今夜は、私――結城昭乃(ゆうき あきの)と夫・黒澤時生(くろさわ ときお)の、月に一度の夫婦の夜だった。思わず、小さく声が漏れた。けれど、時生の冷たい瞳には、もう何の温もりも宿っていない。「昭乃、ルールを破ったな」そう言うと、彼はあっさりと身を引き、バスローブを羽織って浴室へ向かった。ベッドに取り残された私は、恥ずかしさと悔しさで目を閉じた。すべてが変わったのは三年前、最初の子どもを亡くしてからだった。そのとき時生は「子どもへの供養だ」と言い訳し、別荘に仏間を作り、香を絶やさず仏を祀るようになった。彼の言い分はこうだ。信心深い者は欲に流されてはいけない。夫婦の営みは月に一度だけ。みだらな声を出すことも許されない、と。私はまだ二十五歳。欲は人並みにあったが、逆らうことはできなかった。……深夜、時生は静かに家を出て行った。ほどなくして親友・桜井紗奈(さくらい さな)から電話が入った。切羽詰まった声だった。「昭乃!今すぐトレンド見て!優子の『パトロン』って……あれ、時生に見えるんだけど!」慌てて画面を開いた瞬間、頭が真っ白になった。――【衝撃!人気女優・優子、パトロン依存で出世疑惑!パトロンの正体は現在調査中!】載っていたのは、ぼやけた後ろ姿の写真一枚。でも私にはすぐにわかった。あれは夫の時生だ。右手には、いつも身につけている数珠。その手が、津賀優子(つが ゆうこ)の腰を抱き、二人はホテルへ入っていくところだった。そのとき、匿名メールが二通届いた。添付されていた高画質の写真が次々と目に飛び込んできた。最初の写真では、時生が片膝をつき、小さな女の子を抱きしめている。ふんわりしたドレス姿のその子は、首に腕を回し、彼の頬にキスをしていた。次の写真では、優子が彼の肩のほこりを払おうと手を伸ばしているところだ。時生は、私にするように冷たく払いのけることもなく、口元を少し緩めて受け入れていた。……何十枚もの写真を見て、ようやく悟った。三年間、彼が冷たかった理由は信仰なんかじゃない。――不倫していたのだ。爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめ、深呼吸を繰り返しながら二通目のメールを開いた。そこにはただ一行。【奥様、世間に公表しますか?それとも二億円で買い取りますか?】
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