All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 281 - Chapter 290

1394 Chapters

第281話

誰も予想していなかった。藤原おばあさんは一見すると穏やかで優しそうに見えるが、宏に向けた最初の一言が、まさかあんなにも鋭いものになるとは。私は思わず、唇の端が緩みそうになるのを必死で堪えた。でも、この場でその言葉を聞いて笑えるのは、たぶん私だけだった。空気は一気に張り詰め、奇妙な気まずさが流れる。気まずさの原因は、何より――元妻の私が、この場に居合わせているという事実だった。私はそっと視線を落とし、窓の外へ目を向けた。存在感を、少しでも薄めたくて。窓の外では、まだ溶けきらない雪が、白く光を弾いていた。ふいに、視線を感じた。強く、外さないまなざし。そのすぐあと、宏の落ち着いた低い声が部屋に響いた。「……はい。最近、離婚しました」藤原おばあさんはちらりと星華を見やり、その目に冷えた色を宿らせた。「あなたも……一枚噛んでいたそうね?」「おばあちゃん……」星華は眉を寄せながら、こっそり私を睨みつけ、ドレスの裾を摘まんで藤原おばあさんの隣に腰を下ろすと、甘えるように腕に触れた。「そんなの、誰が言ってたのよ。宏さんの結婚はもう破綻してたの。ただ、私は……」「一つだけ聞くわ」藤原おばあさんは淡々とした目つきで星華を見つめた。「あなたたちが婚約を発表したその日、彼らは離婚手続きを済ませてたの?」――済ませてたはずがない。その答えを、誰よりもよく知っているのは、星華自身だった。唇を噛みしめた彼女は、あどけなさを装いながら言った。「たしかに……その時はまだだったけど。でも、宏さんが私のために離婚してくれたってことは、それってつまり私のことを――」「黙りなさい!」藤原おばあさんの声が、ピシャリと空気を裂いた。頬に朱がさし、目には怒気が宿っている。「誰が、あなたをそんな恥知らずな子に育てたの?そんなことを外で一言でも口にしたら……藤原家にあなたの居場所はもうないと思いなさい!」星華は一瞬、呆然とした表情を浮かべた。それから、怒りの矛先を私へと向けた。「……清水南。おばあちゃんに何か吹き込んだの?私の方が正真正銘の孫なのに……!」藤原おばあさんは眉をひそめた。「それが南さんに何の関係があるの?呼ばれた客にあたるんじゃないよ」「客……?」星華は、藤原おばあさん夫人
Read more

第282話

江川アナと文仁のあの一件もあって、宏が少しでも隙を見せれば、待ってましたとばかりに多くの者が彼を引きずり下ろそうとするだろう。藤原おばあさんが少しばかりきつい言葉を投げかけたとしても、宏にできるのは黙って耐えること――そう思っていた。だが彼は、微塵も動じた様子を見せず、ただ淡々と、感情の読めない声で口を開いた。「ふさわしいかどうか、いずれ証明します」「おばあちゃん~」星華は頬をほころばせ、嬉々として声を上げた。「ね、聞いた?これでもまだ満足できないの?」「あなたの夫になるなら、十分すぎるほどよ。証明なんて、必要ないわ」藤原おばあさんは背筋を伸ばして優雅に座ったまま、穏やかに続けた。「あなたと、お母さんさえ満足しているなら、それでいいのよ」さっきまで反対していた口が、何のためらいもなく賛成に転じた。星華は戸惑いを隠せず、きょとんとした顔で聞き返す。「どういう意味……?」「もし相手が奈子だったら――彼じゃ、とてもじゃないけど足りないわ」藤原おばあさんの目がまっすぐに星華を捉える。「あなたの相手としてなら、まあ……十分すぎるくらいね」声は穏やかで、どこにも棘はない。だというのに、その言葉はまるで鋭い刃のようで、顔に冷たい平手打ちを受けたかのような衝撃だった。「……結局、私があの子に敵わないって思ってるんでしょ!そんなおばあちゃん、最低!」宏の前で恥をかかされた星華は、頬を真っ赤に染めたまま立ち上がり、踵を返して自分の部屋のほうへ駆けて行った。あまりの怒りに、宏の存在すら忘れて。宏の漆黒の瞳が、何の隠しもなくこちらを射抜いた。沈んだ色を湛えたその視線を、私は何も見なかったふりをしてやり過ごす。藤原おばあさんは私の手をそっと叩いて微笑んだ。「南さん、朝ごはんを食べてらっしゃいな。ここを出て右に曲がればダイニングがあるわ。わからなかったら、使用人に声をかけて」「……はい」藤原おばあさんは、宏と二人きりで話したいのだろう。私は気づかないふりをしたまま、静かにその場を離れた。窓際を通り過ぎると、室内からかすかな声が漏れてくるのが耳に入った。「……もう他に誰もいませんね。江川さん、正直に伺います。あなたがあの子と結婚しようとしているのは、うちの家の何を望んでのことですか
Read more

第283話

私は少し離れていたので、よくは聞き取れなかった。けれど、「恋」という言葉だけは、なぜかやけにはっきり耳に残った。独り身の私には、まるで関係のない響きだというのに。藤原家の屋敷はとにかく広くて、結局は藤原おばあさんの言っていた通り、使用人に道を尋ねてようやくダイニングの場所がわかった。「あなたが、朝から奥様が何度もお名前を出していた清水様ですね?」ちょうどダイニングにいた執事が私を見るなり丁寧に頭を下げ、すぐさま朝食をもう一人前用意するよう使用人に指示を飛ばした。「ありがとうございます」私は小さく微笑んで礼を言い、静かに席について粥を口に運び始めた。その間に、執事は気を利かせてその場を離れていった。しばらくすると、ふいに隣が影に覆われた。次の瞬間、待ちきれなかったように誰かが噛みついてきた。「清水南、いい加減にしてよね!あんた、うちに近づかないで!」私はかぼちゃと雑穀の粥をすする手を止めず、淡々と応じた。「私が何を企んでるって言うの?」星華は鼻で笑い、苛立ちを隠さず言った。「どうせ宏さんと離婚しても未練たらたらで、うちのおばあちゃんに媚びて藤原家に取り入って、また宏さんを誘惑しようって魂胆でしょ?」私はスプーンを置いて眉をひそめた。「藤原星華、私はあなたと違う。ちゃんと、恥を知ってる」一途でいることも、誰かを想い続けることも構わない。けれど、手段を選ばなかったり、執拗に縋ったりするのは――惨めすぎる。「……!」星華は呆れたように目を上に向け、そして突然、唇に毒を含んだように笑った。「このあいだ私を襲わせたの、あんたでしょ?」私はしらを切った。「何のこと?」「鷹兄さんが上手くごまかしてくれてたけど、私、ちゃんとわかってるんだから」彼女は肘をついて身を乗り出し、冷たい目で私を射抜いた。「だって私の傷、前にあんたが怪我してたのと全く同じだったもん」「それで?」私はもう隠す気もなかった。こういうタイプは、きっと怒鳴りつけてくるだろうと予想していた。けれど彼女は、逆に甘ったるく笑った。「でももういいの。だって宏さん、私の傷を見て心配で心配で……あのとき、あんたのこと本気で潰してやるって怒ってた。止めたの、私なんだよ?」――それは、信じられた。あ
Read more

第284話

話が終わると、私は椅子にかけていたバッグを手に取り、そのまま踵を返した。「くそ女!」星華が背後で怒鳴る。私は手のひらをぎゅっと握りしめながら、聞こえなかったふりをして、その場を去ることだけを考えていた。けれど、邸内を歩いているうちに迷ってしまった。何度か角を曲がりながら進むと、ふと視界の端に見覚えのある庭が入ってくる。手入れが行き届いていて綺麗なのに、人の気配がなく、ずいぶん長い間誰も住んでいないようだった。気づけば、私はその庭の中へと足を踏み入れていた。だが、その瞬間、背後で扉が音を立てて閉まった。そして次の瞬間、背中に重みがのしかかり、私は扉に押しつけられる形になった。馴染みのある匂いが鼻をくすぐる。逃げ道は、どこにもなかった。息を呑んで顔を上げると、墨のように深い瞳と目が合った。宏だった。彼の大きな手が私の腰を掴み、優しさの滲む目で見つめてくる。「どうして藤原家に来たんだ?」「関係ないでしょ!」私はとっさに怒りがこみ上げ、身をよじったが、びくともしなかった。宏はじっと私を見たまま言う。「最近は、うまくやってる? 星華に何かされてないか?」私は嘲るように彼を見返す。「私を殺そうとしたあなたが心配するなんて、笑わせないでよ」彼は口をつぐみ、腰に置かれた手に力がこもる。眉間に深い皺が寄った。「……痩せたな」「離婚を祝って、ダイエットしたの」私は平然と言い放つ。「新しい恋を迎えるためにね」本当は、仕事が忙しくて、ろくに食べられず、眠れてもいなかっただけ。でも、それを言えば、まるで彼と別れて苦しんでるみたいで、惨めだった。宏の顔に緊張が走り、その瞳が翳る。唇がまっすぐに結ばれたまま、ぽつりと呟く。「……祝ってるのか。新しい恋、か」「そうよ」私はますます苛立ち、冷たく言い捨てた。「他の人と婚約を発表したのはあなた、離婚届を送ってきたのもあなた。なのに、今さら私に何を望むの? 離婚した女は家で喪に服してなきゃいけないわけ?」「望んでなんかいない」彼は肩を落とし、まるで世界から音が消えたような沈黙を纏った。「……俺が、悲しいだけだ」私は目を瞬かせた。「そういう余計なこと、もう言わないで。結婚していたとき、あなたは誠実にも一途にもな
Read more

第285話

彼が婚約を発表したときも、離婚を伝えてきたときも、私はただ静かに従った。それでようやく、きっぱり別れて生きていけると思っていた。でも違った。彼らは、私という存在そのものすら、許せなかったのだ。宏は私を強く抱きしめ、骨の奥にまで溶かすような勢いで腕を回してきた。低く掠れた声が耳元に落ちる。「違う、南……そんなつもりじゃないんだ。だから、落ち着いてくれ」「じゃあ、どういうつもり?」私は震える身体を必死に押さえながら、皮肉たっぷりに口を開いた。「まさか、彼女と結婚する気なんてなかったとか?私を海外に行かせようとしてるのも、全部私のためだって言うつもり?」じゃあ、あの銃口は何だった?藤原おばあさんの前で星華を庇ったあれは?それも全部、茶番だったの?それとも……私がバカだっただけ?もう、信じられない。信じようとも、思えない。藤原家の母娘が言ったこと、たしかに耳障りではあったけれど、正直、否定できなかった。私はもともと宏と同じ世界の人間じゃない。かつて、江川のおじいさんのおかげで、一時的に彼の隣に立てた気がしていたけれど……そんなの、幻想に過ぎなかった。同じ屋根の下に住んでいたって、私と彼はただの平行線。交わることのない、別々の道を歩いているだけだった。私の言葉に、宏の手がふと止まり、背中から力が抜ける。額を私の額に重ね、熱を帯びた視線を真っ直ぐ落としてきた。「……頼む、南。最後でもいい。もう一度だけ、俺を信じてくれ」まるで何かに火傷したように、私は反射的に身体を引こうとした。けれど、その動きを途中で止め、目を逸らさずに言い放った。「何を信じればいいの?三年間一緒にいて、一度も子供を望まなかったあなたを?」離婚届を受け取りに行ったあの日、宏が吐いたあの言葉。ずっと胸の奥に、棘のように刺さったままだ。あれは、自分のためじゃない。……お腹にいたあの子のために、悔しかった。宏は目に明らかな後悔と戸惑いを浮かべ、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。「……あのときの言葉は、俺は……」コンコン。突然、背後の扉がノックされた。「誰かいるのか?」鷹の声だった。けれど、いつもの飄々とした調子とはまるで違う。低く、鋭く、どこか張り詰めていた。
Read more

第286話

まるで、何か大それたことでもしているみたいだった。知らない人が見たら、扉に祈りを捧げてるのかとでも思ったかもしれない。私はようやく気づいた。「……ここ、あなたの婚約者の庭なの?」鷹は長い睫毛をわずかに震わせて、私を斜めから一瞥した。「わかってて聞く?」「……っ」私は思わず口をついた。「もし……ほんとに見つからなかったら、どうするつもり?」彼はふっと目を細め、唇をにやりと歪めた。「たとえ見つからなくても、誰かで代わりにしようなんて思わない。もちろん、お前もだ」「……それは考えすぎだよ」思わず喉まで出かかった言葉を飲み込みかけて、私はきっぱり言い返した。「たとえあんたがその気でも、私はお断りだから」一度、宏の忘れられない人に負けた苦い経験がある。あれだけで、もう充分。これからは、心のどこかに誰かを引きずってるような男には、もう近づかない。それに、相手は服部家の五代目、跡取り息子。離婚歴のある女が、のこのこと入り込めるような家じゃない。本人がいいって言ったって、家族が棒でも持って追い出すに決まってる。「若様……清水様」息を切らしながら執事が駆け寄ってきた。「ずっとお探ししておりました。奥様がお呼びです」私たちが藤原おばあさんの庭に戻ると、宏と星華がすでにいた。星華はどこか感情が高ぶっていて、茶器を握りつぶしそうなほど顔を歪めていた。「私と宏さんの婚約パーティー、本当に来てくださらないの?」「結婚のことは、親が立ち会ってくれればそれでいいわ」おばあさんは私の姿を認めると、片手で私を招きながら、もう片手で茶を啜って言った。「年を取るとね、こういう騒がしいのが億劫になるのよ」私は小さく会釈し、足を進めると、おばあさんがそっと私を傍に座らせてくれた。星華は歯ぎしりでもしそうな勢いで言い募る。「じゃあ……じゃあもし、それが藤原奈子の婚約パーティーだったら?!」「小さい頃から、あんたは奈子と張り合いたがる」おばあさんはそれだけをぽつりと返した。言うまでもなく、答えは明らかだった。藤原奈子は、藤原家の本当のお嬢様。藤原おばあさんの血を四分の一引いた、正真正銘の孫娘。そんな子の婚約なら、ただ出席するだけじゃなく、主催して盛大に祝うに決まっている。
Read more

第287話

もちろん、彼は彼女に気がある。でなければ、宏があんなにも早く態度を変えて、政略結婚だの離婚だのと動くはずがない。星華の考えも、私と不思議と一致していた。いや、彼女の方がずっと自信満々だった。顎を少し持ち上げて、得意げに言う。「まさか私が清水南以下だなんて、そんなバカな話ある?」……知らんがな。なんで私がいきなり引き合いに出されなきゃいけないのよ。ちょうどそのとき、使用人が小走りで駆け込んできた。「大奥様、星華様、奥様がご帰宅されました」星華の後ろ盾が、戻ってきた。星華はティッシュを何枚か引っ張って顔をぬぐい、意気揚々と宏の腕を取り、待ってましたと言わんばかりに報告へ向かった。私の脳裏に浮かんだのはただ一つ。ここ、長居無用。星華だけでも面倒なのに、そこに母親まで加わるなんて、もうカオスでしかない。私は背筋を伸ばし、藤原おばあさんに向き直る。「おばあちゃん、今日中に鹿児島へ戻らなければならないので、そろそろ失礼します。また改めて、大阪へご挨拶に伺います」おばあさんは少し寂しそうな表情を浮かべたが、何も言わずに、執事に何か取ってくるように指示を出した。その間に鷹が呼び止められて、おばあさんと話をしていたようだ。私がものを受け取り、戻ってくると、ちょうど鷹も応接間から出てきたところだった。彼はゆったりと歩み寄り、私の手にある小さなジュエリーボックスをちらりと見る。「何もらったんだ?」「……今、見る」さっきは執事が隣にいたので中を開けるのも気が引けた。渡されたとき、「おばあちゃんのちょっとしたお気持ちだ」とだけ告げられていたから。そっと蓋を開けると、中には翡翠のバングルが入っていた。思わず目を見開いて、慌てて蓋を閉じ、すぐに引き返そうとする。これ、さすがに高すぎる。だが、鷹はあくまで淡々と、私を引き止めた。「もらっとけ」「いや、高すぎるから……」「……量産品だ」不意に背後から襟をつかまれ、彼に庭の中へ戻されるのを阻まれる。そして、どこか哀しげな声で続けた。「ばあちゃんな、ここ何年も、奈子と年の近い、そこそこ気に入った子がいれば、決まって何か贈ってる」「……」金持ちの感覚はよく分からない。「毎回そんな高いの、渡してんの?」確かに
Read more

第288話

もちろん、自分じゃないことくらい分かってる。ただ、つい反射的に返事をしてしまっただけ。鷹は目を細め、どこか危うい光を宿したまま、少し口元を歪めた。「お前をいじめたやつらに、どんな代償を払わせるか……考えておくか」私は肩をすくめて笑った。「それで?」「……それで終わり」そう言って、彼は顎を上げるようにしてヘッドレストにもたれかかる。長い睫毛が伏せられ、表情が読めなくなった。「お前はずっと清水家の戸籍に入ってた。奈子がいなくなる前から、もう清水家の南だった」そしてぽつりと続けた。「理由は分からないけど……俺もばあちゃんと同じで、ときどき、お前に惹かれることがある」「……」思わず、警戒心が胸の内でざわついた。私は彼の顔をじっと見つめた。その反応が面白かったのか、彼は鼻で笑い、舌で奥歯を押しながら言った。「なんだよその顔。俺が誰でもいいからって飛びつくと思ってんのか?」「さあね」私は冗談めかして笑い、わざとコートの襟元をぎゅっと引き寄せた。どうにかして、この車内の重たい空気を和らげたかった。鷹はあくびをひとつして、面倒くさそうに一言。「子どもかよ」そう言って、どこからかアイマスクを取り出し、すぐに眠りに落ちた。翌日、南希の正式オープン日。新しく入った社員たちは朝早くから出社し、みんなやる気に満ちていた。その活気で、会社の空気が一気に明るくなった気がした。オフィスのドアが軽くノックされ、服部花がひょっこりと顔を覗かせた。「お姉ちゃん……あ、じゃなくて清水社長!こないだ一緒にライブ行ったご友人から、お祝いのお花が届いてます!」その様子がなんだか可愛くて、私は立ち上がりながら言った。「他に誰もいないときはお姉ちゃんでいいよ」彼女はぱっと目を輝かせて、こくこくと何度もうなずいた。「うん!」ちょうどオフィスを出ようとしたところで、向こうから山田先輩が歩いてきた。柔らかな笑みを浮かべながら、冗談めかして言う。「清水社長、開業おめでとう。お金持ちになっても、俺のこと忘れないでくれよ?」「先輩、それ言うならこっちのセリフです」彼はもう山田家を引き継ぎ始めている。私がどれだけ頑張っても、きっと彼には届かない。山田先輩は小さく笑った。「でもさ、
Read more

第289話

私は首をかしげるばかりだった。彼じゃないとしたら、いったい誰が……?RFグループと関わりがあるのは、彼以外に思い当たらない。そんなふうに考えていると、電話の向こうで山名が「あっ」と声をあげた。「そうそう、思い出した!私だよ私!まったく、アシスタントに頼んだら、たぶん間違えやがったんだ。99個って伝えたんだけどな。会社が大繁盛して、長~く続きますようにって意味を込めたんだけど」山名は少し気まずそうに笑いながら続けた。「でもさ、999個はさすがにやりすぎだったな。迷惑かけてないといいけど?」「……なるほどね」私はエレベーターからオフィスの中までびっしりと並んだスタンド花を見渡して、苦笑した。「迷惑ってほどじゃないけど……花屋さんと相談して、一部返品できるか聞いてみようかな。あまりにも気を遣わせてしまうし」「いや、それはいいよ」山名は即座に言ったあと、ひとつ咳払いして付け加えた。「うちのアシスタント、ちょっと世間を知るために働かせてるだけで、実はけっこうな資産家の御曹司なんだよ。そのぶん、ボーナスから差っ引いとく」「……了解です」私はもう一度丁寧にお礼を伝え、いくつか社交辞令を交わしてから電話を切った。来依が興味津々に顔を寄せてきた。「で、やっぱり山名さんが送ったの?」「そう。けど、アシスタントが間違えて、99個のところを999個にしちゃったんだって」山田先輩は少し眉をひそめ、何か考え込むようにぽつりとこぼした。「そんな単純なミス、あるか?」「まぁまぁ、細かいことはいいじゃない。花もらえるだけでハッピーでしょ」花好きな来依は、次々と運ばれてくるスタンド花を見ながらご満悦。「これは絶対SNSに載せなきゃ!この勢いなら、うちの会社は間違いなく大繁盛する!」「うん、いい写真撮ってね」私は花屋の店主から伝票を受け取って、サインを済ませた。すると来依が嬉しそうに提案する。「ねえ南、今夜さ、みんなで会社の開業祝いしようよ!新メンバーの歓迎会も兼ねて!」「いいね、それ私もちょうど考えてたとこ」息ぴったりの私たちは顔を見合わせて笑い、私はふと山田先輩の方を向いてにこやかに声をかけた。「先輩、今夜ってお時間ある?よかったら一緒にどう?」南希が再び私の手に戻ってきたのは、彼
Read more

第290話

私は首をかしげた。来依は私の考えに首を振る。「それにさ、今は離婚してるんだよ?口で『諦めて』って言ったところで、本当に簡単に諦めるかな。今みたいに期限を区切るくらいが、まだ現実的だよ」そのとき、私自身も同じことを考えていた。以前、山田先輩に二十年も想いを寄せられていた女の子がいると知ったとき、私はその子がとても幸運だと思った。けれど、それが自分だとわかったときは、ただただ申し訳なくて胸が痛んだ。「申し訳ない」――それにどう答えればいいのか、言葉が見つからなかった。私が言葉に詰まっていると、来依は机に肘をついて身を乗り出し、指で私のイヤリングをくるくると揺らしながら言った。「ねえ、南。山田先輩と一度やってみたら?今どき、あんなに一途な男なんて滅多にいないよ」「彼がいい人だからこそ、私は慎重になるの」私は静かにそう返した。でなければ、彼の気持ちを弄ぶことになる。本気で想ってくれる人には、こっちも本気で返さないといけない。それができないなら、ちゃんと身を引いて、彼が幸せになれる相手を見つけてほしい。来依は私の説得に折れ、話題を変えた。「そうだ、今夜はいつもの場所でごはんしようよ」彼女の言う「いつもの場所」は、以前よく通っていた会員制の高級クラブだった。私は思わず舌を鳴らした。「え、それって高すぎじゃない?」「心配しないで。私が出すから」「お金でも降ってきたの?」「実際、降ってきたようなもんよ」来依はにこにこと立ち上がり、真っ赤なリップを軽やかに引き上げる。「伊賀からの別れの慰謝料、受け取らなかったらね、あいつ全部私のクラブカードにチャージしやがったの。返金もできないって言うから、もう使い切るしかないのよ」「それなら……」私はくすっと笑って、「ありがたくご厚意に甘えさせてもらいます」と返した。その日の夕方五時、仕事を早めに切り上げて、私たちは集まった。来依と私は別々の車に分かれて行ったが、会所に着くとちょうど山田先輩はすでに到着していた。「ゆっくりでいいよ」彼は慌てる私の手をさっと取って支え、雨上がりで滑りやすい道を気遣って優しく言う。「地面が濡れてるから、足を捻らないで」「約束して待たせてごめんね」私は軽く笑った。「そんな、よそよそしいな」と彼はからかう
Read more
PREV
1
...
2728293031
...
140
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status