暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める のすべてのチャプター: チャプター 481 - チャプター 490

565 チャプター

第481話

「今は人と話す時、まともに顔も見ないってわけか」顎をぐいと持ち上げられ、無理やり視線を合わせられた真琴は、微かに眉をひそめると、その手を冷たく払いのけ、表情一つ変えずに忠告した。「言動には少し気をつけて。変な誤解を招くような真似はしないでくれる?」その大真面目な顔に、信行は思わず吹き出すように笑って言った。「俺が何を誤解させたって?」そして言葉を継ぐ。「まあいい。その『誤解』とやらが解けたなら、俺たちもう手打ちにしようぜ」実のところ、誤解でも何でもない。真琴が感じたあの曖昧な空気はすべて、彼が意図して作り出したものだった。わざと揺さぶりをかけ、気を引こうとしていたのだから。視線を再びパソコンの画面に戻し、キーボードを叩きながら真琴は返した。「別に何の誤解もしてないわ。だから、手打ちにするも何もないの」信行が口を開くより早く、さらに気だるげに言い放つ。「今日あなたを呼ぶつもりなんてなかったの。ただ拓真さんたちが呼んだ手前、場をしらけさせるわけにいかなかっただけ。だから、一人で勝手に盛り上がって、変な勘違いしないでよね。私とあなたの関係は、もう完全に終わった過去の話。この先、何かが起こる可能性なんて万に一つもないわ」その一切の揺るぎもない態度に、信行は怒りと苛立ちで腸が煮えくり返りそうだった。だが、いくら腹が立っても、それを直接真琴にぶつける勇気など今の彼にはない。そのままデスクに寄りかかり、しばらく真琴を見つめていたが、胸の奥にはただやり場のない鬱憤が渦巻いていた。やがて立ち上がり、真琴の背後に回り込むと、デスクに両手をついて覆いかぶさるように身をかがめ、彼女を腕の中にすっぽりと閉じ込めた。そして、耳元で艶っぽく囁いた。「まさか昔のこと全部忘れたなんて言わないよな。俺たちの間にあった、あの『気持ちよかった』ことすら思い出せないなんてさ」さらに煽るように挑発する。「本当はいろんなこと、ちゃんと覚えてるくせに」耳元に吹きかかる熱い吐息に、キーボードを叩いていた真琴の両手がぴたりと宙で止まった。はっきりと口に出さずとも、その言葉が何を指しているのかは嫌でもわかった。かつて何度かあった、あの濃密なスキンシップのことだ。手を止めたまましばし沈黙し、やがて少しだけ顔を向けて信行を見上げ
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第482話

頬を噛まれた痛みに、真琴は振り返るなり眉をひそめ、冷たい声で睨みつけた。「いい加減にして。今日みんなが来ているからって、本気で怒らないとでも思ってるの?」真琴が声を潜めて怒りを露わにすると、信行は背後からその身体をすっぽりと抱きすくめ、頬にそっと口づけて囁いた。「……真琴、ずっと会いたかった」会いたかった。気が狂うほど会いたかった。ずっと抑え込んでいた感情がついに決壊し、思慕が奔流となって溢れ出した今日、たまらず抱きしめ、募りに募った思いを吐露してしまった。背後から抱きすくめる信行の腕を両手で掴み、真琴は冷たく言い放った。「これ以上こんな真似をするなら、ホテルに戻るか、光雅のところに転がり込むわよ」その後半の言葉に、信行は一瞬にして顔色を変え、低く凄むように言った。「やれるものならやってみろ」真琴は振り返りざまに挑発的に眉を吊り上げ、ふんと鼻で笑った。「どうしてできないと思うの?浜野にいた時は、ずっと彼と一緒に住んでたんだから」確かに浜野で光雅と同居していたのは事実だ。もっとも、それは広大な西脇家の屋敷で、他の家族たちと共に暮らしていたというだけのことだが。「……」視線が絡み合い、無言の駆け引きがしばらく続いた後、信行は唐突に腕を解き、身を起こして窓際へと歩いていった。右手でカーテンを引き開け、ポケットから煙草とライターを取り出そうとしたが、室内に真琴がいることを思い出し、そのまま横のキャビネットに放り投げた。そして、振り返って真琴を睨み据える。「お前はすっかり俺の扱い方を覚えて、どうすれば俺が苛立つか手にとるようにわかってるんだな」今や、二人の立場は完全に逆転してしまっていた。真琴はもはや信行のことなど微塵も気に留めておらず、いとも容易くこちらの感情をかき乱してくる。信行の理不尽な苛立ちに、真琴は気だるげに返した。「誰が扱い方を覚えたって?誰が苛立たせてるって言うの?私から電話して呼びつけたわけでもないのに」黙っていればまだしも、その一言がまたしても信行の胸を鋭くえぐった。射殺すような目でじっと見つめたまま、何度か口を開きかけたものの、結局何をどう言えばいいのかわからず、言葉を飲み込むしかなかった。押し黙ったまま見つめてくる信行に、真琴は鬱陶しそうに言い放った。
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第483話

少し離れた場所から、そのどこ吹く風といった真琴の態度を眺め、信行は呆れるやら可笑しいやらで思わず息を吐いた。始末に負えないのは、自分ばかりがすっかりのめり込み、四六時中彼女の一挙手一投足に感情を振り回されていることだ。じっと見つめていたが、真琴は一向にこちらに見向きもせず、ひたすら仕事に没頭している。それを見て、信行はズボンのポケットに両手を突っ込んだままふと顔を逸らし、そんな己の滑稽さに自嘲気味な笑みをこぼした。だが、よく考えてみれば、真琴は戻ってきた。こうして顔を合わせ、憎まれ口を叩き合い、言い争うことだってできる。今の信行にとっては、それだけでたまらなく満たされた気分だった。生きて、こうして目の前にいてくれる。それだけで何よりの救いだった。だから、何気ないふりをしてデスクのそばへ歩み寄ると、ポケットから出した右手で彼女の髪をくしゃっと撫でて言った。「……戻ってきてよかった。無事で本当によかった」思いがけず素直なその言葉に、真琴はキーボードを叩く手を一瞬止め、やがて顔を上げて信行を見遣った。今回戻ってきてからというもの、信行が以前のような刺々しさをすっかり潜め、事あるごとにこちらに折れてくれていることには気づいていた。実のところ、真琴自身も彼にむやみに突っかかったり、わざと怒らせたりしたいわけではない。ただ、信行が求めているものを、もう与えることはできないし、与えようとも思わないだけなのだ。そもそも二人の見据える未来が、決定的に違ってしまっている。真琴が何も言わないのを見て、信行はそっと手を引っ込めた。「じゃあ、仕事続けてくれ。俺はリビングに行ってるから」その言葉に、真琴は軽く頷き、穏やかな声で返した。「ええ」信行が過去の感情を持ち出さず、妙な駆け引きさえしてこなければ、真琴だってわざわざ棘のある態度をとって、居心地悪くさせるつもりなどない。……リビングに戻り、ローテーブルの前に腰を下ろすと、拓真が口を開いた。「せっかく真琴ちゃんが戻ってきたんだ、お前も少しは大人になって譲ってやれよ。いちいち突っかかったり、嫌がるようなことばっかり言うなって」拓真の的外れな忠告に、信行は呆れたようにジロリと睨み返した。「俺のどこに喧嘩をふっかける度胸があるって言うんだ?これ以上な
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第484話

玄関先。信行の姿を見た瞬間、光雅の表情はスッと険しいものに変わった。だが、思い直してみれば、拓真や司たちがここにいる以上、信行が姿を現すのも無理からぬことだ。たとえ真琴が呼んでいなくとも、拓真たちが声をかけているに違いないからだ。室内をちらりと一瞥し、視線を再び信行へと戻す。値踏みするように上から下までジロリと眺め回した後、光雅はようやく冷ややかな薄笑いを浮かべて口を開いた。「奇遇だな。片桐社長もいらしていたとは」敵意もあらわなその視線を受けながらも、信行はドアをいっぱいに開け放ち、どこか気だるげに応じた。「西脇社長とは珍客だな。まあ、上がってくれ」光雅が淡々とした視線を向けながらゆっくりと足を踏み入れたその時、信行は家主気取りで言葉を畳み掛けた。「ただ、夕飯はあり合わせの物しか用意してないからな。西脇社長も適当につまんでいってくれ」いかにもこの家の主人といったその振る舞いに、光雅は立ち止まり、ナイフのように鋭い視線を突き刺した。しばらく無言で信行を睨み据えた後、光雅は落ち着き払った声で言い放った。「真琴の家は俺の家も同然だ。身内なのだから『あり合わせ』だろうが構わない。ただ、片桐社長は少々ご自身の立場を勘違いされているようだな。真琴が片桐社長を歓迎しているとは到底思えないが」光雅がどういう男か。拓真や司、良一とはわけが違う。信行に殴りかからず、真琴の家から即座に叩き出さなかっただけでも、ギリギリの理性を保って最大限の礼儀を尽くしている方なのだ。だが、そうしなかったのは、決して信行の顔を立てたからではない。単に真琴を板挟みにして困らせたくなかったからだ。光雅の容赦のない言葉に、ソファに座っていた紗友里は顔を上げ、入り口で睨み合う二人を見遣った。その目はキラキラと輝いていた。さすがは西脇家の長男、真琴の後ろ盾になっているだけのことはある。言うことが痛快極まりないし、ぐうの音も出ないほど的を射ている。視線が激しく火花を散らす。光雅の容赦のない鋭い物言いに、信行は不快感を露わにした。ふんと鼻で笑って言い返す。「西脇社長、俺と真琴が一緒にいた頃、あんたらはただの赤の他人だっただろ?」信行がかつての情を持ち出すと、光雅は冷酷に吐き捨てるように言った。「付き合いが長ければ
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第485話

玄関先で信行と光雅が部屋に上がると、真琴はあくまで客に対するように、丁寧に二人にお茶を淹れて出した。差し出された湯呑みを受け取った信行の目は、どこか複雑な色を帯びていた。今日の午前中に来た時なんか、お茶一杯すら出てこなかったというのに。今はただ、光雅のついでにおこぼれに預かっているに過ぎない。真琴の中では、光雅の方が大事なのだ。いや、もっと言えば、今の真琴にとっては信行以外の誰であっても、彼より重要だということだ。司がキッチンで腕を振るう中、拓真と良一はリビングで光雅と信行の話し相手を務めていた。もっとも、話し相手とは名ばかりで、要するにこの二人がいきなり殴り合いを始めないよう見張っているだけだ。なにしろ、彼らはすでに一度、取っ組み合いの喧嘩を起こした前科があるのだから。夜になり、食事が済んで拓真たちが帰る段になると、真琴は下まで見送りに降りてきた。信行は帰りたくなかった。光雅がまだここに残っているからだ。しかし、紗友里が今夜は真琴のところに泊まると言い出した手前、渋々拓真たちと一緒に帰ることにした。マンションのエントランス。外まで見送った真琴は、彼らに向かってにこやかに声をかけた。「拓真さんに良一さん、それに司さんも、今日はお祝いに来てくれてありがとう。また時間がある時に集まりましょうね」その傍らで、信行はいつもの癖でズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、自分以外の全員に丁寧にお礼を言う真琴の横顔を、ただじっと見つめていた。自分には一切声がかからず、まるで拓真たちのただの「おまけ」か何かであるかのように。拓真たちが「気にするなって」、「またな」と応じた後、真琴はようやく振り返り、信行に視線を向けた。「片桐社長も、今日はわざわざどうも」自分の方を向いてお礼を言われ、信行の機嫌は一瞬だけ上向いた。しかし、すぐに不満げな声が漏れる。「……そんなに他人行儀にする必要があるのか?どうしても『片桐社長』って呼ばなきゃ気が済まないのかよ」両腕を軽く胸の前で組み、真琴は信行を見上げて何食わぬ顔で言い返した。「みんなのことも、ちゃんと敬称をつけて呼んでるじゃない。拓真さんや司さんは何も言わないのに、どうしてあなただけそんなに文句が多いの?」口調こそ柔らかかったが、そこに滲む冷淡さは
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第486話

光雅が部屋の狭さを気に入らないようだったので、紗友里は慌ててフォローを入れた。「真琴本人は狭いなんて全く気にしてないわよ。昔から贅沢は言わないし、見栄を張るタイプじゃないから。それに、東都を離れる前も、しばらくこのマンションに住んでいたし。あの頃、私もよくここに遊びに来てたの。だから、ここに戻って来られたら絶対に喜ぶと思って」光雅が何か口を開くより早く、紗友里はさらにまくし立てた。「このマンションと辻本家のお屋敷は、この二年間ずっと私が代わりに管理してたの。とりあえず、こっちのマンションは真琴の名義に変えるつもり。辻本家のお屋敷の方は、真琴から『まだ急がなくていい』って言われてるけど……今焦って屋敷の名義を変えたりしたら、マスコミに嗅ぎつけられて、東央や西脇家にまで迷惑がかかるかもしれないって、あの子なりに心配してるのよ。真琴は恩義を忘れない子だから、今は何事も西脇家を第一に考えて行動してるんだからね」紗友里が必死に弁解するのを、光雅はただ静かな眼差しで見つめていた。別にケチをつけたわけではない。ただありのまま、「狭いな」とこぼしただけだった。だが、二人が本当の親友であることは痛いほど伝わってきた。少し能天気なところはあるが、紗友里は真琴を身内のように大切に思っているのだ。光雅が相槌一つ打たず、じっと値踏みするような視線を向けてくるため、紗友里はわけもなく緊張してきた。いい家柄に生まれ育ち、幼い頃から数々の大物にも会い、それなりに場数を踏んできたつもりだったが、ここまで威圧感を感じさせられたのはこの男が初めてだった。この男は、一筋縄ではいかない。信行よりも、ずっと底知れないかもしれない。光雅が何気なく真琴の部屋を見回している間、紗友里はずっとその横顔を盗み見ていた。光雅が腕を上げて腕時計に目をやった時、紗友里がふいに口を開いた。「ねえ、西脇さん。兄のこと、すっごく嫌いなんでしょ?」その直球な問いに、光雅はふんと鼻で笑い、紗友里に視線を向けて言った。「君の兄を気に入る理由が、一つでもあるとでも?」「いや、そうじゃないけど。ただ、二人が顔を合わせるたびに火花散らしてるから、なんだか面白いなって思って」「俺と君の兄が殴り合いになるのを、横で面白おかしく見物でもしたいのか?」「……」
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第487話

だからこそ、光雅に言われるまでもなく、自ら口を開いて釈明した。その言葉を聞き、光雅は淡々とした声で返した。「あいつの件については、常に冷静でいてくれ。仕事上の付き合いを除いては、片桐家やあいつと一切関わりを持たないでほしい」真琴が口を挟む前に、光雅はさらに念を押した。「二年前のように傷つくお前は、もう二度と見たくないんだ」そう言ってから、こう付け加える。「ただし、あいつの妹は例外だ。彼女と付き合う分には構わない」何度か顔を合わせるうちに、紗友里が裏表のない性格で、決して真琴を傷つけないどころか、全力で守ろうとすらしていることが光雅にもわかっていた。だからこそ、親しくすることには反対しなかった。光雅という男には、確かに少しばかり独断的で強引なところがある。昔からずっとそうだ。だが、これほどまでに口うるさく干渉してくるのは、真琴に対してだけだった。それもすべて、真琴を誰よりも大切に想っているからに他ならない。その忠告に、真琴はこくりと頷いた。「わかってる。同じ間違いは二度と繰り返さないから」その瞳に宿る確固たる意志を見て、目の前に立つ光雅はズボンのポケットから右手を出し、真琴の頭をポンと軽く叩いた。今の光雅は、真琴に対するあらゆる感情や行動を自制し、適度な距離を保つことで、彼女に余計な気を遣わせたり、重荷になったりしないよう努めている。その深く静かな瞳を見つめ返し、真琴は微笑んで言った。「安心して。もう二度と、自分をあんな惨めな状況に追い込んだりはしないから」その言葉を聞き、光雅は手をポケットに戻して頷いた。「わかった」そして続ける。「じゃあ、二人とも早く休め。俺はホテルに戻る」「ええ、下まで送るわ」「いい、一人で降りる。お前がまた上に戻ってくるのも面倒だろ」そう言って、玄関のドアで見送らせただけで、光雅は真琴に早く中へ戻るよう促した。固辞されたため、真琴もそれ以上は食い下がらず、ドアを閉めて部屋に戻った。エレベーターホールで背後のドアが閉まる音を聞きながら、光雅は振り返って真琴の部屋のドアをじっと見つめた。このまま真琴を浜野へ連れ帰ることはできないかもしれない。そう思い至ると、光雅の瞳は次第に暗く沈んでいった。もし彼女が過去を忘れ、自分を受け入れてく
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第488話

「もちろん、あのバカな兄をかばってるわけじゃないわよ。ただ客観的な事実を言ってるだけ。だって、あいつが真琴を好きだったとしても、真琴がそれに応える義理はないし、無理してよりを戻す必要なんてどこにもないんだから」伏し目がちに紗友里の言葉を聞きながら、真琴はふいに自分が母親にでもなったかのような心境になり、この子もすっかり大人になったのだなとしみじみ感じ入っていた。その後、真琴もシャワーを浴びてから、二人はベッドに寝転がって夜遅くまで語り合った。何もかもが昔に戻ったかのようだった。しかし、それはあくまで真琴と紗友里の間だけの「昔」でしかない。……週末が明け、火曜日になると、興衆、アークライト、そして東央による提携の詳細がついにまとまり、契約書の草案もすでに出来上がっていた。両都市をまたぐ一大プロジェクトであり、これほど大規模な技術提携ともなれば、会場に詰めかけたメディアの数は相当なものだった。国内のみならず海外のメディア、さらには各界のトップや要人たちも顔を揃えていた。壇上では、東都市側を代表して貴博が挨拶に立ち、東央の東都市進出を歓迎するとともに、三社の提携成立に向けて祝辞を述べた。その後、各方面の要人や提携企業の代表者がそれぞれスピーチを終えると、信行、光雅、智昭の三人が報道陣のまばゆいフラッシュを一身に浴びながら、堂々と提携合意書にサインを交わした。スポットライトが華やかに壇上を照らす中、客席の最前列に座っていた真琴は、今日の提携成立に向けて惜しみない拍手を送っていた。峰亜の由美もどうにか入場パスを手に入れて会場に潜り込んでいたが、座席はずっと後方の目立たない場所だった。遠巻きに真琴を見つめ、彼女が今や東央のシニアエンジニアであり、西脇家の令嬢として華々しくのし上がっている姿を目の当たりにして、由美の胸中は嫉妬と焦燥で激しくざわついていた。真琴には元々何もなかったはずだ。両親さえもいない孤児だったのに。どうして今日のような地位まで上り詰めることができたというのか。さらに、スポットライトを浴びてひときわ眩しいオーラを放つ信行の姿に目を向けると、由美はふいに、彼がすっかり手の届かない遠い存在になってしまったように感じた。もっと近づきたい。ほんの少しでもいいから。しかし……今の自分ではどう足掻いても
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第489話

恭介の視線がずっと自分に向けられていることに気づき、真琴は柔らかな笑みを浮かべて挨拶した。「五十嵐先生」その温和な態度に、恭介は感慨深げに口を開いた。「辻本くん、君はやはり期待を裏切らないな」真琴は謙遜して返した。「過分なお褒めの言葉、恐れ入ります」そう言葉を交わした後、恭介は言った。「辻本くん、今日の午後、少し時間は取れるかね?込み入った話をしたいのだが」恭介からの誘いに、真琴は手元のスケジュールにちらりと視線を落としてから答えた。「お昼休みのお時間帯でもよろしいでしょうか?午後はラボに戻らなければならないため……」「ああ、構わんよ。それで問題ない」そうして二人は、昼の祝賀レセプションには出席せず、茶寮へと向かった。前回と同じ茶寮だった。今回、真琴は店員には頼まず、自らの手で急須を手に取り、恭介のために茶を淹れた。その流れるような所作は、茶道家にも引けを取らないほど見事なものだった。「先生、どうぞ」茶を淹れ終えると、真琴は恭しく恭介の湯呑みに注いだ。両手で差し出された煎茶を受け取りながら、恭介はこの若い女性の器の大きさと、肝の据わった落ち着きぶりに改めて感心していた。前回、あれほど容赦のない言葉をぶつけたというのに、少しも気を悪くした素振りを見せず、相変わらずの敬意をもって、これほど礼儀正しく接してくれている。淹れたての茶をゆっくりと一口味わうと、恭介は遠回しな言い方はせず、単刀直入に切り出した。「前回、君に会った後……貴博のやつにひどく怒られてしまってね。私が勝手に君に会いに行き、言うべきではないことまで言ったと」八十年近く生きてきて、恭介が他人に頭を下げて弁解するなど、これが初めてのことだった。ましてや相手は、孫ほども年の離れた女の子である。単刀直入に本題に切り込んできた恭介に対し、真琴は少しも動じることなく答えた。「実際のところ、先生のご懸念はもっともだと思います。私と貴博さんがまだ若く、考えが甘かったのは事実ですから」その言葉の裏にある明確な「線引き」のニュアンスを、恭介が聞き逃すはずもなかった。「辻本くん。今日君を呼んだのは、前回の件を詫びるためだ。君と貴博のことは、本来君たち自身で決めるべきことだった。私が口を挟むべきではなかったし、確かにお節介が過
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第490話

一方、東央の支社ビルの建設も急ピッチで進められており、来月にはテープカットとオープニングセレモニーを迎えられそうな見通しだった。……昼の祝賀レセプションに、真琴は姿を見せなかった。信行も会場で一通り顔を繋いだ後、すぐに自社へと戻っていた。智昭と光雅も長居はせず、幹部たちに挨拶を済ませると、それぞれの会社へ戻っていった。彼らのようなトップに立つ人間にとって、時間は金以上の価値がある。契約という最大の目的を果たした以上、さっさと自分の仕事に戻るだけであり、こうした場に無駄な時間と労力を割くことなどしないのだ。信行が技術部から上がってきた報告書に目を通していると、オフィスのドアがノックされた。祐斗が入ってきた。デスクの前まで来た祐斗をちらりと一瞥しただけで、信行は再び手元の報告書に目を落とした。すると祐斗が報告を始めた。「社長、お昼に五十嵐恭介先生が真琴様を連れ立って出かけられたそうです。おそらく、また何かお話があったのではないかと」真琴に関わることだと聞き、信行はようやく手元の資料を置き、顔を上げて祐斗を見た。それを見て、祐斗はさらに報告を続ける。「五十嵐先生が真琴様をお送りになった後、真琴様はそのままラボへ向かわれました」その報告を聞いて、信行はふんと鼻で笑った。「あの爺さん、案外あっさりと折れたな。この間わざわざ文句をつけに行ったばかりだってのに、もう心変わりかよ」二人の会話の内容こそ聞いていないが、だいたいの見当はついていた。間違いなく、貴博との交際を認めるという話だろう。ただ、あの爺さんが折れたからといって、真琴の心の中のしこりまであっさりと消えるわけではない。真琴は、そういう性格なのだ。信行が恭介の意思の弱さを揶揄すると、祐斗は言った。「それだけ真琴様が優秀だということですよ。そもそもこの業界でトップに立てる女性は限られていますし、何より真琴様は、そこらの男性エンジニアよりもよほど腕が立ちますからね」祐斗が目を輝かせて真琴を褒めちぎるのを見て、信行は鬱陶しそうに言い放った。「うるさい。あいつが優秀なことくらい百も承知だ。わざわざお前に解説されなくても分かってる」口ではそんな悪態をつきながらも、内心ではひどく頭を抱えていた。恭介が首を縦に振ったとなれば、またし
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