All Chapters of 【完結】縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Chapter 171 - Chapter 180

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縁語り其の百七十一:私の声が届かなくても

あの夏、あなたが連れていってくれた海。覚えてる? 呪いも戦いも関係ない、ただ二人きりの、初めての旅。 人魚の伝説が残る、あの小さな港町。 思い出すだけで、今も胸が温かくなるんだ。 ううん、温かいだけじゃない。少しだけ、泣きたくなるくらいに。 二人で探した宝物も、悠斗君が見とれてたあの水着も……ふふ、ちょっと恥ずかしかったけど、全部、全部が私の宝物。 見つけた「宝」が、人魚に贈られるはずだった指輪だと知った時、あなたは言ったよね。 「これは、他の人の手に渡ってはいけない」って。 その言葉が、どうしようもなく嬉しかったんだ。 足を痛めた私を背負ってくれた、あなたの背中。 思ったよりずっと広くて、温かくて……ドキドキして、どうにかなりそうだった。 本当に、あの時は、この世の全てがキラキラして見えてた。 だからこそ、思い出してしまった。 私の寿命が、もうほとんど残っていないってこと。 もっと一緒にいたい。もっと、この温もりに触れていたい。 そんな願いを君に悟られないように……君の思考が正常じゃなくなるようにって、私は、そっとあなたの指に自分の指を絡めたんだよ。 狡いよね……。 でも……あの夏の煌めきは、私の中に今も残っている。ふ *** 迦夜との戦いは、本当に苛烈を極めた。 でも、あなたがいたから、勝てたんだ。そして私は、あなたに本当のことを打ち明けた。 巫女は命を代償に術を行使する……と。 この時、あなたの表情を、私は怖くて見る事が出来なかった。 そして、あなたはこの事を知った途端に、意識を失ってしまった。 きっと……癒えることの無い心の傷を……残しちゃったよね……。 もうこれ以上……一緒には居られない。 だから、あなたの元を離れた。何も言わずに。 すごく、すごく苦しかった。心臓が、無理やり引き剥がされるみたいに痛かった。 でも、そうするしかなかったんだ。私の時間はもう尽きかけていたし、このままじゃ、あなたを本当にダメにしてしまうと思ったから。 もう会わないって、そう覚悟して、泣き尽くして街を離れたのに……。 なのに……それなのにあなたは、ここに来てしまった。 嬉しかった。 そして、悲しかった。 どうして、って思ったよ。せっかく離れることができたのに、って。 あなたは言ったよね。「自分が死んでも構わない。
last updateLast Updated : 2025-08-05
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縁語り其の百七十二:さよならの祈り

まるで何かに導かれるように、あなたは、ふらりと、山道の奥深くへと歩き出した。 その覚束ない背中を、私はただ、追いかける。 やがて、開けた場所に、そのお方はいた。 ──琴音様。 呪いの元凶であり、そして、最初の犠牲者。文献に伝えられている生前の姿で、彼女は静かに悠斗君の前に佇んでいた。 そこで私は、今まで一度も見たことのないあなたの顔を見たんだ。 憎悪とでも言うべき、燃え盛る怒りの表情。氷のように冷たく、鋭い言葉。 あなたが、琴音様を激しく責めている。 分かっていたはずなのに。琴音様もまた、「被害者」だったって言うことを。 でも……あなたは、その悲しみに寄り添うことを、拒絶していた。 きっと……私が死んでしまったことで、あなたの中で何かが、決定的に壊れてしまったんだよね……。 「悠斗君……」 届かない。 分かっていても、名前を呼ばずにはいられなかった。 その時だった。琴音様が、ふ、と私に視線を向けたのは。 彼女がかざした手から放たれた、碧く、温かい光が、私の身体を優しく包み込んでいく。 ……悠斗君が、私を見ている。 驚きに見開かれた、その優しい瞳で、まっすぐに。 そして、その光の中で──私は、君と再会できた。 「……み……こと……」 掠れた声で、あなたが、私の名前を呼んでくれた。 私のことを、ちゃんと、見てくれていた。                *** ──悠斗君。 これが、私の「すべて」。 あなたに出会う前、私は、何のために生まれてきたのか分からなかった。 でも、あなたがそれを変えてくれたの。 何気ない日常。二人で過ごした、穏やかな時間。そのすべてが、空っぽだった私の世界を彩る、かけがえのない宝物になったんだ。 もう、あなたは私の全部を見てくれたもんね。 きっと、もう知ってるよね。 一人にして、ごめんなさい。 私を、好きになってくれて──本当に、ありがとう。 私は……あなたと出会えて、心から、幸せでした。 あぁ……もっと……もっと、生きたかったなぁ……。 普通の生活を、送りたかった……。 あなたと、人生を……ううん、生涯を、共にしたかった。 ふふ……ごめんね、最後の最期で、こんな感情を見せてしまって……。 あなたのことを考えると、「やりたかったこと」が次から次へと溢れてきて……もう、自分で
last updateLast Updated : 2025-08-05
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縁語り其の百七十三:千年前の白蛇山

どれほどの時間が流れたのか、もう分からなかった。 ただ、胸の奥底からとめどなく溢れてくる悲しみに、身を任せるように泣き続けていた。 ふと顔を上げれば、空の向こうが白み始めている。その色彩を失ったかのような夜明けの色は、まるで世界が僕の悲しみに耐えかねているようだった。 ぼやけた視界に、美琴の最後の表情が焼き付いて離れない。 『愛してるよ』 その温かい響きと、あまりにも切ない想いが、僕の心をさらに深く抉る。 彼女が背負った過酷な運命。寿命を削り、その身を賭して戦い続けた理由。その過去を全て知ってしまったからこそ、この結末はあまりにも残酷に思えてならなかった。 「美琴っ……」 声はすでに枯れ果て、肺の奥から絞り出される音は、か細い嗚咽に変わっていた。 君に、もう会えない。 その事実が、底なし沼のように僕の全てを飲み込もうとする。美琴が一度、僕の前から姿を消した時とは訳が違う。今はもう、二度と会う術は永久に閉ざされてしまったのだ。 この喪失感が、埋まることはない。決して。 なら──僕も、君と……。 暗い思考が、するりと脳裏をよぎる。 大丈夫。痛みは、きっと一瞬だ。 そう自分に言い聞かせ、まさに崖から身を乗り出そうとした、その刹那だった。 『それは断じて妾が許さぬ』 背後から、力強くも慈愛に満ちた琴音様の声が響いた。僕が泣き叫んでいる間、ずっと静かに見守ってくれていたのだろう。 『そなたは、彼女の心を見たのであろう? その愛を、安易に捨てるは、己が罪に背を向けるに等しい』 ……見た。美琴が背負った苦しい過去も、僕へのどうしようもないほどの深い想いも、全て。 『彼女はそなたに、一緒に死んで欲しいと申したか? 否。彼女はそなたの生を望んだはずだ』 その言葉に、僕は何も返せなかった。美琴は確かに、僕に生きて欲しいと願っていた。 だけど、彼女がいないこの世界で、僕は本当に生きていけるのだろうか? 心にはぽっかりと穴が空き、僕の世界は色を失ってしまった。 『そなたを守った彼女の意思を、無駄にする行為は許されぬ。その命は、もはやそなただけの器にあらず』 琴音様の言葉が、僕の胸に突き刺さる。そうだ、美琴は何度も僕を守ってくれた。その命を、僕が粗末にできるはずがない。 理屈では分かっている。
last updateLast Updated : 2025-08-06
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縁語り其の百七十四:浄化の舞いの起源

やがて山の中腹で視界が開け、眼下に広がる景色に、僕は息を呑んだ。 僕の知る千年後の寂れた村とは、あまりにもかけ離れた光景。無数の家々が肩を寄せ合い、立ち上る煙の間を、活気ある人々の影が行き交っている。 『この時は、まだ妾の呪いによる影響を受けておらぬ故、今の村とは大違いなのだ』 琴音様が、自嘲気味に呟く。その碧い瞳は、遥か昔の光景を映しながら、千年の苦渋を物語っていた。 『今は丁度、生贄の義の最中よ』 「生贄の義……?」 沙月さんから聞いた、琴音様が生贄に選ばれたという、あの……。 琴音様は僕の問いには答えず、ただ「こちらへ」とばかりに、再び歩き出す。 その背を追いながら、僕の心には、未来を知る者としての、言いようのない不安が募っていく。 僕たちは、さらに山を奥深くへと進んだ。 道なき道を進むほどに木々は鬱蒼と茂り、やがてその奥に、息をのむほど荘厳な白塗りの神社が現れた。神聖さの中に、どこか張り詰めた空気が漂っている。 鳥居をくぐり境内に入ると、奥から、かすかな物音が聞こえてきた。 音のする方へ向かうと、そこにいたのは……幼い女の子だった。 小さな体が、祭壇の前にぽつんと佇んでいる。その顔に感情はなく、焦点の定まらない瞳は、まるで遠い空を見つめているかのようだった。 そして、その少女の目の前には、白く、神々しい鱗を輝かせた巨大な白蛇が、とぐろを巻いていた。 これは……琴音と白蛇様の、出会い……。 白蛇が、とぐろを巻いたままゆっくりと首をもたげた。その巨大な頭部が、幼い琴音を見下ろす。 『汝の名は』 深く、重厚な声が、空間そのものを震わせるように響いた。 しかし、幼い琴音は動じることなく、ただ小さな唇を開く。 「…琴音、と申します」 感情の乗らない、静かな声。 『ほう……。我の声が聞こえるとはな』 白蛇の声に、微かな、しかし確かな驚愕の色が宿った。 『汝が、新しい生贄か』 その問いに、幼い琴音は感情のないまま、ただ静かに頷いた。 その光景を見つめる僕の隣で、現在の琴音様が、そっと呟く。 『これが、妾と白蛇様との、最初の出会いよ』 視界が突如、純白の光に包まれた。 全身が宙に持ち上げられたかのような浮遊感に襲われ、次の瞬間には、まるで糸が切れたようにストンと地面に足が着く。 白一色だった世界に、ゆっくりと色が滲
last updateLast Updated : 2025-08-06
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縁語り其の百七十五:元凶

視界が、再び、純白の光に染まる。 光が引いたとき、僕はすでに別の時の中にいた。 そこにいた琴音様は、もう少女ではなかった。二十代ほどの、今の姿に近い、凛とした女性になっている。まっすぐに切り揃えられた黒髪、古風ながらも端正な佇まい。そして、その瞳には、かつての空虚さの代わりに、深く、静かな優しさが宿っていた。 ある日、村の広場を歩いていた琴音様は、ふと足を止める。その先で、一人の男が長老たちに何かを訴えていた。 「なぜあの女が……! 巫女の真似事など! 神がいつまでも琴音殿の願いを聞くとでも思うのか!」 苛立ちを露わにした、怒声。 しかし琴音様は、眉ひとつ動かさず、ただ風に溶けるような声で呟いた。 「…………?また、誰かが白蛇様に縋りたくなったのか……?」 そして彼女は騒ぎから離れ、静かに歩き去っていく。 その記憶を語る、現在の白蛇様の声には、もはや抑えきれない怒りだけが残っていた。 『あの者が、我の琴音を……よくも……っ!!』 神でありながら、愛する巫女を救えなかった無力さ。その痛みを、白蛇様は今も噛み締めているようだった。 場面が、切り替わる。 琴音様が、一通の伝言を受け取った。呼び出しの主は、先ほど広場で怒声を上げていた村長。場所は、白蛇山の山頂。軽々しく踏み入るべきではない、神聖な場所だった。 *** 男は、すでにそこに立っていた。金糸の羽織をまとい、立派な顎髭を撫でている。だが、その細く鋭い目つきからは、品のない傲慢さが滲み出ていた。 『この者が、全ての元凶だ……』 ……この男が? 美琴の、先祖……? 信じたくなかった。この冷たい目をした男の血が、美琴の中にも流れているなど。僕の中にあった”美琴の血筋”への幻想が、音もなく崩れていくのを感じていた。 「このたびは、お呼び立てして申し訳ありませんな、琴音殿」 村長は、丁寧な言葉とは裏腹に、底意地の悪い笑みを浮かべている。 「構わぬ。用があるのなら、応えるまでのこと」 琴音様の声は、あまりにも澄んでいた。まるで人ではない何かのように、揺らがぬ強さがある。 一拍の沈黙の後、男は目を細めて問いかけた。 「……神が”願い”を叶えるという保証、それは……あるのでしょうかな?」 その瞬間、琴音様の目に、ほんのわずかに怒りが灯る。だが、声を荒らげることはない。 「神は、誰
last updateLast Updated : 2025-08-06
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縁語り其の百七十六:歪んだ思想

僕の目の前に広げられたのは、琴音という巫女を失い、混沌と化した村の過去の光景だった。 彼女がどこに消えたのか。 なぜ、突然姿を見せなくなったのか。 その問いに、誰も答えられずにいる。 ただひとつ、僕にも分かるのは、村が――その喪失を、確かに”感じ取っている”ということだ。 「琴音様は!? なぜ戻られないのですか!!」 泣き叫ぶ声が、村のあちこちから聞こえてくる。 「まさか……また、天災が起きるのか……」 青ざめた顔で空を仰ぐ者もいれば、過去の恐怖が蘇ったように、わなわなと震える老人たちもいた。 「神の怒りか!? また、我らは祟られるのか……!」 「どうにかせねば……どうにか、手を打たねば……!この村は滅んでしまう……!」 人々は、失われた拠り所を求めて、ただ彷徨っている。 祈る相手もいない。語りかける声も届かない。 琴音の”不在”という事実だけが、村のすべてを不安と恐怖で包み込んでいた。 そんな混乱の只中で、僕の視線はひとりの男に引き寄せられた。 村長だ。 彼は集まった者たちを見回し、顎髭を撫でながら、ゆっくりと口を開く。 「……策はある」 その言葉に、村人たちのざわめきが一瞬にして止まった。 「再び、琴音様の代理を選定する。次なる”神の器”を……我らの手で、生み出すのだ」 ぞわり、と肌を刺すような悪寒が走った。空気が凍りついたのが分かる。 だが、その言葉は、不安の淵にいた人々にとって、抗いがたい”救い”のようにも響いてしまったようだった。 *** やがて場面が切り替わる。 村から選ばれた”優秀な女たち”が、何も知らされぬままある場所へ連れてこられていた。 村の奥――かつて神具が保管されていたという、今は使われていない土蔵だ。 窓は潰され、光はない。 湿った石の床と、重く閉じた木戸。よどんだ空気を吸い込むと、胸が重くなる。 そこに、あの村長が現れた。 その手には、ひとつひとつ丁寧に盛り付けられた皿。それぞれに、茶色く煮こまれた何かの肉が乗っている。 「どうぞ、召し上がれ」 にやり、と唇の端が吊り上がる。男のその表情からは、慈悲も理性も感じられない。 重い沈黙が落ちる。 一人の若い女が、おずおずと口を開いた。 「……これは、何ですか。……獣のような、鉄錆のような……妙な匂いがします……」 皿を持つ手
last updateLast Updated : 2025-08-06
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縁語り其の百七十七:神の時代の終わり

「琴音様……」 その名を口にした途端、胸の奥で熱い何かが膨れ上がるのを感じた。 『……これが、すべての始まりであった』 琴音様の声は静かだった。 それは告白でも、懺悔でもなく――ただ、事実として語られる”始まり”。 『これを見せた上で……許して欲しい、などとは言わぬ。妾自身、己を許せぬのだから』 っ……。 言葉にならなかった。胸が詰まって、何も返せない。 『そして、この数日後――沙月にも、妾の能力が宿ったのだ。そして彼女と千鶴が、妾を封印した』 「千鶴さん……美琴の先祖の……」 『なるほど……美琴は彼女の子孫であったか。ならば彼女の強さも、納得できる』 「千鶴さんも……そんなにすごい人だったんですか……?」 僕の問いに、琴音はふっと目を細めた。 『妾と清孝……そして沙月と千鶴――我らは、友人だった』 「……友人」 『そうだ。清孝は千鶴の兄でな……妾のことを好いてくれておった』 たしか、清孝さんは……琴音様を殺した、あの村長の実の息子。そして――父である村長を殺害し、その場で処刑されてしまった人だ。 『その様子も、妾は見てしまった。錯乱した彼が、父を問答無用で殺めるのを』 『……そしてその場で処刑され、代わって千鶴が村長を名乗り出たのだ』 なんて……なんて強い人なんだろう。 その生き様に、ただ圧倒される。きっと当時の村に必要だったのは、そういった存在だったに違いない。 『もちろん、千鶴とて心を病んでいた。だが彼女は、バラバラになろうとする村を――ひとつに束ね上げたのだ』 その強さが、ふと美琴と重なって見えた。 『ふふ……そうだな。美琴の強さは、きっと彼女譲りだ』 琴音様がそう微笑んだとき、僕の胸に広がっていた不安や疑念が、少しだけ解けていく気がした。 『……さらに、悠斗』 琴音様が、ふと僕の名を呼ぶ。 『そなたは、沙月の子孫。そして、美琴は千鶴の子孫……』 静かな語り口の中に、確かな想いが込められている。 『こうして妾に立ち向かったのも――妾には、運命としか考えられぬのだ』 たしかに……その通りだ。 沙月さんと千鶴さんが、千年前に琴音様を封印した。 そして、その千年後――彼女たちの子孫である僕たちが……、琴音様を呪いから解放した。 これは、偶然じゃないのかもしれない。 きっと……そういう、縁だったんだ
last updateLast Updated : 2025-08-06
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縁語り其の百七十八:呪いからの解放

『……行ってしまわれた……』 琴音様の声が、静かに宙に溶けていく。 彼女は、白蛇様が消えた空を、ただ静かに見上げていた。その横顔に、ふと寂寥の影が落ちる。 「やっぱり……琴音様も、寂しいですよね」 僕の口から、自然とそんな言葉が漏れた。 美琴を失った時の、あの胸を抉るような悲しみとは違う。それでも、この別れを「大したことない」と割り切るべきではないと思った。 あの白蛇様との別れは、琴音様にとっても、心の奥底をじんわりと締めつけるものだったに違いない。 『うむ……そして、悠斗。そなたは……落ち着いたようだな』 琴音様が、僕を気遣うように言葉を紡ぐ。 その声に、僕は小さく頷いた。 「はい……まだ、引きずっていないと言ったら嘘になりますけど。でも、あなたの過去を見て……白蛇様や琴音様と、言葉を交わせて……」 そう言いながら、僕は自分の胸に手を当てた。 そこには、美琴への喪失感から生まれた激しい怒りも、琴音様への憎しみも、もう渦巻いてはいない。感情の嵐は去り、ただ深い悲しみが、どこか遠い場所で静かに沈んでいるのを感じる。 癒えたわけではない。けれど、確かに鎮まった悲しみだった。 「……それだけで、充分でした」 僕の言葉は、偽りない本心だった。 彼女たちの過去を知り、その想いに触れたことで、僕の心は救われていたのだ。 『……悠斗』 琴音様が、ゆっくりと僕の名を呼んだ。 『彼女……美琴が、このまま救われぬまま終わりを迎えるなど、この妾が……断じて許さぬ』 その言葉に、僕の心臓が大きく跳ねた。 彼女の声には、揺るぎない決意と、美琴への確かな想いが宿っていた。 「えっ……?」 呆然とする僕に、琴音様は真っ直ぐな目で告げる。 『故に断言しよう。美琴は、十数年後――輪廻転生を果たし、そなたの元へと帰ってくるであろう』 輪廻転生……? それは……確か幼い頃に母さんから、聞いていた。 輪廻転生……。 本当にそんなものが存在するなんて……。 でも、美琴に……会えるかもしれない……? 僕の胸に、驚きと、信じられないほどの希望が波のように押し寄せる。絶望で固まっていた心が、少しずつ溶けていくようだった。 『彼女は、それだけ偉大なことを成し遂げたのだ。それくらい転生が早くとも……世界の理も、許してくれよう。悠斗……そなたも、よくやった』
last updateLast Updated : 2025-08-07
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縁語り其の百七十九:終幕のその先へ

「……よく戻ったな」 長老の家の前に立ったとき、あの慈愛に満ちた声が出迎えてくれた。 琴音様のことを村人たちに伝え終え、僕はひとり、この家を訪れていた。理由はふたつ。ひとつは――琴音様が告げた、美琴の転生の話を伝えるため。この人にとっても、美琴はきっと、大切な存在だったから。 「長老……琴音様から、美琴についてのお話がありました」 「ふむ……聞こう」 僕は、琴音様が語った言葉をそのまま伝えた。十数年後、美琴は再びこの世に生を受け、僕のもとへ還ってくる、と。 「琴音様が……そんなことを……?」 長老は、にわかには信じがたいといった表情で目を細めた。だが、その深く刻まれた皺の奥で、小さな希望の灯火が宿るのが見えた。 僕は静かに頷く。 「はい。あのとき、琴音様は力強くそう言ってくれました。……あの瞳に、迷いはありませんでした」 ゆっくりと、深く頷いた長老の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。 「そうかぁ……そうかぁ……」 何度も繰り返されるその声に、どれほどの想いが込められていたのか――僕は、その涙の重みを、ただ静かに見守った。 そして――もうひとつ。 「長老、もうひとつ……お願いがあります」 「ほう? なんじゃ?」 「沙月さんの情報を……すべて、正しく書き直してほしいんです」 しばしの沈黙の後、長老は目を閉じて静かに問い返す。 「それは……構わんが、なぜ今になって?」 「沙月さんのこの村での記録は、偽られたままです。本当のことが、何ひとつ残されていない……。千鶴さんが、彼女の子孫である僕達を守るためにそうしたのは分かります。でも、今はもう――その呪いも、終わったから……」 かつて琴音様が残した呪いは、もう祓われた。今の村には、彼女を知る人もいない。それなら、もう……彼女の人生を”真実”として刻んでもいいはずだ。 「ふむ……。では、文献を作り直そう」 そう言って、長老は真っ直ぐ僕を見つめ、力強く頷いてくれた。その声に、ひとかけらの迷いもなかった。 「ありがとうございます」 知らず知らずのうちに詰めていた息が、そっと吐き出された。 「して……その沙月様について詳しく話してくれるか?」 「もちろんです」 そうして、僕は語りはじめた。あの人が歩んできた、千年の祈りの軌跡を。温泉郷で呪われた霊たちを鎮めたこと。僕に呪いが宿って
last updateLast Updated : 2025-08-07
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縁語り其の百八十:おかえりとただいま

僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。 彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。 美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今更ながら胸が痛む。 この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの魂に支えられて今、ここにあるのだ。 琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように深く愛していた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。 けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。 「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」 その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に深い悲しみがよぎる。でも彼は、変わらず優しく微笑んでくれた。 「……はい」 僕は深く頷いた。 *** 車内の空気は、しばらく静寂に包まれた。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。 「元気でな、悠斗君!」 別れ際、彼は笑顔で手を振った。 「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」 その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。 だけど彼は、そっと首を横に振った。 「これは俺が、一人でやりたいことだから」 彼の瞳は、どこか遠い空を見つめていた。 そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと── (……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと) そう心に誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。 「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」 その声が遠ざかっていく。 僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。 *** 輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。 バスの振動に揺られながら、窓に映る自分の顔が、やけに強張っていることに気づいた。もう何度も来ているはずの場所なのに、今日は心が落ち着かない。大切な報告があるからか、それとも、これまで
last updateLast Updated : 2025-08-07
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