだ小さくて、ごく普通の家庭だった。初めて会った渉は、人形みたいに肌が白くて。あの目にはまだ、怯えと警戒心しかなかった。なんだか可哀想になって、私は渉の頭をそっと撫でた。「怖がらなくていいよ。今日からここが、あなたの家だからね」渉の体がびくって震えた。でも、避けようとはしなかった。しばらくして、彼はポケットから見たこともないチョコを一つ取り出して、私の手のひらに乗せてくれた。それから、渉は香市と江川市を行き来するようになった。江川市に戻ってくるたびに、いつもあのチョコをお土産にくれたんだ。その頃にはうちの会社も大きくなって、あのチョコが有名なものだって知った。もっと美味しいチョコも、たくさん食べたことがあった。でも、私にとって特別だったのは、渉がくれるチョコだけだった。もらったチョコの箱が空になる頃、渉の母親が亡くなったという知らせが届いた。渉は急いで香市に帰って、それから数ヶ月も連絡がなかった。やっと戻ってきた彼の目から、昔のおどおどした様子は消えていた。代わりに、暗い影と野心が宿っていた。でも、渉がポケットから取り出したのは、いつもの金色の包みのチョコだった。その瞬間、渉は何も変わってないんだって、そう思った。そして、ちょうどその日。彼は片膝をついて、私にプロポーズしてくれた。「玲奈、一緒に香市へ行こう。必ずお前を幸せにするから」「玲奈?」渉の声で、はっと我に返った。私がチョコをぼーっと見ていたから、許してくれたとでも思ったんだろう。彼は慌てて包み紙をむくと、期待に満ちた目でチョコを私の口元に差し出した。「これ、何軒もお店を探し回って、やっと見つけたんだよ」私はそのチョコと、目の前で必死に機嫌を取ろうとしている男の顔を、交互に見つめた。かつての人形のように純粋だった少年。そして、利益のためなら何でもする今の男。二人の姿が、頭の中でぷつりと切り離された。私は、渉の手を強く振り払った。チョコは床に転がり、ほこりにまみれた。渉の手が、行き場をなくして宙で止まる。その瞳から、光がすうっと消えていく。「お前が、一番好きだったやつだろ……」彼の顔を見ていると、目の奥が熱くなる。でも、声は氷のように冷たかった。「昔は、このチョコが宝物み
江川市に戻って、私はまず刑務所へ向かった。5年前の交通事故を起こした運転手は、まじめな態度が認められて、もうすぐ減刑されることになっていた。面会室に入ると、男は私に気づいて視線をそらし、まともに顔を上げようとしなかった。「話すべきことはすべて話ました。あれは本当に事故だったんです。ブレーキが、きかなくて……」「事故?」私は冷たく笑って、解析途中のハードディスクをテーブルに置いた。「この中のメールによると、事故の1週間前、あなたの口座に2000万円が振り込まれているわ。振り込んだのは海外の口座だけど、IPアドレスは香市だった」男の顔色が一瞬で変わった。「それに、息子さんのことも調べさせてもらったわ。白血病だったのに、5年前に突然まとまった資金が入って、骨髄移植を受けたそうね。おかげで今は海外でいい暮らしをしてるみたい」私は彼の目をまっすぐ見つめ、言葉を区切るように言った。「ねぇ、この証拠を警察に渡したら……息子さんは、今までみたいにのんびり暮らしていけると思う?」男の心は、完全に折れた。彼は頭を抱えて、苦しそうにうめき声をあげた。「話します!全部話します!指示したのは斉藤社長です!彼に頼まれたんです!」予想はしてたけど、実際にその名前を聞くと、心臓が張り裂けそうだった。「あの頃、斉藤社長は事業資金に困っていました。でも、あなたのお父さんは彼の野心を見抜いて、出資を断ったんです。それで斉藤社長は……俺に事故を偽装するようにと……ご両親がいなくなればあなたが遺産を相続するから、そうすればきっと、彼を助けるためになんでもするはずです……」指の爪が手のひらに食い込んで血がにじんだけど、痛みはまったく感じなかった。内田家のお金と自分の野望のために、渉は恩のある私の両親を殺した。それだけじゃない。私の愛情を利用して、両親を殺した犯人に私自身の手でお金を渡させたんだ。刑務所から出ると、外はどしゃ降りの雨だった。私は雨の中に立ちつくして、とうとう声をあげて泣きじゃくった。その頃、香市での渉の生活は、さんざんなものだった。斉藤グループでの実権を失い、私に財産の半分を奪われた彼は、天国から地獄へ突き落とされた。あれだけ渉のご機嫌をとっていた人たちも、今ではクモの子を散らすように姿を消した。渉の兄一
胡桃の顔から笑みが消えた。「な……なにを言ってるの?そんなはずない!渉さんは?渉さんに電話しなきゃ!」「どうぞ、電話して。ついでに今夜どこに泊まるのかも聞いたら?今のあの人、ホテル代だって怪しいんだから」胡桃は震える手で、渉に電話をかけた。電話の向こうから、渉の荒んで苛立った声が聞こえた。「うるさい!ほっとけ!みんな消えろ!」胡桃は顔面蒼白になった。私は立ち上がり、彼女の目の前まで歩み寄った。「坂本さん、玉の輿の夢が破れた気分はどう?あなたが私を踏み台にしてここに来たように、今度はそのまま這って出ていってもらうわ」胡桃がボディガードに連れて行かれたけど、私の心は少しも晴れなかった。ただ、深い疲れを感じるだけだった。思い出がたくさん詰まったこの家を見渡しても、今はがらんとして空っぽに感じる。ここにはもう、私が未練に思うものはなにもない。私はスマホを取って、登録してある番号に久しぶりに電話をかけた。「もしもし、おじさん。私、玲奈です。江川市に戻ろうと思います。それと……5年前のあの交通事故を起こした運転手を調べてください。その人に会わなきゃいけません」香市を離れる日、空は不思議なくらい晴れ渡っていた。空港で、渉が私を待ち伏せしていた。彼は無精髭だらけで、目の下には黒いクマができていた。シャツはしわくちゃで、かつての自信に満ちた姿はもうどこにもなかった。「玲奈!行かないでくれ!」渉は私のスーツケースを必死に掴んだ。その姿は、地面にひれ伏すように惨めだった。「俺は本当に間違ってた!胡桃は追い出したし、お腹の子も堕ろさせた!俺にはもう何もないんだ、お前しかいない!」私は冷たく彼を見つめ、力ずくでその指を一本ずつ引き剥がした。「渉、みっともない真似はやめて。私たちはもう離婚したんだから」「いやだ!認めない!」渉は目を真っ赤にして叫んだ。「あの離婚協議書は、お前が無理やりサインさせたんだろう!俺はカッとなってただけなんだ!玲奈、俺たちの長年の気持ちを、たった一度の間違いで全部なかったことにするのか?」「一度の間違い?」私は呆れて笑いながら、カバンから写真の束を取り出して彼の顔に叩きつけた。写真がひらひらと床に舞い落ちた。どの写真にも、渉が違う女とホテルやクラブに