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風が止んだ夜に
風が止んだ夜に
作者: ラクガキワンちゃん

第1話

作者: ラクガキワンちゃん
5歳の息子は、ただの風邪をひいていただけだった。それにもかかわらず、夫の義理の妹である小野寺舞(おのでら まい)に「治療」された末、命を落とした。

新橋碧(しんばし みどり)は、胸を引き裂かれるような悲しみを必死に押し殺し、自身が勤める監察医事務所のコネを頼り、息子の司法解剖が行われる過程を細かく記録した。

解剖結果が出たあと、夫・小野寺朗(おのでら あきら)は彼女に誓った。必ず犯人に報いを受けさせる、自分の手で息子の無念を晴らすのだと。

碧はその言葉を疑わず、集め得るすべての証拠を彼に託した。

しかし、裁判当日。

あろうことか、提出されるはずの証拠はすべて跡形もなく隠滅されていた。

最も信頼していたはずの夫は、敏腕弁護士を伴い、被告人席に堂々と腰を下ろしていた。そして、碧こそが舞を陥れたのだと、公然と糾弾した。

「裁判長、私の妻は、私と妹の関係に嫉妬し、職権を利用して解剖結果を歪めたのです。

息子はもともと先天性心疾患を抱えていました。持病の急変による死亡であり、私の妹とは一切関係ありません」

朗が偽造された診断書を差し出した瞬間、碧は全身の血が一気に凍りつくのを感じた。

彼女は震える声で叫ぶように問い詰めた。

「朗、正気なの。死んだのは……あんたの実の息子なのよ」

だが朗は少しも動揺を見せず、淡々と言葉を重ねた。

「妻は私の義妹を誹謗しただけでなく、公務員としての地位を利用して虚偽の鑑定報告を行いました。厳正な裁きを求めます」

法廷内は一瞬で騒然となった。

舞はその場で無罪判決が下り、逆に碧が虚偽有印公文書作成などの罪で懲役三ヶ月の実刑判決を言い渡された。

出所の日、朗は車で迎えに現れた。

背後で刑務所の鉄門が重々しく閉じる。碧は眩しい日差しの下、ただ立ち尽くしていた。

三ヶ月に及ぶ刑務所の生活は、碧を別人のようにやつれさせていた。

路肩に停めた車の窓を下ろし、朗は申し訳なさそうな表情を作って声をかけた。

「碧、乗りなよ」

碧は一歩も動かなかった。ただ、じっと彼を見据える。

「朗……私の目を見て答えて。どうして?」

朗は車を降り、彼女に近づいて頬に触れようとした。しかし碧は、その手を激しく振り払った。

「碧、すまない。辛い思いをさせた」

朗はため息をついた。その冷ややかなくらい落ち着いた声が、碧の心を凍てつかせる。

「舞はまだ若くて世間知らずなんだ。わざとやったわけじゃない。許してやってくれないか」

碧は血走った目で彼を見つめた。

「朗、あれは……あんたの実の息子なのよ。どうして、そんなに冷酷でいられるの」

この瞬間になっても、碧には信じられなかった。夫が、息子の死に加担するなど。

朗は一瞬言葉に詰まったが、すぐに言い直した。

「碧、息子を失ったことは俺だって辛い。でも……子供はまた授かることもできる。俺にとって義妹は一人しかいないんだ。彼女を失うわけにはいかない」

その言葉は、氷の楔となって碧の心臓を深く貫いた。

ふと、十年前の雨の夜が脳裏に蘇る。

十八歳だった舞が酔っ払いに絡まれていたとき、彼女を守ろうと飛び込んだのは、碧の父――元ベテラン刑事の新橋隆太郎(しんばし りゅうたろう)だった。

一方、朗は後ろに立ち尽くしていただけだった。父が舞を庇い、暴漢に右足を刺し貫かれるのを、ただ見ていただけだった。

父は片足の自由を失った。そのとき朗が口にしたのは、形ばかりの感謝の言葉だけ。

その後、退職した父が長年の貯金を朗の事業資金として貸し付けたとき、朗は父の前に土下座し、こう誓った。

「義妹を救い、資金まで貸してくださった恩は一生忘れません。碧を幸せにします。新橋さんの老後も、最期まで私が支えます」

その誓いの言葉は、今も碧の耳に焼きついている。だが今となっては、それは痛烈な皮肉でしかなかった。

目の前にいる、かけらほどの悔恨も見せない男を見て、碧は突然笑い出した。

最初はかすかな笑い声だった。それが次第に大きくなり、やがて嗚咽とともに涙が溢れ出す。

朗は眉をひそめた。碧がひどく情緒不安定になっていると思ったのだ。

「碧、どうしたんだ。約束してくれ。この件はここまでにしよう。もう一度、やり直そう。な?」

「ここまでにしよう、ですって」

碧はぴたりと笑みを消した。血走った目で朗を睨み据える。

「あの子はね、私が十月十日もお腹の中で育てて、産んだ子なの。難産で生死をさまよいながら産んだ子なのよ」

朗の表情が険しくなる。

「碧、俺を怒らせるな。三ヶ月の刑務所生活で、少しは現実を見たと思っていたがな」

闇に閉ざされた刑務所の日々が、鮮明に脳裏をよぎった。

同室の女たちに水槽へ顔を押し込まれ、窒息しかけたこと。看守から嫌がらせを受け、食事を抜かれたこと。高熱にうなされながら、冷たい床の隅で丸まり、耐えるしかなかった夜。

碧の体は、思わず小刻みに震えた。

それでも、無惨に死んでいった息子の姿を思い出すと、碧は一歩も引かなかった。

冷徹な氷のような眼差しで朗を一瞥すると、碧は静かに背を向け、歩き出した。

遺体安置所へ――息子・小野寺安晴(おのでら やすはる)の最期に向き合うために。

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