今になって改めて思った。輝明には、この神がかった顔面以外、いったい何があるっていうの?どうして自分は、こんなにも長い間、顔だけを理由に彼を好きでいられたんだろう。本当に、悔やんでも悔やみきれなかった。綿がそんな風にモヤモヤしていると……突然、エレベーターがガクンと揺れた。綿は顔を上げた。輝明も同じように顔を上げた。右上にある表示板がチカチカと点滅し始め、エレベーターは再び激しく揺れた。次の瞬間、照明がぱっと消えた。綿と輝明はほぼ同時に後退りし、壁に身体を押しつけた。輝明はすぐに階数ボタンを連打した。すべての階を押して点灯させたが、効果はなかった。それどころか、エレベーターは一気に落下を始めた!綿の心臓は一気に引き攣った。天井を突き破るような猛烈な浮遊感とともに、胸がきゅっと締め付けられた。四方は漆黒、手を伸ばしても何も見えなかった。綿は反射的にその場にしゃがみ込んだ。呼吸が急激に荒くなっていく。まるで、あのときの海の底に沈んでいく感覚……どれだけ泣いて叫んでも、誰にも助けてもらえなかったあの日に、引き戻されたようだった。綿が今にも窒息しそうになったその時……壁に当てていた手が、ふいに誰かの手に包み込まれた。続けて、スマホのライトが灯り、綿を照らした。眩しさに目を細めながらも、その手が輝明のものだとすぐに分かった。このエレベーターには、彼以外いない。「綿?」輝明は彼女の顔色が真っ青になっているのに気づき、すぐにしゃがみ込んだ。「大丈夫か?」彼は静かに、何度も呼びかけた。綿は必死に呼吸を整えようとしたが、心臓がバクバクして止まらなかった。彼女はなんとか目を開き、輝明を見つめ、小さな声で言った。「輝明……」「ここにいる」彼は力強く答えた。綿は輝明を見つめたまま、言葉を紡げなかった。必死に呼吸を整えようとするけれど、頭の中には、あの海に呑み込まれた時の光景ばかりがよみがえる。怖い。あの深い海に沈んでいく感覚は、自分がいかに無力かをこれでもかと突きつけてくる。輝明はそっと手を伸ばして彼女を抱き寄せようとした。だが、それより先に綿の方が飛び込んできた。彼の身体に、ぎゅっとしがみついた。「輝明……少しだけ、抱かせて……」綿の声はか
「飲まないの?」綿は、なかなか受け取ろうとしない彼に問いかけた。輝明はすぐに綿の手からボトルを握った。指先が触れ合うと、彼の手は驚くほど冷たかった。綿の手は温かかったのに。「そんなに冷たいの?」綿は不思議そうに聞いた。彼は首を振り、水を受け取ると、そのまま仰ぎ見るように飲み始めた。綿はじっと彼を見つめた。男らしい喉仏が上下に動き、白くきめ細かな肌に、くっきりとした顎のライン……頭上からの暖かい黄色い光が、彼の輪郭に淡い金色の縁取りを与えていて、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。「行こうか?」輝明が尋ねた。綿は頷き、彼に続いて歩き出した。ガラス窓のそばを通ると、まだ外には煙が立ち上っていた。向かいの通りでは消防車が待機していて、現場は整然とした様子で処理が進められていた。もう夜中の十二時を過ぎていた。綿はエレベーターの前で、スマホを取り出しニュースをチェックした。負傷者は治療を受けており、亡くなったのは厨房のスタッフだったという。エレベーターの扉が開いたとき、輝明が彼女を呼んだ。「綿」綿はぼんやりしていて、顔を上げた。「ん?」「エレベーター、来たよ」言われてようやく我に返り、綿はエレベーターに乗り込んだ。「疲れたか?」輝明が聞いた。綿は首を振った。「色々考えてた。だから、ぼーっとしてただけ」輝明は「うん」とだけ答え、エレベーターの「1階」ボタンを押した。「命って、本当に脆いね。次の瞬間、何が起こるかなんて誰にも分からない」綿はスマホの画面を閉じ、ぽつりと呟いた。「確かに」輝明が答えた。綿は彼をちらりと見上げた。……ほんと、会話が下手だな。「確かに」ばっかり。「それ以外の言葉、ないの?」彼女は尋ねた。輝明は綿を見つめた。少し考えてから、ぽつりと口にした。「……愛してる」「……」綿は言葉を失った。そんなの、別に今求めてないのに。輝明も心の中でぶつぶつ呟いた。……あれ?違った?「疲れたか?」また聞いた。綿は完全に呆れてしまった。……さっき聞いたじゃん。この鈍感男め。輝明も、自分でつまらないと気づいたらしい。少し間を置いて、言った。「面白い話、しようか」綿は彼を見
綿は彼が差し出してきた腕を睨みながら、からかうように言った。「腕、組むべき?」「いや、無理にとは……」輝明は咄嗟に腕を引っ込めようとした。綿はクスッと笑った。腕を取ることはせず、そのまま彼について会場へと戻った。秋年は年配の招待客たちを優先して送り出す手配をしていた。輝明もすぐにその作業に加わった。綿は、森下に連れられて出ていく自分の両親の姿を見つけた。残ることを軽く伝えると、両親は「気をつけてね」とだけ言って、森下に付いて行った。年次総会の参加者たちは、少しずつ外へと避難していった。綿はずっと下の様子を気にしていた。ニュースは継続的に報道を流していたが、どうやら状況はすでに落ち着いているらしかった。死者二名、負傷者十名という被害に留まり、さらなる犠牲者は出ていなかった。ただし、負傷者は次々と増えていた。ちょうど夕食時だったこともあり、そのレストランは非常に人気があり、多くの客で賑わっていたらしい。救急車がひっきりなしに往復し、周囲の道路もすぐに封鎖され、あとは近隣住民や商店の人たちだけがぽつぽつと残るばかりになった。災害対応については、さすがに雲城だと感心せざるを得なかった。どんなトラブルも、最短時間で封じ込めてしまう。綿はソファに腰を下ろした。顔を上げると、輝明が電話をしている姿が目に入った。今日、高杉グループの年次総会がここで開かれていることを知っている人が多く、「被害はなかったか」と次々に連絡が来ていた。輝明は一つひとつ、丁寧に対応していた。ゲストを見送るときも、今日の来場への感謝を述べ、「楽しみきれなかった分、また改めて食事会でも」とフォローしていた。改めて思うと、この男も本当に大変だった。業界最年少。それなのに、あの頂点に立っている。輝明が高杉グループを引き継いだのは、父が体調を崩して、急遽彼にバトンタッチせざるを得なくなったからだった。そのとき、彼はまだ大学を卒業しておらず、22歳の若さで代理社長に就任した。外では無数のライバルたちが高杉グループを虎視眈々と狙い、グループ内でも、彼に反発する勢力が渦巻いていた。年配の株主たちは彼を見下し、好き勝手に口を出そうとした。輝明は重圧に耐えながら、必死に道を切り開き、ここまで登り詰めた。あ
話している最中、外から突然「ドン!」という大きな爆発音が響いた。綿は反射的に下の階に目を向けたが、あまりにも人が小さく見えて、何が起こったのかを捉えるのに苦労した。視線をさらに下げていくと、少し離れたビルから突然、濃い炎が噴き上がった。次の瞬間、誰かが叫んだ。「うわっ、向かいのレストランが爆発したぞ!」綿は慌てて後ろを振り返った。え?爆発?「レストランでガス爆発が起きたんだ!俺の友達、中にいるんだ!」震える声で叫ぶスタッフの姿があった。綿は再び下を覗き込んだ。道路は車でぎっしりと詰まっていて、消防車や救急車がたどり着けるかどうかも分からなかった。……嘘でしょう。ここはあの雲城だ。消防検査なんて、少しでも問題があれば即座に営業停止になる厳しさだったのに。「ピロン——」突然、スマホが鳴った。綿が取り出すと、ニュース速報が届いていた。「横街のレストランで爆発発生、死者2名、負傷者10名とのこと!」綿は思わず感心した。さすがメディア、仕事が速い。すぐに、また別の速報が飛び込んできた。「横街周辺を走行中の車両は、消防車・救急車のために道を譲ってください。横街は間もなく封鎖されます。周辺に向かう予定の方は、迂回をお願いします」「近くが封鎖されるみたい。下手したら、ここから出られなくなるかも」背後から輝明の声が聞こえた。綿が振り返ると、輝明は電話をしながらこちらを見た。目が合うと、すぐに通話を切った。「綿」彼はそう呼びかけてから、尋ねた。「今すぐ君を送り出そうか?」「え、でも封鎖されてるんじゃないの?」綿は聞き返した。「こっちは人数も多いし、事故現場の向かいだから、優先的に避難させてもらえる」輝明はそう説明した。「いいよ。私は急がないから、みんなを先に避難させて」綿はそう言いながら、また下の様子を見た。もうもうと立ち上る煙……さっきまで賑やかだったこの街が、一瞬で混乱に包まれた。「君、大丈夫か?あとで叔父さんと叔母さんを先に避難させるけど、君も一緒に行かなくていいのか?君がいないと、ご両親も不安だろうし」輝明の目には、明らかな心配の色が滲んでいた。綿はそんな彼をじっと見た。なに、なんでこんなに質問攻めなの?「じゃあ、あなた
彼女は彼に対する態度を少しずつ変えていった。彼を見る目から、次第に愛情が消えていった。それでも、彼が優しい声で一言でも話しかけてくると、彼女の心はふっと緩み、もう少しだけ愛し続けようとする力が湧いてきた。「もう一度、言ってくれないか?」ホールには人が溢れ、ざわめきもひどかった。そんな中、輝明のその一言が綿の耳に届いた。綿は思わず彼を見つめ、「え?」と聞き返した。輝明は唇を引き結び、手にしたグラスをぎゅっと握りしめ、不安げな表情を見せた。「もうちょっとだけ一緒にいたいって……もう一度、言ってくれないか?」彼は、あの瞬間をもう一度胸に刻みたかったのだ。綿には、そこまで大事な言葉だとは思えなかった。どうしてまた言わせるのか、理解できなかった。それでも、綿は彼の願いに応えた。「もうちょっとだけ一緒にいたい、そのあと帰るって、言ったの」輝明はふっと笑った。思わず手を伸ばし、綿の髪を指先で優しく撫でた。その声は温かく、瞳には溢れんばかりの愛情が宿っていた。「うん」綿は完全に呆然とした。なにそれ、急にこんなに優しくして……どういうつもり?輝明は手を引っ込め、近くで彼を呼ぶ声が聞こえた。彼はそのまま歩き去っていった。綿は思わず手を上げて髪を整えた。……なんだこれ、よく分からない。「はぁ〜、やっぱりいいカップルだわ。お似合い!」隣から母親・盛晴の声が聞こえてきた。綿は静かに母を見た。「復縁を反対してたの、どこの誰だったっけ?」「なに言ってんの。ただ似合ってるって言っただけよ」盛晴はそう返した。綿は薄く笑った。「ねぇ、ママ。もし昔、彼が私をもっと愛してくれていたらね……この言葉を、心の中で何千回、何万回と問いかけてきた」輝明が自分に優しくしてくれるたび、綿は心の中で必ず思った。——もしあの頃も、こんなふうに優しくしてくれていたら。——きっと、私はもっと自分を信じていられたのに。でも、そんな「もしも」は、この世に存在しない。「さ、ちょっと座ろうか」盛晴が綿に席を勧めた。綿は首を振った。「座ってばっかで疲れた。ちょっと外をぶらついてくる」そう言って、綿はホールを後にした。廊下の突き当たりには、大きなガラス窓があった。そこから見える街の夜景は、き
綿は、ふと視線を輝明のほうに向けた。彼は年配の男と談笑しており、深く一礼して応じていた。その一挙一動には、貴族のような優雅さが漂っていた。広い会場を見渡すと、彼にこっそり視線を向ける女たちばかりだった。男連れの女ですら、つい何度も彼を盗み見てしまうほど。綿が目を逸らした、その瞬間——輝明もこちらを見た。綿は電話をしていた。彼には内容は分からなかったが、彼女の表情はとても柔らかく見えた。電話の向こうでは、優輝の無邪気な声が響いていた。それに混じって、もぐもぐと食べ物を頬張る音まで聞こえてきた。「綿お姉ちゃん、今度はおじさんも一緒に遊びに行こうよ!」「うん、優輝、早く寝るんだよ。お姉ちゃん、まだ用事があるからね」「食べ物を送ってくれてありがとう!」「おやすみ」電話を切った後、綿はふうっとため息をついた。すると、すぐ背後から、優しい声がかかった。「そんなに優しい顔して、子供と電話してたのか?」びくりと身体を震わせた綿が振り向くと——目の前に、輝明が立っていた。彼は手にケーキを持っており、そっと差し出そうとしたが、綿はすぐにそれを断った。「遅いし、甘いものはいらない」綿が言うと、輝明は肩をすくめ、ケーキを脇のテーブルに置いた。「優輝よ。さっき、料理を送ってやったでしょ。電話で受け取ったって伝えてきたの」「そっか」輝明は頷いた。「疲れてないか?」輝明は綿をじっと見つめ、そう尋ねた。綿は一瞬戸惑いながら、彼の視線の先をたどった。彼は、彼女が履いている高いヒールを見ていた。研究院にいる時の綿は、いつもペタンコ靴だった。彼女自身も「ヒールよりスニーカーのほうが楽」と言っていたことを、彼はちゃんと覚えていた。綿も理解した。彼が言いたいのは、ヒールで立ちっぱなしは疲れるだろう、ということだった。「ちょっとね」綿は素直に答えた。「だったら、向こうのソファで休んでな」輝明は少し離れたところを指差した。しかし綿は首を振った。「いいよ、もう少しだけ一緒にいる。その後すぐ帰るから。明日は研究院で発表会があるから、早起きしないと」輝明は一瞬だけ動きを止めた。——もう少しだけ一緒にいる。その優しい言葉が、胸の奥に深く響いた。高校三年生の頃、彼が体力テストに向けて毎晩