Masuk◆ アシュ・ノクス ◆「まあ、美味しそうな和菓子! これ、お花みたいな形をしてるわ。可愛い!」 純白のドレスに身を包んだヴェラ様が、目をキラキラと輝かせている。 ここは、古代魔法文明が遺したという隔離施設。 星詠みの魔女ステラが、偶然手に入れた『銀の鍵』によって繋がった、和洋折衷の奇妙な空間だ。「ふふっ。お口に合えば嬉しいわ」 ステラが、得意げに胸を張って笑っている。 ……本当に、目障りな害虫だ。 ヴェラ様の美しい瞳に、俺以外の存在が映っていること自体が耐え難い。 今すぐ、その小さな首を捻り折って、この空間ごと次元の彼方に消し去ってしまいたい。 だが、そんなことをすれば。 俺の愛しいヴェラ様は、親友の死を悲しんで涙を流してしまうだろう。 ヴェラ様の涙は、俺が全て舐め取りたいが。 彼女を悲しませることなど、俺の存在意義に関わる大罪だ。「アシュも座って。これ、一緒に食べましょう?」「ありがとうございます、ヴェラ様。 ですが、俺は……」 俺は、ヴェラ様に極上の微笑みを向けてから、部屋の隅へと視線を移した。 そこには、額を畳に擦り付けるほどの勢いで平伏している、二体のオートマタ。 古代の技術で作られた、精巧なガラクタども。『あなたの不利益にならない、最も有効的な協力案をご提案いたします』 彼らは先程、俺の魔力に触れた瞬間に白旗を上げ、そう言った。 俺は、ヴェラ様とステラが奥の部屋で和菓子に夢中になっている隙を突き、音と光を遮断する結界を張った。「さて」 極寒の冷気を纏った声で、俺は静かに囁く。「俺の機嫌を損ねず、ヴェラ様の時間を奪わない……『有効的な協力案』とやら。 聞かせてもら
「ふははははっ! 見たか、ヴェラ! これが、わらわの新しい楽園じゃ!!」 銀色の鍵が繋いだ『透明な扉』の向こう側。 ノクス邸の応接室から一歩足を踏み入れたヴェラは、目の前に広がる光景に目を丸くした。「わぁ……っ! すごい、すごいわステラ! ここ、すっごく素敵!」 純白のレースのドレスに身を包んだヴェラは、ぱぁっと顔を輝かせた。 そこは、古代魔法文明の極東支部が遺したという、和洋折衷の居住空間。 足元には青々としたイグサの香りがする『畳』が敷き詰められ、壁には美しい細工が施された障子。 そして、部屋の中央には、わらわがここ数日ドロドロに溶かされていた、天蓋付きのキングサイズベッド。「すごい……! なんだか、東の国の絵本に出てくるお城みたい! この床、すごくいい匂いがするし、少し柔らかいわ!」 ヴェラはしゃがみ込み、畳の感触を確かめながら子供のようにはしゃいでいる。「ふんっ! そうじゃろう、そうじゃろう! お主の屋敷も立派じゃが、この隔離施設の快適さには敵わんじゃろうて!」 わらわは、胸を張ってドヤ顔を決めた。 数日間、快楽漬けにされて廃人一歩手前まで追い込まれていたというのに。 この『親友にマウントを取りたい』というしょうもない見栄だけで、わらわは一時的に正気を取り戻したのだ。「本当に素晴らしいわ! ねえ、アシュもそう思うでしょ?」 ヴェラが振り返り、背後に立つ人物に同意を求める。「ええ。とても……『興味深い』空間ですね、ヴェラ様」 透明な扉を潜り、最後に部屋へと足を踏み入れたのは。 一切の隙がない、完璧な漆黒の仕立て服に身を包んだ青年。 世界最悪のヤンデレ魔王、アシュ・ノクスだった。 彼は、靴を脱ぐというこの部屋のルールにも顔色一
カチャリ、と。 何もない虚空で、銀色の鍵が回る音がした。「……よし。繋がったぞ」 わらわは、自分の星詠みの塔の私室で。 宙に浮かび上がった『透明な扉』を見つめ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。 ルシアン山脈の最奥、魔力無効化のダンジョン。 そこで死に物狂いで手に入れたクリア報酬であり、空間を切り取って独立した亜空間を創り出す古代のアーティファクト。 アシュ・ノクスとかいう理不尽の権化の顔など、もう思い出したくもない。 わらわは、これから始まる最高の引きこもりライフへの期待に胸を膨らませ、その扉のノブに手をかけた。 プシュゥゥゥ……ッ。 気密性の高い扉が開く音。 一歩足を踏み入れたわらわは、目の前に広がる光景に、思わず息を呑んだ。「な、なんじゃ……ここは……?」 魔法文明の研究施設。 そう聞いて、わらわはてっきり、無機質な鉄とガラスの部屋を想像していた。 だが、違った。 床には、青々とした『畳』と呼ばれる東方の敷物が敷き詰められている。 壁は美しい木目調で、障子越しに柔らかな陽光(のような魔法光)が差し込んでいる。 かと思えば、部屋の中央には、見たこともないほど巨大でフカフカな天蓋付きのキングサイズベッドが鎮座し。 奥には、大理石で作られた巨大な浴槽が見えた。「和洋折衷……。古代魔法文明の極東支部のデザインか……?」 わらわは、靴を脱いで畳の上に上がり、その心地よい感触に感動の声を漏らした。 ポポも「ホゥ!」と嬉しそうに飛び回り、豪華な止まり木を見つけて早速陣取っている。 そして。 部屋の最奥にある、二つのガラスカプセル。 わらわが近づくと、カプセルを満たしていた培養液が抜け、ゆっくりと扉が開いた。「……お目覚めですか、マスター」「永き
「……というわけでじゃな」 わらわは、深く、深くため息をついた。「星詠みの魔女たるこのわらわが。 よりによって、あの理不尽の権化(アシュ)に命を救われるという、最悪の屈辱を味わったわけじゃ」『あははっ、災難だったわねぇ、ステラちゃん』 数日ぶりの、ふかふかな自室のベッドの上。 通信用の水晶越しに、エララがカラカラと笑っている。 ルシアン山脈の最奥。 魔力無効化のダンジョンでの、地獄のようなサバイバルの末。 わらわは巨大な機械兵器に焼き払われる寸前で、突如現れたアシュ・ノクスによって命を救われた。 いや、あれは「救われた」のではない。 「ヴェラ様が心配しているから」という理由だけで、あの男が道中のゴミ掃除をしたついでに、わらわが生き延びただけだ。 アシュは、わらわを連れて帰ってくれることなどなく、一人でさっさと空間の裂け目を通って帰ってしまった。 結局、わらわは残された魔力を振り絞り、這うようにしてダンジョンを脱出。 その後、エララに泣きついて、ようやくこの星詠みの塔へと帰還できたのである。『でも、目的のダンジョンコアは無事に手に入ったんでしょう? 魔女としての格も上がって、結果オーライじゃない』「まぁ、そうなんじゃがな……。 問題は、これじゃよ」 わらわは、水晶の前に一本の『銀色の鍵』をコトリと置いた。『なにそれ? すごく精巧な装飾ね。古代の遺物?』「うむ。コアと一緒に台座に置かれていた、クリア報酬のようなものじゃ。 帰ってきてから少し調べてみたんじゃが……これ、とんでもない代物ぞ」 わらわは、銀色の鍵を指先で弾いた。「この鍵そのものが、空間魔法の『入り口』になっとるんじゃ。 任意の空間を切り取り、外部からの干渉を完全に遮断する『隔離施設』
――――ギィィィィンッ……!! 耳を劈くような、金属同士が擦れ合う甲高い駆動音。 巨大な鋼鉄の扉を内側から吹き飛ばして姿を現したのは、まるで悪夢から這い出てきたような、異形の巨大兵器だった。 蜘蛛のように広がる八本の多関節脚。 中央の巨大な胴体部には、無数の赤いセンサーが禍々しく瞬き、正面には戦艦の主砲のような巨大な砲身が備え付けられている。「……嘘じゃろ」 わらわは、へたり込んだまま、絶望的な呻き声を漏らした。「ホゥゥゥッ……!!(デカすぎるぞ、ご主人!)」 肩に乗ったポポが、恐怖でわらわの首元に顔をうずめる。 今まで相手にしてきた、人間サイズの機械兵士たちとは根本的に違う。 完全に『城を落とすための兵器』だ。 ダンジョンの最下層を埋め尽くすほどの巨体から発せられるプレッシャーは、魔法が使えないわらわにとって、純粋な死の宣告に等しかった。『侵入者ヲ……確認。 最終防衛システム、起動。 コレヨリ、殲滅シークエンスニ移行シマス』 機械音声が、空間全体をビリビリと震わせる。「や、やらせるかァァッ! 行け、ロックゴリラ! アイアンボア! あいつの脚を砕けェェェッ!!」 わらわは、震える声を張り上げ、残存している召喚獣たちに突撃の指示を出した。 魔力無効化空間でも実体を保てる彼らは、わらわの最後の希望だ。 身長三メートルの岩のゴリラが、咆哮を上げながら跳躍し。 鋼鉄の猪が、地響きを立てて巨大兵器の脚部へと突進する。 ガガァァァァァァンッ!! 鈍い衝突音が、ドーム状の空間に響き渡った。 だが。「なっ……!?」 わらわは、自分の目を疑った。 ロックゴリ
「う、嘘じゃろ……ッ!?」 わらわの悲鳴が、冷たい金属の壁に虚しく反響した。 ルシアン山脈の奥底に隠された、機械仕掛けのダンジョン。 その入り口を越えた瞬間、わらわが自身にかけていた何十重もの防御結界が、シャボン玉のように呆気なく弾け飛んだ。 魔力無効化。 それは、魔力を帯びた現象そのものを世界から強制的に『消去』する、恐るべきシステムだった。 杖を振っても、呪文を唱えても、指先からこぼれるはずの光の粒は、空気に触れた途端にフッと消えてしまう。 ガシュン……ガシュン……ッ。 暗闇の奥から、無機質な足音が近づいてくる。 赤いセンサーの光が、侵入者であるわらわを完全にロックオンしていた。「ホーゥゥゥゥッ!!?(魔法が使えないのに、あんなのが来るぞ!!?)」 肩に止まっていたポポが、半狂乱になって羽ばたく。 現れたのは、魔法文明が遺した殺戮用の機械兵士だった。 鋼鉄の装甲。右腕には鋭い回転刃(チェーンソーのようなもの)が取り付けられ、左腕には火炎放射器のような筒が備わっている。『侵入者ヲ確認。排除シマス』 機械音のような音声と共に、機械兵士が凄まじいスピードで突進してきた。「ヒィッ!?」 わらわは、咄嗟に横に飛び退いた。 直後、わらわが立っていた金属の床が、回転刃によって火花を散らして抉り取られる。「あ、危ないッ! かすっただけで真っ二つじゃぞ!!」 魔女という生き物は、強大な魔力を持つ代わりに、肉体はただの非力な人間と変わらない。 二百年生きているわらわなど、運動不足も相まって、体力は十歳の子供と同レベルである。『ターゲット、再ロック。排除』「ひぃぃぃぃっ!! 来ないで、来ないでぇぇっ!!」 わ
朝。 さんさんと降り注ぐ陽光が、ダイニングルームを明るく照らしていた。 私は淹れたてのミルクティーを片手に、王都から取り寄せた新聞に目を通していた。 「……あら」 一面の大きな見出しを見て、私は思わず声を漏らした。 そこには、先日この屋敷にやってきて、私に不躾な態度をとった男の名前が踊っていた。 『バルバトス伯爵、深夜の屋敷で突如発狂! 当主の座を退き幽閉へ』 『不正蓄財と密輸の証拠も多数発見! バルバトス家、取り潰しの危機か』 記事には、伯爵が何かに酷く怯えた様子で「化け物が来る」「俺の目を潰しに来る」とうわ言を繰り返し、精神を病んでしまったと書かれてい
アシュを拾ってから三年。 十五歳の彼は、私の想像を遥かに超える速度で成長を続けていた。 「――そこまで」 私が声をかけると、中庭に響いていた激しい金属音がピタリと止んだ。 「はっ……はぁっ……」 荒い息を吐きながら木剣を下ろすアシュ。 彼の足元には、私が魔法で創り出した『泥人形(ゴーレム)』が、文字通り木端微塵になって散らばっていた。 ただの泥人形ではない。 大理石ほどの硬度を持たせ、一流の騎士三人分の動きをインプットした、実践用の高度な魔法生物だ。 それを彼は、たった一人で。 しかも魔法を一切使わず、剣術だけで圧倒してみせたのだ。 「素晴らし
朝の陽ざしが、大きな窓から寝室に差し込んでくる。 「……ん」 私が微かに身じろぎすると、待っていたかのように優しい声が降ってきた。 「おはようございます、ヴェラ様。よく眠れましたか?」 目を開けると、ベッドの脇に一人の青年が立っていた。 銀色に輝く髪。 透き通るような白い肌。 そして、私のすべてを映し込むような、深く美しい赤い瞳。 「おはよう、アシュ。……ええ、とても良い目覚めよ」 私が体を起こすと、彼は流れるような動作で温かいタオルを差し出し、私の顔を優しく拭ってくれる。 アシュをあの路地裏で拾ってから、三年が経過していた。 十二歳だった彼は
アシュを拾ってから、半年が過ぎた。泥と血にまみれていた路地裏の野良猫は、見違えるように美しい少年へと成長しつつあった。毎日の十分な食事と、温かいベッド。そして私という、絶対的な庇護者の存在。それらが、アシュの本来持っていたポテンシャルを急速に引き出していたのだ。くすんでいた灰色の髪は、今や月光を吸い込んだような美しい銀色に輝いている。痩せこけていた体にも適度な筋肉がつきはじめ、背もぐんと伸びた。まだ十二歳の少年だが、すでに末恐ろし







