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第4話

Author: かぜわら
警察署を出た車が走り出してすぐ、栞奈は待ってましたとばかりに朔也に飛びついた。

その首元に細い腕をぐるりと回し、艶めかしい声で耳元に囁く。

「朔也、やっぱりこのままホテルに行こ?」

しかし――次の瞬間、朔也の顔は氷のように冷徹なものへと豹変した。

彼は自身の首に絡みつく栞奈の腕を乱暴に引き剥がし、そのまま彼女の華奢な首を片手でギリリと締め上げた。

「……杏の前に姿を見せるなと、俺は言ったはずだ。なぜ言いつけを守らない?」

その声は、先ほどの甘い声音とは似ても似つかない、酷薄で危険な殺気を帯びていた。

栞奈の顔はみるみるうちに朱に染まり、苦しげに喘ぐ。窒息する寸前になって、ようやく朔也は冷酷に指の力を緩めた。

咳き込み、貪るように空気を吸い込んだ栞奈の瞳に一瞬だけ不満の色がよぎったが、彼女はすぐに上目遣いになり、媚びるような甘い声で謝罪した。

「ご、ごめんなさい……ただ、怖くてパニックになっちゃったの。もう勝手なまねはしないから」

朔也は張り詰めた見下すような視線を向け、低く警告する。

「もし杏に何かがバレるような真似をしたら……お前がどうなるか、言わなくても分かっているな?」

栞奈は怯えたように唇を噛み締めた。

だがその瞳の奥には、決して屈しない狡猾な光がチラついていた。

彼女は朔也の大きな手を両手で包み込むと、ストッキングに包まれた自分の太ももへとゆっくり這わせた。

「……朔也、栞奈のこと、許してくれるでしょ?」

あからさまな誘惑。その声を聞いた朔也の瞳がねっとりと暗く沈み、顔に張り付いていた殺気めいた冷たさが、徐々に情欲へと溶けていった。

――深夜。

静まり返ったベッドルームで、私のスマートフォンにまた栞奈からのメッセージが立て続けに送られてきた。

【杏さん、朔也たらね、私が海を好きだって言ったら小さな島をまるごと買ってくれたの!】

【ごめんなさい杏さん!朔也が一晩中激しく求めてくるから、ベッドから落ちた拍子に、杏さんが手作りしたペアの花瓶をうっかり割っちゃった。怒ってないよねぇ?】

添付された画像を開くと、フローリングの床に無残に散らばった陶器の欠片が写っていた。

それを見た瞬間、胸の奥がチクりと鋭く痛む。

あれは昔、私が土を捏ねて苦労して焼き上げたものだった。朔也はそれを宝物のように大切に扱い、絶対に壊れないようにと、わざわざあの海辺の別荘の安全な場所に飾っていたはずなのだ。

それが今や、あの女が私を煽り、マウントを取るためのただの道具に成り果てている。

「……粉々に壊れたのなら、いっそ好都合ね」

私は真っ暗な部屋の中で、自分に言い聞かせるようにポツリと呟いた。

どうせ、あと七日。

残りの一週間さえ耐え抜けば、私はここから永遠に消え去るのだから。

翌日、私は朔也に連れられてウェディングドレスのサロンを訪れていた。

スタッフが奥から慎重にドレスを運び出し、ハンガーにかけて丁寧にスチームアイロンを当て始める。

すでに朔也への想いは冷え切っていたはずなのに、完成したばかりのドレスを目にした瞬間、胸の奥が微かに疼いた。

息を呑むほど美しい仕上がりだった。繊細なレースや刺繍の細部に至るまで、朔也の異常なほどのこだわりと、愛に溢れた情熱が窺えたからだ。

何度考えても、わからない。

これほどまでに私を愛しているような素振りをみせておきながら、どうして平気で裏切ることができるのだろう。

その時、手元のスマホが短く震えた。

ロックを解除すると、栞奈のトーク画面に新しい通知が溜まっている。無言で送りつけられてきたのは、数枚の画像と一つの動画だった。

タップした指先が小刻みに震え、気付けば涙で視界が歪んでいた。

画像に写っていたのは、今まさに目の前でスタッフがアイロンをかけている私のためのウェディングドレスを身に纏い、得意げにポーズをとる栞奈の姿。

そしてその左手の薬指には、朔也が私のためにデザインしたはずの婚約指輪が誇らしげに光っていた。

続けて、動画が自動再生される。

画面の中央では、朔也が恭しく片膝をついていた。大きなバラの花束と、見覚えのある指輪のケースを掲げながら、とろけるような甘い声で囁いている。

「前からウェディングフォトを撮りたいって言ってたよな。でも、その前にちゃんとプロポーズのけじめをつけたくてさ。気を遣って『プロポーズなんていらない』って言ってくれたけど……可愛いお前を我慢させるわけにはいかない。俺と、結婚してくれないか?」

栞奈は感極まったように目を赤くして、嬉々として頷いた。

「うんっ……!喜んで!絶対、絶対に朔也のお嫁さんになりたい!」

周囲を取り囲む取り巻きたちから、「キスしろ!」「いいぞ、キス!キス!」と楽しげな野次が飛ぶ。

液晶越しにその狂った光景を見つめながら、全身の血液が凍りつき、深い氷の底に突き落とされたような感覚に襲われた。

七年前。

朔也が私に想いを告げてきたあの日も、これとまったく同じだった。

仕立てのいい黒のスーツに身を包み、色鮮やかなバラの花束と小さな指輪の箱を握りしめて。彼は声を詰まらせながら、必死に訴えかけてきたのだ。

「杏、一生お前だけを愛する。他の女なんて絶対に目に入らない。お願いだ、俺と付き合ってほしい。誓っていい、もし俺が浮気するようなことがあったら……その時は死んで詫びるから」

ふっ、と乾いた冷笑がこぼれ落ちた。

笑っているのに、ただただ涙だけが止めどなく頬を伝っていく。

なんだ、全部嘘だったんじゃないか。

一生の誓いも、海よりも深い愛情も。

永遠の真心なんてものは、ほんの一瞬で色褪せてしまう、ひどく薄っぺらい代物だったのだ。

再びスマホが震えた。栞奈からの追撃メッセージだ。

【杏さん、朔也が『サイズが合うか代わりに着てみて』って言うから、先に試着しちゃった。♡あ、そうそう。あの指輪、朔也が私にくれるって約束してくれたんだぁ。だから杏さんは、また別のを選び直してね?】

私は乱暴に涙を拭い、顔を上げて目の前のウェディングドレスを見やった。

その時だ。ドレスの裾のあたりに、うっすらと黄色いシミのようなものがこびりついているのに気づいたのは。

直後、猛烈な吐き気が胃の底からせり上がり、私は口元を押さえて激しくえずいた。

朔也はひどく顔色を変え、すぐさま私を抱きかかえて病院へと急行した。

「杏、どうした!?なんだって急に……頼むから、俺を怖がらせないでくれ!」

耳元で聞こえる声は、パニックに陥ったように慌てふためいていた。

医師の診察が終わり、極度の精神的ストレスによる一時的な吐き気だと診断されて、ようやく朔也は安堵の息をついた。

ベッドの傍らに座る朔也は、私の蒼白な顔と虚ろな瞳を見つめ、ひどく痛ましそうな表情を浮かべている。

ふと視線を逸らすと、窓ガラスに自分の姿が映っていた。私はいったいいつの間に、こんなにも生気のない、抜け殻のような顔になってしまったのだろうか。

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